第469話 戦乱の幕開け2

 デルヴィ侯爵領。

 エウィ王国の北東に広がる領地で、五カ国と国境を接する。

 北にはソル帝国とアルバハード、そして亜人の国フェリアス。南にはカルメリー王国とサディム王国である。

 その内の一つサディム王国に向けて、進軍を開始する予定だ。領地の中心に位置する演習場では、ハイド王子率いる六万の軍勢が待機中だった。

 なぜ待機中かと言うと、カルメリー王国から援軍要請を出させるからだ。戦争の責任を属国に着せて、旨い汁を吸うためである。

 三大大国の一つソル帝国から、確実に非難声明が出されるはずだ。

 戦争も外交手段の一つであり、それをかわすためだった。

 ともあれ「エウィ王国から戦争を吹っかけた」と、誰もが考えるだろう。しかしながら外交とは、そう単純な方程式では解決しないものだ。

 属国といえどもカルメリー王国には、主権国家としての体制を維持させている。戦争の是非も、権利として認めさせていた。


「ちっ。面倒臭ぇなあ!」


 演習場にある馬場では、ハイド王子が流鏑馬やぶさめをしている。

 馬術の一つで、馬に乗りながら弓を射る技術を鍛えていた。王子の放った矢は的に当たったが、中心からは少しずれている。

 気持ちのたかぶりを抑えられていないのだろう。


「「おおっ! さすがは王子! お見事です!」」


 馬場の外から、おべんちゃらとも言うべき喝采を受ける。

 今回の遠征にあたって選ばれた子爵以下の貴族たちだ。

 さすがに六万人の軍勢だと、ハイド王子一人で指揮はできない。三十人ほどいるが、各二千人の兵士を受け持っている。

 それを三人の将軍に振り分けて、二万人ずつの軍団になっていた。

 ちなみにソル帝国も二万人を基準に、一つの軍団として機能させている。


「王子! デルヴィ侯爵様がいらっしゃいました!」

「おう! アーロンも呼んでおけ!」

「はっ!」


 暫く汗を流していると、作戦会議の時間になったようだ。

 デルヴィ侯爵軍は遠征に参加しないが、後詰として支援はしてくれる。六万人もの軍勢なので、補給だけでも大掛かりなのだ。

 確かに各方面からは、軍勢が多すぎるとの声もあった。とはいえハイド王子は、サディム王国の陥落を視野に入れている。

 相手国の領土を蹂躙じゅうりんするには足りないぐらいだ。

 そんなことを考えながら、演習場にある三階建ての建物に向かう。昔からある施設なので、駐屯地とは違って基地として機能している。

 中に入った後は、二階の作戦会議室に入った。


「待たせたようだな!」

「これはハイド王子。演習場の使い心地はいかがですかな?」

「まぁまぁだな。さて始めるか」


 作戦会議室は縦長の部屋で、ハイド王子は一番前にある仮の玉座に座った。

 隣には王国〈ナイトマスター〉アーロンが控えて、長テーブルの左右には三人の将軍が待機している。

 デルヴィ侯爵は上座に座り、後ろには異世界人のファインが立つ。


「アーロン! 十傑のアンジェロはまだか?」

「まだですが、ユーグリア伯爵軍が動きだしたとの報告を受けております」

「ほう。では、サディム王国との国境に向けて移動中か?」

「はい。今回の戦争では、五千人を動員すると聞き及んでおります」

「ふむ。まぁ国境でのつば迫り合いが目的だしな」


 ユーグリア伯爵軍の総数は八千人である。

 内ベクトリア王国とサディム王国の国境に、約三千人ずつ配備していた。自領には二千人の兵士がおり、両国と戦争になった場合に備えている。

 そしてアーロンの話では、ベクトリア王国側に千人を残したそうだ。

 もちろんカルメリー王国の全軍ともなれば、もっと動員できる。と言っても戦争の目的が開戦の合図だけなので、少数でも十分だった。


「ベクトリア王国は攻めてこないと踏んだのか?」

「何でも国境が封鎖されたらしいですぞ」

「封鎖だと? ならば軍を発するのではないか?」

「いえ。大量の悪魔が出現して、首都で暴れたとの報告ですな」

「何っ!」


 この情報はユーグリア伯爵からだ。

 国境が封鎖されたのは、その悪魔騒動の件を隠すためらしい。ならばなぜ知っているとなるが、とある筋からの確定情報だそうだ。

 かなり大規模な騒動だったようで、軍隊を動員して復興作業をしている。

 とてもではないが、カルメリー王国に攻め込むなどできない。サディム王国への援軍も同様で、ベクトリア王国軍は機能しないと結論付けた。

 だからこそ最低限の人数を残して、五千人を動員できたのだ。


(とある筋だと? まさか、ローゼンクロイツ家が絡んでいるのか? 悪魔騒動とはまた突拍子もないが、俺の期待通りにはなったな)


 とある筋とは、フェリアスの調査団である。

 リーズリット率いる調査団は、すでに帰還の途に就いていた。カルメリー王国に入国した後はユーグリア伯爵に面会して、ベクトリア王国の内情をチクったのだ。

 この行動は、フォルトが思いついた嫌がらせに他ならない。ベクトリア王がムカついたからと、ちょっとした仕返しのつもりだった。

 もちろん、ハイド王子が知る由も無い。


「王子の策が実りましたかな?」

「侯爵め。それは嫌味か?」

「とんでもございません!」


 ハイド王子の策には穴がありまくる。

 そんなことは言われなくても百も承知だった。だが主戦論を唱えるため、貴族どもに発破をかけたのだ。

 実際のところは、その場の勢いだけだったが……。


「ふん! デルヴィ侯爵よ。奴らは悪魔を使役するのか?」

「はて? インプ程度なら召喚しておると聞いておりますが……」

「そのような下級悪魔では、騒動など起こせねぇだろ?」

「詳しくは調査しなければ分かりませんな」

「まぁいい。仮に絡んでいても手柄ではないな」

「当然ですな。調査のほうは、諜報ちょうほう機関に命令書を出しておきまする」

「任せる。とりあえず、ユーグリアは命拾いしたか」


 本来であればユーグリア伯爵軍は、二千人ほど足りない中で開戦だった。

 今回の件で助かったのはカルメリー王国だろう。

 もしも三千人の動員であれば、サディム王国四天王サーダの護る国境を落とすのは難しい。逆に反転攻勢をかけられて、国境を奪われることも考えられた。

 ハイド王子、いやエウィ王国が考える属国の扱いなどそんなものだ。


「では我らのほうの作戦ですが……」


 ユーグリア伯爵軍は勝とうが負けようと、援軍の要請さえすれば良い。

 ハイド王子軍の戦いも、それなりに苦労する戦場だった。アーロンは手元の資料を回して、作戦の概要を説明する。


「戦場は細長い山道となります」

「うむ」

「まずは我らの部隊で、検問所を突破しますぞ」

「異世界人の英雄部隊「ガイア」だな?」

「はい。検問所を落とした後は、六万の軍を逐一送り込みます」


 デルヴィ侯爵領とサディム王国の国境は、険しい山岳部である。

 そして道の片側が、深い谷になっている。だからこそ、山の形に添って伸びている道を進む以外に無い。

 途中で落石のわななどを考えると、軍隊をそのまま通すのは愚の骨頂だ。犠牲を少なくするには強者を送り込んで、国境の検問所を確保する戦術しかない。

 王国〈ナイトマスター〉であれば、機先を制することができるだろう。


「だが検問所の先には、五千人の兵がいると聞いたぜ?」

「私は王の剣。五千人の兵士など蹴散らしてご覧に入れまする」

「はははっ! そして、王の盾でもあったな。ならば俺も出るぞ!」

「王子?」

「異世界人に護衛をさせよ。まさか護れないとは言わさねぇぞ?」

「ですが王子自らが……」

「俺が出る必要があるのだ。次代の国王として、な」


 ハイド王子が目標にしている人物は、曾祖父そうそふのエインリッヒ七世である。宮廷魔術師長グリムの親友で、皇帝ソルのように力を行使できる国王だった。

 そしてエウィ王国は、三百年という長い歴史を持つ。

 曾祖父の時代までは、国王の座を巡って骨肉の争いが絶えなかったのだ。現国王エインリッヒ九世は子沢山であり、王位継承権一位でも安心ができない。だからこそ王子は、治世の勉強を疎かにしても力を求めている。

 今回の戦争で強い後継者と認めさせ、次代の国王として君臨するつもりだった。


(親父が生きている間に力を見せつけて、貴族どもを震えあがらせねぇとな。お前もだよ。デルヴィ侯爵……)


 ハイド王子は視線だけ動かして、デルヴィ侯爵をにらむ。

 金と権力の化け物と揶揄やゆされており、王子からすれば悍馬かんばなのだ。上手に乗りこなすには、やはり力で抑え込むのが一番だと考える。

 恐怖政治で逆らえないようにして、崩御の時を待てば良い。


「では、十傑の一番から四番を付けましょう」

「それでいい。将軍たちは狼煙のろしが上がったら、進軍を開始しろ」

「「はっ!」」


 一番やりはアーロンに譲るが、先陣にはハイド王子が加わる。

 このために、流鏑馬の訓練も欠かしていない。十傑の中でも上位の四人が周囲を固めるならば、最早恐れるものは何も無いのだ。

 もちろん作戦会議は、これで終わりではない。

 最悪を想定するのは当然なので、王子たちが退却する場合の動きも確認する。魔法使いを同行させて、無事に本体と合流するなどだ。

 他にも各部隊の行動を打ち合わせて、話題はローゼンクロイツ家に移った。


「さて。奴らについてだが……。侯爵には目的が分かるか?」

「目的、と言いますと?」

「ベクトリア公国に向かった本来の理由だ」


 フォルトたちのベクトリア公国行きは、目的を伏せられてグリムに要請された。外交使節団という名目は、リゼット姫が考えた後付けなのだ。

 まさか、アルバハードの旗を立てているとは思わなかったが……。


「推察でよろしければ……」

「構わねぇ」

「おそらくは、レイナス嬢の限界突破かと思われますな」

「限界突破だと?」

「闘技場では、こちらの異世界人に勝利しましたぞ。のぅファイン?」

「はい」


 デルヴィ侯爵の後ろで控えていたファインが一礼する。

 ハイド王子も闘技場で観戦しており、レイナスを欲しいと考えていた。なるほど確かに彼は、レベル三十八か三十九ぐらいで止まっている。

 カラクリがあると思っていても、申告内容は受理されていた。


(侯爵もたぬきだぜ。ファインはもう英雄級だろうが! 俺の直属にしてぇが、侯爵は手放さねぇだろうな。強権を発動して無理やり奪おうとしても……)


 もしも王族から命令を出せば、侯爵からファインを取り上げることは可能だ。しかしながら彼を、行方不明か死亡させるだろう。

 裏で使われては、今まで以上に厄介なこととなる。

 エインリッヒ九世も内心では諦めており、侯爵の旗下として扱っていた。


「ならば侯爵、もう一つだけ質問だ。奴らを殺せる人物に心当たりは?」

「は? 何と仰いましたので?」

「分かるだろ? アルバハードの旗を立てていたんだぜ」

「………………。飼い殺しは諦めまするか?」

「親父の手前なあ。だがじいさんの手にも余っているだろ」

「グリム殿はまだ、手綱を握れていると思われますな」

「ちっ。質問に答えろよ」

「残念ながら王子とはいえ、陛下の決定に異を唱えられませぬ」


 デルヴィ侯爵らしからぬ回答だ。まだハイド王子の時代ではなく、エインリッヒ九世の決定が最優先と言っているのだ。

 そしてローゼンクロイツ家については答えを出してあるので、侯爵は決定に背くような回答はしなかった。

 王家に忠誠を誓っているとは思えないが、殊勝なものだ。


「今頃は変わっていると思うぜ。ならアーロンはどうだ?」

「侯爵様と同様です。ですが陛下に牙をくなら、私が成敗しましょう」

「やれるのか?」

「やれるやれないではありませぬ。私は王の剣でございます」

「高位の魔法使いだって話だぜ?」

「元勇者チームの三人。彼らなら討ち取ってみせましょう」

「なるほど。今回はそれで満足してやるか」

「有難き幸せ」


 隻眼の最高戦力は、元勇者チームであればほふれるようだ。

 ローゼンクロイツ家の姉妹を引き合いに出されていれば良かったが、そのあたりは濁されてしまったか。

 ともあれアーロンの言葉に満足して、作戦会議の終了を宣言するのだった。



◇◇◇◇◇



 ベクトリア王国で起こった悪魔騒動から一カ月。

 戦争の気配など露と知らないフォルトは、首都ルーグスの高級宿屋に戻った。何度か往復しているので、身内に寂しい思いはさせていないはずだ。

 現在はリビングのソファーに座って、いつものように寛いでいた。

 時間加速の魔法で傷付いたマリアンデールは、とっくに全快している。今は妹のルリシオンに、べったりと張り付いていた。

 そしてマウリーヤトルは、指定席となっている膝の上だ。


「マーヤも髪を整えてもらうか?」

「うん!」


 マーヤは黄金色の髪を、ツインテールにまとめている。

 吸血鬼でも伸びるようで、そのあたりは人間と変わらないようだ。ならばと窓際に視線を向けると、カーミラがレイナスの髪を整えていた。

 特技がヘアメイクなので、身内からは頻繁に頼まれている。


「まぁ俺は切ってもらったばかりだがな」


 ちなみにフォルトも、一カ月に一度はお世話になっている。二カ月以上放置するとかなり伸びてしまうので、彼女に「短めに」と言って任せていた。

 日本にいた頃は美容院のお姉さんに、「禿げたらろう」と言ったことがある。割と本気で考えていたが、髪だけは健康的だった。

 魔人に変わってからは抜け毛すら無いので、内心では安堵あんどしたものだ。


「ところでセレス、リーズリット殿たちは無事に国境を抜けただろうか?」

「彼女たちを発見できそうな人間はいなかったと思いますわ」

「まぁ確かに……。強そうな奴はいなかったな」


 リーズリット率いる調査団の目的は、すでに達成されている。

 フォルトたちはサザーランド魔導国に向かうが、それは個人的なものだ。彼女たちを付き合わせるわけにもいかないので、フェリアスに帰還してもらった。

 セレスの読みでは、国境が封鎖されるらしい。悪魔騒動を他国に知られると、色々と面倒なことになるのは想像に難くない。

 いずれは周知されるだろうが、今は隠しておきたいと思われる。だからこそ日を開けずに出発して、国境が封鎖される前に出国させた。

 そうは言ってもベクトリア王国の検問所を通ったのは、調査団団長のリーズリットと護衛の三人だけだ。

 今回はローゼンクロイツ家がおらず亜人は国法で守られていないので、他の調査団員が使った密入国のルートを逆走しているはずだった。

 彼女たちにとっては好都合であり、手練れのエルフ族や獣人族を補足できる人間は国境警備隊にいなかった。

 とりあえず、かなり前の話である。


「旦那様の嫌がらせも届いていると思いますよ」

「ははっ。隠そうとする内容をバラすのは楽しいな」


 フォルトは人としての器が小さいので、ベクトリア王の対応を根に持っている。悪魔騒動の件をユーグリア伯爵に伝えて、世に広めようと思ったのだ。

 もちろん結果は確認しようもないので、効果のほどは分からないが……。


「旦那様、そろそろ時間ですわよ」

「おっと。ならセレス、マーヤを頼む」

「はい。留守はしっかりと守りますわ! 妻として……」

「う、うむ!」


 立ち上がったフォルトはマーヤを抱えてから、両手を広げたセレスに渡す。

 まるで我が子のようにギュッと抱く姿は、完全に妻と化している。

 暇潰しにやっていた御飯事では、それはもう温かい家庭を営んだ。しかも終わってからは、二人目が欲しいと燃え上がっている。

 さすがは、ハイ・エルフだ。


「マリ、ルリ、行くぞ」

「とっくに準備はできているわ」

「レイナスちゃんも行くわよお」

「はい! カーミラちゃん、ありがとうね」


 そう。本日はお出かけなのだ。

 返書について催促をしたところ、大図書館に呼び出されている。何やらベクトリア王は忙しいらしく、リムライト王子が対応するとの話だった。

 悪魔騒動ではマリアンデールとルリシオンが世話をしており、礼をしたいからと同行するように言われている。

 もちろんレイナスは、王侯貴族相手の切り札だ。


「カーミラ、何かあったときは……」

「大丈夫ですよぉ。みんなを連れて町の外に出ますねぇ」

「うむ。フィロは残って出発の準備をしておけ」

「分かりました」


 返書さえ受け取れば、ベクトリア王国に用は無い。

 大図書館から戻ったら、すぐに出発するつもりだ。


「色々と大変そうだな」

「復興は年単位になると思いますわ」

「やる気が無さそうに見えるしな」


 フォルトたちは数名の吸血鬼の護衛に囲まれて、東エリアに向かう。

 さすがに復興作業中なので、残念ながら馬車は使えない。宿舎のある南エリアや中央の商業区画では多くの人が動き回って、馬車の通れる道が無いからだ。

 そして東エリアでは、悪魔との戦闘跡が酷い。空が赤く染まるほどの火災が起きたので、広い範囲に渡って住宅が焼失している。

 また兵士や冒険者たちが、悪魔との戦闘に参加していた。

 焼失を免れた住宅も、戦いの余波で破壊されている。だからなのか所々に散乱した瓦礫がれきを撤去するために、西エリアの貧困層も駆り出されているようだった。

 普段は見捨てられている人々である。

 彼らを見ると、「なぜ俺たちがやるのだ?」という表情が印象深い。現在町の外に避難している者には災難だったが、それでも今の彼らより裕福なのだ。

 助ける義理など、まったく無いだろう。


「いずれ暴動でも起きそうだな」

「フォルト様?」

「いや。何でもない。それよりも大図書館が見えてきたな」


 悪魔騒動では、レイナスとセレスが逃げ込んだ場所だ。

 そのときは教皇ラヴィリオが展開した結界のせいで、フォルトは通れなかった。とはいえ今は解除されており、大図書館の敷地に足を踏み入れた。

 この場所はほとんど無傷で、神官が炊き出しなどを行っている。

 そして入口の前では、左右に並んだ女神官に会釈をされた。フォルトたちが来訪する旨は聞かされているようで、そのうちの一人が案内に立つ。


「教皇様とリムライト王子がお待ちです」

「ラヴィリオも、か。まぁいい。案内を頼む」

「はい。こちらです」


 教皇ラヴィリオと親しいわけではないが、フォルトは傲慢に対応する。

 女神官は眉をひそめたが、これもローゼンクロイツ家当主としての役割だ。特にマリアンデールとルリシオンが同伴しているので、足を踏まれたくない。

 入口から先には五つの扉があり、今は開いている。

 そして扉を越えると、ただっ広い吹き抜けになっていた。


「凄いな!」


 フォルトがそう感嘆するほど、大図書館の造りが美しかった。

 モダンな六階建て構造で、すべての階の前後左右に本棚が置かれている。横目で一階の一部屋を眺めると机と椅子が置かれており、その場で閲覧できるようだ。

 彫刻のような柱が並んで、神殿とも思える荘厳な雰囲気も漂う。

 さすがに読書をしている来館者はいないが、東エリアの被害状況からすると静かな館内となっていた。

 驚きの声が周囲に響いて、少し恥ずかしくなってくる。


(いやはや。さすがは学問の都だな。これだけの蔵書を喪失しては人類の……。いや魔人類? の損だろう。なかなかに良い場所ではないか)


 フォルトは学者ではないので、文化や芸術についての思想はあやふやだ。

 それでも、人類の成長・発展には不可欠なものと思っている。心の中では、それらに携わる者に敬意を払っていた。とはいえ残念ながら、イービスに召喚される前の日本では軽視されている。

 理由としての主なところは、商業主義と個人主義の蔓延まんえんだ。

 基本的に文化や芸術は、すぐ金に変わらない。

 いや。費用対効果の期待できないものがほとんどなのだ。だからこそ軽視されていたが、それらの衰退は人間としての退化に他ならない。

 金に変わるものだけでは、人間としての成長は望めないだろう。

 それは短い人生の中でも同様で、将来の人類に対してだけではない。個人の人生を豊かにして、人間としての内面を成長させるのもまた文化や芸術なのだ。


(と言ったことを朧気おぼろげに思っているが、今度バグバットに聞いてみよう)


 屈託無く言葉を交わせる盟友。

 不老長寿の大先輩である吸血鬼の真祖バグバットであれば、フォルトの求める答えを提示できそうだ。

 ともあれ……。

 吹き抜けから先に向かうと、水色の長髪の男性が立っていた。他にも騎士らしき人間が三十名ほどで、彼を護衛している。

 その隣には、大きなミトラをかぶった美女が微笑んでいた。


「リムライト王子、今回の悪魔騒動は災難だったな」

「まったくです。姉妹令嬢のおかげで命を拾いましたよ」

「聞いている。これを機に、我らを見る目を変えてもらいたいものだな」

「そうですね」


 本当に変えてくれるかは不明でも、リムライト王子には恩を着せておく。

 ベクトリア王は腹立たしかったが、王子の対応はまともか。ランス皇子も内心は分からないが、対応だけは良かったと思う。

 人間嫌いのフォルトも頑張って対応しているのだ。


「ラヴィリオ殿は大図書館と人々を守ったとか?」

「はい。神に仕える者として、当然のことをしたまでです」

「こちらのレイナスともう一人の連れが、結界によって助けられたようだ」

「そうでしたか。結界の維持で気付かず……」

「構わない。礼を述べさせてもらおう。ありがとう」

「………………」


 頭までは下げないが、身内の二人が大図書館に逃げ込んだのは事実だ。

 レイナスとセレスでは、上級悪魔のマルバスには勝てない。サバトを優先して追いかけてこなかった可能性は高いが、もし襲われていたらと思うと身震いがする。

 せめて限界突破作業を終えていれば、少しは良い勝負ができるか。


「では、そちらにお座りください」

「うむ」


 吹き抜けの奥も、蔵書が本棚に並んでいる場所だった。

 とりあえず「残虐姉妹のしつけ方」は幽鬼の森に隠したので、マリアンデールとルリシオンに見つかることはないだろう。

 フォルトはリムライト王子に促されて、対面にの席に座る。レイナスは後方に控えて、いつでも耳打ちができる状態だ。

 何か拙いことを口走った場合は、後頭部を小突いてもらう。

 もちろんマリアンデールとルリシオンは、隣の席を占領した。


(しかし……。どうしてこう、王子というものはイケメンなのだ? どう見ても、ベクトリア王の息子とは思えないな。王子は母方の容姿を受け継ぐのか?)


 謁見の間に妃はいなかったが、リムライト王子はバリゴール・ベクトリアの血を継いでいるとは思えない。

 ともあれそれについては、ソル帝国のランス皇子も同様か。

 あの世紀末覇者的な皇帝ソルの息子とは思えないほど、容姿が良かった。もしかしたら、年齢を重ねると彼らのようになるのかもしれない。

 フォルトとしても、青年時代と比べれば酷いものだ。なので――もちろん口には出さないが――彼らの将来に念仏を唱えておく。


「では親書の返書を受け取ろう」

「お待ちを……。その前にお聞きしておきたいことがあります」

「はて? 答えられる内容なら構わないが……」

「(フォルト様、取り囲まれていますわ)」


 レイナスの耳打ちに、フォルトは周囲を見渡す。

 よくよく考えてみると王子の護衛とはいえ、三十人の騎士は多いかもしれない。ならばと魔力探知を広げると、本棚の後ろにも騎士らしき者たちがいるようだ。

 姉妹はとっくに気付いており、膝の上に手を乗せてきた。もう少し上まで手を伸ばしてほしいところだが、今はそんなことをしている場合ではないか。

 ともあれ、「もっと早く言ってよ」と思わなくもない。しかしながらこういった場合は、基本的にすべて任されている。


(俺たちの行動がバレたのか? だが名も無き神の教団は異教徒だろうし、成敗しても文句は無いはずだ。あぁでも、ベクトリア王とつながっていたとか?)


 フォルトは少し前まで、文化について考えていた。

 せめて、大図書館の中で捕縛行動を採るのは止めてほしい。と言っても話を聞かないと、リムライト王子やラヴィリオの思惑も分からない。

 とりあえずは何も気づいていないとして、王子からの言葉を待つのだった。



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Copyright©2021-特攻君

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