第10話


「これが、私がルージュに会うまでの記憶です」


 淡々と過去を語られ、ルージュはどう答えて良いかわからなかった。2ヶ月分の記憶という短い物だが、内容は素直に受け止めるには少し難解だ。

 今思えば初めて会った時、顔や体のあちこちにに絆創膏を貼っていたのも、右腕だけ隠していたのも、受付嬢で1人だけロングブーツを履いていたのも全て納得がいく。アレはお洒落などではなく、受付嬢という可憐な女性のイメージを壊さないための、彼女なりの工夫だったのだろう。


 そんなシルヴィアは、少しばかり力んで腕の形を自由自在に変えてみせた。肘から新たな蔦が伸び、節々に小さな花が咲き始めている。


「この腕は、私の意思に応じて動きます。ですが過度の戦闘などで酷使し脱水すると、先程のように水分不足で動かなくなるのです」


「そっか……だから、あんな風になったのね」


 水を要求した理由もようやくわかった。ただ1つ謎があるとすれば―


「その腕になった理由はわからないの?」


 ルージュの質問に彼女はかぶりを振る。


「わかりません。マスターに聞きましたが、『よく知らない』と言われました」


 その返事を聞いて、ルージュは直感的に『嘘だ』と判断した。そもそも同じパーティーでしかも負傷した彼女を連れてきた張本人なのに、その原因を知っていない筈がない。

 だが本人は彼の答えに何の疑問を疑惑も抱いていないようなので、ここは何も言わない事にする。


「ルージュのおかげで、腕と足もこの通り回復しました。ありがとうございます」


「気にしないで。これからも困ったら私に言いなさい」


「……?何故ですか?これは私自身の欠陥で、ルージュには関係ないと思われますが」


 コテンと子供のように首をかしげる彼女にに、ルージュは思わず小さく笑った。


「友達でしょ、当たり前じゃない」


「とも、だち……書物で目にしました、思考を共有し行動を共にする者だと。合っていますでしょうか?」


 言葉は理解しても本質はわからないようだ。1ヶ月も一緒に仕事をしていれば、それくらいの質問が来るのはわかっていたが。


「ちょっと硬いわね。難しく考えないで、まぁ一緒にご飯食べたり遊んだり……。その人達だけの想い出を築いていく、そんな感じの関係かな」


「成る程。それでしたら、ルージュは私の初めての友達となるのかもしれません」


「そうそう、それで良いのよ。話してくれてありがとね」


「問題ありません」


「お礼を言われたら素直に受け取るものよ」


「……覚えておきます」


 初めてと言われ頰が緩むが、バレないようにシルヴィアの右手を引いていく。少し予定がズレてしまったが、まだ昼休憩の時間には間に合うはずだ。


「じゃあお腹も空いたし、あっちにあるレストランに―……」


「あ、あの!」


 突然、声のした方に視線を向ければ、路地裏を出た所に1人の男性が立っていた。男性は足に包帯を巻いており、松葉杖で体を支えているが、その容姿はルージュの記憶になかった。

 だが隣で、シルヴィアは小さく「あ…」と声を漏らす。どうやら彼女の知り合いのようだ。


「誰?知り合い?」


「はい。昨日……依頼を受けた方です」


 シルヴィアがそう言ってグランの元に近寄ると、彼は申し訳なさそうに頭を下げた。ルージュだけが置いてきぼりで状況を把握できていなかったが、今は口を挟まないでおく。


「あの、昨日はすいませんでした。あの時、お姉さんの言う事を聞いて依頼を受けてなければ、あんな事には……」


「あなたが謝る必要はありません、私が強引にでも止めるべきでした。受付嬢として経験の浅い、私の責任です。申し訳ありません」


 シルヴィアが頭を下げるが、彼は慌ててそれをやめさせた。


「そんな事ないですすよ。それに、昨日助けてくれたのってお姉さんで間違いないですよね?暗かった上に朦朧としてたんで、ハッキリと覚えてないんですけど」


「はい。それで、女性の方は……?」


 もう1人の生存者の安否を尋ねると、グランは悲しげな笑みを浮かべた。


「今は家で療養中です。軽い応答くらいなら出来ますが、まだショックが大きいみたいで……」


 そう言って拳を強く握る彼に、シルヴィアは何も言えなかった。頭の中が、『止めていれば』『もっと早く駆けつけていれば』という思考で埋め尽くされていく。

 どろどろとした感じの悪いナニカが、胸の内を少しずつ侵食していくような感じがして、無意識のうちに蔦の腕を握り締めた。


 何故か、苦しい。こんな事は初めてな気がした。


 シルヴィアが虚ろな瞳で考え込んでいると、青年はもう一度頭を下げて今度はあの人懐っこい笑みを浮かべた。シルヴィアはその笑みが何を意味するのか、よくわからなかった。


「受付嬢さんは、何も悪くないです。それに俺、あなたには本当に感謝してるんです」


「……感謝されるようなことは、したつもりがありまぜんが」


「そんなことないです。もし受付したのがあなたじゃなかったら、俺たちはきっと死んでました。誰にも気付かれないで、ゴブリン達の餌にされて…。だから、本当にありがとうございました」


 その言葉を聞き、シルヴィアは少しだけ視線を落とした。

 果たしてこれを、受け止めて良いのだろうか。自分にその資格が、あるのだろうか。失われた命と、自分の行いが釣り合うとは思えない。


「私は……受付嬢を続けても、良いのでしょうか?」


 その質問は目の前の彼か、それとも自分に投げかけられたのかはわからない。

 だが苦しそうな表情で問うシルヴィアにグランは笑って答えた。その顔は、シルヴィアがいなければ見る事の出来なかったものでもあるわけで。



「なれますよ。というかなって欲しいです。あなたの理想の受付嬢がどんなものかはわかりませんが、今度ギルドに戻った時に受付にあなたがいなかったら寂しいじゃないですか」


 シルヴィアの表情が普段の無表情に戻る。それと同時に、彼女の右目から一滴の雫が流れた。

 グランとルージュはそれに一瞬驚くが、とうの本人は無表情で零れた涙をそっと拭って不思議そうに眺めた。どうやら初めての涙に、思考が停止してしまったらしい。


「あ、あの俺何か気に触るよう事を……」


 グランはオロオロしながら声をかけるが、シルヴィアは首を振ってそれを否定する。


「いえ。自分でも初めての事なのでよくわからないのですが、お見苦しい物を見せてしまいました。今すぐ止めますので、少しお待ちを―…」


 強引に目元や頬をこする彼女に、ルージュはそっと抱き寄せて頭を撫でた。


「シルヴィア、泣きたいときは我慢しなくて良いの。その涙はきっと、暖かいものだから」


 それを聞いて、グレイから貰った本の主人公を思い出した。涙とはずっと悲しい時に流すものだと認識していたが、今ならほんの少しだけ、彼の行動が理解できた気がする。

 シルヴィアは表情を変えず声も漏らさず涙を流し続けた。


 暫くして少し落ち着くと、ルージュの腕から離れ静かに礼をした。左目は義眼のためか変わりないが、右目にはまだうっすらと痕が残っている。

 それを見たグランは安心したような表情で口を開いた。


「だから受付嬢さん。今度俺達がギルドに来たら、また受付してくれますか?」


「……はい。受付で、お待ちしております」

 

 その受付嬢の顔には、とても優しい笑みが浮かんでいた。


 彼女の記憶おもいでに新たな1ページが描かれ、透明だった心に少しだけ色が付けられた。

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