12 曲調

「お前は……その、怖くなかったのか?」

 夜闇の道を進みながら、尹が口を開いた。手に跳ねた血に目を落としキヨラは呟く。

「ううん。昔……小さい頃いた村でも、よく人が殺されてたし」

「ぶ、物騒だな」

「ルールを破った人だけだよ」

 不安そうに言った尹に付け加える。

「正直、太陽の方が……意外だったかな」

 ふと言い、キヨラは視線を上げる。






 シャキ、シャキ、とハサミで髪を切る音に小鳥のさえずりが重なる。

 毛先の整えられている黒い髪の下、草の上に敷かれた開かれたビニール袋に切り刻まれた髪が落ちる。キヨラの髪を切る尹を旅人の女は感心した様子で眺めている。

「すごい手際だね……もしかして美容師さん?」

「あ、いえ。昔、妹の髪を切っていたもので」

 手を止め、尹は短く整えられたキヨラの髪を手で払う。朝日が葉の間から差し込む中、女は不思議そうにキヨラの髪を見た。

「しかしばっさり切ったね。……失恋でもした?」

「おい。少しはわきまえろ」

 後ろに立っていた旅人の男が女を軽く小突く。いて、と女は振り向いた。

「ひどい! 女の子を叩くなんて!」

「『子』って年かよ。お前今年で」

「あーっ!」

 女は声を上げて男の発言を妨害する。二人のやり取りにキヨラは笑った。毛先にかくれた首元の、頸動脈の横を通る傷を尹は見た。

 手を下ろし、尹はハサミを男に返そうとしかける……も、手を止めた。

「あ。洗ってから返します」

 刃の間に挟まった切り刻まれた髪が草の上に落ちる。

「いいって。そんくらい気にしないさ」

「いえ。俺の気が済まないので」

 言うなり尹はハサミを手に、茂みの向こうに流れる川の方へと歩き出した。

「何と言うか、しっかりしてるなぁ……」

「君と違ってね」

 すかさず言った女に、何、と男は返す。ビニール袋の上の髪の毛をまとめながら、そのやり取りに笑みをこぼすキヨラの方を女は横目に見た。短くなった髪に風がそよぎ、ビニール袋の上の髪が吹き飛ばされる。

「あっ……」

 声を漏らし、困った様子でキヨラは草むらに散った髪を見る。女がぽんとキヨラの肩に手を置いた。

「いいよそのくらい。いつか自然に還るさ」

「そ、そうなんだ……」

 再び吹いた強い風に、空中を切り刻んだ髪とビニール袋が舞う。

「ビニールは還らないからな」

 後ろで見ていた男が付け加える。



 砂利に水がぶつかり、白い泡の立つ川岸に尹は出た。ふと横に太陽がしゃがんでいるのに気が付く。

「いないと思ったら……喉でも乾いたのか?」

 だがぱしゃぱしゃと水音を立てる太陽の手元に目を留める。

「あ」

 手に持ったナイフの刃を太陽は水流にさらしていた。既に綺麗に洗われたナイフの刃に水滴がついて朝日にきらりと光り、銀色の刃に光が反射する。

 鋭い錆の無い刃先に、尹は太陽の顔を見た。跳ねた短い黒髪を下げ、俯けられたサングラスの向こうの黒い目はじっとナイフを見つめている。

 息を止め、尹は足を一歩引いた。砂利がずれた音に太陽が顔を上げる。

「……た、太陽。もうそれ、綺麗だと思うが」

 固まり、咄嗟に尹は言葉を発する。水流の音の中、太陽は尹の表情に目を留め、手に持ったナイフへと視線を移す。日光に刃がきらりと光った。

「ああ、そうだな」

 水からナイフを引いてシャツの裾で拭き、肩にかけた鞄の小ポケットにしまう。砂利の奥の茂みの中に血のついた上着が置かれたままなのに尹は目をやった。

 立ち上がった太陽に、我に返ったように尹はハサミを見た。

 茂みを抜ける太陽の背姿を見る。



 早いテンポのリズムにスタッカートのきいた曲調が林に響く。

 身を躍らせたくなるような曲に正確に太陽は指で笛の穴を押さえていく。太陽を囲む旅人たちは、目を輝かせてその曲に聞きしれていた。一方でキヨラと尹はどこか不安さを含んだ目で太陽を見上げる。

 ぱっと音が途切れ、太陽は口から笛を離した。

 一時の静寂を挟んで、旅人たちの拍手喝采に包まれる。

「すごかった! え、プロの人?」

「いえ、ただの旅の笛吹きです」

 そうだ、と女は腰のポケットから財布を取り出しかけ……手を止めた。

「どうしよう。これいくら位払ったらいいんだろ」

 視線を向けられて、旅人の男は目をそらす。

「え、えっと……コンサート一回で五千円か一万くらいだから……」

「いえ。趣味のようなものですし、代金は要りません」

 え、と旅人たちだけでなく、キヨラと尹も太陽を見る。だが太陽に何か言いたげな目を向けられてやや気まずそうに顔をそらす。

「いや、でも普段は」

 言おうとした女の肩に男が手を置く。

「いいじゃねぇか。タダより高いもんは無いとも言うし」

「それ意味違うけどね」

 もう一人の男が補足する。キヨラと尹が笑いをこぼす中、太陽は笛を鞄にしまった。

「それでは、そろそろ」

 旅人たちに丁寧に頭を下げる。気が付いて、旅人三人も下げ返した。

「楽しかったです、ありがとうございました。それでは」

「ばいばーい!」

 歩き出しながら女が大きく手を振る。キヨラは手を振り返し、肩についた髪を草に落とした。太陽を見る。

「じゃあ、私たちも」

 既に歩き出していた太陽に、え、と声をこぼす。

「意外といつも通りかもな」

 尹は言い、キヨラを促して太陽の後を追う。キヨラは慌ててついて行く。



 カンカンカンと高鳴る鐘、がたん、と大きく揺れて扉が横に閉められる。

 座席につき、開け放されたままの窓から身を乗り出してキヨラは動き出した車窓の外を見た。広がる田園風景、その奥に林が広がり、更に向こうに山が見える。

 小さな集落が畑の周りにあり、茶色い牛がうごめいている。

「ねぇねぇ、牛がいるよ! ほら」

 キヨラは頭を引いて振り向くも、フードを被ったまま尹は肩を揺らして俯き、太陽は読み古されたしわついた本に視線を落としていた。

「た」

 名前を呼び掛けて、キヨラは視線を車内の扉の方に向ける。壁に貼られた白いポスターを見て、キヨラは口を噤んだ。服の裏から一冊のまだ綺麗な本を取り出して、ぱらぱらとページをめくる。

 が、ふと顔を上げた。

「ねぇ」

 キヨラが言いかけた時、甲高い悲鳴が社内に響く。


 尹と太陽も顔を上げ、声のした扉の向こうを見た。その時勢いよく扉が開いて旅行客らしき眼鏡をかけた女が奥から通路に走り出る。

「強盗よ!」

 声を上げた女に社内に悲鳴が走ると同時に奥から拳銃を手に持った男が出てくる。男は拳銃を社内に振りかざした。

「動くな! 動いたらこいつで撃つぞ!」

 だが走り出した少年に銃が放たれる。弾は座席に当たり、食い込んだ穴から煙がもれる。父親が咄嗟に少年を座席の奥に引き戻した。

「これで分かったか! お前ら」

 男が言いきる前に列車が大きく揺れる。足元を崩し、ポールに掴まった男の手が緩み拳銃が床に転がる。拳銃は廊下を滑り落ちていく。

「しまっ」

 揺れる車内でポールから手を離しバランスを崩した男、廊下を滑り落ちた拳銃を座席から立ち太陽はさっと指を引き金にかけ

「だ、だめっ!」

 銃口を男に向ける。

 鋭いナイフのような視線が男を刺す。

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