09 セミ

 それはまぶしいほどに青い空だった。

 自動ドアに映る白い太陽は真上に昇り、植えられたヒマワリの花の雫が光る。

 木の無いそこでは、セミの声は全く聞こえなかった。補修工事が行われている塀の中で、黒目がちな目は瞳孔が開ききっている。

「……嫌だ」

 震える指先が握られたまま支給品のズボンを撫でる。スリッパのまま水のまかれた階段を一段踏み出し、早まる鼓動に呼吸は荒くなる。

「誰か」

 呟きかけて、言葉を止める。

 思い切り手を下げ握られた手を振り払った。

 黄色い工事中の看板が立てられた門へと走り出す。


 太陽は手をついて、体を起こした。

 毛布をどかして枕もとのサングラスをかけ、瞼を開いて窓の外を見た。まだ暗闇の

窓ガラスに映る太陽の目元、眉間に微かにしわが寄る。

 だが勢いよく背後から叩きつけられたキヨラの手に太陽は肩を跳ねさせて振り向いた。その衝撃で起きたのかキヨラは目を開け、自身の手の位置に事情を察する。

「ご、ごめん太陽っ……て、まだ真っ暗……」

 体を起こし、窓の外をまだ眠そうな表情で眺める。

「こんな早くに起きてたんだ……」

 目をこすってあくびを一つした後、キヨラは涙目でふと太陽を見た。

「……太陽、さっきの結構怒ってる?」

 え、と声をこぼして窓を眺めていた太陽はキヨラの方を向く。太陽の様子にキヨラは慌てて付け加える。

「だって……なんだか、凄く嫌なことがあったみたいな顔してたから」

 僅かに目を開き、太陽は眉間を緩めた。しかしすぐまたしわを寄せて視線を下げる太陽を、キヨラは少し眺め、ベッドから降りた。

「せっかく早起きしたし、明るくなるまで喋ってようよ」

 笑顔で提案したキヨラの方を太陽は振り向く。

「何時だと思ってるんだ」

「え。えっと……五時くらい?」

 窓の外を見て推測しているキヨラに、太陽はやや呆れた様子で再びベッドに上がり毛布を被る。え、とキヨラは窓から目を離した。

「サングラス……」

 かけたまま横になっている太陽に首を傾げつつも、キヨラもベッドに戻る。

 もぞもぞと毛布を被る音を太陽は目を細めて毛布の中で聞いていた。一層しわを深くし、唇を堅く閉ざす。



「ああ。もしかして貴方、笛吹きですか?」

 宿を出ようとしていた太陽は声を掛けられ、受付の方を振り向いた。受付に飾られた赤い小さな花が扇風機の風に揺れる。

「え、はい……そうですが」

「昨晩そこの街で殺人があったそうですよ」

 息を詰まらせ、キヨラと尹は受付職員の顔を見た。

「……そうですか」

 あっさりと返す太陽に、受付職員は不思議そうに首を傾げた。

「その件で貴方に話があるって人が来てたのですが……近いですし行かれてみては」

 扇風機の首が曲がり、奥の部屋への間仕切りに吊り下げられた紐飾りがなびく。

「ありがとうございます」

 礼を言い太陽は扉をくぐって宿を出た。後を追う二人。

 扉を閉めて、太陽は昨夜来た道を辿りだした。

「い、行くのか? 危険じゃ……」

 意外そうに尹は太陽の背中を見るも、戸惑いを持ったまま太陽の後をついて行く。歩き出した二人にキヨラは背姿を見つめていたが、その後を追う。


 石造りの橋を渡り、三人は街を見渡した。

「人が……少ないな」

 昨日の朝は賑わっていたランタンの吊るされた街道を見て尹が呟く。不安げに周囲を見回し、キヨラが一歩踏み出そうとした時、あ、と声が聞こえる。

「来たぞ!」

 声が上がる。え、と身構える間に建物からわらわらと人が姿を現し、石造りの橋の前後、三人の周囲はあっという間に人々に囲まれる。向けられる視線に、キヨラは太陽の薄手の上着の袖を握った。

「貴方が最近、噂になっているという賞金稼ぎですか」

 街人の問いにキヨラと尹ははっと太陽の方を見る。疑いと、憎しみを含んだ視線に太陽は僅かに視線を下げる。

「確かに資金を稼ぐためそのようなことをすることはありますが、私は」

「やはりそうでしたか」

 左右にいた街人が太陽の手首を掴む。目を留め、太陽は視線を上げかける。

「今夜はこの街に居てもらいます」

 街人が言うなり、抑えられていた女が人ごみの中から太陽に向かって叫ぶ。

「貴方が逃げたから夫が殺されたのよ、この人殺し!」

 激しい剣幕で叫びたてる女に、尹がその方を向く。

「それは」

「黙ってろ」

 だが太陽に小声で言われて言葉を詰まらせ、けど、と太陽の方を見た。

 袖を握っていたキヨラが些細な振動に気が付いて顔を上げかけた……


 ……その瞬間、太陽は腕を振り払って走り出した。

「きゃっ」

 後ろへ躓きかけてキヨラは人ごみにぶつかる。手首を掴んでいた街人は地面に思い切り叩きつけられ、後方に立っていた人々は押しのけられて橋から川へと転落する。

「追え!」

 掛け声に街人たちは体を起こして太陽を追おうとするも振り向いた太陽の視線に足をすくませ、キヨラと尹は開けた人ごみの中をその後を追う。門をくぐり、小さくなっていく背姿を人々は茫然と眺めていた。

 が、我に返って橋を渡る。

「ぜ、絶対に捕まえるんだ、逃がすな!」

 林へ入って行った太陽たちの後を追う。






「太陽っ!」

 キヨラに呼びかけられて太陽は足を止めた。

 呼吸が出来ないほど荒まった息を吐き、吸い、足元に視線を落とす。夕暮れの明かりが林の中を橙色に照らして、セミの鳴く声が木の間から響いている。

 ずれたサングラスをかけ直し、額から顎へ汗が伝う。

 後ろを振り向き、尹は息も絶え絶えに太陽の方を向く。

「……追手は、もう、いないぞ」

 汗の滲む両手を震えるほど握りしめ、太陽は地面を見つめていた。キヨラはその背中をしばらく見ていたが、歩み寄る。

「太陽、どうし」

「黙れ」

 遮られて言葉を止める。手の甲で汗をぬぐい、太陽は歩き出した。

 土だらけになった足で、キヨラはその後について行く。立ち止り、尹は口を開きかけるも、声にしないまま口を閉じた。無言で歩き出す。

 夕焼けの赤い日が、きつく結ばれたサングラスの支えの金の紐をきらりと光らせた。ゆらゆらと揺れる肩に欠けた鞄の紐を、太陽は片手で強く握りしめる。

 漏れ込んだ夕日の明かりが、小ポケットに入れられたナイフに反射する。

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