第9話

 泣いていた男性―グレイによれば、私の名前はシルヴィアというらしい。歳は18で眠りについてから2年近く経っているので、もう20歳になる。彼との関係は『昔馴染み』というものだそうだ。

 それを聞いても何も思い出せなかったが、次の日から軽いリハビリが始まった。長い眠りのせいで身体機能が著しく低下し、歩くことすらままならないためだ。


「ゆっくり立ってください」


 秘書の女性に両手を握られ、私はゆっくりベッドから立ち上がろうとする。だが体を動かす感覚を忘れている上に、この蔦で出来た右腕と左足の動かし方がわからなかった。少しだけなら私の意思で動かせるのだが、複雑な動きなどはまだ難しい。それに左目がないので、視界も悪くリハビリは困難を極めた。


「ではまず、あちらの壁まで歩いてみましょうか」


 慎重に手を離し、右足を一歩だけ前に出す。それだけで転びそうになるが、なんとか耐えて左足を出す。だが蔦の足首があり得ない角度に曲がり、私は顔面から床に転んだ。少しばかり、痛い。この感覚も久しぶりな気がする。


「だ、大丈夫ですの?!」


「……問題ありません。少しフラついただけです」


 秘書が手を指しのべてくれているが、構わず右足だけで立ち上がった。見てみると、私の右腕と左足はぷらぷら揺れていた。


「それ……やはり一度、お医者様に―」


 心配そうな声を出すユキノをよそに、私は近くにあった花瓶の水を無意識に足と腕にかけた。数秒して、蔦は元気を取り戻したかのように元の状態に戻っていく。それどころか、さっきより動かしやすくなったような気さえした。


「だ、大丈夫そうですわね……。それでは、続けましょう」


 全身に意識を集中させ、私は再び歩き出した。




 それからは普通の生活を送るためのリハビリが続いた。最初のうちはすぐに転んでしまったせいで体中に傷ができ、マスターが『大丈夫かなぁ……』と柱の陰から見守っていた。すぐに秘書が、『仕事してください』と部屋に追い返していたが。

 2週間もすれば眠っていた感覚も完全に取り戻し、ギルドの周りを走ったりする事も可能になった。


 そして4週間目、部屋の窓から外を眺めているとマスターが入ってきた。


「マスター、どうかなさいましたか?」


「ちょっと、君に話があってね」


 彼はいつもの笑みを浮かべながら頬をかき、ベッドの端に浅く座る。そしてしばし沈黙が続いた後に、1枚のカードを差し出した。受け取って見てれば、私の名前や年齢などが詳しく書いてある。


「これは?」


「冒険者カードだよ。ほら、君は寝る前は俺とパーティーを組んで、冒険者稼業をしてたって言っただろ?その時のカードだ」


「……そうでしたか」


 彼の言う通り、私はこのギルドというものに属する冒険者だったらしい。聞いた情報では、冒険者として生計を立て、近くの戸建てで1人暮らしをしていたとか。

 ちなみにランクは、8段階で上から4番目のCランクと記されている。住んでいた家も、火事で全焼してしまったらしい。


「その……冒険者を続けたいと思うか?」


 カードを眺めていると、彼が真意のわからない質問をしてきた。心なしか、いつもより表情が疲れているように見える。


「わかりません。あなたが続けろと言えば続けます」


「そっか。でも、なんて言うかその……君にはあまり、戦いに赴いて欲しくない」


「何故ですか?私の実力なら問題ないはずです。この通り、蔦の操作も完璧になりました」


 完治を証明するように右手の指を動かしてみせた。既に腕は手袋で覆われているが、普通の人のようにそれは機能する。

 しかし彼はそれを見て、顔を少し歪めていた。いつも笑っている顔ばかりを見ているので、何故そんな表情をしているのか混乱する。あまり喜ばしい事ではないのだろうか。


「そうじゃないんだ……。ただ、そんな体になってまであまり戦って欲しくはないんだ」


「……よくわかりませんが、私は冒険者稼業を続けない方が良いのですか?」


「無理にとは言わないけど、出来るならそうして欲しい」


 マスターはそう言って私に頭を下げた。組合の頂点に位置する者が一冒険者に、そう簡単に頭を垂れても良いのだろうか疑問ではある。


「わかりました。では、私は何をすれば良いのでしょう?」


「そこでなんだが、君には受付嬢の仕事をしてもらいたいんだ」


「ウケツケジョウ……それは何をする仕事ですか?」


「まぁ簡単な説明は来週、実践を交えてするよ。明日制服も持ってくるから、袖合わせの方よろしくな」


 彼は来た時より少し良い表情を浮かべながら部屋を出て行き、私はカードをそっとポケットにしまった。

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