第6話
目が覚めると、シルヴィアは何処かの草原にいた。周りを埋め尽くしていた木々は姿を消し、ルーシーの姿も見当たらない。
「お嬢……っ!?」
ルーシーを探そうと一歩踏み出した所で、何かにつまずいて転んでしまった。
振り返って見れば、そこには知らない男性が横になっていた。男性は全身血だらけで、既に事切れているのが一目でわかった。
「これは……」
気がつけばシルヴィアの周りには、数多の屍が転がっていた。灰色の煙が空気を濁し、生温い風に血の香りが乗って鼻を刺激する。
そして自分の手には、赤黒い血がべっとりと付着していた。よく見れば、血は手だけでなく、髪や服など全身を染めており、自分のものではないのは明らかだった。
「一体、何が……」
突然の事態に困惑していると、不意に遠くに強い魔力を1つ感じた。その方向に視線を向ければ、自分以外にも立っている男が1人。灰色の空気と長い前髪でその表情までは読み取れないが、その姿にはどこか見覚えがあった。
男性はこちらに走ってきながら何かを叫んでいるようだが、こちらに音は何も届かない。それでも、彼が何を言っているかは何となくわかった。
「マスター……なのですか?」
黒髪の男は、走りながら腰に携えていた剣を引き抜いた。驚いて身構える暇もなく、シルヴィアはその場から動くことが出来なかった。
それもそのはず、一瞬だけ見えた彼の瞳には涙が浮かんでいた。
「………………」
そこで映像は途絶え、シルヴィアの意識が覚醒した。目の前には幼い少女の寝顔、周りには無限とも思える樹。今度こそ本当に目が覚めたようだ。
シルヴィアはそっとハンモックから降りて空を見上げた。まだ早朝らしく日が昇りきっていないが、空には灰色の雲がちらほら見受けられる。
「……荒れそうですね」
曇天の空模様は、先程の夢で見た戦場を思い出させるようなものだったが、気にせず朝食の準備に取り掛かった。
「あれ?」
山道を歩いているとルーシーが突然止まって空を見上げた。シルヴィアも気になって顔を上げれば、鼻先に雫が一滴降ってきた。それを皮切りに、森全体に肌を撫でるような雨が降り始めた。
「雨、ですね」
「どうしよう、かさ持ってきてない…」
不安そうに空を眺める少女の隣で、シルヴィアの右手の親指に突然、小さな葉が芽生えた。成長した芽は立派な茎をのばして上へと伸びていき、それと同時に葉も大きく成長していく。
数秒で、シルヴィアの手には葉っぱの傘が出来上がった。
「かさだー!」
「これで問題ないでしょう」
「その腕凄いね!私もそんな手があったら、お母さんを喜ばせられるかな?」
「……これは、善い物ではないと思いますよ」
少し声のトーンが下がったシルヴィアに、ルーシーは何かを感じ取り下から顔を覗き込む。見れば右の青い瞳が、小さく揺れていた。
「どうして?」
「うまく言えませんが、多分これは……もっと違う、別のものかと」
「ふーん、そうなんだ」
だがすぐに興味を失ったのか、傘がわりの葉を見てその場で踊るように飛んだ。
少女の元気も短いもので、中腹を越えるころには息も切れ顔色も若干悪くなっていた。
雨によって山道がぬかるみ、歩くのに比例して幼い少女の体力を容赦なく奪っていく。湿度も高くなっているせいか額には大粒の汗が浮かび、拭っても拭っても止る気配が無かった。
「はぁ………はぁ………」
「お嬢様、少し休憩にしましょう」
「まだ……歩ける、からっ……!」
「ですが―」
「やめてっ!」
止めようと伸ばされたシルヴィアの手を、ルーシーは大きな声と共に払った。その衝撃でシルヴィアの手から傘が落ち、雨が2人を濡らした。
シルヴィアは落とした傘を拾い上げ、ルーシーだけでも濡れないように傘をかざした。
「ですがお嬢様、これ以上はお身体に障ります。私はお母様からあなたの護衛を任されています。あなたが倒れるような事があっては、ギルドから派遣された者としてあってはならないのです」
シルヴィアは説得しようとして、すぐにやめた。
俯いて聞いていたルーシーが顔を上げたが、その瞳には大粒の雫が溜まっていて。
「ここでやめたら、もう見れなくなっちゃうの!お母さんに見れたよって…言えなくなるの!お母さんの笑顔が……減っちゃうの……」
森に少女の悲痛な叫びが響く。雨音と重なるそれは、不思議な事にかき消される事なくシルヴィアの耳に届いた。
「私知ってるの……。お母さんは、もうすぐ会えなくなるんでしょ?!私を……私なんかを産んだから病気になったって!」
「そのような事実は―」
出てきた言葉は、激しい雨音にかき消されれ少女には届かない。
「私は人から幸せをうばう子だって、お祖母様が言ってた!私がいなければ、お母さんもっと長生き出来たって!」
「……そのような事実は、ありません」
「あるもん!だって、シルヴィアはぜんぜん笑わない!私ばっかり楽しんで……私がシルヴィアの幸せをうばってるから、シルヴィアは笑わないんでしょ?!もう、私なんて―」
そこでようやく、ルーシーは言葉を詰まらせた。目の前の女性は雨でずぶ濡れになり、涙は流れていないのに泣いているかのようだった。
ルーシーはぐっと泣くのを堪えると、その場から逃げるように山道を走り出した。
シルヴィアは右手を伸ばしかけたが、その手は少女に触れる事はなくだらりと下げられた。
雨はまだ、やまない―。
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