第374話 フレネードの洞窟へ2
基本的にフォルトはやることがない。
交渉事なら、すべてソフィアがやってくれる。隣に立っているベルナティオを触りたいが、長テーブルの一番前でふんぞり返っているために見えてしまう。
さすがに控えるべきだろう。
「まず、アルバハードのバグバット様が仲裁へ入ります」
「聞いているわ」
「はい」
「こちらがフォルト様が受け取った委任状です」
ソフィアは手始めに
バグバットに用意してもらった委任状をテーブルの上に置いて、テンガイとファナシアに見せる。
人類のために、スタンピードが収束するまで停戦しなさいといった内容だ。交渉内容については、フォルトに一任すると書いてある。
何の変哲もない委任状だった。
「すべての捕虜の解放が先よ!」
まずはレジスタンス側として、ファナシアが話し出す。この話は彼らに対して、停戦協議の場へ出席しろと交渉するときに提示した話である。
フォルトがランス皇子から受け取った手紙の内容だ。
「それだと、帝国が損をしますね。メリットがありません」
「ランス皇子からの話よ。停戦交渉の席へ座る条件だったはずだわ」
「陛下は認めておりません」
「やはりね……」
ファナシアはテンガイを
こちらの顔が潰されたと同意だが、なんでもないように
「ふぁぁあ」
「あなた!」
「ファナシアさん、その話は信じるなとフォルト様は仰いましたよ」
「え?」
「無理とも仰いました。ギーファス様が聞いています」
「………………」
「停戦交渉の席に座ったのは、アルバハードが仲裁へ入ったからです」
ソフィアの言ったとおりである。
そのときの場にファナシアがいなかったとしても、ギーファスが話しているはずだった。小手調べとして、ランス皇子の顔を立てるかを試しただけだろう。
結果として、皇子の顔は立てないようだ。
「なあ、テンガイ君。面倒なのは嫌いだと言ったはずだな」
「そうですね」
「では、捕虜を解放する条件はなんだ?」
「条件とは?」
「捕虜は肉……。んんっ! 作戦で必要な人材だぞ」
「なるほど」
フォルトは眠そうな目で問いかけた。肉壁と言いだしそうになったが、すぐに言い直したので大丈夫だろう。
それにしても、帝国軍師に対する礼儀がなっていない。しかしながら、ルインザードは身じろぎもせず黙っている。普通なら怒り出しそうなものだ。
実際にテンガイの護衛から、馬車の中で怒鳴られた経験があった。
「何かしら条件がありましたら、この場でお伝えください」
「そうですね。身代金を支払ってもらえれば……」
「身代金ですか?」
「一人あたり、白金貨十枚が妥当ですか」
捕虜の受け渡しに白金貨十枚だと、日本円で一億円である。この金額が安いかどうか分からないが、フォルトは聞いたことがある。
外国に存在するテロリストの組織が他国の人間を捕まえると、一人あたり百億円以上を要求すると……。
「身代金ですって!」
レジスタンスの財政は厳しい。
支部が壊滅したので、何百人と捕虜になっていた。穴倉へ隠れて、ゲリラ活動がメインの彼らである。そんな金銭を持っているわけがない。
ファナシアが怒鳴るのも無理はないだろう。
「こちらも兵士を殺されていますからね」
「遺族への支払いですか?」
「はい。すでに支払っておりますよ」
ソフィアはソル帝国の対応に、内心では驚いている。
エウィ王国であれば、兵士は使い捨てだ。死亡した兵士の遺族に対しては、数年の税金を免除するぐらいである。
これもリゼット姫の政策が通ってからだが、貴族によって短縮される。
「もう……。ですか」
(帝国は恐ろしいですね。いえ、皇帝ソルの手腕ですか)
これは、兵役のシステムに関係がある。
ソル帝国は専業兵士だけで構成されている。職に従事している間は給金が出る代わりに、戦いで死んでも遺族への支払いを少なく済ませられる。だからこそ、すぐに支給できたのだろう。
エウィ王国では、少数の専業兵士と徴兵で集める臨時の兵士に分かれる。徴兵される者は、農民のような力を持たない国民だ。遺族の税金を数年でも免除するだけで、生活が楽になる。
それだけで十分と考えられており、国民も文句を言えないのだった。
「ですが、支払いは無理と分かっていますよね?」
「そうですね。なら後払いでもいいですよ」
「どういうことかしら?」
ファナシアは理解が追いついていないようだ。
ソフィアはテンガイの話を分かっているが、この場では何も言わない。もちろんフォルトは分からないので、首を傾げて何も言わない。
そして、後払いの内容を説明される。
「魔物の素材や作戦へ参加することで得られる金銭」
「魔物の素材? それなら分かるけど……」
「ターラ王国が参加者へ支払う金銭です」
「え?」
スタンピードは、国家存亡の危機である。
ターラ王国が報奨金という名目で、国庫から金銭を放出していた。冒険者ギルドが率先して魔物の討伐に参加しているが、そちらへ支払われているのだ。
だが、レジスタンスには出さないと思われていた。国民ではあるが、敵対している組織なのだ。
その金銭を、テンガイは支払わせようとしていた。
「レジスタンスとて、ターラ王国のために戦うのです」
「当たり前ね」
(ものは言いようですね。国庫を空にさせるつもりですか)
ソフィアは、テンガイの狙いが分かった。
ターラ王国の国庫に眠る金銭は、国民から徴収した税金である。戦争に勝利して属国としても、無理やりには奪い取れない。
それをやると、ソル帝国の評判が地に落ちて管理が難しくなる。それこそ、レジスタンスを増やす結果となるだろう。
そこで、合法的に奪い取るつもりなのだ。
「どうでしょうか? ファナシア殿」
「それで足りるの?」
「足りませんね。ですので、帝国の冒険者も参加させようかと」
「帝国の?」
「三国会議の後に、数チームを間引きへ参加させましたが……」
三国会議の議題として、フレネードの洞窟でスタンピードが起きそうだという話が出ていた。その対処として、ソル帝国は数チームの冒険者を送り込んでいる。
ターラ王国の冒険者が七割で、帝国の冒険者が三割になるよう調整していた。それを増員しようという提案であった。
「人数は多いほうがいいですね」
「もちろん、帝国兵は出しませんよ?」
「それは、私たちに関係ないわ。冒険者ギルドへどうぞ」
「そうですね。では、足りない分は……」
「ちょっと!」
「関係ないのですよね?」
「そっ、そうだけど……」
ファナシアは誘導させられていた。
そもそもの話として、ソル帝国の冒険者へ支払われる金銭は、魔物の討伐へ参加した冒険者のものだ。
レジスタンスがターラ王国のために戦って、金銭を受け取れること。それと、身代金の総額に足りないと認識させること。
この二つの話で、身代金の支払いが既定路線になっている。それ自体を拒否しても良かったはずだ。
(早急の解決案を提示されては仕方ないでしょうね。それ以外の解決案は、ちょっと考えつかないです。帝国は捕虜などどうでもいい感じですしね)
金銭で解決できるなら楽である。
額さえ
ソル帝国も捕虜の扱いに困っていた。捕まえておくだけで、食料や人員が必要になる。レジスタンスだからと処刑も無理だった。幹部ならいざ知らず、末端の構成員はターラ王国の国民である。
これも処刑した人数以上に、レジスタンスを増やしてしまう。
(さすがは帝国軍師ですね。この先の謀略も分かった気がします。ファナシアさん。いえ、レジスタンスの負けですが……)
バグバットの代理として参加しているので、ローゼンクロイツ家は中立の立場なのだ。ソフィアが理解したことを、ファナシアへ伝えられない。
それをすれば、レジスタンスの肩を持つことになってしまう。
「ふぁぁあ、テンガイ君。こちらの顔も立ててもらいたいな」
またもやフォルトが欠伸をする。
聞いていたのかいないのか。とにかく暇なのだろう。それに協議が始まってから、ソフィアやベルナティオを触っていない。
欲求が
「分かりました。でしたら足りない分は結構です」
「え?」
「魔物の素材と報奨金だけでいいですよ」
「な、なら……」
「ですが、譲歩はここまでです」
「………………」
「お受けするなら停戦の合意として、すぐにでも解放しましょう」
「本当ですか!」
「はい。停戦はスタンピードが収束するまでですがね」
「当然です!」
これで決まってしまった。
テンガイの提案といえファナシアからすれば、何もないところから金銭を絞り出したと勘違いしたはずだ。
その証拠に、彼女の近くにいる二人の幹部も笑みを浮かべている。
(レジスタンスは壊滅ですか。残念ながら、私からは何も言えません。気づいてほしいですが無理でしょうね。でしたら……)
ソフィアは
そして、何かを思いついたように口角を上げた。普段の彼女からは想像できない邪悪な笑みを浮べている。
だがそれも、一瞬の出来事だった。
「あ、あれ?」
「どうした? ソフィア」
「い、いえ。では、停戦は合意されたとしてよろしいですか?」
「構いません」
「はいっ!」
なぜか疲れきった表情をしたソフィアは、用意していた調印書に決定された内容を書いてサインした。
そして、調印書を確認したテンガイとファナシアがサインする。停戦条約は本日より施行され、レジスタンスの要求どおりに、捕虜が解放される。
これで、ローゼンクロイツ家の役目も終わりだ。
「作戦会議ですが、一日だけ待ってもらえませんか?」
「ソフィア?」
「それは構いませんが……。何か?」
「いえ、少しは準備が必要かと思いまして」
「私たちは構いませんよ。やることは山積しています」
「こっちもいいわ。解放された仲間を迎え入れたいです」
「ありがとうございます」
作戦会議は明日の予定だった。
フォルトは怠惰なので、一日でも延びるなら万々歳だ。今まで何もしていないが、ゆっくりと養生するつもりになった。
「テンガイ君、停戦の約束は破らないようにな」
「分かっております。ではフォルト殿、本日は宴を開催します」
「うっ! わ、分かった。そこまでが仲裁だな」
この宴にレジスタンスは参加しないが、ソル帝国としてアルバハードへ敬意を払う宴である。さすがに出席しないと駄目だろう。
遠足は家に到着するまでが遠足だ。そんな話を思いだしたフォルトは、いつものように嫌そうな顔をするのだった。
◇◇◇◇◇
ローゼンクロイツ家を、首都ベイノックにある迎賓館へ招待した。
各国の貴族たちを招いたときに使われるような場所だ。本来はターラ王国の施設だが、ソル帝国が貸し切りにしている。まだ宴までには時間があるようで、三人の男性が別室で話をしていた。
そのうちの一人、帝国軍師テンガイが口を開く。
「ルインザード様、どうでしたか?」
「見たところ隙だらけ。あの者がローゼンクロイツ家の当主とはな」
停戦協議の場へルインザードが来たのには訳がある。
戦士の視点から見たフォルトの強さを調べるためだった。他にも戦力として来ている人物たちを見定める必要があった。
テンガイにとっては、レジスタンスとの停戦交渉などどうでも良いのだ。
「単刀直入に聞きますが……。勝てますか?」
「分からん。その辺の衛兵でも斬れそうだがな」
「ルインザード様でも判断は難しいですか」
「戦士としての力量は無いに等しい。だが魔法使いなのだろ?」
「はい。少しずつ情報を集められればと思っています」
「うーん。戦いたくはないな」
ルインザードはフォルトを測りかねていた。
一見すると弱い。大きく見積もっても一般兵と同じ。それも見積もり過ぎと思っている。隙だらけだったので、誰でも斬れそうだった。
だが、戦士としての経験が警鐘を鳴らしていた。
「そうですか。他は?」
「〈剣聖〉は別格だな」
「なるほど。勝てますか?」
「それを聞くのか? 勇者級の剣士だぞ」
暗に勝てないと言っているようだが、これを素直に受け取れない。
言葉を濁したのは、ベルナティオと戦いたくないからだろう。もちろん皇帝ソルの命令なら、どんな手を使ってでも勝利するつもりなのは明白。
ルインザードとて、ソル帝国が誇る四鬼将の筆頭なのだ。
「分かりました。一階にいた女たちは?」
「魔法学園の制服を着た女は厄介かもしれん」
「廃嫡されたローイン公爵の娘ですね」
「ほう。
「貴族の事情ですからね。それで?」
「英雄級であれば斬れるだろうな」
「なるほど」
「気になるのは赤髪の女か。あの男と同じような感じがしたぞ」
「ふむ」
なかなかの分析力だった。
戦士として見ているので、エルフ族のセレスや魔法使いのソフィアについては評価が無い。アーシャは眼中にないようだ。しかしながらカーミラには、フォルトと同じ警鐘が鳴ったらしい。
これにはテンガイも目を光らせる。
「テンガイ殿はどうなのだ?」
「私には分かりません。師匠なら分かるかもしれませんがね」
「大賢者ドゥーラ殿か」
「はい。私の場合は、多角的に考えて無理と判断しています」
「多角的?」
「エウィ王国のクソ
「グリム殿か」
「はい。それだけでも察せられますね」
テンガイを魔法使いとして見れば、それほど強くない。せいぜい中級の魔法が使える程度であり、元勇者チームのシルキーにも及ばないだろう。
もちろん、エウィ王国宮廷魔術師長のグリムにも劣る。その彼の対応を聞いていると、フォルトの実力を魔族の姉妹より上へ置いていそうだった。
「なるほどな」
「他にもありますがね。どれもフォルト殿の実力を肯定するもの」
「はぁ……。やれやれだ。ランス皇子もお疲れでしたな」
そして、三人目はランス皇子だ。
宴の主催者として来ていた。ルインザードの労いは、フォルトの対応をやったことに対するものだった。
「軍師殿に言われていた件だからな」
「ランス皇子から見たフォルト殿はどうでしたか?」
「演技が下手で無礼な一般大衆だが……」
「だが?」
「実力が伴うなら致し方なしだな」
「なるほど。魔族の貴族としては及第点だと?」
「はははっ! そんなところだ」
実力主義のソル帝国は、魔族のように徹底されていないが考え方は近い。
能力が認められれば、平民でも重用されるのだ。それから考えると、フォルトの行動は認める必要がある。
ならば、そのように対応するだけであった。
「それにしても、軍師殿は凄いな」
「何の話でしょうか?」
「レジスタンスの件だ。完全に息の根を止められる」
「それについては謝ります」
「時間が無くなったのだろう?」
「はい。いつまでもターラ王国に構っていられないと仰せで」
「私が悪いな。陛下には弁明しなければ……」
「いえ、弁明には及びませんよ。陛下も満足しておられました」
「そ、そうか……」
テンガイの謀略で、レジスタンスは壊滅すると思われる。
基本的にはランスの手腕で問題を収めたかったが、時間が無くなってしまった。皇帝ソルも教育の一環でやらせているので、特に怒られることはない。
「そう言えば皇子。〈凶刃〉から連絡はありましたか?」
「作戦に合わせて殺すそうだ」
「順調ではないが、冒険者として潜り込めているようですな」
「スタンピードの発生さえなければ、今頃はやれてるだろう」
「それも謝らせてください。ワザと発生させました」
「「なにっ!」」
フォルトを呼び込むために、テンガイは味方にも内緒でスタンピードを発生させている。帝国から送った冒険者へ命令して、間引きをさせずにいたのだ。
もし対処されるようなら、その邪魔をするように伝えてあった。
「テンガイ殿! 陛下は御存知なのか?」
「もちろん、許可はいただきました」
「よくお認めになったな」
「確率が最も高かったのです」
「それでもだ。それに陛下も陛下だ。皇子や私にも内緒で……」
皇帝ソルだけは知っている。
それにしてもフォルト個人のために、人類の脅威であるスタンピードを使うとは恐れ入る。一歩間違えれば、ソル帝国も危機に
それに確率が高いと言っても、彼が来るとは限らない。実際にエウィ王国の援軍として選ばれたわけだが、それも結果論でしかない。
それを平然と提案するテンガイに驚きだが、同じく平然と許可を出す皇帝も恐ろしい。その場にランスやルインザードがいれば、絶対に反対しただろう。
「そのおかげなのか、レジスタンスの壊滅も視野に入ったな」
「軍師殿。まさかと思うが……。狙ってたのか?」
「皇子、さすがに買いかぶりです。利用はするつもりでしたが……」
「うーむ。テンガイ殿の頭の中は、どうなっているのだ?」
「ルインザード殿。私のことより、そろそろ時間ですよ」
「おっと。もう時間か」
「では、人類の脅威を使った客人をもてなすとしよう」
「皇子も
「「ははははっ!」」
後は実際に片付けるだけだ。前段階としてローゼンクロイツ家をもてなすが、これもできるかぎり情報を集めることに腐心する必要がある。
三人は別室から出ると同時に、気を引き締めるのであった。
――――――――――
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