第399話 凶刃2

 元勇者チームの三人は、自分たちが発見した洞窟の大穴へ向かっていた。

 そこへ向かう入口からは、数チームの冒険者チームが入っている。向かった先は、分岐点が多い。

 「聖獣の翼」のボイルたちやBランク以上の冒険者チームも、そこまでは一緒に来ている。


「ボイルさん、お気をつけて……」


 シルキーとボイルは知り合いの域を出て、気の置ける仲間や友達のような付き合いへ変わっていた。休憩時や打ち合わせなどで、顔を合わせることも多い。

 お互いの年齢も近く、冒険話で華を咲かせたり、相談相手になっていた。


「何をしている? 行くぞ」

「はいはい、プロシネン。すぐ行くわよ」

「シルキーさんも気をつけてくれ」

「ふふっ、ありがとうね」

「おいっ!」


 シルキーは「そんなに急がなくても」と思いつつ、ボイルへ軽く手を振った。その後は仲間を追いかけて、奥へ向かう。

 そして、姿が見えなくなるところで、もう一度だけ振り返った。すると、少年のようなレンジャー見習いと魔法使いの女性へ、真剣な眼差しで指示を出していた。


「心配か?」

「いいえ。洞窟へ来てる冒険者では一番だし、心配はしていないわ」

「アイヤー! プロシネンには、女心が分からないぜ」

「女心だと? れたなら、そう言えばいいものを……」

「違うわよ。でも、一緒に村へ来てくれれば助かるわ」

「村? ああ、シルキーが定住した村か」


 シルキーの定住した村は、社会に馴染なじめなかった人間を隔離する村だ。

 皇帝ソルの治世は苛烈だった。ドロップアウトした人間を切り捨てている。やる気のない者や生きる気力を失った者。経済的に立ちいかなくなった者など。

 こういった人間は、為政者を批判するものだ。他人を巻き込む犯罪も横行して、治安の悪化にもつながる。

 そのため、社会秩序を乱す人間として、専用の開拓村へ放り込まれていた。当然のように、帝国臣民権は剥奪はくだつであった。

 さすがに処刑は行き過ぎなので、仕事を与えるといった名目の強制労働である。しかしながら、民主主義国家ではあり得ない内容だ。


「私は民主主義が好きだったわ。プロシネンは?」

「俺は縛られるのが嫌いだ」

「アイヤー、俺には聞くなよ?」

「ふふっ。分かってるわよ」


 シルキーの出身はカナダで、プロシネンはイギリス。両者は民主主義陣営だ。

 そして、ギルの出身は中国。こちらは、共産主義である。国同士は、人権問題で対立していた。

 それでも所詮は一個人なので、仲間内で白熱することはない。とはいえカナダは、人権尊重がアイデンティティの国である。やれることは限られているとはいえ、迫害されている人間を、放っておけなかった。


「だからボイルさんが来てくれれば、村人も少しは……」

「買っているのだな」

「まあね。面倒見もいいわ」

「ほう」

「貴方たちじゃねぇ」

「ふんっ! 余計なことに首を突っ込むつもりはない」

「悪いが俺もだなあ。気ままに生きたいぜ」


 せっかく異世界人の縛りが無くなり、エウィ王国からの自由を得たのだ。

 残りの人生は、思うがままに生きていきたい。それについては理解しており、プロシネンとギルを巻き込むつもりはなかった。

 シルキーも同じなのだから……。


「大丈夫よ。私がやりたいだけだからね」

「何かあれば連絡を寄越せ。住みつきはしないが手伝ってやる」

「頼るのはいいぜ。仲間としてな」

「そのときはお願いね。じゃあ……」

「魔物もいねえし、蜂の死骸もねえな」


 ギルは話しながらでも、周囲を観察していた。

 通路は、シルキーの光属性魔法で明るくしている。それで魔物が反応しても、不意を突かれることはない。

 ボイルが面倒を見ている見習いレンジャーとは技量が違う。


「大穴からは湧き出てこないな」


 暫く歩いた元勇者チーム一行は、大穴の存在する場所へ到着した。

 直径で二十メートルはある巨大な穴だ。はっきり言って、深さは分からない。石を落として反響を探ろうとしても、ギルの耳でさえ聞こえなかった。


「陥没穴かしら?」

「多分な。地底湖があるって言ってただろ」


 陥没穴とは、地下水の流れで、自然に溶けていくことで発生する穴のことだ。フレネードの洞窟は自然に造られているので、誰も手を加えていない。

 加えているとすれば、地面や壁を掘って進む魔物ぐらいだろう。


「下はどうなってると思う?」

「行けば分かる。と言いたいが……」

「アイヤー、俺は行きたくねえぜ」


 三人は顔を見合わせる。

 想像どおりなら、大穴の底には、無数の魔物がうごめいていると思われる。しかも、ほとんどが昆虫型の魔物だ。寄生蜂も、大量に発生していることだろう。

 鳥肌が立ち、虫唾が走ること請け合いだ。


「私もだわ。でも行かないわけにもねえ」

「ギル、殺虫剤はないのか?」

「あるわけねえ! それに何個必要だよ!」

「そっ、そうか。足の踏み場も無かったら嫌だな」

「ふふっ。まずは確認したいところだけど……」


 大穴の底までの距離が不明で、シルキーは召喚魔法が苦手だった。呼び出せても、ハーモニーバードぐらいである。

 そうなると、飛行か浮遊の魔法で降りることになる。しかしながら、距離が不明なので、魔力が無くなれば落下してしまう。

 よしんば降りられたとしても、穴の底から戻れないのは最悪の結果だ。ここは、一考の余地があった。

 このように三人が額を付け合わせていると、プロシネンが口を開く。


「面倒だな。シルキーの爆裂魔法で吹き飛ばすのは駄目か?」

「駄目に決まってるでしょ。洞窟が崩れてしまうわ」

「ふんっ! 冗談に決まっているだろう」

「アイヤー、笑えない冗談は相変わらずだぜ。でもな」

「ふふっ。それも一案なのよねえ」


 これは先の打ち合わせのときに、ソフィアがギルへ目を向けてきたときの話だ。肩をすくめてからシルキーへ耳打ちされた内容で、おそらくは正解だと思われた。


「プロシネンは覚えてっかなあ」

「何のことだ?」

「アルフレッドがソフィアちゃんを従者に決めたときのことよ」

「ビッグホーンを倒したときか?」

「違うわよ。開拓村での疫病ね」


 それは、十年前の勇魔戦争よりも過去の話である。

 今でこそ元勇者チームと言われているが、当時はシュンたちと同じ勇者候補チームだった。例に漏れずエウィ王国から、チームの結成を言い渡されたのだ。

 そのときからアルフレッド、プロシネン、シルキー、ギルの四人は、共に行動するようになった。

 結成した後は強くなるために、各地で魔物や魔獣を倒した。他にも遺跡の探索などで、レベルを上げていた。

 当時のソフィアは、十歳にも満たない。


「アーマーラットが大量発生したときだな」

「そうね。開拓村の一つが全滅したわ」


 アーマーラットと呼ばれる鎧鼠よろいねずみの推奨討伐レベルは低い。

 硬くてすばやい魔獣だが、一般兵でも倒せるレベルだ。しかしながら、病気を宿している。戦う場合は、信仰系魔法を使える者が必須であった。

 その魔獣が開拓村で大量発生して、村人が全滅した。


「あのときは情報収集してから、グリム様へ報告だったわね」

「思い出してきたぞ」

「ソフィアちゃんの言葉に、アルフレッドは目を丸くしてたわ」


 結局は駆除を命令されたが、どうやって行うかが問題になった。

 鎧鼠は地下を好むが、地上へあふれるほど発生していたのだ。これは、規模の小さいスタンピードと同じだった。

 一匹ずつ駆除しても意味はない。まとめて倒そうにも、村人が全滅しただけで、家や畑は残っている。駆除した後は、浄化して使えるのだ。

 それを考えていたときに、ソフィアが提案した。


「全部燃やしちゃえば?」


 家も畑もすべて、燃やせと言ってきたのだ。

 これにはアルフレッドだけではなく、グリムやソネンも驚いていた。開拓村は思っているほど簡単に造れない。人間の住める領域は限られているのだ。

 危険を承知で、魔物が棲息せいそくしていない領域を探す。最低でも、人間が行き交えるルートを設定する。それから、時間を掛けて道を造る。近くに魔物がいる場合は、倒せる者を派遣して退治する。

 そして、建築と開墾だ。資材は現地調達が基本だが、足りなければ輸送する。同時に、住人も移住させる。

 そこまでして設営した開拓村は、王国の重要な資産であった。


「どう考えても全部倒すのは無理だから……。だったか?」

「子供の発想とはいえ、やり方は理にかなってたわ」


 鎧鼠は森であれば、木の根元を掘って巣を作る。町や村なら地下室が候補だが、それを作っている家は少ないだろう。

 そうなると、家の下へ穴を掘られて、村の真下が巣になる。しかも、人間が通れる穴ではない。ならば、村ごと燃やし尽くして、巣の中も焼き上げる。

 もちろん、煙で酸欠を狙うのではない。穴の隅々まで、魔法を使って、炎を送り込むと言い出した。


「アルフレッドは、ソフィアちゃんの大胆な発想に惚れたのよねえ」

「なるほど。今はそれに酷似してると?」

「似てるぜ。規模は大きいがな」

「今までやれなかったのは、元凶が分からなかったからよ」


 元凶が分からない状態でやると拙い。

 火属性魔法は、洞窟内の空気を薄くして、内部での間引きが不可能になる。炎から逃げる魔物は、穴を掘って外へ出てくるので、スタンピードを拡大させてしまう。

 それでも元凶さえ分かれば、いくらでもやりようはあるものだ。


「さすがはソフィアだな。蜂なら鼠より良く燃えるだろう」

「まあ、それでも問題は多いのだけれど……」

「問題だと?」

「アイヤー、寄生蜂の確認と魔法が届くかどうかだぜ」


 最大の問題は、大穴の底を確認できないことである。

 魔法の射程距離も問題だ。現状だと、絵に描いた餅であった。


「あの人は手伝ってくれないかしらね」

「誰だ?」

「フォルト・ローゼンクロイツ」

「アイヤー、奴の評判や言動を考えると受けねえぜ」

「ふんっ! ソフィアを通せ。貸しがあるだろう?」

「ふふっ。じゃあ返してもらいましょうか」


 シルキーだけでは無理だが、フォルトが手伝ってくれるなら話は変わる。

 情報は少ないが、同じように高位の魔法使いだ。スケルトンを移動手段にしていることから、もしかしたら死霊術師かもしれない。

 そうなると、召喚魔法に関しては上だろうと思われる。


「なんにせよ、もう少し探索してからだな」

「そうね。まずは大穴の途中まで降りてみましょうか」


 大穴の底までは無理そうだが、途中までなら確認できる。壁に魔物が張り付いている可能性もある。寄生蜂も飛んでいるかもしれない。

 そう考えた元勇者チームの三人は、それぞれで準備を始めるのであった。



◇◇◇◇◇



 亀裂の入口から、ミゲルの冷めた声が聞こえた。ボイルは振り向いたが、ハルベルトの背中越しだと見えづらい。

 そこで、何があったかを問いかけた。


「ハルベルト、何があった?」

「サ、ササラが人質に取られてやがる」

「はぁ?」


 ハルベルトからは、良く見えている。

 ササラが膝立ちで正面を向かされて、後ろ手を取られていた。首筋には、短剣が当てられている。

 その持ち主は、なんとミゲルだった。童顔を赤黒く染めて、いつもとは違った笑みを浮かべている。

 少年のような面影はなく、何か威圧されている感じがした。


「ミゲル! 遊んでんじゃねえ!」

「ハルベルトさん、状況が飲み込めないのは分かりますが……」

「いたっ!」


 ササラの声と同時に、ハルベルトが口を閉じた。

 その一連の行動で、ボイルは確信した。何の冗談か分からないが、ミゲルが敵対行動を取っている。

 で、あれば……。


「ハンクス! ミゲルを止めろ!」

「………………」


 なんとなく嫌な予感が走ったが、ボイルは亀裂の入口へ残したハンクスを呼んだ。しかしながら、何の反応もない。数秒の時間が経過しても返事はない。

 そして、ミゲルが口を開いた。


「ボイルさんなら分かってるんじゃないですか?」

「うるせえ! ハンクス! ハンクス!」

「はぁ……。とりあえず、奥へ行ってください」

「ハンクス!」

「僕が殺しました。返事なんてありませんよ」


 ミゲルの言ったとおり、ボイルは分かっている。

 ハンクスが生きていれば、このような状況になっていない。それでも、さっきまで元気に話していたのだ。

 何年も組んでいた仲間の死を受け入れられない。


「ササラ!」

「うぅ、ごめんなさい」


 ササラは涙声で謝っているが、ボイルは責めていない。

 間違いであってほしくて聞いただけに過ぎない。しかしながら、その回答で確定したようなものだ。悪戯や冗談の類ではない。

 ハンクスは、ミゲルによって殺されたのだ。


「ミゲル! テメエを殺してやる」

「分かりましたから、奥へ行ってください。ササラさんも殺しますよ?」

「くそっ!」

「ボイル、下がれ」


 ハルベルトの表情は分からないが、ボイルと同じだろう。怒りを抑え込んだような声で、ジリジリと後ろへ下がってくる。

 この状況では、ミゲルへ対して何もできないのだ。


(ちっ。魔物がいねえことを祈るぜえ)


 まだ、亀裂の先を確認できていない。

 それでもミゲルに言われたとおり、亀裂から奥へ出た。ボイルは一瞬だけ彼から視線を逸らして、周囲を確認する。


「もっと下がってくださいね。僕が出られませんから」

「うるせえ!」


 チラっと見ただけだが、魔物はいないようだ。

 それならばと下がりながら、ハルベルトへ視線を向ける。さすがに幼馴染だけあって、ボイルと考えていることは同じだった。二人は互いに左右へ別れながら、武器を構えて下がっていく。

 隙を作って、ササラを救出するためである。


「人質を取られたら、さすがのボイルさんも手が出ませんね」

「ササラ、いま助けてやるからな」

「ボ、ボイルさん……」

「できればいいですね。応援しています」

「テメエ、おちょくってんのかっ!」


 いちいちかんに障るが、ボイルとハルベルトを怒らせようとしているのは明白。

 ならば冷静になる必要がある。ハンクスの死を悼むのは、現状を打破した後だ。まずは時間を稼ぎながら、ササラを救出するのが先決だった。

 それにしても、ミゲルの変わりようはどうだ。返り血を浴びたのだろうが、赤黒く染まった顔は、別人のように見える。


「テメエ、本当にミゲルか?」

「どうでしょうか。ねえ、ササラさん」

「放しなさいよっ!」

「つれないなあ。殺したくなるじゃないですか」

「っ!」


 ササラは嫌悪感の赴くまま、体を動かして、ミゲルから離れようとしている。しかしながら、それは無理だと肯定するように、後ろ手を捻られたようだ。

 関節を決められている状態なので、とても痛そうな表情へ変わった。


「やめろ!」

「はいはい。でも、この場を支配してるのは僕なんです」

「ちっ」

「そうそう。そうやって大人しくしていてください」

「んで、目的はなんだ? 俺らに恨みでもあったか?」


 ミゲルの目的は謎だが、戦いになることを承知してやったのだろう。もし違ったとしても、ボイルは許すつもりなどない。

 ササラを救出した後は、確実に息の根を止める。


「恨みなんてないですよ。むしろ感謝しています」

「はあ?」

「僕を怪しまずに使ってくれましたからね」

「どういうことだ?」

「言うと思います?」


 ボイルは会話を続けて、隙をうかがいたかった。

 ミゲルはハルベルトの動きも見ており、万全の注意を払っていた。人質に取ったササラの動きも、完全に封じている。

 現状を打破する手段が見つからない。


「ハンクスは殺したんだろ?」

「そう言いましたよね」

「どうやって殺した?」

「時間稼ぎですか。少しなら付き合いましょう」

「………………」

「簡単ですよ。仲間だと思い込んでいますからね」

「ミゲル……」

「敵意無く近づいて、そのまま首を切り裂きました」


(ハンクスよお。すまねえな。オダルの頼みを聞かなきゃ、こんなことにならなかったぜ。あの世に酒を持ってってやるか)


 ボイルは目を閉じて、心の中でハンクスの冥福を祈る。

 冒険者ギルドマスターからの依頼だったが、ミゲルは周到に準備したのだろう。オダルもだまされていたはずだ。

 それでも断って、チームへ入れないこともできた。ボヤキながらも受けたのは、やはり面倒見が良かったからだ。


「なぜハンクスを狙った?」

「信仰系魔法が使えますからね。最初に殺すのは当然ですよ」

「暗殺者かよ。殺しに慣れてやがる」

「似たようなものです。では、ハルベルトさんと戦ってください」

「はあ?」

「何言ってやがる!」

「いやあ。ササラさんを人質に取りながら、二人を相手にするのはね」


 ミゲルは、ボイルとハルベルトを戦わせようとしている。

 その後はササラを殺し、生き残ったほうを殺すつもりだ。そんな分かりきったことに付き合うつもりはない。


「戦うと思うか?」

「戦わないと、ササラさんを殺しますよ」

「殺しなさいよっ! ボイルさん、私のことはいいから!」


 ササラも新人とはいえ冒険者なのだ。死が付きまとう仕事なので受け入れているつもりなのだろう。しかしながら、ただの強がりにしか見えない。

 ボイルとしても助けるつもりなので、殺されたら困ってしまう。


「女を人質に使うなんざ男じゃねえぜ?」

「非力な女のほうが楽ですよ」

「俺が変わってやるから、ササラを放せよ」

「仕方ないなあ。はあぁぁ……。ならハルベルトさん」

「なんだ?」

「徐々に近づいてますよ。下がってください」

「くそっ!」

「そこから五歩、お願いしますね」

「うるせえ!」


 バレていたのは分かっている。

 それでも何も言われなかったので、ハルベルトはジリジリと近づいていた。会話を続けていたボイルは、指摘されたら下がらせるつもりだった。

 それにしても、今のミゲルの行動に違和感を覚える。


(えらい大袈裟おおげさ溜息ためいきを吐いたな。首を反らすほど……。まさか!)


「ハルベルト! 上に気を付けろ!」

「なにっ!」


 ミゲルは、天井を見上げてから溜息を吐いたのだ。

 まさに一瞬の出来事である。ボイルはそれ以上何も考えられず、ただ危険を知らせることしかできなかった。


「あははっ! 遅いですよ」

「うおおっ! 『槍衝撃そうしょうげき』!」


 それでも天井を見上げたハルベルトは、迷いなく動いた。避けられないと判断したのか、スキルを使って、右手に持つやりを上へ突き出したのだ。

 このスキルはインパクトの瞬間に、激しい衝撃波を出す。もしも岩が落ちてきたのなら、それを砕く威力がある。魔物であれば吹き飛ばし、そのまま倒すことも十分に可能だった。

 しかし……。


「ゴボッ!」

「なにっ!」

「ハルベルトさん!」


 天井から落ちてきたのは、残念ながら岩ではなかった。

 それは、液体のようなものだった。突き出した槍は通り抜けてしまった。しかも、ただの液体ではないようだ。地面へ落ちずに、ハルベルトの体を包み込んだ。

 それを見たボイルは、剣を捨てて走りだした。


「待ってろ! いま助けてやる!」

「ゴボッ! ゴボボ……」

「ボイルさん! 手を入れちゃ駄目っ!」


 ハルベルトは槍を放し、もがきながら苦しみだした。

 そして、ボイルが液体へ手を入れる間際。ササラの悲鳴にも近い声が聞こえた。もちろん助けたかったが、死の危険を感じて手を引っ込めてしまった。


「あははっ! 助けないのですか?」


 よく見ると、液体は赤く染まっていた。

 ハルベルトの全身から、血が流れだしているのだ。これには目を背けたくなる。目玉は溶けて無くなり、皮膚もがれ始めていた。


「こ、これは……」


 ボイルは天井を見上げる。

 ランタンの光が乏しいためか、あまり良く見えない。しかしながら、何かが天井へ張り付いていた。

 しかも、ゆっくりだが、前後左右へと動いている。おそらくは、真下へきた獲物へ落ちてくるのだろう。

 そして、位置取りを変えるように、その場から逃げた。


「スライムですね。ここはスライムの巣です」

「なんだと!」


 スライムは水棲の魔物で、湿気の多い場所に棲息する。

 日本であれば、可愛らしい雑魚モンスターとして知られている。物語の主人公が、最初に倒すような魔物だ。だがそれは、とんでもない間違いである。

 ゼリー状の魔物で似通っているが、残念ながら雑魚ではない。わなのように天井や壁に張り付いて、獲物が通るのを待っている。個体によっては、通路一面に張り出している場合もあった。

 気付かずに近づくと、ハルベルトのように捕食されてしまう。


「なんだよ……。ハルベルト、もう死んだのかよ」

「………………」


 ハルベルトは答えない。

 スライムは、液体やゼリーに見えるが、極めて小さいバクテリアの集合体だ。捕食した生物の体内へ入り込み、内部から食べている。これから逃れることは困難。なんの対策も無ければ不可能と言っても過言ではない。

 倒すのも非常に難しい。バクテリアの周囲は、魔法の液体で包まれている。松明程度の炎では、ダメージすら与えられない。

 物理攻撃は効かない。水属性魔法は活性化させる。風属性魔法では分裂させてしまう。土属性魔法も効果がない。

 効果が高いのは火属性魔法、雷属性魔法、氷属性魔法、信仰系魔法である。それでも、中級以上が必要だ。

 また、選択する魔法を間違えると倒しきれない。


「ボイルさん。ハルベルトさんとは、戦わなくていいですよ」

「テ、テメエ!」


 ボイルの目に怒りの炎が灯る。

 そして、剣を拾い上げ、ミゲルへ向けた。とはいえ、ササラを盾にされている。ハルベルトを失い、ふりだしへ戻ってしまった。


(くそっ! どうする? どうすりゃいい? ハルベルト、ハンクス。教えてくれ。俺はどうすりゃいい? いや、もうやれることは……)


 怒りをぶつける相手は決まっているが、これ以上の犠牲者を出すわけにはいかなかった。ならば、やれることは一つだけだろう。

 それに思い至ったボイルは、ササラへ優しい目を向けるのだった。



――――――――――

Copyright(C)2021-特攻君

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