第460話 名も無き神の教祖1

 時はフォルトたちが、作戦を開始する前にさかのぼる。

 民主主義国家ラドーニ共和国。

 国家の主要事業が、国民によって決定される国である。国家元首は言わずもがな、法律・政策などに携わる人も国民の代表として選んでいた。

 基本的人権が保障されており、国民は自由に生きていける権利を有する。支配には様々な制約があるので、貴族などの特権階級は存在しない。

 ノウン・リングでは、国家の半数近くが民主主義をうたっている。

 特に大国と言われる国々に多く、世界での発言力は高い。とはいえイービスだと、民主主義国家はラドーニ共和国だけだった。

 現在の国家元首は、三年前に選出されたファスト大統領である。


「異質な国ですが、人間の可能性から生まれた一つの思想です」


 そのラドーニ共和国に入国していた一人の女性がつぶやく。

 現在は馬車で移動しており、国名と同じ首都ラドーニから出発したところだった。豪華ではないが、組織が所有している移動手段だ。

 中で座っているのは、三人の男女である。

 またそのうちの一人は、名も無き神の教団の教祖セルフィード。残りの男女は神官であり、教祖の護衛も兼ねている神官戦士。

 その二人は、何枚にもまとめられた紙の束に目を通していた。


「ラドーニの本部では順調に信者が増えていますね」

「ふふっ。他国のように隠れて布教する必要が無いですわ」

「ですが、少し問題があるかと愚考します」


 女神官の手にあるのは、新規に入信した信者の名簿だ。

 ラドーニ共和国は国民主権の思想から、他国よりも信教の自由の幅が広い。天界に住まう六大神以外でも信仰できるので、教団は本部を置いていた。

 カルト教団には、天国のような国である。


「問題を述べるのを許しますわ」

「感謝をささげます。政治家の一人が入信したようです」


 女神官の言葉に、セルフィードは複雑な表情を浮かべる。

 政治家の思惑は明らかで、信者の数を頼りたいから入信したのだろう。だが教祖として彼女が欲しいものは、名も無き神に捧げる信仰心。

 政治家がそれを持っているわけもなく、教団を利用しようとしているだけだ。

 それでも後ろ盾があると、今より活動の幅を広げられるか。


「どちらの、ですか?」

「野党です。現在の支持率は拮抗きっこうしていますね」

「信者の数が少なくても、次の選挙までに支持者を集めたいのでしょう」

「どうなされますか?」

「教団は世俗の争いに関与しません」

「と申されても、ジオルグ様と取引をなさいましたが?」


 どうやら女神官は、苦言を呈したいようだ。

 エウィ王国で会談したジオルグからの提案は、世俗の争いに関与する内容である。だがセルフィードは快諾して、教団からの人的な協力を約束した。

 もちろん、女神官の信仰心が揺らいだわけではない。


「アラニスの深き信仰心に感謝を……」

「ありがとうございます」


 この馬車に乗っている男女の神官は、セルフィードの側近である。

 女神官はアラニス、男神官はアドモスという。露出の無い神官着に身を包んでいるので、両人については顔ぐらいしか分からない。

 また顔立ちだけ見れば、どちらも二十五歳前後だった。

 それも当然で、二人は双子であることが一目瞭然である。


「ジオルグ殿は、この身を美の女神と評されましたわ」

「間違っておりません」

「そして私が御仁を評するなら……。謀略神です」

「え?」

「彼もまた神なのだから、手を握ったわけですね」

「仰っている意味がよく分かりませんが? 彼も……。神?」


 ジオルグは異世界人だが、ただの人間である。

 それを神と評した教祖の言葉は、アラニスに混乱を与えたか。首を傾げながら、教祖の言葉を口に含んで吟味している。

 ともあれセルフィードは、彼を高く評価していた。

 神の協力者に値しないが、その頭脳は謀略に秀でている。だからこそ、大いなる目的のために利用するのだ。


「ふふっ。アドモスはどうかしら?」

「最初から分かっております。アラニスの信仰心が足りないだけです」


 アドニスは澄ました顔で、アラニスに顔を向けた。

 それに対して怒るどころか、同様に澄ました顔で答える。


「信仰心は同じですよ? 我らは双子です」

「だったな。では言い直そう。アラニスが馬鹿だからだ」

「それなら納得です」


 アドニスから侮辱を受けたが、ここでもアラニスの表情は変わらない。

 この二人には、兄妹という概念が無い。まったくの同時に生を受けており、その個性は別々であるべきと理解しているからだ。

 片方が天才なら、片方は馬鹿であるべきだった。


「教祖様のお考えは深いということだ」

「アドニス、分かるように説明してくれませんか?」

「あの男は禁忌を侵そうとしている」


(そう。アドモスが言ったように、ジオルグ殿の目的は禁忌を侵しますわ。技術が進めば竜王が無に帰しますわね。だからこそ手を握ったのですが……)


 セルフィードは物思いにふけって、フェイスベールの奥で笑みを浮かべる。

 ジオルグは知ってか知らずか、摂理の守護者に喧嘩けんかを売るのだ。ならば、そのときに発生する情報を手中に収めるつもりだった。

 大いなる目的には、竜王も無関係ではないのだ。


「納得しました」

「ふふっ。でしたら政治家の件は任せますわ」

「お任せください。教祖様を送り届けたらすぐにでも……」


 セルフィードたちは現在、ベクトリア王国に戻っている最中だ。

 まだ根を張って数年なので、教祖の存在が不可欠だった。ベクトリア王からの資金援助は続いており、まだ自らが対応しないと拙い。

 ともあれ暫く馬車に揺られていると、突然の衝撃が三人を襲った。


「うお!」

「きゃ!」

「なっ何事ですか!」


 馬車が少しだけ浮き上がった感覚と共に、外からは馬のいななきが聞こえた。

 急いで窓から外を見たセルフィードは、目を鋭くさせて眉をひそめる。空の色が赤黒く染まっており、自然の中で見られる色ではなかった。

 これには面をらってしまうが、まずはアドニスに前方の窓を開けさせる。次に御者として連れてきている神官に、現状を問い質すように命令した。


「アドニス、確認しなさい!」

「はい。おい、何が起きた?」

「ひっ! し、進行方向に怪しい奴が降ってきました!」

「降ってきた、だと?」

「はっはい! 前を見てください!」


 アドニスの視線を通すように、御者が慌てて体をずらした。

 話を聞いていたセルフィードも乗り出して、窓から前方を見る。すると御者が言ったように、何やら怪しい人物が腕を組んで道を阻んでいた。

 また視線を地面に向けると、足元が陥没してクレーターになっている。

 空から降ってきたのは間違い無いかもしれない。


「教祖様、何者でしょうか?」

「あれは……。聞けば分かることですわ」

「危険です!」

「ふふっ。私を害することは不可能ですわよ」

「お待ちください!」


 制止を無視したセルフィードは、ゆっくりと馬車を下りた。

 アドニスとアラニスも続いて、とにかく盾になる覚悟で前に出る。神官戦士らしく腰からメイスを取り出し、いつでも飛び出せるように構えた。

 怪しい人物はというと、両手を下ろして近づいてくる。


「そこで止まれ!」

「バフォ? 止まるのは良いが、お前らも暫くは待機してもらおう」

「何だと!」

「バフォフォフォフォ! 人間の女、久しぶりだな」


 セルフィードに話しかけた怪しい人物は、いきなり体が膨れ始めた。

 これは拙いと思ったアラニスは、彼女の腕をつかんで下がろうとする。だが怪しい人物が放った言葉に、その場に残る選択をした。


「教祖様、馬車の後ろまで下がってください!」

「だからアラニスは馬鹿なのだ」

「なぜですか?」

「害すことは不可能と仰ったではないか」

「………………。納得です」

「ふふっ。儀式のとき以来ですわね。バフォメット」

「バフォフォフォフォ!」


 怪しい人物は変貌と遂げて、黒山羊の頭にカラスの翼を持つ悪魔となった。

 そう。エルフの女王に呪いをかけている大悪魔バフォメットだ。『契約けいやく』を履行中のはずだが、なぜかこの場に現れた。


「エルフの女王を呪っているのではなくて?」

「バフォフォ。今も呪っているぞ。『契約けいやく』中だからな」

「離れても良いのかしら?」

「呪いの特性を知らぬのか? バフォフォフォフォ!」


 フォルトの使う呪術系魔法もそうだが、呪いに関しての特性は恐ろしい。

 呪われたら最後、解呪されるまで効果は持続する。しかも呪いの種類によっては、死亡しても解呪されない。

 この場にバフォメットが出現しても、女王にかけられた呪いは続く。


「私は『契約けいやく』を結んでいませんわよ?」

「だからこそ足止めに来たのだ。バフォフォ」

「何の意味が……。まさか!」

「バフォフォ。ほどなく『契約けいやく』が満了するな」

「困りましたわね」

「お前の悪感情は美味である! バフォフォフォフォ!」

「悪魔風情が……」

「バフォフォフォ! 周囲は結界で覆った。どこへも向かえんぞ!」


 この空の色は、結界の色ということだ。

 さすがは大悪魔と褒めるべきか、どこまで続くか見通せない。

 そしてバフォメットの結界は、悪魔王の結界だ。魔人のフォルトでも破れずに、結局はカーミラの提案で停戦を余儀なくされている。

 人間如きでは、どうやっても破れない。


「教祖様?」

「いかがいたしましょうか?」

「………………」


(悪魔の契約は絶対ですが、フェリアスにヒントでも伝えたのかしら? なら殺害の実行部隊が来ている? 潮時ということかしらね。ですが……)


 今バフォメットに対価が支払われると、エルフの女王が目覚めてしまう。

 そうなると、ベクトリア王は教団を見限るだろう。資金援助も止められ、またその反動として同国での活動が厳しくなる。

 ともあれ、いま助けに向かえば間に合うか。


「アドニス、アラニス」

「「はい」」

「司祭たちを助けに向かうので、ラドーニに引き返していいわ」

「あの悪魔は?」

「放っておけば良いですわ」

「バフォフォフォフォ! 面白いことを言う」


 バフォメットは大口を開けて笑うが、セルフィードも笑みを崩さない。

 そして、挑発するかのように言葉を続けた。


「受肉をしていない悪魔など、もうすぐ消えますわ」

「分かりました」

「納得です」

「時間を稼ぎに来ただけだ。好きにすれば良い。バフォフォ」

「では、そうさせていただきますわね」


 フェイスベールを外したセルフィードは、その場で両手を組んで祈り始めた。すると黄金の光が全身を包み込んで、彼女の中に吸い込まれていく。

 それを見たアドニスとアラニスは感涙する。


「何と神々しい!」

「まさに美の女神だ!」

「ありがとう。では後を頼みましたわよ?」

「「はい」」

「名も無き神のお力をお借りしますわ。『天翼天翔てんよくてんしょう』!」


 セルフィードがスキルを発動させると、背中に黄金の翼が現れる。

 また出現と同時に浮き上がり、天に向かって右手を突き出した。


「バフォ? なるほどなるほど。七人目を目指しているのか」

「あら。悪魔如きが知っておりましたか?」

「バフォフォフォフォ! では結界が破れたら素直に消えてやろう」

「見ておくと良いですわ!」



【スターライト・ラプソディー/星光狂詩曲】



 セルフィードが信仰系魔法を発動すると、結界より上空に無数の光が輝いた。続いて同じ数の光線が降り注いで、バフォメットが張った結界を乱打する。

 また着弾に併せて、ガラスを弾いたような音が響く。しかも不思議なことに、それは狂詩曲を思わせるリズムを奏でていた。

 曲が激しさを増していくと、天に大きな亀裂が入る。


「バフォフォ。そこまで進んでいたか」

「ふふっ。まだ暫くは『契約けいやく』を続けてもらいますわ」

「間に合えば、な。バフォフォフォフォ!」


 その言葉と同時に、バフォメットの結界が割れた。ならばとセルフィードは、黄金の翼をはためかせて、空に飛び立つ。

 そして司祭たちを助けるために、飛行速度を上げていくのだった。



◇◇◇◇◇



 司祭の前に張られた障壁に向かって、レイナスは聖剣ロゼをたたきつける。

 彼女にしては乱暴なやり方だが、あまり時間をかけていられない。確実に障壁の硬度を削っており、もう後数回ほど攻撃を続ければ破壊できるだろう。

 そして障壁の裏にいる司祭は、信仰系魔法を使おうとしていた。


「名も無き神よ。我が敵を滅せよ!」



【ライト・ブレス/光の息吹】



 司祭の信仰系魔法が発動すると、レイナスの頭上に光の輪が出現する。

 直径一メートルのそれは、輪の中に光を収束させた。


「レイナスさん! 上です!」


 セレスの叫びに反応したレイナスは、舌打ちしながら後方に跳んだ。すると頭上から落ちた光柱は、先ほどまで立っていた床に直撃した。

 その場所は煙をあげて陥没しており、かなりの熱量があると推察できる。


「くそっ!」

「悪あがきですわね」

「うるさい!」


 黒いフェイスベールのせいで表情は分からないが、司祭は焦っているようだ。と言っても何もしなければ、レイナスたちに殺されると分かっている。

 必死になるのも無理からぬことだろう。

 司祭は「タダでは終わらんぞ!」と言っていたが、そろそろ終わらせないと拙い。あまりに長引かせると、地下の異変に気付いた者たちが騒ぎ出す。


「もう少し叩けば障壁は割れますわ」

「くっ! その前に逃げ出してやる!」


 司祭はレイナスに背を向けて、今度は後方の扉に向かって魔法を使う。

 部屋に入ったときに氷漬けにしたが、先ほどの信仰系魔法であれば溶かしてしまうかもしれない。ならばと間髪入れずに、聖剣ロゼを振り上げて前に出る。


「そうはさせませんわ!」

「名も無き……」

「師匠の技を借りますわね。『月光げっこう』!」


 レイナスは障壁の前に飛び込んだ瞬間、〈剣聖〉から習ったスキルを使う。すると月光が射したかのように、聖剣ロゼが光に包まれる。

 このベルナティオのスキルは、ヒル・ジャイアントの足骨を砕いていた。剣速で斬るのではなく、剛力を以って叩きつけるのだ。

 そして障壁は、ガシャンという音と共に砕け散った。


「セレスさん!」

「んっ!」


 レイナスは聖剣ロゼを振り下ろした勢いのまま、前に倒れ込んだ。

 次に声を発すると同時に後ろを見ると、セレスの弓から矢が放たれている。しかも先ほどまで背中があった場所を通って、司祭に飛んでいく。

 それから「ヒュン!」という風切り音が聞こえると、間を置かずに「ボンッ!」という爆発音が部屋の中に響いた。


「えっと……」


 片膝を床についたレイナスは、顔を上げて前を見る。

 命中したようだが、はっきり言ってオーバーキルだろう。セレスの一射を受けた司祭は、首から上を木っ端みじんに吹き飛ばされて絶命していた。

 弓の腕にはれぼれするが、女王の件で相当に怒っていたか。


「何かの魔法ですか?」

「ふふっ。火の下級精霊サラマンダーに力を借りましたわ」


 乾いた笑みを浮かべたレイナスは、セレスを怒らせないようにと誓った。もしも狙いが外れていたらと、額から冷や汗が出そうになる。

 ともあれ立ち上がって、彼女に歩み寄った。


「獲物を譲ってくれたのかしら?」

「礼拝所では私が倒しましたわ」

「ふふっ。お気遣いありがとうございます」

「いっ……」

「どうかしましたか?」


 同じフォルトの身内として、レイナスはセレスが好きだった。だからこそ女王に呪いをかけた首謀者の一人を倒すのは、エルフ族が良いと考えたのだ。

 誰も見てないが、彼女は胸を張って報告できるだろう。

 またそれとは別に、腕に痛みが走った。

 やはり完璧に修得しておらず、『月光げっこう』を使った反動がきたようだ。


「まだまだ〈剣聖〉には及ばないということですわね」

「あ、治療しますわ!」

「平気ですわ。痛みを体で覚えるのも修行ですのよ?」

「そうでしたわね」

「作戦も完了しましたわ。後は調査団員に任せましょう」

「はい。では……。え?」


 襲撃作戦も終わって、二人が部屋を出ようとした瞬間。

 周囲に肌寒い感覚を覚えて、彼女たちは咄嗟とっさに振り返る。すると手前の司祭が立ち上がって、口から黒い息を吐き出していた。

 レイナスは「まだ生きていたの?」と呟いて、聖剣ロゼを構え直す。


「何かおかしいですわね」

「なっ! レイナスさん、床を見てください!」


 司祭はその場を動かないが、床に魔法陣が描かれた。

 フォルトが魔物を呼び出すときに使うような召喚陣に似ている。ならば何かが召喚されるのだろうかと、二人はゴクリと息をんだ。

 もちろん、司祭に近づくのは危険と判断している。


「セレスさん、どうしましょうか?」

「放置するとしても、何が起きるかを確認した後ですわね」


 目的は達成したので、この後に何が起ころうかはどうでも良い。だがフォルトの判断材料として、情報は持ち帰りたかった。

 二人は顔を見合わせてうなずくと、一歩ずつ後ろに下がった。

 それにしても状況は、あまりにも悪いようだ。

 魔法陣の上で司祭が倒れて、徐々に体が膨張している。しかも、破裂することなく黒い何かに変貌を遂げた。


「まともな肉体がこれだけとはな。ガフフフフ」


 黒い何かとは、身長が三メートルほどの人型生物だ。

 獅子ししの頭と、六本腕が特徴的である。また胸と腹以外は、体毛に覆われていた。背中には大きな翼を生やして、短い尻尾の先には亀の甲羅が付いている。

 時おりだが亀の頭が飛び出て、レイナスとセレスは嫌悪感に襲われた。

 およそ物質界の生物には見られない。


「まさか悪魔でしょうか?」

「拙いですわね。二人だけでは勝てませんわ」

「ならさっさと退散しましょう」


 おっさん親衛隊の全員がいればまだしも、今はレイナスとセレスだけだ。

 どう見積もっても、あの悪魔はレベル六十以上だろう。下手をすると、レベル八十を越えた上級悪魔かもしれない。

 逃げようにも、体が強張ってしまったのだから……。


「ガフ? そこな矮小な生き物よ」

「くっ!」

「お前たちが生贄を殺してくれたようだな。ガフフフ」


 どうやら、二人に気付かれてしまったようだ。

 扉の前にいたので当然だが、いきなり攻撃されないのは幸いか。傲慢なようで、二列目の腕を組んで彼女たちを見下ろしている。

 とりあえず、通路にさえ入れれば逃げ切れる公算が高い。であれば、もう少しだけ情報収集をしておいたほうが良いと判断した。


「あ、貴方は何者ですか?」

「ガフフフ。わしはマルバス種の悪魔。それ以上でも以下でも無い」

「マルバス……」

「女の身なれば、奇麗な状態で殺してやるものだぞ?」

「え?」

「儂以外の悪魔が受肉……。いや、もう一体いけたか? ガフフフフ」

「何のことですか?」

「気にするな。さて儂はサバトを行うので忙しい。ガフォ!」


 マルバスが片腕の一本を上げると、その手に黒い光が収束した。続けて手を開いた瞬間に、黒い魔力弾が発射される。

 それは天井を突き破って、地上までの道を作った。

 ちなみにサバトとは、悪魔が行う夜会や夜宴のことだ。


「何を!」

「ガフフ。忘れておった。お前らに受肉の礼をしておこうか」

「礼、ですか?」

「儂の裁量権で見逃してやる。うれしかろう?」

「お言葉に甘えますわよ?」

「この建物から無事に逃げられたらな。ガフォ!」


 その言葉を最後に、マルバスは跳び上がって地上に出た。相手は悪魔なので、レイナスとセレスを見逃すつもりは無いようだ。

 頭が吹き飛んだ司祭にも魔法陣が敷かれて、徐々に膨張しだした。


「レイナスさん、もう十分ですわ」

「逃げるが勝ちですわね」


 現状から察すると、頭が吹き飛んだ司祭も悪魔に変わるのだろう。ならば礼拝所にも、もう一体は出現するはずだ。

 レイナスはセレスに前を走らせて、通路の途中で振り向いた。



【アイス・ウォール/氷の壁】



 レイナスは氷属性魔法で、通路を塞ぐように氷の壁を作り出す。

 これをやっておかないと、通路の前後で挟み撃ちである。どの程度の悪魔が出現するか不明とはいえ、通路に留まりたくはない。

 そして前方に向き直ると、マルバスのような獅子頭の悪魔が顔を出した。体毛に覆われているのは同様だが、腕は二本しかないようだ。


「セレスさん!」

「跳び越えてください! 『爆炎弓ばくえんきゅう』」


 セレスは膝を曲げて腰を落とし、床を滑りながら矢を射た。

 矢の先端に炎が見えるので、先ほどの司祭を殺害した弓術だろう。ルリシオンの火属性魔法より威力は低いだろうが、当たれば一瞬の隙を作れるか。

 その意図を察したレイナスは、彼女の頭上を跳び越える。すると獅子頭に命中したようで、「ボンッ!」という音と共に火花が散った。


「決めるわ! 『氷結樹ひょうけつじゅ』!」


 現在のレイナスが持つ最強のスキルだ。

 床から氷樹が飛び出して、何本もの枝が獅子頭の体を貫く。

 最後には血の花を咲かせて、この悪魔は絶命するかと思われた。しかしながら、二本の腕を振り回している。


「ちっ!」


 確かに獅子頭の体を貫いていたが、氷樹の枝を割って自由を得た。

 あの程度では死なないということか。だが立ち止まるわけにもいかず、レイナスは聖剣ロゼを構えながら走り込んだ。


「聖属性を付与しますわ!」



【ホーリー・ウェポン/聖属性・武器付与】



 セレスの信仰系魔法で、聖剣ロゼが光り輝いた。

 相手が悪魔やアンデッドであれば、聖属性は弱点になる。

 実のところロゼは、聖剣というわりに魔法が付与されていない。普段はレイナスがスキルの『魔法剣まほうけん』で無属性を付与するが、聖属性のほうが特効になる。

 そして剣の間合いに入ったところで、上段から獅子頭に振り下ろした。


「甘イ!」


 獅子頭が人語をしゃべった。

 これには驚いたが、残念ながらレイナスは甘くない。


「ふふっ」


 レイナスは聖剣ロゼを手離して、体を沈ませながら回し蹴りを放った。

 これは、闘技場で戦ったイライザの技である。聖剣ロゼが可能性の一つとして、彼女に提示していたのだ。

 さすがは、成長型知能を持つ聖剣である。


「グアッ!」

「はっ!」


 獅子頭が転倒したところを狙って、レイナスは再び蹴りを入れて吹き飛ばす。

 アルディスのような空手家ではないので、あまり威力は無い。しかしながら距離を稼ぐことができ、床に落ちた聖剣ロゼを拾って立ち上がる。

 以降は獅子頭が立ち上がる前に、その首めがけて聖剣ロゼを振り下ろした。


「やあ!」

「ゴアッ!」


 この態勢なら切断できると思ったが、悪魔の肉体は強靭きょうじんだった。聖属性が付与されていても、首が半分ほど切れただけだ。

 しかもレイナスから離れるように、礼拝所に向かって転がっていく。


「ちっ。しぶといですわね」

「人間ノ強者カ……」


 ともあれ重症には違いないようで、ゆっくりと立ち上がった後は攻撃してこない。傷口を押さえながら、レイナスをにらんでいる。

 あまり血が流れ出ていないのは、魔界の住人である悪魔だからか。

 それにしても、普通の人間なら死んでいる状態だった。


「言葉が通じるなら見逃してほしいのですけど?」

「デキヌ相談ダ。マルバスノ眷属ダカラナ」

「だから獅子頭なのですわね」

「我ハ中級悪魔。サブナック種ノ一体ダ」


(ならマルバスは、カーミラちゃんと同じ上級悪魔かしら?)


 種というように、マルバスやサブナックは種族名である。

 これについては、リリスやサキュバスも同様だった。カーミラはリリス種だが、召喚主から名前をもらってシモベとなった上級悪魔だ。

 またバフォメットのような悪魔王に近い大悪魔は、種族ではなく個体である。一個体しか存在しないので、魔界を探しても他にいない。


「倒すしかありませんわね」

「オ喋リハココマデダ」

「悪いですが、一騎打ちではありませんのよ?」

「ガアアアアッ!」

「セレスさん、援護を!」

「はい!」


 サブナックが大口を開いて、鋭い牙を見せる。

 威嚇のつもりだろうが、マルバスと対峙したときのようにはならない。おそらくはレベルが拮抗しており、そこまでの強さを感じないからだ。

 ともあれすぐに倒さないと、後ろからもサブナックが来るだろう。さすがに二体は相手できないので、レイナスは早期決着を狙う。

 次は突きの構えで、聖剣ロゼの先端を回すのだった。



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Copyright©2021-特攻君

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