第99話 連れ添うもの(9月22日)
車検で預けていたデミオが戻ってきたところで、私は我を忘れて走ってしまったのだが、この時仕事すらも忘れていたというのは我ながら恥ずかしい。
ただそれほどに台車との噛み合わせの悪さというか、デミオとの噛み合わせの良さがあり、一体となって走る感覚から半日ほど離れてしまうとどうにも堪らなかったようである。
健康診断明けに豪遊する気分にも似て、ゆっくりと疾走するのは殊に心地よかった。
マニュアル車といえばオートマにその座を奪われて久しいが、燃費を考えても過去の遺物となりつつある。
ただ、傲りと言われてしまえばそれまでであるが、マニュアル車は御しているという感覚が非常に強い。
駆ける上で必要な動作が単に二つ増えただけなのであるが、その二つが上手く噛み合って一体感を成す。
だからといって喋り出す必要まではないのだが、それはまあ許されたい。
何かをするにあたって実感は非常に大きな経験となってしまった。
特にこのコロナ禍において仮想現実は拡充されたが、それだけに五感全てを満たすのは難しい。
だからこそ、限られた実感を得るために動くのは私が人として避けられぬ衝動なのかもしれない。
そのうち、生活そのものが仮想において行われるのかもしれないが、その中で私は何を思うのか。
いや、その時は私の思考が終焉を迎えているかもしれない。
【本日の出来事】
◎三重国体の開催断念
記事によると延期になった場合、予算と人員の捻出が難しいためとある。
逆に言えば、それ程に国体の開催は負担が大きいということであろう。
少子高齢化によって奪われた活力の低下というものが、目に見える形で進行しているということかもしれない。
このままであれば各地で同様の事例が多発するようになると危惧するのであるが、果たしてどうなることか。
◎GPIF 中国恒大の株式と社債九六億円保有
投資である以上、一定程度の危険性が付きまとうのは仕方がなく、それを同行批判するつもりは毛頭ない。
それよりも気になるのは年金を投資により運用しなければ十分な分配が見込めぬというのがこの問題の本質ではなかろうか。
年金問題に関しては現状制度疲労を起こしてしまっており、大手術を施さぬ限り維持するのは難しい。
票田ばかりに目が行くのは致し方ない部分もあるのだろうが、人的資源に投資をしなければ皆で飢え死にするより他になくなってしまう。
それを今月分の給与から三千円ほど手取りを減らされるという私は、諦観と忸怩たる思いで見つめている。
【食日記】
朝:ヌク
昼:豚しゃぶ蕎麦、おにぎりセット、野菜ジュース
夕:串カツ、から揚げ、カップヌードルレギュラー&Sio、ウィスキーお湯割り
他:おーいお茶
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