08 反射
扉のステンドグラスの隙間からオレンジ色の光がこぼれる。
静寂を破り、わっと酒場の中は拍手喝采に包まれる。からんからんと硬貨を投げ入れる音、紙幣が机から踏み台に投げられる。
酔っぱらった客達のコールに太陽は丁寧に頭を下げ、踏み台から足を下ろした。
「兄ちゃんカッコ良かったよ! 名前は何て言うんだい?」
「名乗るほどの者ではありません。ただの旅の笛吹きです」
伏し目がちに机の間を戻る太陽の手を大きな手が引いた。
「是非この町に住んでいきなよ、それで毎晩演奏しとくれ」
「すみません、探している人がいるので」
「そりゃ残念だ。探し人ってのは彼女かい?」
ひゅーひゅーと口笛が上がるも、太陽は僅かに目を細めて否定する。
「いえ。恋愛事には疎いもので」
「へぇ意外だな。兄ちゃん中々のイケメンなのに」
ぱっと手を放され、太陽はすたすたと隅の席へと戻った。再び演奏前の喧騒が戻る酒場の中で、キヨラと尹は不思議そうに太陽を見ている。
「……何だ」
缶の中の硬貨を鞄にしまっていたが、視線に気が付いて太陽は眉をひそめる。
「いや、太陽って人当たりはいいんだな……と思って」
「大人なら当たり前のことだろ」
同じく成人済みな尹は言われてみると、と言いながらも微かに首を傾げている。コップに入ったミルクを一口飲んで、口周りを白くしてキヨラは太陽を見た。
「こないだ演奏した曲は、今日は演奏しないの?」
「うっとおしい。黙って飲んでろ」
疲れ気味な様子の太陽に一蹴されるも、キヨラは少し考え込んで顔を上げる。
「あの曲に出てくる旅人ってなんだか太陽そっくりだよね」
「誰が楽劇隊だ」
不快げにぴしゃりと言い放つ。後ろの座席の客の視線に、やや声量が大きかったことに気が付いて太陽は口を噤んだ。どこか落ち着かない様子で机の上の水を見つめる。
「あれ、昼間の人たちじゃないですか!」
だが後ろから聞こえた、聞き覚えのある高い声に振り向く。
「道を歩いてたら綺麗な音楽が聞こえてきまして。でも、まさかあなただったとは」
にこにこと笑みを浮かべなら話すハンチング帽の女。目を輝かせる女をキヨラと尹は見ていたが、突如女は太陽の両手を取った。
「僕感動しちゃいました。何か音楽に関する経験があるんですか?」
「……いえ、特には」
「えっ。それであんな演奏ができるなんて……スカウトされてないのが不思議ですよ」
意気揚々と喋る女に対し、太陽はどこか気まずそうに、目線は横にそれている。
「ところで、探してる人って……彼氏さんだったりします?」
しかし突然の質問にやや驚いた様子で視線を上げる。
「……いえ、あれはその場しのぎの嘘で」
「何だ、やっぱりそうだったんですか。だと思ったんですよ」
女の声量に太陽は息を詰まらせて辺りを横目に見回す。そんな太陽の顔を見て、口角を上げながら女は首を傾げ、太陽に囁く。
「でも、こんな美人のお姉さんだったらきっとすぐプロポーズされちゃいそうですね」
太陽が顔を上げると女はそれでは、と片手を上げて自身の席に戻って行った。ハンチング帽の女が消えていった人ごみを太陽はぼんやりと眺めていたが、その視線を膝に落とす。
「太陽、どうしたの?」
キヨラに問いかけられてはっと我に返ったように顔を上げる。
「い、いや……いちいち構うな」
視線をそらす太陽をキヨラはコップの取っ手に手を付けたまま見ていたが、何だ、と太陽に聞かれて慌てて首を横に振った。
だが再び物思いにふけっている様子の太陽に、キヨラは人ごみの方を見た。
「……ひょっとして太陽、あの女の人に惚れたんじゃないか?」
隣に座る尹の囁きにキヨラはえっ、と振り向く。逆に驚いて尹はキヨラの顔を見る。
「な、何で?」
「だって、あんな美人滅多にいないだろうし……太陽の様子からして、な」
尹の言葉にキヨラは太陽を上目遣いに見た。
「まぁ、あの女の人の方が気があるように見えたけど」
「えっ」
再び声を上げたキヨラに、尹は動揺して太陽の方を見た。怪訝そうな目でこちらを見ている太陽に軽く笑い、声を抑えてキヨラの方を向いた。
何かを言おうと口を開きかける……も、え、と小さく声を漏らす。
キヨラはどこか焦りと不安を含んだ表情で太陽を見ていた。納得した様子で、尹は女の消えていった人ごみの方を見る。酔っぱらって顔を赤くした客達がガラスのコップを手に大声で話していた。
「あれがライバルか……」
呟き、尹はキヨラを見る。
シャランと鈴を鳴らして扉を閉める。薄い藍色に染まりかけている夕闇の中を、カラスが二、三羽横切って行った。背後から大きな笑い声が聞こえる。
「この街を出る」
「え」
酒場を出るなり言った太陽にキヨラと尹は同時に声を漏らした。酒場の扉を横目に見て、キヨラは太陽の顔を見上げる。
「でもまだ一日も」
「聞いただろ。殺人犯がこの辺りにいると」
太陽に言われて、思い出した様子でキヨラははっと緊張を走らせ辺りを見回す。夕方の街は今朝や酒場の賑わいに比べ、妙なほどに人の姿が無い。
「一応気にかけてたんだな」
尹の言葉に、太陽はどことなく気に入らない様子で視線をそらす。
「……万が一、出くわしたりしたら嫌なだけだ」
そう言って歩き出した太陽の後を二人は付いて行く。濃い灰色の雲が夕日を隠して、次第に空は藍色がかっていく。
石橋のかけられた川を越え、門をくぐろうとした時、ふとキヨラが立ち止った。
「……もし、太陽じゃなかったとしても……明日また誰かが殺されるのかな」
ぴたりと太陽が足を止めた。だが僅かに俯き、再び歩き出す。不安げに裾を握り、俯いて足元に視線を落としているキヨラに尹が歩み寄る。
「気持ちは分かるが、俺たちが気にしたって仕方がないさ」
促されて、キヨラは歩き出した。門をくぐる前、街の方を振り向く。
建物と建物の合間に吊るされたランタンが暗がりの中に灯っている。
人ごみの中から机の方へ神妙な顔つきで酒瓶片手に男が近寄る。
「おい、次狙われてるって噂の賞金稼ぎ、笛吹きとしても評判があるらしいぜ」
酔っぱらっている男の発言に、椅子に座っていた仲間たちはえっと声を上げる。
「そりゃまさか、さっきの兄ちゃんだったり……」
「いやいやそれは無いだろう。あんな虫も殺せなさそうな体格の奴に」
コップをあおり、口ひげに泡を付けて言った中年の男に一同はわははと大きな笑い声をあげる。確かにそうだな、それは流石に、と口々に言う中年たちに、人ごみの中からちらりとハンチング帽の女の視線が向けられる。
「やっぱり、そう思うよね」
笑いを隠すように口角を歪ませ、女は人ごみの中に消えた。
首にかけたカメラのレンズが天井の電球に反射する。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます