10 警戒
暗闇の中、ぱちぱちと弾ける焚き火の煙の向こうに人影が映る。
「おーいっ」
呼びかける声に離れた木陰に座っていた太陽は顔を上げた。リュックサックを背負った三人組の若者たちが座る三人の方に手を振る。
「迷ってしまって、今夜火をお借りさせて頂けないでしょうか」
焚き火の傍に座っていたキヨラと尹は暗がりの中の太陽の顔を見た。旅人はポケットからぐっしょりと濡れたマッチ箱を取り出して見せる。
「昼間川に落としてしまい、この通りでして……」
「大丈夫……だよね」
確認するようにキヨラはマッチから目を離し、太陽の方を向く。小さく頷いた太陽に、ぱっと笑顔になってキヨラは旅人たちの方を向いた。
「ありがとうございます」
旅人たちは頭を下げて火の周りに腰を下ろす。
長い髪を一本に結んだ女はリュックサックを開け、中からラップで包まれた握り飯を取り出して二人に差し出した。
「食べる?」
え、と戸惑った様子で顔を上げた尹とキヨラに隣に座っていた男が言う。
「お前、他人の握った握り飯食いたいと思うかよ」
「えっ。や、ラップで握ってあるから綺麗だよ! 手も洗ったし!」
むきになって言う女を見て、リュックを背負ったままの男が笑う。
「彼女は潔癖気味だから大丈夫さ。安心して食べてください」
笑いかけられてキヨラと尹は頷く。
「それじゃあ……ありがとうございます」
ラップにくるまれた握り飯を受け取り、透明の包み口を剥がして潰れかけた米が露出する。表面にまぶされた塩の粒が火に照らされて小さく光る。
女はリュックからもう一つ取り出し、離れた木陰に座る太陽の方へと歩み寄った。キヨラは握り飯を口にし、ぱっと旅人たちの顔を見る。
「おいしい!」
「だろう? あいつ、塩加減だけには自信があるからな」
「『だけ』は余計だ!」
すかさず返す女に男はニヤニヤと笑う。女は太陽に握り飯を差し出した。
「貴方も食べる?」
「……いえ」
だが断った太陽に、キヨラと尹は太陽を見た。
「他に食うもん持ってるのか?」
尹が聞くも、太陽は無言で膝を見つめるのみ。握り飯を引き、女はふと太陽の鞄の中から突き出している笛に目を留めた。
「笛……ねぇ、せっかくだから何か一曲聞かせてよ。お金は払うからさ」
火の周りに座っていた男の旅人二人が顔を上げて女を見る。一人が何か言いかけた時、太陽はこくりと頷いた。
「分かりました。でしたら、明日」
「やったぁ! ねぇねぇ、明日笛を聞かせてくれるんだって!」
女は振り向いて男二人の方を見た。ほっと息をつき、男の一人が苦笑いする。
「す、すみませんね。こいつ礼儀ってものを知らなくて……」
「別にいいじゃん。代金はちゃんと払うし、双方ウィンウィンだよ?」
嬉しそうに女は握り飯を手に火の周りに戻り、腰を下ろしてラップを開ける。握り飯にかぶりつきながら尹が言葉を返す。
「いや、俺も礼儀とかよく分かんないですし」
「あっ私も!」
口の端に米粒を付けて同意したキヨラに、旅人たちは笑いをこぼす。星空の下、火の弾ける音を囲んで旅人たちは言葉を交わす。
話しながら、キヨラは離れた場所で座っている太陽の方を向いた。
「た……こっちに座ろうよ。このくらい離れてれば火が飛んできたりしないよ?」
しかし太陽は首を横に振った。心配そうに、キヨラは太陽から目を離す。夜風が火の粉を飛ばし、林の中の葉をざわめかせた。葉が一枚太陽の膝元に落ちる。
じっと葉を見つめ、サングラス越しの目を細める。
夜闇に包まれた林の中にフクロウの鳴き声が響く。
野草を踏んで獣道を歩く足音、辺りを携帯ライトで照らし、見回しながら太陽は街への道を辿っていく。葉と葉の隙間から星がまたたくのが見えた。
がさ、と葉の揺れる音に太陽は足を止める。
音のした方をライトで照らすも、虫の声が聞こえるのみ。
「……虫か」
「こんな夜更けにどうしたんですか?」
だが人の声に身構えて太陽は声のした方を向く。前方をライトで照らした。
「うわっ。って、あれ? 昨日の笛吹きさんじゃないですか!」
眩しそうに目を細め、そこに立っていたのは昨日のハンチング帽の女だった。長い髪を夜風にそよがせ、にこにこと嬉しそうな笑みを浮かべる女に太陽はライトを下ろす。
「それにしても、そんなに驚くことないじゃないですか」
「……すみません。夜道で緊張していたもので」
「あ、僕は驚きませんでしたよ。きっと来てくれると思ってましたから」
笑顔の女に対し、太陽は気まずそうに視線を逸らす。
「……え」
間を空け、顔を上げた。
女はにこにこと太陽の目を見ている。
「どういう」
言いかけたその時目の前の女が横に消える。即座に振り向くと、首元を狙って振り上げられた包丁の刃が鈍く月明りに反射する。太陽は体をそらして刃を避けた。
包丁を引き、女は笑う。
「やっぱ凄いですね、避けちゃうなんて。渾身の一撃だったんですが」
飛び退いて女は包丁を下ろす。身構え、太陽はハンチング帽の女に警戒を向ける。
「用件は何だ」
「あれ、もしかして気が付いてなかったんですか? 僕が例の殺人鬼だって」
意外そうに女は太陽を見る。太陽が足を一歩引くのを見た。
「そんなに警戒しないでくださいよ、同じ殺人者同士じゃないですか」
「一緒にされる覚えはない」
低い声色で言う太陽に、女は首を傾げて見せる。
「あれっ、記憶喪失ですか? それとも黒歴史だったりします?」
包丁を手に女の目がじっと暗闇の中で太陽を捉える。携帯ライトの明かりが映る。
「僕貴女の大ファンなんですよ。何たって八歳で大量殺人、世界的指名手配犯に」
「それで私に何の用がある」
再度聞かれ、女はにっこりと笑う。
「分かりません? 僕、貴女と戦いたい……殺し合いがしたいんです」
鋭く冷たい太陽の目を見つめる。
携帯ライトの明かりが白く林に映り、虫の声が林の中に響く。
「殺人狂、稲葉太陽さん」
包丁を構える女に、太陽は唇を固く結ぶ。
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