第5話

 遅めの昼食から数時間後、2人はようやく山の中腹の辺りを歩いていた。眩しかった陽の光も、既に色を変えて森を茜色に染めている。あれほどはしゃいでいたルーシーも、今ではシルヴィアの隣で汗を流し疲れが表情に出ていた。

 シルヴィアはふとあしを止め、しゃがんでルーシーの顔を覗き込んだ。すっかり息が上がっており、汗で癖のある前髪が額に張り付いている。


「お嬢様、大丈夫ですか?」


「だ、だいじょうぶ。まだまだ行けるもん……!」


 ルーシーはそう言って汗を拭ったが、足は小さく震えていた。まだ子供、ましてや貴族の令嬢として育てられてきたのだ。長時間歩いた経験などこれが初めてに等しい。

 今日はもう限界だと判断したシルヴィアは、蔦の指を全て地面に突き刺した。そして地下で先端を木の根のように伸ばし、山の地質を探っていく。


「なにしてるの?」


「水分の高い場所を探しています」


「どうして?」


「他の場所より濡れている土があれば、付近に川があるはずです。今晩はそこで体の汚れを落としましょう」


「おふろ?」


「そういう事です」


 話をしているうちに、東の方角に狙い通りの湿り気のある土を探り当てた。シルヴィアは蔦を戻してルーシーを背負い、目的地へと進んでいった。




「あったよ!川!」


 日が暮れるよりも前に、なんとか綺麗な小川へとたどり着いた。ルーシーは疲れなど忘れたのか、背中から飛び降りて川を覗きこんで楽しそうにしている。

 シルヴィアは鞄を下ろして木の根元に置き、川の確認作業に入った。水は申し分ないほど透き通っており、小魚も泳いでいるので水質に異常はない。水温もぬるい位なので、ここで水浴びをすることにした。


「お嬢様、先に夕飯を済ませてから水浴びの時間にしましょう」


「うん!シルヴィアも一緒に入る?」


「はい」


「じゃあ私が洗ってあげる!」


「わかりました」


 シルヴィアは小さく頷くと、夕飯の準備に取り掛かった。



 軽い夕食を終え、ルーシーは体にタオルを巻いて川に飛び込んだ。かなり浅い川で、背の低いルーシーが立っても腰のあたりまでしか水に浸からない。


「シルヴィアもはやくー!」


「少々お待ちください」


 ルーシーに急かされ、シルヴィアはブーツを近くの樹の根元に置いた。そして背中のチャックを下ろし、スルリと制服を脱いで畳めば、最後に下着を脱いでタオルを体に巻いた。

 少女はその一連の動作に呼吸をする事も忘れ、彼女の姿に魅入っていた。豊かな胸に引き締まった腰、月明かりに照らされ輝く銀髪。彼女を構成する全てが神秘的だった。


「お嬢様、どうなさいました?お顔が赤いですよ?」


「な、なんでもない!それよりはやく入ろ」


「わかりました」


 シルヴィアはそっと川に足をつけ、ルーシーの隣に座った。だが大人のシルヴィアには水深が浅く、全身で浸かる事が出来ない。


「お嬢様、その場を動かないようにしてください」


「なんで?」


「シャワーを浴びましょう」


 ルーシーはそんな物どこにあるのかと辺りを見回した。ポカンとする彼女をよそシルヴィアは座ったまま右腕を挙げた。そして手を開いてルーシーの頭の上で固定し、左足に力を入れる。


「いきます」


「え……?わっ!」


 ルーシーが顔を上げた瞬間、シルヴィアの手のひらから水が降り始めた。川の水が、彼女の手から小雨のように降りかかる。


「すごーい!どうなってるの?」


「足で水を汲み上げ、手に流しているのです。石鹸も持ってきているので、良かったらお使いください」


 ルーシーは貰った石鹸で全身を泡だて、シルヴィアの体に抱きついた。果実の皮で作られた石鹸の泡は、川に流れても水生生物に影響がない。シルヴィアが事前に用意したものだった。


「シルヴィアも私があらってあげる」


「いえ、私は自分で―」


「やくそく、したでしょ?」


 せっせと自分の体を洗うルーシーを見て、シルヴィアは屋敷を出る前の事を思い出した。彼女はきっと未来の事に必死で、それと同時に不安なのだろう。終始、側を離れようとしなかったのもそのせいかも知れない。

 シルヴィアは特に止める事もなく、少女に好きなようにやらせる事にした。




 シルヴィアが水浴びを終え寝床の準備をしていると、ネグリジェの裾が軽く引っ張られた。振り返れば、ルーシーが裾を引っ張りながら暗い森を見回し、小さく震えていた。


「どうされました?」


「えっと……いっしょに寝てもいい?」


「狭いかもしれませんが、それでもよろしければ」


「べ、別にこわいとかそういうのじゃないからね!本当にちがうからね!」


「そうですか」


 必死に言い訳をするルーシーを蔦のハンモックに乗せ、魔石ランプに明かりを灯してから隣に寝転んだ。

 ハンモックが小さく揺れ、ルーシーが小さく歓喜の声を漏らす。辺りには魔物除けのお香も炊いているので、寝床を教われる心配もないだろう。

 向かい合って横になると、ルーシーは声が響かないよう囁くような声を出した。


「てっぺんまでいけるかな?」


「今日よりペースを上げれば、可能性はあるかと」


「がんばらなきゃだね」


 無邪気な笑みをうかべるルーシーに、シルヴィアは小さく首を傾げた。


「1つ、お聞きしてもよろしいでしょうか?」


「なーに?」


「何故、あの絵本の景色を見たいのですか?」


 シルヴィアの質問に、ルーシーは待ってましたと言わんばかりの表情で語り始める。


「あの絵本はお母さんが描いてくれたんだ」


「そうでしたか」


「それであの絵は、お母さんがお父さんと前に見たものなんだって。それを聞いて私も見たくなって、今度いっしょに行こうって約束してたんだけど……」


 少し寂しそうに話すルーシーを見て、シルヴィアはベットで座るローラの姿を思い出した。詳細までは聞いていないが、おそらく親子がこの先、揃って外に出掛けられる事はないのだろう。


「見れるといいですね」


「うんっ!それが私の夢なんだ」


「夢……」


 その言葉に何か引っかかるものがあったが、シルヴィアは思考を振り払うように目を閉じた。

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