第9話 武闘の名手

アイネは水の張られた大人1人が悠に入れる大きな桶を頭に乗せて、まだ日の登らぬド早朝の庭園を走っていた。

一応アイネはこれでも子爵令嬢という貴族の端くれのはずで、こんな桶など今まで頭に乗せた事も見た事もなかったはずだった。

「この調子だアイネ君!」

夢色ドリームフェレットがその周囲を飛び回る。

「……おいユッケ、これに、何の意味が…?」

「武術修行により、バランス感覚と今よりも強靭な体幹を目覚めさせるのだ」

「これダンスに関係あるのか…?」

ユッケが自信げに鼻を鳴らした。

「おおありだとも!武闘を制す者は舞踏をも制す。君はすでに舞踏の心得があるらしいが、まだまだ伸び代は無限大だ」


社交ダンスって、こう…もっと優雅で上品なものじゃなかったか?

これではどこから見ても乙女ゲームではなく往年のカンフー映画だ。勇ましいテーマソングに、俺の声も広東語のアテレコになっている様な気がしてくる。


ちなみにこの第二のテスト、ダンスの回でヒロインは皇太子と出逢うシナリオになっている。

偶然出会った不遜な男がライバルのペアとして登場。そこではじめて皇太子だったと知る…そんな王道の展開だ。

因みにライバル以外の4人はナイト様たちの中から1人とペアになる。

アイネも一応ナイト様の中からペアを選ぶ権利はあるし選んでみたいものだったが、今となってはこのイタチ師匠が許さないだろう。



アイネは宮殿の裏手の途方もない階段を全速力で駆け上がった。初めてこの地に降り立った際は表の緩やかな坂道を優雅に馬車で登ったものだった。

そして、最後の一段を登り切った時…

「アイネよ、今だ!跳躍!しつつ〜の」

アイネの身体が桶ごと高く飛ぶ。

「ムーンサルトぉ!」

そしてユッケの掛け声に合わせ、冴えたムーンサルトキックで宙に浮いた桶を大破する。

「素晴らしい!満点だ」

バラバラと木端が降り注ぐ中、アイネが着地した。


「いや、これ絶対ダンスには関係ねえだろ…」


「何を言うか。身体が闘気によって覚醒した今、アイネ君の身体はどんな振り付けでも一瞬でマスターするはずだ」


へぇ闘気…全然乙女ゲームじゃないんだな!


「何散らかしているんだ。片付けろ」


運悪く、聞き覚えのある声が背後から聞こえた。いつでもタイミングが悪いジェラールだ。


「いやいや、あんたのお師匠さんに言ってくれよ。ダンス1つで滅茶苦茶言ってくるんだけど」


「師匠は一度動き出したら聞かんから無理な話だ」


ジェラールがタオルで汗を拭う。

こいつも早朝に走り込みをしていたのかもしれない。いつもよりかなりシンプルな格好だ。


「まあ良くわからんが、鍛錬する事は関心だな」


「…あ!悪い、これ以上話しかけないでくれ」


「はあ?」


————…それには理由があった。

アイネが何やらジェラールや運営に賄賂か色仕掛けをして今の立場を得たのだと思い込んで怒り狂う乙女+ボーイズがちらほら見受けられるのだ。


あの雰囲気だけはロマンチックな夜の次の日…アイネは謎の黒いフードを目深に被った集団に囲まれた。


早速警備ガバガバじゃねえか!ジェラール仕事しろよ!

と思ったものの、よく見たらフードの奥はうら若き乙女達の様だった。中には兵士にしか見えない屈強な男もいたが…おそらく彼女達は聖霊巫女候補の少女達だろう。

「貴様アイネと言ったな?」

「元帥閣下に無礼にも執拗に纏わりついて媚び諂っているとか」

「身の程も寸も足らない小娘の分際で」

「子爵階級なぞ、むかごでも炊いて食べていれば良いのだ」

黒フード集団が低い声で唸りながら包囲網を縮めてくる。

「いやいやさすがに失礼だし知らないよ誰だよ元帥て…」

「しらばっくれるな!我らがジェラール元帥閣下に決まっておろうが!」

リーダー格の様な黒フードがギャンと怒れる大きな目を見開いた。

「えっあいつ元帥閣下なんて呼ばれてるの…」

「あいつだと!?貴様切り捨てられたいか!?」

思わず吹き出すアイネにいきりたつ男をリーダーが制す。

「アイネ。貴様は元帥閣下に無礼を働いただけでなく、過剰謁見ぬけがけにより我々私設ジェラール様親衛隊『エーデルワイス鉄血隊』の存在意義まで揺るがした。よって総大将閣下の元で裁きにかけられる」

「エーデルワイス…鉄血…」

こんな状況でも変な笑いが込み上げてくる口元を歪ませるアイネに、リーダーがぐいと近寄り血走った目を向けた。

「裁きの日は3日後だ。首を洗って待っておけ。有罪・極刑は既に決まっているのだからな…」


——————…


「……という事で、もうあんたのファンから嫌がらせ受けたくないんだよ」

ジェラールが疲れた様に眉間に皺を寄せた。

「これに関しては流石にすまなかった。しばらく静かにしていると思っていたのだが…」

「…………ジェラール元帥閣下…」

「…言うな」

「エーデルワイス鉄血隊の、元帥閣下…」

「言うな!!!」

良いタイミングでユッケが2人の間に入り込む。

「おやおや早速息がぴったりじゃないか。鉄血隊などに忖度している場合ではない。今はまずジェラールと共に勝たねばならぬ」

ジェラールが不満そうに何かを言いかけたがユッケがそれを制した。

「明日から実践に移るとしようか。2人の円舞にな」

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