少女と絵本の妖精
第1話
全く笑わないその人の事を、幼かった私はつまらない人だと思っていた。
今となっては恥ずかしい話だが、それは間違いで。彼女は誰よりも純粋で、その姿はまるで、あの絵本に出てくる妖精のようだった―。
「どうしようかなぁ……」
ギルドの二階にあるギルドマスター室。他の部屋よりも少し広めのそこで、部屋の主は机の上の紙を見て顔を曇らせた。早朝に同居人が開けた窓の外は、雲1つない快晴だと言うのに、グレイの顔が晴れることはない。
彼の眺めている紙の右上には、通常依頼とは色の違うハンコが押されていた。黄色のソレは、ギルド連盟が回してくる通常依頼とは違い、特別依頼である事を示している。
「戻りましたわ」
そこへちょうど、昼休憩を終えたユキノが戻ってきた。いつもならそこで、『休憩は終わりですわ、仕事をしてください』と言うのだが、今日は何か不吉な空気を感じとったのかユキノが口を出す事はしなかった。
「あの、グレイさん……?どうなさいました?腐った魔物の肉の様な表情ですわよ?」
「相変わらずクールに罵ってくれるね……。これ、見てよ」
グレイは若干顔を引きつらせながらも、秘書に依頼書を見せた。
最初にハンコの色を見てユキノの眉が少し動き、その後に依頼内容を見て頭を抱えた。上司の顔が腐っていた理由がわかったのだろう。
「これは……どうするんですの?恐らくこの指定の条件を満たす方は、あまりいらっしゃらないかと」
「仕方ない、アーちゃんにでも―」
「アクアさんなら、今は西の大陸まで遠征中です。戻ってくるのは……1週間後ですわね」
きっぱりと断りを入れられ、グレイはがっくりうなだれた。
頼みの綱が切れて途方にくれるが、そんな状況で部屋に扉をノックする音が響いた。聞き慣れた2回のノック、それに『マスター、入ります』という透き通る様な声。
「紅茶をお持ちしました。よろしければ……どうかしましたか?私の顔に、何か付いていますか?」
お宝を発見した様な表情で見てくるグレイに、シルヴィアはコテンと首を傾げた。
「特別依頼……ですか」
翌朝、食事の席でシルヴィアは差し出された依頼書を眺めて呟いた。向かいのグレイはカップを置いて、少し不安そうに彼女の顔を覗き込む。
心配になるのも必然だった。特別依頼は通常依頼とは違い、貴族や公的機関がギルドに依頼したものを指す。依頼主がギルドに内容を伝えて報酬を前払いすれば、黄色のハンコが押された依頼書がギルドに貼り出されるのだ。直接指名も出来るため、貴族などでは遠征の護衛に、信頼している冒険者を指名する事も少なくはない。
そして、今回指名されたのは―
「私が指名されたのですか?」
「依頼したのは
「それなら、私以外にもいらっしゃるのではないですか?そもそも、私はまだ銀Ⅲのはずです」
「それは問題ない。前回のオーク掃討の件で、既に階級は上げておいてある。それより問題なのは……」
グレイは受付の後ろにある棚から、1冊のファイルを持ってきてシルヴィアに見せた。中にはここ最近の長期に渡る依頼の詳細と、依頼に行った冒険者の戻ってくる期日が記されている。
「見ての通り、高ランクの冒険者は男が多い。女性も少なからずいるけど、殆ど長期依頼に行ってるんだ」
《ラウト・ハーヴ》の冒険者割合は、男性が約7割で女性が約3割と男性の方が多い。その上、冒険者には白金・金・銀・銅(白金以外はさらに3段階に分かれる)の10段階あるが、高ランクになればなる程、必然的にその数は減ってくる。
つまり依頼者は、数少ない女性冒険者の中でも、多くはない高ランクの者を希望しているわけだ。
「その、別に断っても良いんだぞ?君以外にも銀階級の者なら探せばいるだろうし……」
ギルド連盟に召集をかければ、他のギルドから応援を頼めることだってある。
シルヴィアは依頼内容に視線を移した。内容は『旅の護衛』とだけ書かれており、期間は3日だ。見た感じは簡単かもしれないが、実際に依頼を受けるまで詳しい事はわからなそうだった。
シルヴィアは胸ポケットから自分の冒険者カードを出して依頼書と交互に眺めた。
「私は、銀階級の冒険者でもあるのですよね?」
「……そうだな」
確認するように尋ねる彼女に、グレイは小さく頷いた。
「マスターは今、冒険者探しで困っているのですか?」
「ちょっとだけね」
その答えを聞くと、シルヴィアは依頼書の冒険者氏名欄に流れるようにサインをした。そして依頼書を受付まで持って行き、自分でクエスト受理のハンコを押す。これで、この特別依頼の受付は完了となった。
シルヴィアは依頼書を丁寧に折り畳むと、グレイの方に向き直った。
「マスター、少し
「うん、じゃあ任せたよ。気を付けて」
「わかりました」
食器を片付けると、すぐに出発の準備に取り掛かった。
ギルドが開いて冒険者たちが入ってくるのと同時に、シルヴィアは大きめの鞄を片手に依頼者の屋敷へと向かった。多少心配はあるが、旅の護衛だけならそこまで心配する必要もないかもしれない。
その姿を見送ったグレイは、部屋に戻り深く腰掛けてため息を漏らした。
『私は、銀階級の冒険者でもあるのですよね?』
自然と先程聞いた言葉が思い出される。そして気の赴くままに机の右下にある引き出しの鍵を開け、中に入っていた紙を1枚取り出した。
その紙はある冒険者の登録用紙で、その存在を知っているのはこの部屋の主だけだ。紙はそれなりに古い物なのか、色が黄ばみ端がところどころ破れている。
「………………」
用紙には『白金』と書かれており、名前は《シルヴィア・ルナセイアッド》となっている。まごうことなき、受付嬢の彼女の登録用紙だった。
彼女の名前の横には、赤い文字で『死亡』と書かれていた。
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