第400話 凶刃3

 スライムに捕食されたハルベルト。

 傍から見れば溶けているように見えるが、実際はバクテリアに吸収されている。装備品は、地面へ落ちていた。どうやら金属類は、お気に召さないようだ。

 その光景を一瞬だけ見たボイルは、ミゲルへ視線を戻す。


「残るはボイルさんとササラさんですね」

「………………」


 ターラ王国の冒険者チーム「聖獣の翼」。

 たった三人でAランクへ昇格しただけあって、その実力は折り紙付きだ。ただしそれは、長年に渡る冒険者稼業の結果であった。

 冒険者生活二十三年。真面目にコツコツと依頼をこなし、慎重に慎重を重ねて生き残ってきた。いわゆる努力家の集まりで、天賦の才などは持ち合わせていない。

 Aランクへ昇格したのは一年前である。


(こんな終わり方をするとはなあ。天才なら切り抜けられんのか?)


 ソル帝国には、Sランク冒険者チーム「竜王の牙」が存在する。

 リーダーのエリルは、二十五歳の若者だ。ボイル、ハルベルト、ハンクスとは違って、天賦の才を持っていた。その仲間も若く、いわゆる天才の集まりである。

 それらがSランクへ昇格したときは、嫉妬したものだ。同じ年齢の頃は、まだまだ青臭くDランクだった。


「ハルベルトさんと同じく、スライムの餌になってください」

「ササラを見逃すなら、それでもいいぜ」

「ボイルさん!」


 ミゲルに言ったとおり、残ったのはボイルとササラだけだ。悔しいが、すでに仲間の二人は、黄泉路へ旅立っている。

 そして、残った者の役割は決まっていた。この身を賭してでも、彼女だけは助けなければならない。

 まだ若く、未来がある女性なのだ。


(まあ見逃すわけねえよな。だが、目的はいったいなんだ? 俺らに対する恨みじゃねえなら、ミゲルの行動が分からねえ)


「よお。目的はなんだよ?」

「さっきも言いましたが、僕が言うと思います?」

「いいじゃねえか。今までの授業料くらい払えよ」

「はははっ! 授業料ですか」

「Aランクの俺らから新人教育を受けたんだ。対価は必要だろ?」

「死人に対価を払っても意味が無いですよね」

「まだ生きてっからよ。依頼料の徴収はするべきだろ?」

「そうですねえ」


 ミゲルは笑みを浮かべた。

 場を支配していると言っていたが、その傲慢さが現れている。続けて会話に乗ってくるのが証拠だろう。

 圧倒的優位に立っている人間を蹴落とす。そのためには、おごりを突くのが効果的である。今は、それに賭けるしかない。

 時間は味方だと考えていた。


「まずは、スライムの巣から出ようぜ」

「大丈夫ですよ。動きが遅いですからね」


 スライムの移動は、蝸牛かたつむりのように遅い。

 認識さえしていれば、容易に逃げられる。捕食中は動かないので、天井へ張り付いているスライムだけに、注意を向けておけば良い。


「なら移動していいか? スライムが真上にきそうだ」

「それが狙いですよ。動かないでくださいね」

「いたっ!」

「ちっ。いちいちササラを苛めんなよ」

「余計なことをしなければいいのです」


 なにかにつけて人質を活用されて、ボイルはイラっとした。しかしながら、それも狙いなのは分かっている。


(まあ当然か。どうする? 考えろ! ミゲルは俺らへの恨みはねえ。それが本当なら、恨みがあるのは依頼人か? いや、それとも……。試してみるしかねえな)


 ミゲルが会話に付き合う理由は、ボイルをスライムに処理させるため。

 この場に三人しかいない以上、当然そうなるだろう。ササラを人質に取った状態では、近づいてくるはずがない。このままでは、非常に拙い。

 そこで一つ、カマをかけてみる。


「授業料を踏み倒す気か? オメエの主人もケチだねえ」

「っ!」


 ボイルの発した言葉に対して、ミゲルの表情が変わった。

 どうやら、当たりを引いたようだ。個人的な恨みを持っていないことは、信じても良いだろう。

 場を支配して優位に立っている者が、わざわざうそをつく理由がない。ならば、恨みがあるのは依頼人。もしくは仕えている主人だ。

 不利な状況を打破するには、少しでも相手の平常心を失わせるしかない。依頼人であれば意味はないだろうが、主人をけなせば……。


「どうした?」

「い、いいでしょう。ただし、こちらへは近づかないでください」

「はいはい。なら、授業料をもらうぜ」


(ミゲルも甘えな。まだまだ青二才だぜ。これで時間を稼げる。なんとかしてササラを逃がせば、帝国の冒険者が保護してくれるはずだ)


 ミゲルは、「竜王の牙」の面々と同様に天才なのだろう。

 それでも、ボイルの口車に乗ってしまう若輩者だ。童顔で若く見えるが、実年齢も二十歳と若い。まだまだ熟練の域には遠かった。

 とりあえずはお言葉に甘えて、天井のスライムから逃げるように移動する。


「んで、ミゲルはどこの誰だよ?」

「うーん。言っちゃってもいいのかなあ?」

「もったいぶるなよ。場を支配してんだろ?」

「そうじゃなくてですね。ボイルさんが絶望するかなと思いまして」

「今更かよ。もう十分に絶望してんぜ」


 そもそも、良い話とは思っていない。

 何を言われてもやることは一つだった。会話を続けてる間に隙を作り、ミゲルからササラを救い出す。とにかく、一瞬だけでも気をそらせれば良い。

 ハルベルトと同様に、ボイルも強力なスキルを持っているのだから……。


「ボイルさんは、〈凶刃〉って人を知っていますか?」

「そいつは確か、帝国四鬼将の……。まさか!」

「そのまさかですね。僕が〈凶刃〉スカーフェイスです」

「なにっ!」


 ミゲルが偽名なのは当然だろう。

 それについては驚いていないが、バラした正体が拙い。相手は、ソル帝国が誇る四鬼将の一角である。英雄級に足を踏み入れている強者で、ボイルでは勝てない。

 それとともに、帝国の冒険者も期待できなくなった。いや、そもそも冒険者かどうかすら怪しい。ササラを保護するなど、絶対にあり得ない。

 絶望と言われた意味を理解してしまった。


「ボイルさんの考えてることはお見通しです」

「そうかよ!」

「ササラさんに逃げられても、僕の部下が捕まえますよ」

「ちっ」

「はははっ! もう亀裂の入口で待機している頃です」


 ボイルは万策が尽きてしまった。

 ミゲル、もといスカーフェイスは用意周到な男だ。交代で間引きを担当していた帝国の冒険者が部下だった。引継ぎのときに指示していたのだろう。

 話に乗ってきた理由も分かってしまった。若輩者などとんでもない間違いだ。いくら足掻あがいても、無駄だと悟らされた。微塵みじんも隙が無いとは、このことである。

 それでも、まだ諦めるわけにはいかない。


「目的はなんだ?」

「とある人物の命です。もちろん、ボイルさんたちではありません」

「じゃあなんで……」

「その人物の隙を作るためです」

「隙だと? 誰のだよ」

「レジスタンスのリーダー、ギーファスさんです」

「なっ!」


 スカーフェイスは皇帝ソルから、レジスタンスの本拠地を見つけるように命令されていた。その目的を遂行するため、ギーファスと仲の良いボイルへ近づいたのだ。

 冒険者を辞めてレジスタンスへ参加すれば、側近や幹部で迎えられるだろう。ならば、本拠地へ行く可能性が高い。

 もし参加しなくても、連絡は取り合っていた。しかしながら、スタンピードが発生してしまった。これにより、冒険者の仕事を優先する羽目になった。

 その後は時間が過ぎ去っている間に、帝国軍師テンガイが、レジスタンスを壊滅させる策謀を立案してしまった。

 その策謀では、本拠地の発見は意味をなさなくなった。これでは、帝国四鬼将の面目が丸潰れである。さすがに焦りを感じてしまった。

 最低でも旗頭の首を持って帰らないと、無能の烙印らくいんを押されてしまう。


「そういったわけです。だから感謝していると言いました」


 スカーフェイスの話を聞いたボイルは思う。

 文字が書けて計算がやれるからと、雑用として使ったのが間違いだった。停戦交渉の前段階で、ギーファスのところへ連れていってしまったのだ。

 それからも打ち合わせや会議のたびに、何度も会わせてしまった。


「おかげで、様々な情報が手に入りました」

「………………」

「いやはや、警備は厳重ですね」

「だが、ギーファスを殺すと停戦破りだぜ?」

「そうですねえ。色々と遅かったです」


 現在のソル帝国とレジスタンスは、停戦交渉により一時的だが矛を収めている。スカーフェイスがギーファスを殺すと、仲裁役のアルバハードが黙っていない。

 そして、各国にとっても、帝国をおとしめる絶好の機会となる。エウィ王国などは、これみよがしに不都合を責め立てるだろう。

 同調する国も多いはずだ。


「さて、ここでボイルさんたちに最後の役目ができました」

「はあ?」

「ギーファスさんの警備を薄くする役目ですね」

「………………」

「亀裂の先に、「聖獣の翼」が閉じ込められたと伝われば?」

「なっ!」

「気付きましたか?」


 仲の良いボイルが助けを待っていれば、ギーファスはすぐに救出隊を派遣するだろう。そうなれば、取り巻きの幹部たちに命令が下される。

 それらが助けに向かわないまでも、救出隊の編成作業に駆り出されるはずだ。


「そのときが、ギーファスさんを暗殺する好機です」

「そうそう思いどおりにはいかねえよ」

「現状は計画どおりです。部下も動いていますので……」

「準備万端ってか? 用意周到な奴だぜ」

「当然です。帝国の諜報ちょうほう機関を預かる身ですよ」

「………………」


 帝国四鬼将は、それぞれで専門の機関をまとめている。

 〈鬼神〉ルインザードであれば、帝国軍の最高責任者だ。同じように〈凶刃〉スカーフェイスは、諜報機関の最高責任者である。


「こんな面倒なことをやる必要があったか?」

「あります。僕だけ閉じ込められないのは不自然なのですよ」

「ちっ」

「皆さんと死んだことにすれば、後々も面倒が無いです」


 ギーファスを始末した後、スカーフェイスは行方をくらませて、帝都へ帰還する予定になっている。

 その場合「聖獣の翼」が生きていると、ミゲルが実行犯として、候補に上がるかもしれない。可能性は低いが、足取りを追われたりすると面倒である。

 帝都へ向かったなどと報告が上がるのは、避ける必要があった。しかしながら、この場へ装備品でも残しておけば、スライムに食べられたと思われる。そうなれば、誰からも疑われない。

 適当な変装でも、悠々と帰還できるのだ。


「ミゲルが〈凶刃〉だと知られたら拙いのですよ」

「もう知っちまったがな」

「どっちにしても全滅してもらいます」

「勝手な野郎だぜ」

「陛下に汚名を着せるわけにはいきません」


(クソがっ!)


 ボイルは、心の中で悪態をついた。

 「聖獣の翼」は、駒として使われたのだ。それが分かるだけに、悔しさが沸き上がってしまう。

 感情を押しとどめなければ、このまま飛び掛かってしまいそうだった。


「では、授業料を支払いました。陛下への暴言は取り下げてください」

「いいぜえ、暴言は取り下げてやる。でもなあミゲル」

「まだミゲルと呼ぶのですか?」

「テメエは、クソ中のクソだぜ」

「そうですね。それでも僕は、皆さんが好きでした」

「はあ?」

「停戦前にレジスタンスへ参加していれば殺しませんでしたよ」

「魔物の討伐が先だって言ったはずだぜ」

「はい。スタンピードがあだになりましたね」

「ミゲル!」


 怒声を上げたボイルは、剣をスカーフェイスへ向ける。

 ミゲルと呼んだのは、これが最後だからだ。もし駄目だった場合は、ササラにも諦めてもらうしかない。

 時間の余裕も無いのだ。


「最後に何か言いたいことが?」

「俺と一騎打ちをしろ!」

「はい?」

「ボイルさん!」


 もう、これしか手がないのだ。

 ボイルが考えついた最後の大博打である。相手が受けなければ終わりだ。とはいえ、受けた場合は、ササラを助けられるかもしれない。


「授業料が足りねえ。俺らはAランク冒険者チーム、「聖獣の翼」だぞ!」

「だから?」

「残金は、俺との一騎打ちとササラの命だ!」

「はあ?」

「勝とうが負けようが、ササラだけは助けろ!」

「ボイルさん、もうやめて……」

「えっと……。気でも動転しましたか?」


 調子がいいことは分かっている。

 それでも、これに賭けるしかなかった。ミゲルだったときは、ボイルたちが好きと言っていた。ならば、可能性はある。

 そして、トドメの言葉を突き付けた。


「うるせえ! テメエは帝国四鬼将だろうが!」

「そのとおりです」

「女一人、見逃すぐれえできるだろ? なあ〈凶刃〉さんよ」

「何と言いますか……。受けると思います?」

「受けるね。皇帝の顔に泥を塗ることになるぜ」

「またですか」


 スカーフェイスの言動から、皇帝ソルへの忠誠心は厚い。ならば、そこを突く。一騎打ちを受けるように仕向ける。

 挑まれた勝負から、帝国四鬼将が逃げ出す。それは、主人の皇帝が逃げたことと同意である。それにササラを生かすことぐらい、帝国四鬼将なら簡単だろう。

 そして……。


「分かりました。分かりましたよ」

「ほう。プライドはあるようだな」


 ボイルは賭けに勝ったが、この勝負は負けるだろう。

 それでも、ササラを助ける一点においては、目的を果たした。先に冥界へ旅立ったハルベルトとハンクスも許してくれるだろう。


「まあ受けなくても、死人に口無しですけどね」

「けっ! そんなにも皇帝が好きかねえ」

「安い挑発はもういいです。一騎打ちとササラさんの命ですね?」

「ああ」

「もうありませんね?」

「ねえな。これ以上欲張ると、約束を反故にするだろ?」

「すでに欲張り過ぎですよ。でもまあ、ササラさんの動きは封じますね」


 スカーフェイスは短剣を腰に付けたさやへ戻し、懐から指輪を取り出した。

 おそらくは、魔道具だと思われる。効果は分からないが、とりあえず命の危険は無くなるだろう。

 今は黙って受け入れてほしい。


「嫌よ! 放して!」

「ボイルさんの苦労を水の泡にしますか?」

「………………。分かったわ」


 普段ならササラに「空気を読め!」と口走りそうだ。しかしながら、そんなことを思うと、勝負に差し支えてしまう。これから、命を懸けた一騎打ちなのだ。

 もちろん、スカーフェイスを道連れにするつもりだった。


「では、亀裂の中で大人しくしていてください」

「………………。はい」


 指輪をはめられたササラは、スカーフェイスの言ったとおりに行動した。

 よく見ると、彼女の目が虚ろになっている。


「精神支配の指輪か何かか?」

「一騎打ちの邪魔をされても困ります」

「へっ! 約束は守れよ?」

「大丈夫ですよ。僕が死んだら、作戦は中止と伝えてあります」

「なら、オメエを殺しても問題ねえな」

「そううまくいきますかね」


 これでやれることは、すべてやった。

 ボイルは剣を正眼に構える。これから始まるのは一騎打ちだ。相手は帝国四鬼将が一人、〈凶刃〉のスカーフェイス。

 見習いレンジャーのミゲルではない。


「いくぜえ、『剛腕ごうわん』!」

「存分に足掻いてください」


 スカーフェイスは短剣を抜いた。

 それを見たボイルは、天井へ目を向け、スライムの位置を確認した。戦闘中に襲われたくはない。それは、相手も同じようだった。

 お互いに距離を取りながら、ジリジリと移動を開始する。


「スライムには気をつけてくださいね」

「うるせえ! 言われなくても分かってんよ!」


(タダで死ぬつもりはねえが、こいつの能力が分からねえ。ミゲルとしての情報は意味がねえ。となると、出し惜しみは無しだな)


 ボイルには、攻撃用のスキルが二つある。

 一つは『三連撃さんれんげき』。屍骨しこつ戦士との戦いで使ったスキルだ。三回の斬撃を高速で打ち込め、普通の人間では筋やけんが切れる動きを可能にする。こちらは残念ながら、すでにスカーフェイスが見ている。

 もう一つは『無限連斬むげんれんざん』。普段は見せないスキルだ。集中力が切れるまで、間を置かずに、連撃系のスキルを使用可能にする。

 つまり、自分がぶっ倒れるまで、『三連撃さんれんげき』を使い続けられる。このスキルは強そうに聞こえるが、残念ながら集中力が続かない。

 連続使用の最高値は、五回が限界だった。


(十五連撃になるが、しのぎ切られれば俺は倒れる。だが、やるしかねえな)


「おらあ! 『三連撃さんれんげき』!」


 ボイルは意を決した。

 スカーフェイスとの距離を詰めて、いきなり『三連撃さんれんげき』を使用した。しかしながら、相手はこのスキルを理解している。

 屍骨戦士のような滑らかな動きを見せ、短剣で受け流されてしまった。


「それは見たことがありますね」

「まだまだあ! 『無限連斬むげんれんざん』!」


 三回の斬撃が終わったところで奥の手を使う。

 スカーフェイスは凌ぎきったと思っているため、動きに一瞬の間が空いていた。上下左右と、あらゆる角度から斬撃を打ち込む。

 弾かれたりかわされたりしているが、それでもボイルは続けた。まるでギッシュのような猛攻である。

 そして、絶え間なく続く攻撃が九回を数えたところで、意識が朦朧もうろうとしてきた。このままでは、気絶してしまう。


「くっ! がっ!」


 ここでボイルの攻撃が、ついにスカーフェイスを捉えた。

 腕や足から、血が吹き出している。それでも致命傷には遠いので、さらに斬撃を続ける。周囲には、血煙が舞っていた。

 そして、最後の力を振り絞って、首を狙った。


「死ねええええ!」


 ボイルの最後の攻撃が、スカーフェイスの首をねたかに見えた。しかしながら、剣がすり抜けて目の前の相手が揺らいでいた。


「え? ぐっ!」


 背中に激痛が走る。

 ボイルにはもう、集中力が残っていない。この攻撃を受け、剣を放して前のめりに倒れてしまった。起き上がろうにも、体が動いてくれない。

 そして、スカーフェイスの冷めた声が聞こえてきた。


「さすがはボイルさんですね。斬ったのは幻影ですが……」

「な、なに?」

「タネが知られれば、なんてことはない手品ですよ」

「テ、テメエ」

「僕は幻術が得意なんですよね」

「くそっ……」

「ついでに、短剣へ毒を仕込んでおきました」

「な、んだ、と……」

「麻薬の原液ですけどね」


 スカーフェイスが使った麻薬。

 効果としては、陶酔感や幸福感を覚える。その快感を忘れられずに依存させる。使い続ければ禁断症状に襲われ、昏睡こんすい状態から死に至る。

 陶酔感としては、鎮痛作用がある。痛みを失くすことで、自分が強くなったと錯覚する効果だ。幸福感としては、幻覚や夢を見せて、心地良い気持ちにさせる。

 これを原液で使った場合は、数分で昏睡状態へ入る。全身麻酔を受けたように、まるで痛みも感じなくなる。


「皆さんが好きでしたからね。せめてもの……。いえ、やめましょう」

「やく、そ……」

「守りますよ。安心して逝ってください」

「………………」


 ボイルの背中に刺さった短剣が抜かれた。

 それに合わせて視界がかすむ。もう体は動かないようだ。それでも、まだ思考はできるようだった。


(ハルベルト、ハンクス。今からそっちへ行くぜえ。また一緒に組もうか。後悔はないとは言えねえが、もうどうしようもねえや。悪いな、シルキーさ、ん……)


 幻覚の効果かは不明だが、ボイルは意識を失う前に、三人の人物を見た。

 これで、ターラ王国Aランク冒険者チーム「聖獣の翼」は全滅した。仲間になることを拒否されたミゲルことスカーフェイス、それとササラを残して……。



◇◇◇◇◇



 スカーフェイスはササラを連れて、亀裂の入口へ戻った。

 そこには、ソル帝国の冒険者の格好をした部下が待っていた。彼らは、帝国の諜報機関へ所属する人間である。


「〈凶刃〉様、お待ちしておりました」


 そう言ったのは、いつも引継ぎをしていた大柄な戦士だ。

 他にも、魔法使いや神官の格好をした者たちがひざまずいている。


「僕の服を出してください。ササラさんには予備をね」

「畏まりました。こちらになります」


 神官の格好をした部下が、荷物から言われたものを取り出した。

 顔を隠すマスク、黒い全身服、迷彩マントの三点セット。隠密行動で必要な小道具が一式。これらはすべて、帝国諜報機関で採用されている標準装備だ。

 三点セットは、ルーチェが受肉する前の女諜報員が着ていたものと同型である。


「ササラさんも着替えてくださいね」

「………………。はい」


 スカーフェイスは、ササラの体を眺める。

 聞いていたとおり、Fカップは間違いない。それでいて体形は崩れていないので、なかなか見応えがあった。きっと、全身服で強調されるだろう。

 そんなことを思いながら、自分も着替えてしまう。


「ボイルさんとの約束どおり、生かして帝都へ連れていきます」

「よろしいのですか? 邪魔なだけでは……」

「平気ですよ。そもそも助けるつもりでしたからね」

「え?」

「僕の奴隷にします」


 ササラに対しては、もともと良からぬことを考えていた。

 スカーフェイスの趣味であるが、戦利品として手中に収めるつもりだった。


「以降の行動は分かっていますか?」

「まずは怪しまれないように、〈凶刃〉様と洞窟の外へ出ます」

「それから別れて、ギーファスへ「聖獣の翼」の件を伝えます」

「編成された救出隊を、ここまで連れてきます」

「はい。良くできました」


 すでに暗殺の計画に沿って進んでいる。

 部下たちの仕事は、ギーファスから側近や警備を引き離すこと。大袈裟おおげさに騒ぎ立ててもらう。

 余計なことを考える前に行動させるのだ。


「僕はギーファスさんを暗殺して、適当な幹部を連れ去ります」

「手は足りますか?」

「問題ありません。ザイザルさんに手伝ってもらいます」


 スカーフェイスが逃げ込む先は、ザイザル率いる帝国軍の補給部隊だ。

 荷物へ身を隠して、帝都まで運んでもらう手筈てはずになっている。拉致した幹部は、途中で魔物の餌にしてしまえば良いだろう。

 その場からいなくなるだけで、罪を着せられるのだから……。


「君たちはハンクスさんの死体を、スライムの巣へ放り込みなさい」

「畏まりました」

「僕とササラさんの装備もね。亀裂は岩で塞ぐように」


 「聖獣の翼」は、スライムの巣で全滅なのだ。

 適当に散乱させおけば、ミゲルやササラも死んだことになる。すでに、ハルベルトの肉体は残っていない。ボイルも食べられている頃だ。

 そして、スカーフェイスは、懐から寄生蜂の死骸を取り出した。


「これも幻影ですが……。触っていたら変わったかもしれませんね」


 寄生蜂の死骸は、まるで蜃気楼しんきろうのように消えた。

 「聖獣の翼」が生き残る道は無数にあった。その中には、スカーフェイスが関与できない道もあった。それでも、最悪の道を進んでしまった。

 もしも、ミゲルの面倒を断っていたら。もしも、レジスタンスへ入っていたら。もしも、雑用をササラに任せていたら。もしも、スタンピードが起きていなければ。もしも、もっと早く引退していれば。

 もしも………。


(ですが、ササラさんは生き残りましたか。今後を考えると、それがマシとも思えませんがね。ボイルさんに敬意を表して、最悪は脱したと評しておきましょうか)


「恨まないでとは言いませんが、今まで楽しかったですよ」


 スカーフェイスは、亀裂の入口へ目を向ける。

 「聖獣の翼」の面々が好きというのは本当だった。ミゲルという役は、仕事を忘れるほど楽しかった。

 あれだけ、遠慮会釈なく人と付き合ったのは久しぶりだ。しかしながら、それも良い思い出に変わってしまった。

 そんな感慨深いことを考えながら、暗殺作戦を開始するのだった。



――――――――――

Copyright(C)2021-特攻君

感想、フォロー、☆☆☆、応援を付けてくださっている方々、

本当にありがとうございます。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る