第102話 油虫に対して容赦なく(9月25日)
我が家の炬燵には時々多数の蟻が沸く。
この部屋にどこから侵入してきているのかと感心するが、晩酌の後に片付けをせず目覚めた朝には愕然とさせられる。
一匹ぐらいであれば可愛いものであるのだが、群れてこようものならどうしようもない。
また、実害としては時に噛まれてしまうためそれなりに痛い。
故に追い払うようにしているのだが、流石にこの鼬ごっこには嫌気がさしている。
先日、仕事の帰りに寄ったスーパーで思い立ち殺虫剤のコーナーを覗いたのだが、人類と虫との戦いは壮絶と見え様々な商品が並んでいた。
噴霧式は食卓である以上避けることにしたのであるが、そうなると毒餌を仕掛けて巣ごと根絶するものしかない。
なるほどこれであれば長きに亘る蟻との闘争も終焉を迎えられるというものだ。
まあ、額面通りに受け止められるほどの効果が得られるものかという疑念もあるのだが。
ただ、ここで根絶という言葉が妙に引っ掛かって買わずじまいとなった。
帰りの車内で妙にすっきりせぬものを抱えながら進んでいると、闇夜を独楽鼠のように駆ける他の車を眺めるうちに何か胸に降りてくるものがあった。
思えば彼ら、いや彼女らもまた駒となって社会を支えている。
産卵の自由も奪われながら女王蟻のために尽くし、巣を維持しようとしていることを考えれば、なるほど手が止まったのも頷ける。
夜寒を額に感じながら進むうちに鬱屈としたものは消え、ただ月輪だけを追う心持となった。
そうした中で晩酌をしていると、肴を蟻が闊歩する。
やはり我々は相容れぬ存在であると思い直し、毒餌を見に行くかと改めて決意した。
【本日の出来事】
◎タリバン 見せしめで遺体を吊るす
見出しでイタリアはファシスト党指導者のムッソリーニが、処刑後に愛人共々広場で逆さ吊りとされた話を思い出した。
これに対して群衆は石を投げたのだが、中には愛人のめくれ上がったスカートを留めた者もあったという。
これにも石を投げた群衆の怒りには凄まじいの一言しか送りようがないが、果たしてこの行いに怒りを晴らす以外の意味合いはあったのだろうか。
それと同時に、その行いが自らの鏡となることを考えもしなかったのだろうか。
「粗にして野なれど蛮ならず」
故石田礼助氏のもじりは私が常に頭に置く言葉である。
◎大リーグ大谷選手四四球
孤軍奮闘の辛さというのは、まさにこうした時に表れるのだろう。
このような状況に陥ってしまえば、私などは早々に腐ってしまいそうなものであるが、それでも戦う姿勢を見せるのは孤高を超えて美しくすら見える。
とはいえ、勝負をせぬからといって選手などを責め立てるのはお門違いである。
あくまでルールの範疇で戦っている以上、注文を付けるのはルールであるべきである。
忸怩たる思いはあったとしても、それは勝負を避けるよう命じられた投手にもあるのかもしれないのだから。
【食日記】
朝:ヌク
昼:油淋鶏弁当、野菜ジュース
夕:サムライマック(炙り醤油風ダブル肉厚ビーフ)、チキンクリスプ、フレンチフライ、チキンナゲット(ソース無し)、ウィスキーお湯割り2、アイスコーヒー
他:おーいお茶
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