第391話 (幕間)三人の賢人と真の冒険者
大陸の北部は、天まで貫く断崖絶壁で隔離されている。見上げたところで先は見えない。晴れたことのない雲が広がり、視界を遮っている。
もちろん、横幅も分からない。百年以上前の話として、魔導国家ゼノリスが、海を渡って北部へ出ようとしたことがあった。しかしながら、海からも断崖絶壁がそびえ立っていたという記録が残っている。
大陸の西側は未開地のため、調査はやれていないが、おそらくは同じだと思われている。それでも、唯一北側へ出られる道があった。
「結界が弱まっておるのう」
ジグロードへの道。
断崖絶壁に存在する大トンネルのことだ。
とても巨大なトンネルで、町が二個か三個は作れるだろう。実際に、大トンネルの中心部には魔族の町があった。
初代魔王が
「でっかい穴じゃのう。わしは初めて来たのじゃ」
その大トンネルの前にも町が存在した。
過去形なのは、十年ほど前の勇魔戦争で破壊されているからだ。当時は、天仰ぐ都市ソーズヒルと呼ばれていた。
現在は町並みといった景観はなく、人間が建てた無数の
名称も変えられて、砦群はオークニーと呼ばれている。聖神イシュリル神殿に伝わる「隔絶」を意味する言葉だ。
亜人種のオークは、人間からすると忌避する魔物である。相容れない存在とは交流しないといった意味が込められていた。
それは、魔族とも交流しないことを意味する。
「竜王の守り人ならば、仕方あるまいの」
その大トンネルに一番近い砦の屋上に、大小二つの人影があった。
一人は、エウィ王国宮廷魔術師長グリムだ。長い
もう一人は、サザーランド魔導国の女王パロパロ。ビッグホーンの着ぐるみを着用した可愛らしい少女だ。
「結局、ジュリエッタは来れんかったか」
「うむ。名代のクローディア殿から通知があった」
「何かあったのかのう」
「秘匿されておるようじゃな」
「生きてはおるのじゃろ?」
「おそらくはな。代替わりをしておらぬからの」
エルフの女王ジュリエッタは、バフォメットの呪いを受けて仮死状態だ。
それは秘匿され、一部の者しか知らない。呪いの解呪を試みたフォルトたちは知っているが、グリムへ伝えていない。
そして、死んでいれば代替わりをしているだろう。そのほうが、フェリアスにとって有利になるからだ。いつまでも女王の不在を隠して、各国の風下に立っても良いことなどない。
三国会議では、貿易や人的交流などで、エウィ王国やソル帝国の提案を受け入れる結果になった。
やはり、国のトップが不在だと不利なのだ。
「ところで
「なんじゃ?
「愛くるしいわしを、婆と呼ぶでないわ」
「ほっほっ。それで何じゃ?」
「あれは天使かの?」
パロパロが地上へ顔を向ける。
そこには、純白の翼が生えた女性が歩いていた。さらに周囲を見渡すと、同じような女性が歩いている。
その女性たちは全身が白く、髪の長さも一律で腰まで伸びている。他にも、黄金の
それらが無数に歩いている。
「天使ではないの。神兵と呼ばれるディバイン・ソルジャーじゃ」
「ほう。あれがのう」
「オークニーを守護しておる」
神兵とは、天界の神々が創造した戦士である。
勇魔戦争の終結後に、聖神イシュリル神殿が召喚した。意志を持たない人形で、命令を粛々とこなすだけの存在だ。
オークニーへ足を踏み入れた生物を、
立ち入りが許されるのは、三大大国の王が認めた者だけである。神殿が用意した許可証に、それぞれの国の押印が必要だ。
パロパロの許可証は、皇帝ソルとエインリッヒ九世の連名で押印がされている。ジグロードへの道に施してある結界の管理は、国家を超えた人間種の問題なのだ。
「聖神イシュリル神殿の儀式魔法か。興味深いのう」
「うむ。ドゥーラ殿が目を輝かせておったの」
「ドゥーラ? あの化石は生きておるのか?」
「まだ健在じゃな。引き籠りは相変わらずじゃ」
「前回会ったときは、さっさと死にたいとほざいておったが……」
「ドゥーラ殿の死は、意味が違うがの」
「「死の法」か? デモンズリッチは討伐対象じゃぞ」
「死霊系魔法の奥義じゃがな。魔界へ引き籠るなら害はないの」
「じゃがのう……。と
グリムとパロパロは、砦の屋上にある扉を見る。そこには、ボロボロのローブを着た者が現れた。
その人物は、四人の人間を連れている。それぞれの武装は統一性がなく、剣や
扉で立ち止まり、ローブを着た人物を送り出している。
「久しぶりじゃ。ドゥーラ殿は壮健のようじゃな」
「ふん。珍しい子供がおるのう。グリムの孫か?」
ドゥーラと呼ばれた人物は、ローブのフードを
この老人こそが大賢者ドゥーラである。帝国軍師テンガイの師で、ソル帝国の建国前から生きている男性だ。
「延体の法」を終わらせて、長い年月を魔法の研究に充てていた。
「とうとう脳が腐ったかの? それよりもじゃ」
「なんじゃ?」
「一段と骨になっておるのう」
「カカカッ! いずれ骨だけになるわ!」
「「死の法」は完成かの?」
「まだじゃな。パロパロの力は借りん」
「貸さんわ! 誰がアンデッドになる手伝いなぞ……」
「研究が無になったらたまらぬからの」
「やかましいわ!」
パロパロは、三人の中で一番若い。
それでも、超天才魔法使いだ。グリムやドゥーラが思いもつかない術式を完成させたり、改良を施したりする。
ただし、
「じゃが、最後の手伝いは願いたいのう」
「なんじゃ? 急にしおらしくなりおって」
「私は研究を続ける寿命が欲しいだけじゃ」
「だから、アンデッドになるのじゃろ?」
「他に手がないからの。じゃが、お主の協力があれば……」
「人間のまま永遠の寿命か? 無理ではないかの」
「無理を可能にするのが魔法じゃ。分かっておろう?」
「かもしれぬが、竜王との盟約があるのじゃ」
「摂理の守護者か。ならば、なぜゆえに神を滅ぼさぬ?」
「さあのう。わしには興味のない話じゃ」
ドゥーラが神の話を始めたので、パロパロは素っ気なく拒絶した。言わんとすることは分かるが、その談義には付き合いたくないのだ。
それはグリムも同じようで、話題を変えるように話し出す。
「ときにドゥーラ殿。あの者たちは?」
「冒険者じゃ。「竜王の牙」と言っておったの」
「ほう。帝国のSランク冒険者じゃな。護衛か?」
「皇帝には要らんと言ったのじゃがな」
「「竜王の牙」とな? 良い名じゃ」
「ふん。
三人は扉の前に立っている四人を見る。
見たところ、一人はミスリルの装備で固めた青年の男性戦士。一人は大柄で筋肉質な男性戦士。一人は女性神官。一人は女性魔法使いのようだ。
目を見張るのは、紫色のマントを羽織った女性の魔法使いか。なんとも大きな胸を強調する服を着ており、その谷間に埋もれたくなる。スリット付きのロングスカートからは、生唾ものの奇麗な足が出ている。
などとフォルトなら評するだろう。
「〈妖艶の魔女〉ではないか」
「爺は知っておるのか? 名声だけは聞いておるがのう」
「一人で活動していたはずじゃが……」
「心境の変化と言っておったの。私には興味がない」
「わしは興味津々じゃ。紹介してくれんかの?」
「カカカッ! 後で勝手に話せば良かろう」
「そうしようかの。ところで……」
パロパロはドゥーラを見上げる。
わずか七歳のときに改良した「延体の法」を終わらせているので、とても小柄な少女だ。大人と立って話すと、こうなってしまうのは仕方ない。
「なんじゃ?」
「ベク坊に公国を建国させて、どうするつもりじゃ?」
「ベク坊?」
「ベクトリア王じゃ。帝国が介入しておるのじゃろ?」
ソル帝国がベクトリア王国へ介入したのは、公国に参加した小国は知っている。そのことを言っているのだろう。
すでに樹立したので、それを聞いたところで遅い。しかしながら、言いなりになる気はない。
帝国へ仕えている大賢者ドゥーラなら、何か知っていると思われた。
「知らぬ。国政には興味ないからの」
「そっ、そうじゃったな。お主に聞いたのが間違いじゃったわ」
大賢者ドゥーラ。
極度の引き籠りで、魔法研究のみにしか興味を示さない。蓄えた知識をソル帝国へ渡すことを条件に、資金の提供を受けている。
国政には参加せず、皇帝ソルから与えられた塔で研究に没頭していた。そのおかげで帝国は、短期間で発展を遂げている。
「パロパロや。ワシに聞いても話さぬぞ」
「爺にも、エウィ王国の動向を聞きたかったがの」
「ほっほっ。今は友でも、いずれ戦うことになるやも知れぬのう」
「それが、エインリッヒ王の考えかの?」
「ワシの覚悟を言ったまでじゃ。どうなるかは分からぬの」
グリムとて、エウィ王国の重鎮である。
王国はベクトリア公国が樹立してからも沈黙しているが、近いうちに行動を起こす可能性が高い。国王のエインリッヒ九世は公国を認めていない。確実に何かを仕かけてくるはずだった。
サザーランド魔導国は、公国へ参加している。王国の動向は、危惧する問題であった。しかしながら、国政に関することは、友人であっても話さない。いや、それを話さないからこそ友人なのだ。
その証拠として、公国については聞いてこない。
「うーむ。そうじゃったな。聞かぬが友か」
「ほっほっ。立場は察するがのう」
「ならば、一つだけ忠告じゃ」
「なんじゃ?」
「わしの国には手を出さぬことじゃ。盟約の洗礼を受けるからの」
「十分に考慮しておる。まあ、この話は終いじゃ」
パロパロは、竜王の盟約者だ。
守り人をすることで、国の安全を買っている。サザーランド魔導国へ攻め込む国があれば、竜の炎が焼き尽くすだろう。しかしながら、それがあっても、ベクトリア公国へ参加する必要があった。
物理的な武力であれば、竜は盟約に従い守ってくれる。それでも、経済封鎖などでは出てこない。
あくまでも、軍事的な防衛を主体とした盟約なのだ。
「もうやってしまわぬか? 私は研究の途中だったのじゃ」
「そうじゃな。ワシもすぐに戻るよう陛下に言われておる」
「わしは遊びたいがのう。まあよい」
【【フライ/飛行】】
三人は同時に魔法を使って宙に浮く。
目的地は、砦の先に見えるジグロードへの道だ。現在は太陽が昇っているので目立たないが、そこには複雑な魔法陣が大量に描かれている。何者も通さない結界陣だ。それに魔力を供給するのが役目である。
そして、空を飛んだ三人は、冒険者たちへ手を振るのだった。
◇◇◇◇◇
「エリルよお。ありゃ、ここで待てってことか?」
身長が二メートルほどある男性が、空を見上げて問いかける。
手に持っている剣は、ミスリル鉱石で作られたバスタードソードだ。片手でも両手でも扱える剣で、片手半剣に分類される剣である。
かなり高価な装備だ。
「グラドの言ったとおりだね。砦で待てってことさ」
それに答えたのが、エリルと呼ばれた青年だ。Sランク冒険者チーム「竜王の牙」のリーダーを務めている人物である。
同じくミスリルの装備で固めているが、ハーフアーマーではなく、軽装のブレストプレートを装備している。腰より上を守るのではなく、胸を守る防具だ。剣も一般的に扱いやすいロングソードだ。
グラドとは、戦士としての役割が違うのだ。
「でも……。凄い組み合わせですよね」
「クローソは興味あるのかい?」
「パロパロ様って、可愛いですよね」
「そっ、そうだね」
二人の会話へ入ってきたのが、クローソと呼ばれた女性神官だ。
自然と
どこかのおっさんであれば、きっとストライクゾーンだろう。
「クローソの興味は置いておいて、世界屈指の魔法使いたちよ」
「三人とも、シルマリルを見てたね」
「私って、そんなに有名かしら?」
「男たちにはね」
「エリル!」
最後が〈妖艶の魔女〉シルマリルだ。
言い寄られた男性は数知れず。すべて袖にしているが、男性を虜にする魅力が
そして、二つ名が示すとおり、実力は折り紙付きだ。元勇者チームのシルキーよりも強いと噂されている。それを肯定できるほどの依頼もこなしてきた女性だ。
グリムが言ったように、チームへ所属せず、一人で冒険者をやっていた。しかしながら、最近になって、エリルたちと組むようになった。
心境の変化と言っているが、本当のところは分からない。
「護衛にならないけど、オークニーならいいでしょ」
「神兵しかいないからね」
「あれさ。戦ったら勝てるかな?」
「エリルさん。神官としては聞き流せない発言ですね」
「冒険者としては、単純に強さを知りたいのさ」
「そっ、そういうことにしておきましょうか」
「寛大なアルミナ神に感謝だね」
「そうですよ。感謝は大切ですね」
神兵と戦うということは、神へ刃を向けるということだ。
クローソの信仰するアルミナは、天界の神々の一柱である。発言には気をつけないといけない。それでも厳格な神ではないようで、冗談の類として受け流せていた。
そして、今度はグラドが話し出した。
「なあ、エリル。こんな簡単な仕事でいいのかよ」
「いいのさ。帝国軍師様からの御指名だよ」
「そうだけどな」
「不満だった?」
「いや。俺たちじゃなくてもやれんだろってな」
「まあね。でも、依頼料が破格だったからさ」
ソル帝国からオークニーへ向かうには、アルバハードの北にある平原を通る。中型から大型の魔獣が、大量に生息する場所だ。
当然のように襲われたが、護衛の依頼を果たしていた。もちろん帰りも通ることになるので、安全を重視して、Sランク冒険者チームへ白羽の矢が立ったのだ。
そして、依頼料は相場の三倍だ。受けない選択肢はなかった。
「確かにな。めったにない依頼だぜ」
「フレネードの洞窟へ行くよりはいいでしょ」
「でもよ。帰ったら行くんだよな?」
「そうなるかな。迷ってるけどね」
「なんでだ?」
「行っても意味がないかなと思ってさ」
「どういうことだ?」
ソル帝国の冒険者ギルドからも、スタンピードの対処をする依頼はあった。
だが、エリルたちが護衛の仕事を受けたときには、洞窟の手前まで侵攻していたようだ。帰ってから向かっても、魔物を間引きすることになるだろう。
そうなると、Sランクの仕事ではない。冒険者として最高峰に立っている身としては、低ランクの依頼を受けたくないのだ。
それが迷っている理由だった。
「そんな仕事になるとさ。他のSランクに悪いじゃん」
「まあなあ。安く見られるだろうな」
「そうそう。シルマリルはどう思う?」
「行かないと、体裁が悪いと思うわ」
「スタンピードは人類の脅威だしね。でもなあ」
「収束へ向かってるなら、わざわざ行くのも体裁が悪いわね」
「どっちにしても、体裁が悪いなら……」
「好きにしなさい。行かなくても、依頼が減ることはないわ」
「じゃあ、洞窟へ行くのは無し! いつものようにしようか」
「冒険者らしく冒険ね。行く場所は決めてあるのかしら?」
エリルは無邪気な笑顔を浮かべて座った。
それはシュンのようなホストスマイルではなく、心から笑っている笑顔だ。その雰囲気に釣られて、他の三人も座った。
「竜王の牙」は一つの依頼をこなすと、冒険という旅へ出る。まだ探索されていない遺跡や、まったく開拓が進んでいない未知の領域へ足を踏み入れるのだ。まさに、冒険者という名称通りの動きをする。
その旅で発見したものを持ち帰ることで、Sランク冒険者として認められていた。しかしながら、冒険は実を結ばない場合が多い。
何も発見できなければ、無駄に金を消費する。未知の領域へ行くには、相応の準備が必要なのだ。それでも、
冒険自体を楽しむことで、今を生きる充実感を得ている。
「フェリアスかハンバーだね」
「もしかして、西の亀裂を渡る気かしら?」
「駄目?」
「安全に渡る方法を探してからね」
「冒険には危険がつきものさ」
「分かっている危険を避けるのは、冒険者として当たり前のことよ」
「はははっ! 一本取られた」
砂漠の国ハンバーから西には、巨大な亀裂がある。
その先が未開の地だった。ワイバーンが大量に飛んでいるので、亀裂を渡るには危険を伴う。
最近では上級竜まで現れているが、その情報は伝わっていなかった。
「渡る方法がないから、未開の地なんだけどね」
「情報を集めるのも冒険さ」
「まったく。エリルはガキのままだな」
「僕は二十五歳だよ!」
「ふふっ。エリルさんらしいですね」
「面白いわねえ」
子供のような純粋な心。
依頼を受けるときは年相応の対応をするが、冒険へ出るときは子供へ戻る。そのエリルの変化を楽しむように、三人は笑顔を向けるのだった。
――――――――――
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