第三話 狸と温泉

―――弁天温泉。

 その名の由来は、この町にある寺に弁財天様がまつられているからだといわれている。

 さても七福神の一柱である弁財天様は芸事の神様とも言われており、その昔、この温泉街にはその霊験にあやかりたいと願う芸者さんがおおぜい働いていて、それがまた大いに評判を呼び、多くの湯治客でにぎわっていたんだそうな。

 しかし、残念ながら、いまはその面影すら感じられない。

 古くは江戸時代からつづく温泉宿場の風情は長い不況の嵐ですっかり色あせてしまったらしく、いまでは町ぜんたいが、なんだかしょぼくれた雰囲気につつまれているからだ。

「きっと、数年前にとなりの鳴金市に吸収合併されたことも響いてるんだと思いますよ」

「で、このさい市は町ごと新しくし、ここに巨大なリゾートホテルを造ろうとしている?」

「でやんす。まったく、なんでも新しくして大きくすりゃいいってもんじゃないっすよね」

 そんなゴンさんの意見には俺も賛成したいところだが、あいにくと相槌を打つ気にもなれなかった。というのも、どの宿に顔を見せても宿泊を断わられるので、いまは気分的にもすっかりヘコンでしまっている最中なのである。なにしろ秋の行楽シーズンとはいえ平日。しかも、こんなマイナーな温泉地だ。どの旅館も部屋が満室だなんてありえないだろ。

 なのに、きまって宿泊を断るのだから、こんなおかしな話があるものか。

 さても大きな車体のロールス・ロイスは邪魔なので町役場のとなりにある駐車場に止めてきたからよいものの、それでも季節はずれのロングコートをはおる謎の金髪美女と運転手の恰好をした男を道づれにダラダラと町の中を歩くのはやはり目立ってしょうがない。

 そんな疲労を引きずり、石畳のつづく坂道をかなり上まで登って来てしまった。

 と、その一角である。ようやく、そこに期待できそうな宿を発見した。

 なんとも、ふるめかしい木造二階だての建物だ。その入り口にある紺色の暖簾には『宝珠荘』と白字で射抜かれた屋号が、躍動感あふれる文字で記されている。

「ご主人様、なにやらウェルカムな感じがしませんか?」

「うん、ここは勇気をだして、かけあってみるっきゃないね」

「ここが駄目なら、いよいよ、あの屋敷しかねぇでやんすからね」

 そんなゴンさんのひとことに押され、俺は決死の覚悟で暖簾をくぐる。

「あのぅ、ごめんください」

「あら、いらっしゃい」

 さっそく宿の奥から着物姿の女性がかけつけてきて笑顔で出迎えてくれた。

「あの宿泊したいんですけど」

 ところが、そう言ったとたんに、その顔色が急に変わった。またもや断られるのかと、ガッカリした気分になるが、それにはまたべつの理由があったようだ。

 たてつづけに暖簾がゆれて、いかにもガラの悪そうな男たちが現れたからである。

「おい宿泊希望だ。さっさと案内しろ」

 すごく乱暴な態度である。玄関から外を見ると、どでかい黒ぬりのベンツが道をふさぐように停車し、若いチンピラが数名、門番よろしく辺りをうかがいながら立っていた。

「おう、なにをぼさっとつっ立てんだ。客だぞ。さっさと歓迎しろ!」

「お断りします。これ以上、営業妨害をつづけるなら警察に通報しますよ」

「人聞きの悪いことを言いくさる。こんなボロ宿なんざ、あっというまにつぶせるんやぞ」

「そんな脅しには屈しません。さっさとお引きとりください」

 顔色を失いながらも毅然と立ちむかう女性。そして、その女性を取りかこむ、いかにも怖そうなお兄さん。その間にはさまれて、俺はどうしたものかとオロオロするしない。

 ところが、そんな雰囲気もなんのその。その場にわりこむ勇者がいたのである。

「んっ、なんや姉ちゃん? えらいべっぴんやないか」

 いやらしい笑いをうかべる男どもにマリリンはかなり不機嫌そうな様子である。やがて、その手に持つステッキで玄関先の床を叩いたマリリンの口から奇妙な呪文がほとばしるや、そこに不思議な紋様が現れた。そして次の瞬間、なんと男たちの姿がまるで目に見えない力に引っぱられるかのように、つぎつぎと宿の外へはじき飛ばされていったのだ。

「えっと、あれはマリリンお得意の魔法でやんすよ」

「…ま、魔法?」

 俺は首をかしげた。たしか魔法って、百パーセント西洋のものだよね。

「……へぇぇ、でも、そんな特技があるなら、はやく言ってほしかったな」

「いやなに、姉御の魔法はああいうデリケートな問題には不向きでやんすからね」

 はてさて、なにがどうデリケートなのかはさておき、ゴンさんの言うその不向きであるところの理由はそれからまもなくして思い知らされた。

「私たちのほうが先でーす。順番は守ってくださーい」

「なんじゃぁ、このアマぁ、ふざけた真似してんじゃねぇぞぉぉ!」

 うぅっ、まるで極道映画のワンシーンじゃないか。

 だが、当のマリリンにはまったく動じる気配がない。

「すぐに終わらせますから」

 と一応の気づかいか、そう言ったのを最後に、その姿が闇にひるがえる。

 そう、それは、まさに突風。いや、竜巻のごとしである。なんと、あの漆黒のロングコートが蝙蝠の翼のように広がるや、路上に停車するベンツの屋根を切り裂いたのだ。

 はたしてフロントガラスから後部座席へと一気に切り取られた車の屋根は宙高く舞ったあと、轟音を響かせて路上にころがった。もはや、その光景には誰もが凍りつくしかない。

 さすがのチンピラたちも、これには驚いたようだ。やがて屋根のないベンツに乗りこみ、まるで魂をぬかれたような表情でこの場から立ち去っていく。そして、その場に残された俺は、ゴンさんと車の屋根を路肩によせながら今後のことに頭を悩ませた。

「いやぁ、さすがはマリリンの姉御。妖怪カマイタチもまっ青の攻撃力っすね!」

「いやいや、どう見ても、これはやりすぎだろっ!」

 だが、そんな気苦労なんて、流通しない二千円札なみに無駄だったようだ。

「ありがとうございます。おかげで助かりました。私はこの宿で女将をつとめる樋口政恵ともうします。それにしてもすごいですね。車の屋根が、ふっ飛んじゃいましたよ!」

 年齢は三十代の半ばくらいか。黒髪を結いあげたとてもきれいな和服の美人だ。

「あのぅ、ご主人様、いまの必殺技は、『ハリケーン・アタック』と、もうしまして……」

 えーい、おまえはだまってろ。これ以上、話をややこしくするな!

「いやぁ、なんて言うか、最近のベンツは派手な機能がついてますね。屋根がふっ飛ぶようにはずれるなんて。しかも、その屋根を忘れちゃうなんて、とんだウッカリ屋さんだなぁ」

 ううっ、いまのは、なかったことにしてください。

 ほかに車の屋根がふっ飛ぶような理由は――さっぱり思いつかねぇよ!

「へぇぇぇ、最近のベンツって、とても便利なんですね。すごいっ!」

「いやぁ、ほんとびっくりです。それより宿泊したいんですけど……」

「あ、そうでしたね。いらっしゃいませ。宝珠荘へようこそ!」


 さて、チェックインをすませると、女将はさっそく俺たちを部屋へと案内した。

 ごくありふれた和室である。トイレは小さな浴槽つきのユニットバス。テレビと冷蔵庫はあるが、その広さは三人ぶんの布団を引けば、もうあとは座卓のスペースしか残らない。

 つまり、もっとも宿泊代のかからない客室というわけだ。

 しかし、そのことが、どうも不満だったのだろう。旅館内の説明を終えて女将さんが部屋から退出すると、とたんにマリリンの口から嫌味の言葉が飛びだした。

「いささかドケチも度がすぎるのではありませんか?」

「ドケチって言うな。節約って言え! そりゃま、たしかに、いまの俺は高級車に運転手つきの身分やで。常識的に考えても、このレベルの部屋はありえへんとは思う。やけど、いったい、いつまで滞在するのかわからんのに、贅沢するわけにもいかんやろ」

 とは言いつつ、じつはこんな立派な温泉宿に泊まるのは初めてのことだ。

 これでも、けっこうワクワクしているんだけどな。

「とにかく、いまは任務をまっ先に考えるべきや。べつに遊びに来とるわけやないんやで」

「まぁ、そうですけど。でも、せっかく宿に泊まるのですから……」

 と、そんな愚痴を聞き流しながら、俺は「やれやれ…」と茶をすする。

 そして溜息まじりに、今日の一日をふり返ってみることにした。

 さても病室で目覚めてからというもの、まるで嵐のような一日だった。鏡に映った自分の姿に驚き、戸惑ってるところに謎の女が現れ、死後に体験した地獄の記憶とやらを見せられた。そして、あらためて焼死した事実を突きつけられると同時に両親の地獄墜ちを知らされたのである。そんな傷心の俺を病院から連れだし、どこへ行くのかと思えば幽霊ひしめく山の中。そこに建つ恐怖の館が俺の住む家だと告げられて心底ふるえあがり、なんとか説得をこころみて山をおりてみれば、これまた厄介ごとの二連チャンだ。

 いくら、いまの俺は不死身の体とはいえ、これでは命がいくつあってもお釣りがこない。

 だが、そんな不安など、このバカ吸血鬼は知るよしもないのだろう。

 さっそく部屋のテレビをつけて、子供むけのアニメに釘づけである。

「行けぇ、そこだ。やっちまえ!」

 おいおい、おまえ、小学生以下だな。

 いっぽうゴンさんも冷蔵庫から缶ビールを取りだし、まったくいい気なものである。

 かくいう俺も、ようやく一息つけた心地だ。

 ここは、ゆっくり温泉にでもつかって、今日の疲れをいやしたいところ。

「あぁ本物のビールは久しぶりですぜ。最近すっかり第三のビールに慣れちまいましてね。っていうか第三ってなんすか? ビールなのか、そうでないのかハッキリしてほしいっすね」

 えーい、知るかっつーの。

 俺は浴衣に着がえて手ぬぐいをひっさげ、さっさと部屋をあとにしたのだった。


 浴場に入るとムッとした湯気とともに、かすかに硫黄のにおいが鼻をかすめた。

 大きな檜風呂に白濁した湯が満ちあふれ、天井からのうす明かりに照らされている。

 どうやら露天風呂もあるらしく、湯気にくもる窓の外には立派な岩風呂が見える。

 ところが、そんな雰囲気のなかに、なにやら、おかしなものが混じっていたのだ。

 ――んっ、何だあれは? 

 思わず目をみはった。なんと、湯船の中に大きな置物が置いてある。

 いや、よく見ると、なんだか様子が妙である。なにしろ、かけ湯をしていると、その気になる物体が少し動いたような気がしたのだ。しかも、なにやら鼻歌まで聞こえてくる。

 いや、そのうち気が乗りだしたのか、大きな声で歌声を披露しはじめた。

 そりゃま、温泉につかれば気分もよくなり、好きな歌を口ずさんでしまう気持ちはわからなくもないが、これは、いったいどういうことなのだろう?

 俺は湯船に入る前に目をゴシゴシとこすってみた。

 やっぱり幻覚じゃない。大きな信楽焼の置物でもない。

 とはいえ今夜さんざんな目にあった俺には、もはや、これくらいの珍事は何ほどのことでもなかった。ただ少し目を疑っただけである。なにしろ人の背丈ほどもある大きな狸が気持ちよさそうに湯船につかっていたら、そりゃ誰だって、少しはビックリしちゃうよね。

「こんばんわ~。いいお湯ですね~」

「え、あっそう? 俺も、いまから入るとこだけど……」

 そして狸の横にならんで湯につかり、そんな狸の歌声に耳をかたむける。

 うーん、ばつぐんの歌唱力だ。じまんじゃないが、俺はすごく音痴で音楽の授業も苦手である。そのうえ狸の歌に泣かされたとあっては、それこそ人としての立場がない。

 どうにも居心地の悪さを感じた俺は、そそくさとシャワーと向きあうことにした。

 そして備えおきの石鹸などを使い、すみずみまで綺麗にした俺は、そんな劣等感など気の迷いだと気をとりなおし、露天風呂に向かうことにした。

 そこにも狸の歌声が聞こえてきたが、もう気にしないことに………

 いや、駄目だった。あまりの美声に、なぜかとめどなく涙があふれ、父や母のことが思いだされてしかたがない。それでも、なんとか立ちなおり、なんでもない顔をして再び檜風呂へもどってみる。そのころになっても狸はまだ風呂からあがる気配を見せない。

「あの、のぼせませんか? 俺はそろそろ、あがりますけど………」

 すると、いきなり狸が立ちあがり、俺の目は、ある一点に向けて釘づけになる。

 な、なんやこれ? 大きな玉がブラブラと……。うわっ、めっちゃデカっ! しかも、そんな巨大な物体が、これまた巨大な袋にやんわりとつつまれて金色にかがやいている。

 見てると、なんだかありがたい気分になるから不思議である。なので苦労して目をそらし、俺は狸のあとを追って湯船から飛びだした。そして手拭いをギュっとしぼる。さても脱衣所へ出る前にあるていど体の湿り気を取るのが人としてのマナーだ。ところが、やはり狸は獣である。そんな人の常識など知るよしもないのか、さっさと出て行ってしまう。

 いったい、どうやって浴衣に着がえるのか、気になってしょうがない。

 なので急いで体をふき、そのあとを追いかけた。ところが脱衣所に出てみると狸の姿はなく、そこには入れちがいに入って来たのか、まん丸く太った老紳士が立っていたのだ。

 着てる服はベージュのシャツに茶色のネクタイ。そして駱駝色の背広に同じ色のベスト。

 老紳士はニコニコしていた。その両眼はクリッとしていて、どことなく狸めいた雰囲気がある。うーん、まさかね。いや、そのまさかだった。

 おじさんの腰のあたりにゆれているのは、まちがいなく尻尾である。

「ねぇ、おじさん。ちゃんと尻尾もかくさないと……」

「おっと、これは、しつれいしました。たまに尻尾を忘れてしまうのですよ」

 そう言うや、ドロンとした煙がまき起こり、腰のあたりでゆれていた物体が消えた。

「やっぱり狸とか狐って、化けるのが得意なの?」

「そうじて変化の術は得意ですが、いやはや恥ずかしながら、私、化けるのが少し苦手でしてな。お見ぐるしい姿をお見せしました。あ、私はこいうものでございます」

 そう言うや狸のおじさんは金色のカードケースを取りだし、一枚の名刺を差しだした。見ると名刺にはこう書かれていた。ダイコク・グループ代表、茶釜三朗と。


 それから、まもなくして、俺は三郎さんといっしょに部屋にもどった。

「お、三朗の旦那じゃねぇか。よく俺たちがここにいるって、わかったな」

「いま、このあたりの旅館は暴力団の嫌がらせを受けおりましてな。おかげで、どこもかしこも休業しているのです。この旅館の女将さんだけは、がんばって営業をつづけていますから、ここへ来るしかないだろうと思い、先まわりしただけのことですよ」

「これは、わざわざ一等補佐官の三郎殿に、ご足労をねがい、まことに恐縮です」

「いやなに、それがしも、おぼっちゃまの顔を拝見しておこうと思いましてね」

 部屋へもどるなりゴンさんが目を丸くして出むかえてくれた。マリリンもいささか面くらった様子でお辞儀をしている。聞くところによると、三郎さんは長年にわたり人界に潜伏している妖怪変化で、まだ三等補佐官の地位でしかないマリリンやゴンさんからすれば、それはもう決して頭のあがらない大先輩なんだとか。

 そんな三朗さんが、この人界に派遣されたのは、かれこれ百年ほど前のことだそうな。

 その使命は幕末から現代にかけて激動する日本を転々とし、不幸な魂を救うべく地獄の捜査官とともに人界を調査することだった。

 その捜査官が現在の大王様だと聞いて、なおのこと驚かされた。

 さても激動の時代である。多くの人が大きな苦しみを味わったことだろう。そんな人々に少しでも手をさしのべようと大王様は人知れず力をつくされ、やがて、その功績により、いまの地位をさずかったのだという。そこで一匹さびしく人界に残ることになった三郎さんには、かつてのご主人様から新たな使命が下されたのだ。

『――さて、三郎よ。おぬしは妖怪のなかでも断トツに頭がよい。その頭脳明晰さをいかせば、これからの時代に必用な優良企業に就職することも可能であろう。さらに、そこで出世をかさねれば人界における有利な立場をきずけると思うのだが?』

 そして三郎さんは大王様の命令にしたがい、苦労のすえに出世をかさね、いまや大企業のトップの座におさまっている。しかも狸のぶんざいで……と、まぁ、それはさておき。

 いかなる事情があるにせよ、いまや世界屈指の大企業のトップが、わざわざ、こんな所まで出向いて来たからには、それなりの理由がありそうだ。

「はい、じつは私も摩耶様率いる特別捜査班に加わり、その補佐をつとめるようにと、おおせつかりましてな。つきましては、そのご挨拶にまかりこしたしだいです。女将には、あとから三人ばかり知りあいが来るので、食事はそちらの部屋でと伝えていたのですよ」

 なるほど。そういうことになっていたのか。風呂から帰ってくると部屋の座卓には豪華な料理がならんでいた。ただし、それを、すなおに喜べないのが、これまたつらいところだ。

「それにしても、これは、じつに豪勢ですな」

「うん、そうだね。でも、こんな贅沢をしている場合かな?」

 親が地獄で責め苦を味わっているのに、暢気に食事なんて楽しむ気にはなれない。

「あはは、ご両親様のことを気にしておられるようですな。いやなに、ご心配にはおよびませんぞ。地獄といっても、さほどひどい所ではございませんからな。さても人間の世界に伝わる地獄のイメージと、実際の地獄とはかなりちがっております。あれは半分ほどが作り話なのですよ。されば地獄は決して責め苦を与える場所ではありません。というのも地獄には表と裏の顔がございましてな。まぁ、たとえば表地獄の灼熱地獄は、じつは地獄でも有名な温泉保養地なのでございますよ。閻魔様の報告では、ご両親様は血の池地獄の温泉で、まずは生前の疲れをいやしておられるそうですよ」

「はぁ……なんだって、温泉で疲れをいやしてる?」

「はい。地獄には八大地獄と八寒地獄とございましてな。八大地獄が表の顔とすれば、八寒地獄は裏の顔。なのに、なぜか裏のほうが有名になってしまったのです。されば表の八大地獄は傷ついた魂をいやし、罪を悔いる場所でございます。ただし裏地獄のほうは、その限りではございません。あそこは鬼神が支配する黄泉の国でございますからね。ですが、ご両親様は表地獄のほうにおられますからご安心を。そもそも生前に罪を犯した者は、すでにそれなりの裁きを受けている者が多いのです。なのに死後も罰を受けるというのは酷な話でございますよ。とはいえ、ご両親様はまことに気の毒でした。それについては大王様も心を痛めておられました。それゆえ、あなた様にはもう一度、人として生きる機会を与えたかったのでしょう。この先、地獄の捜査官として生きるかどうかは、あなた様の意志にまかせるとのおおせ。べつに捜査官にならずとも罰はございません。いずれ、ご両親様が地獄でのつとめを果たされたあかつきには、晴れてともに天界へ旅だてるよう取りはからうとのことですから」

「なんだよ、それ。俺、すげぇビビったじゃん。なんだか、だまされた気分だよ」

「……ええ、まぁ、大王様はまだお若いですからね。ちょっとした茶目っ気というか悪戯のすぎるところがございましてな。でも、ほんとうに慈悲ぶかいかたなんですよ」

「そんなの、わかってるよ……」

 またしても目から熱いものがあふれそうになった。

 両親を亡くしたさみしさはいまもある。ふと気をぬくと、その悲しみに捕らわれそうになる。きっと、あの火事で、ほんとうに、ひとり生き残っていたら、どれだけ心細い思いをしていただろう。さいわいにも、いまの俺はひとりじゃない。

 それが、どれほどありがたいことなのか、理解できないほど俺は馬鹿じゃない。

「ちゃんと、やれるかどうかは、わからへんけど、捜査官の仕事に挑戦したいと思います」

「そう言っていただけると思っていましたよ。ここへ来た甲斐もありました」

 そして、そのあとは、にぎやかな宴会になった。俺はすっかり肩の荷をおろし、安心して食事を楽しむことができた。久しぶりに笑った気がする。

 マリリン。ゴンさん。三朗さん。吸血鬼に妖狐に化け狸。

 まわりにいるのは人ではない妖怪ばかりだが、そんなことは、もうどうでもよかった。

 これが俺の新しい家族なんだと、すなおにそう思えて、とてもうれしかった。

 さて、その一時間後である。

 部屋には飲みほされた酒瓶がゴロゴロところがっていた。

 どうやら、この旅館は女将さんのほかには仲居のおばちゃんがひとりいるだけのようだ。今夜の宿泊客はほかに三朗さんのお供をしてきたダイコク・グループの社員が数名いるだけという話だが、女将さんたちは、どうも、そちらに、つきっきりのようである。

 ――というのも、

「我々はかまいません。どうか社員の世話を焼いてあげてください」

 と、ひとこと、三朗さんが断りを入れてあるからだ。

 なので部屋には前もってビールがケースごと、日本酒や焼酎が一升瓶ごと運びこまれている。それら大量の酒が、ほんの一時間たらずで飲みほされようとしているのだった。

「まぁ数ある妖怪の中でも鬼族は最古だからって、ちょっとほかの妖怪に対するデリカシーってものが、なさすぎるんじゃないっすかね。とにかく品がない。いつもパンツ一枚だし」

「鬼よりえらそうな天狗のほうがムカツクわよ。なにあの、俺たち知的な妖怪だからって態度。あら、もうポットのお湯が切れたじゃない。私はお湯わりじゃないと駄目なのよ」

 なるほど。地獄の社会にもいろいろとあるようだ。さても妖怪たちは人の心や思念から生まれたせいか、彼らの身の上話を聞いてると、あまりにも人間くさくて笑えてくる。

 だが、そんな話を聞いていると、なんとなくだが疑問もしょうじてくるというものだ。

 マリリンの話では、俺には様々な知識がインストールされているはずなんだけど、どうも肝心な部分がぬけ落ちているような気がしてならない。

「あのさ、そういう妖怪の知識が俺の頭から完全にぬけちゃってる気がするんやけど?」

「おぼっちゃま。そういうことは、そのつど学べばいいんですよ」

 ゴンさんいわく、いきなり妖怪だの怨霊だのという話をされても信じないし、へたすれば頭がおかしくなりかねないので、そのような知識はおのずと経験することで学べるよう、あえてインプットしていないのだとか。まったく、いまさらながらに、いらぬお世話である。とはいえ、そうはいっても、やはり前もって知っておく心の準備は必用だ。

 やはり、これだけは、ぜひ訊いておきたい。

「つかぬことを訊くけど、妖怪たちって、みんな、そんなにお酒に強いの?」

「そうじて酒には強いですよ。酒は御神酒。古来より霊験妖力を増してくれるものなのです。といっても普段から酒盛りばかりしているわけではございませんので誤解なきよう」

 と、マリリン。それを聞いて、少しだけほっとした。


 いくら大富豪になったとはいえ、毎日こんなに酒を飲まれては、あまりにも不経済だ。

 すると、そこへ、おもむろに三郎さんが真剣な表情を向けてきた。

「まぁ、今夜は大目に見てやってください。どうやら今回の件、いささか危険なにおいがします。


さても我々が調査したところ、鳴金市とつるんでいる、とある不動産会社は、暴力団員のほかにも怪しげな集団とかかわっているという、そんな情報が浮上してまいりました。まだ実体はつかめていませんが、彼らは裏陰陽師と呼ばれているそうです」

「うらおんみょうじ?」

「はい。彼らは陰陽師の末裔を名乗っているようですが、それは、かつての陰陽師とはちがい、もっぱら呪術をもちいて闇の仕事をする危険な連中であると認識しております」

「へぇぇ、俺も陰陽師ってのは聞いたことがあるよ。小説やコミックでよく見るよね」

「はい。陰陽師はそもそも古来より時の権力者と密接にかかわり、時には政治をも動かしてきた霊能者たちでございます」

「ああ、そういや。そんな噂、おいらも聞いたことがありやすぜ。そんな連中なら人界に霊道をつくりだし、そこに数多の怨念を封じこめることも朝飯前ですぜ」

「私も同じ意見です。そればかりか大黒社長の事件にも、彼らがかかわっていたのではないかと疑っております。そもそも、この町の再開発は社長がみずからおこなおうとしていた事業だったのですから」

「ま、町の再開発だって!」

「落ちついてください、おぼっちゃま。社長は、これまでのような強引な経営のやりかたをあらため、そのことをきちんと反省したうえで、その町の伝統や文化を活かし、そこに住む人たちにも喜んでもらえるような町づくりというものをめざしていたのです」

「まさか事件の裏には、それをよしとしない者の陰謀でもあったと言うの?」

「新たな再開発は社長の事件があった直後に持ちあがった話です。これにはさまざまな企業が金をだしています。その裏に魔物が巣くっていたとしても、おかしくはありますまい」

「なんや、どんどん怪しい方向に話がすすんでいくよ」

 とはいえ、もうあとには引けない。ここは覚悟を決めるしかなかった。

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