第3話 モブ娘のポテンシャル

目の前に見覚えのある男が見える。

そうだ昼間アイネ達に説明していたお堅そうな軍人だ。

後ろに流された髪型も相俟っていかにも武闘派な雰囲気だが、近くで見たら意志の強そうな濃い眉に宝石の様な深く青い瞳の、同性でも見惚れてしまう彫刻の様な整った顔立ちだ。そして、思わず身を委ねたくなる様な逞しい腕がアイネを抑えつけている。

状況が状況でなくさらにアイネがアイネであれば、永遠にこのままでも良いと思っただろう。

「むぎゅう…」

という情けない声がアイネの口から漏れた。

これはガチの壁ドンだね。…と悠長に感心している場合では無い。軍人の腕には優しさのかけらもなく、確実に締め上げてくる。

「やはり貴様だったか… 西の国の間者め」

軍人が表情を更に険しくする。

「西…国…?何を言って…」

「とぼけるな。昼間の態度からおかしいと思っていたのだ。そしてその見知らぬ身捌き…隠密であろう!」

「いや、いや…な訳、ない…でしょう…」

「目的は何だ?…グリーンディアーの禁書か?」

「は…いや、ち…ちが…」

「では何だ?」

「……………」

口籠るアイネを抑える腕の圧力が増す。

これは「はい」と答えたら最後だ。

「むぎぎ…っ、いいますから!やめ…!………説です」

「何だと?!」

「……うっ、麗しい男性同士が…その…めちゃくちゃ絡み合う小説です!」

「嘘を言うな!!本当であっても何と言うやつだ!」

渾身の嘘が滑った—…

襟首を掴まれガクガクとゆさぶられながアイネは恥ずかしさを噛み締めた。

「いや、これは、ほんの冗談で……本当は世界のお茶図鑑を…っ」

「もう遅い!貴様を連行する!」

全体重をかけて抵抗するアイネを引っ張りながら、軍人の視線が漸く鍵に向けられた。

「全く、既に鍵も開けているではないか…油断ならんな」

「あ、これは私が来た時にはも…」

そう言おうとした途端、その禁書の扉が内側から勢いよく開いた。

「え!?」

「は?」

3つの声が重なった。

目を丸くした2人の視線の先では男が丁度扉をあけている。ゲームによく居る道化系のキャラクターなのかもしれない。チャラチャラコインのアクセサリーがあしらわれたボヘミアンな服に両頬に赤い涙型のマークがついた、無造作な金髪で感情の読めない切長の目をした男だ。そしてその手にはちゃっかり禁書が収まっている。


…誰お前。


「……あ〜〜〜〜」

道化師が気まずそうに視線を泳がせて声を出した。

「内側からだと外の音全然聞こえないんだね〜まずったな〜…」

「何奴!?貴様この小娘の仲間か?!」

ジェラールが剣の柄に手を掛け、アイネが慌てる。

「まっ、まさかっ!」

凄む軍人に道化師が呑気に返す。

「僕もこんな小蝿知らないよ。誰きみ?」

「ちょ、あんたさすがに小蝿は失礼…

「その本をどうするつもりだ?腕ごと切り落とされたいか?」

「おっと…余計な事すると、本が消し飛ぶよ?ジェラール公爵」

楽しげな道化師の指の先に小さな炎が灯り、それがゆっくりと掲げた本に近付けられる。

「貴様何故私の名を?」

「その勇ましく凛々しい御姿はこの平和ボケした宮廷には些か不釣り合いだ。誰だって英雄である貴方だと分かるさ…」

「そう言う貴様も招かれざる客だろう。西の差金か?それとも魔王の使い走りか?」

「まあ、どちらでも良いじゃないか。私は霧のリュカ。こうして貴方の情報が得られたのも


………正直なところ、アイネは2人の会話をほとんど聞いていなかった。


こういう展開ってもっとこう、メインのイケメン達とも関係が安定した中盤に起きるものなのではないのか。

第一まだメインキャラに会ってすらもないし、こんな失礼なピエロの敵キャラ見た事ないぞ。

何でこんなニッチなモブキャラばかりと絡んでいるんだ俺は?

シナリオおかしいぞ?

これがモブ娘の限界なのか?


そして欲しかった本が、そのピエロキャラに取られようとしている。

しかもここで奴を逃したらアイネの追放は確実。緑の鹿への道もほぼ断たれ、初日の夜中にエロ本を探して失格になった上に一族全員が敵国の間者疑惑もある娘の家だと汚名を着せられ、社交会からも締め出され、惨めさに身を縮めながら四畳一間のアパートで内職しながら生きることになるだろう……。

どうする?いっそピエロに寝返るか?

アイネの大きな目が2人の間を泳ぐ。

今俺にあるのは、己の虫の様な機敏さとネコの様なしなやかな筋肉だけだ。

そして、完全に物語から蚊帳の外で誰からもマークされていないこの状況……


アイネは覚悟を決めた様に息を吐いた。そして狙いを定め、身を屈めて一気に飛び上がった。

その跳躍は軽々と軍人を飛び越え、クルクル回転しながら道化師の頭上を超えた瞬間にその手から素早く本を奪った。


アイネ…身体能力高過ぎだろ…!


本当に出来るとは思わなかった。本を抱えて完璧なフォームで着地しながら、等=アイネは自分の事ながら舌を巻いていた。

その1秒足らずに起こった出来事に、リュカも軍人も状況を読み込めずに目を瞬かせていた。

「おい軍人!これで俺の無実は証明できるだろ!?」

本を抱き抱え、素早くジェラールの背後に隠れるアイネ。

「へえ………これは思わぬ伏兵だ」

道化師が禁書を取られたにも関わらず、楽しげに微笑みを浮かべる。

ジェラールは一瞬アイネとリュカを忙しなく見やったが、素早く抜刀し剣先を道化師に向けた。

「貴様を連行する!悪あがきは無駄だ」

「んー、それは流石にマズイんだなあ…まあ本の内容は頭に入れたし、今日の所は見逃してよ」

不気味な余裕で微笑む道化師の身体から徐に紫の炎が上がった。

「…あ、君には近々また会いたいな。よろしくねゴキちゃん」

道化師が炎の中から咄嗟に後退りするアイネに向かって手を振ると、その姿は炎と共に一瞬にして消えてしまった。

「く……禁呪か……!?」

ジェラールが悔しげに呟いた。


「……ゴキちゃん……?」


アイネは全く晴れない気持ちに陥っていた。

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