第372話 エウィ王国の王子たち3

 エウィ王国城塞都市ミリエを囲む壁の内側には、もう一つ壁がある。内側の壁を越えた先には王城、その中央部に、王族が住まう王宮が位置している。

 そして隣には、石造りの塔がそびえ立っていた。外からは入れず、王宮から直通で向かう通路しか出入口は存在しない。


「これはリゼット姫。塔に御用でしょうか?」


 塔へ向かう通路へ、リゼット姫と護衛のグリューネルトが現れた。

 その進路を阻むように、王国の上級騎士が道を塞いだ。


「ラジェットお兄さまと面会するために参りました」

「月に一度の対面ですね?」

「はい。通してもらえるかしら?」

「もちろんであります。ですが、グリューネルト様は……」

「分かっている。ここで待たせてもらおう」


 塔へ入れるのは、王族と譜代の世話係や兵士だけだ。最上階にいるのは、リゼットの兄妹である。

 エウィ王国第二王子で、名をラジェット・ノート・フォン・エインリッヒ言う。


「では、こちらへどうぞ」

「はい」


 騎士の一人が道を開けて、リゼットを奥へ案内する。

 そこには塔へ入る扉があり、先へ進むと、円形の壁沿い設置された螺旋らせん階段が見えてくる。騎士はそれ以上先へ進むのを許可されていない。

 ここから先は、リゼットが一人で進むことになる。しかしながら体が強くないので、途中で休憩を入れながら登った。


「ふぅ。やっと着きました」


 なんとか登りきったリゼットが周囲を見渡すと、広いフロアになっていた。

 右側の通路には扉が並んでいて、数人の男女が出入りしている。左側の通路には、大きな扉が一つだけだった。そちらは、兵士が二人立っていた。

 彼女は左側の通路を進んで、そのうちの一人へ声をかけた。


「「リ、リゼット姫!」」

「ラジェットお兄さまとお会いしたいのですけど……」

「はっ、はい! いま扉を開けます!」

「大変そうですね?」

「「いえ! 大丈夫です!」」


 扉は鉄製で分厚く作られており、鍵が掛けられていた。部屋の中を見るために、スライド式の小さな窓も取り付けてあった。

 そして、兵士たちは急いで扉を開ける。かなり重い扉のようで、二人掛かりで押していた。細腕のリゼットでは無理だろう。


「どうぞ、中へお進みください」

「ありがとうございます」


 リゼットが部屋へ入ると、扉が閉められた。

 それを無視して周囲を見るが、とても殺風景な部屋である。テーブルと椅子、それとベッドがあるだけった。奥に見える扉は、トイレや風呂場だと思われる。窓には鉄格子がはめられていた。

 とても王族が使う部屋ではない。


「んー?」


 部屋の中央に設置されたテーブルに向かい、座っている男性がいた。

 その人物を確認したリゼットは、駆け寄って笑顔を向ける。それにしても、男性の格好は異様だった。

 体格は中肉中背。日本ではソース顔と言われる彫が深い顔立ちだが、真っ白な化粧をしている。

 そして、まるでピエロのような服を着ていた。ひげは無く、ハイド王子と同じ金髪を伸びるがままにしている。


「ラジェットお兄さま!」

「んー? 何の用だ」

「あら。妹が会いに来たらいけませんか?」

「んー? 妹だったかな?」

「そうですよ。家族ですよ」

「んー? そうだったかなあ」

「もぅ! それよりも、ご苦労はないですか?」


 ラジェットは幽閉されているのだ。

 言動や格好から分かるように、精神が病んでいる。歳は第一王子のハイドと同じだが、双子ではなく産まれた日は違う。

 幼少期から奇怪な行動をするようになり、それを見かねたエインリッヒ九世は、塔に幽閉して治療と教育に当たらせた。

 だが、二十三歳になっても治っていない。


「んー? 苦労? 苦労……。あるなあ」

「なんでしょうか? 私で軽減できれば良いのですが」

「んー? 穴を貸せ。そうすればスッキリするなあ」

「………………」


 穴を貸せとは、そういうことだ。

 長い幽閉生活で、性欲でもまっているのだろう。しかしながら、第一王女で妹のリゼットに言っている。

 誰が聞いても、頭がおかしいと言うだろう。


「冗談もほどほどにしていただきませんと……」

「んー? 冗談ではないぞ。女に飢えていてなあ」

「私に婚姻の話が出たのです」


 正式な決定ではないが、リゼットの婚姻話が出ていた。

 ハイド王子が推しているソル帝国のランス皇子か、エインリッヒ九世が考えているベクトリア王国のリムライト王子である。


「んー? ならその前に、純潔を奪わないとなあ」

「ラジェットお兄さまは、どうお考えですか?」

「んー? だから、純潔をだな」

「いつまで演技を続けるつもりですか?」

「んー? 演技というのはなあ。こうやって……。アババババ!」

「っ!」


 ラジェットはほほに拳を付けて、手のひらを開くと同時に舌を出す。

 赤ん坊をあやすような感じだが、リゼットは笑顔のままだ。


「んー? おまえもやってみろ」

「はぁ……。どうすれば演技をやめてもらえますか?」

「んー?」


 ラジェットは首を傾げている。何を言っているのか分かっていない様子だ。

 それでもリゼットは話を続ける。


「ハイドお兄さまに危険を感じて、ワザと奇行へ走りましたね」

「んー?」

「王位継承権第二位のラジェットお兄さまは、王位を継げません」

「んー?」

「ハイドお兄さまが王位を継承したら、すべての王子を殺すでしょう」

「んー?」

「他の王族に力を持たれるのを避けるために殺すのです」

「んー?」

「幽閉されていれば安全かもしれませんね」

「んー?」

「ラジェットお兄さまなら放っておいても、力を持てません」

「んー? もう二十回ほど言ってくれるかあ?」


 ラジェットは左右の耳穴へ、小指を入れてほじっている。

 リゼットの言葉が聞こえないという仕草だ。ここまで馬鹿にされれば、いくら国民から天使と呼ばれていても怒り出すだろう。

 しかし……。


「はぁ……」


 溜息ためいきを吐いたリゼットは歩き出して、ラジェットの後ろに立った。

 それから、何の変哲もない石壁の一部へ向かって指をさす。


「こちらに入っている手紙を読んでもいいかしら?」

「んー? 好きにしろ」

「うふ」


 リゼットは今まで浮かべていた笑顔を、不気味な笑みへ変える。

 そして石壁の一部を軽く押すと、隣の石壁が飛び出てきた。どうやら石で作られた箱になっていて、上蓋を開けられるようだ。


「ブレーダ伯爵からの手紙ですね」

「んー? 箱を開けてないだろ」

「時期は半年後……。ぐらいかしら?」

「んー?」

「彼は帝国へ寝返っていますね」

「んー? 化け物だな。いつから気づいていた?」


 ラジェットは振り返って、鋭い視線をリゼットへ向ける。十年も幽閉されているとは思えない威圧すら感じさせていた。


「初めからですよ。長い幽閉生活でしたね」

「んー? 手紙の件は?」

「三国会議の後ですね」

「んー? 籠の中の鳥であるリゼットがなあ。情報の出所は?」

「世間話をする人ぐらいはいますよ。グリューネルトやメイドとか?」

「んー? 世間話かあ。どうやったら分かるんだ?」

「ちょっと考えれば分かると思いますよ」

「んー? リゼットは壊れているようだなあ」

「ひどい仰りようです。ラジェットお兄さまほどではないですよ」


 リゼットは箱を戻して石壁を元通りにして、ラジェットの隣へ移動した。

 もちろん天使のような笑顔を浮かべている。


「んー? 俺の遊びに付き合うのかあ?」

「それは……。やめておきますわ」

「んー? 婚姻の件だったなあ」

「はい」

「んー? 好きにしろ」


 ラジェットは片手を上げて、ピラピラと左右へ動かす。

 リゼットを政略結婚で使うつもりがないと言っているようだ。


「ありがとうございます」

「んー? もういいぞ」

「また来月になったら会いに来ますね」

「んー?」


 リゼットは部屋から出る扉へ向かって、小さな窓をスライドさせる。すると、兵士が気がついて重い扉を開いた。

 それを確認した彼女は振り向いて、ラジェットへ小さく手を振るのだった。



◇◇◇◇◇



 フォルトとカーミラが、一度帰還した幽鬼の森からターラ王国へ出発した頃。

 二人組のダークエルフが、砂漠の国ハンバーに存在するケリーラウンズというオアシスへ到着していた。


「よく来たね。レティシア」


 オアシスとは、砂漠などの乾燥地帯における緑地である。

 大抵は地下水が湧き出ている場所だ。規模によっては農業すら営めるが、ケリーラウンズは小規模なので、食料の自給はできない。

 人間は誰一人としておらず、ダークエルフ族だけが住んでいた。


「もぉ無理。暑すぎて干からびちゃうわよ!」


 レティシアとキャロルは、自然神の教会に訪れていた。そこは立派な造りとは程遠く、ただの大き目な天幕である。

 砂漠の住居などは日干しレンガで建てるのが一般的だが、小規模の集落で二十人ぐらいしか住んでいない。

 目的も定住ではないので、天幕で十分だった。


「御嬢様、司祭様に失礼ですよ」


 天幕へ入るなり寝っ転がったレティシアに対して、キャロルが立ち上がらせようとする。しかしながら、グデッと体の力を抜いているので途中で飽きらめた。


「はははっ! わざわざ来てくれたんだ。水でもんでこよう」

「い、いえ、私が持ってきます!」

「そうかい? じゃあ、頼もうかね」


 キャロルは床に置いてあった木製の水桶みずおけを持って、天幕を急いで出ていった。井戸はすぐ近くにあって、何人かのダークエルフが使用していた。

 司祭と呼ばれたダークエルフの男性は、百歳以上生きている。面体は人間でいうところの五十代男性だった。身なりが良いわけではなく、普通のダークエルフが愛用する服を着ている。

 その人物へレティシアが話しかけた。


「ねぇ、シャハーダおじさん」

「なんだい?」

「どう?」

「うん。限界突破は終わったようだね」

「やった! サンドウォームを倒すのは大変だったのよ!」

「お疲れさまだね。でも、やっとやる気になったのかい?」

「ま、まあね!」

「大婆様が業を煮やしたようだね」


 レティシアたちが砂漠へ来た目的は、限界突破のためである。

 神託の内容まで聞いていたが、ずっと放置していたのだ。フォルトの身内になると決まったことで、大婆から終わらせるように言われた。

 そんな話をしていると、外からキャロルが戻ってきた。


「御嬢様。はい、水です」

「お菓子もちょうだい!」

「はいはい」


 キャロルはレティシアの口へ、いつもの菓子を放り込んだ。

 続けて木製のコップへ水を入れて飲ませる。


「ぷはぁ! 生き返るぅ!」

「司祭様。大婆様から、ハンバーはどうなっているのかと」

「うん。後で手紙にするけど、二人にも話しておこうか」

「えぇぇぇ。手紙にするなら聞かなくてもいいじゃない!」

「御嬢様。ちゃんと報告しないと、大婆様の試練ですよ?」

「それは嫌っ!」

「はははっ! 相変わらずだね」


 シャハーダ司祭は、昔から変わらないダークエルフの里を想像した。そして笑みを浮かべながら、砂漠の地で仕入れた情報を話し出す。

 ダークエルフ族はバグバットの協力者として、ケリーラウンズに拠点を構えて、砂漠の国ハンバーの情報収集を行っているのだ。

 バグバットにはメドランとアクアマリンといった諜報員ちょうほういんがいるが、それだけで大陸中を調べられるわけがない。

 こういった協力者の拠点は、大陸の各地に存在する。アクアマリンが抜けて、さらに重要度が増していた。


「炎の民と大地の民の内戦は知っているかい?」

「小競り合いと聞いていますけど……」

「そうだね。大規模になると、セーガル王が鎮圧に乗り出すからね」

「なにか変化がありましたか?」

「その前に、砂漠を越えた地は知っているかい?」

「未開地ですよね」


 砂漠の国ハンバーから西へ向かった先は、前人未踏の未開地である。大地に深い亀裂があって、調査団を派遣しようにも渡れない。

 その昔、魔法使いが飛行の魔法で調べたところ、亀裂を渡った先は不毛な岩石地帯という話だった。その先を調べようとしたが、ワイバーンが大量に飛んでいて、とても先へ進める状態ではなかったらしい。

 目視できる範囲では、岩石地帯の先には山が見えたと記録されている。


「うん。その亀裂の先に、上級竜が現れたらしい」

「ええっ!」


 上級竜とは、属性を宿した竜のことだ。

 ベクトリア公国より南の地には、竜王の支配する竜の領域がある。そこで誕生した上級竜は、自由気ままに、大陸の各地へ移動して自分の領域を持つ。

 その上級竜が、亀裂の先で巣を作ったらしい。砂漠の最西端にあるオアシスが襲われて全滅した。


「さすがに内戦どころではないよね」

「そうですね」

「討伐は考えていないようだけど……」

「じゃあ、内戦は終結ですか?」

「いやいや。そんな簡単にはね」


 上級竜の脅威が近くに迫ったことで、人間同士で争っている場合ではなくなった。しかしながら、炎の民と大地の民の対立は根深い。

 セーガル王が、ハンバーを統一する前からの対立なのだ。現在のような小競り合いから、血で血を洗う戦いに発展するときもあった。

 統一後は国王の仲裁で、双方が和睦しては内戦と繰り返している。


「何が原因なのですか?」

「水さ。オアシスの奪い合い。それが対立の歴史だね」

「戦うぐらいなら、砂漠から出ればいいと思いますけど?」

「人間とて我らと同じで、故郷は捨てられないさ。ねえ、レティシア」

「すぅすぅ」

「駄嬢様! 起きてくださいよ!」


 レティシアは気持ち良さそうに眠ってしまった。

 難しい話は苦手なようだ。キャロルが肩を揺すって起こそうとするが、一向に起きる気配がない。


「砂漠の暑さが堪えたのだろうね」

「駄嬢様にも困ったものです」

「はははっ! まあ情報としては、こんなものかな」

「ケリーラウンズは大丈夫なのですか?」

「餌場とするには遠いからね。基本的には亀裂の向こう側さ」

「な、なるほど」

「じゃあ、手紙を書くね」


 キャロルに背を向けたシャハーダは、小さなテーブルの前に座って、報告書を書き始めた。たまにペンで頭をいて、温めの水を飲む。

 そして、一言だけつぶやいた。


「レティシアが寝たことも書いておこう」

「わあああああっ! 待って! 待ってほしいのよ!」

「お、御嬢様!」


 急いで跳び起きたレティシアは、シャハーダの両肩に手を置いて、激しく揺さぶった。すばやい動きだが、どうやら狸寝入たぬきねいりだったようだ。

 それを見かねたキャロルに引き離されるが、目に涙を浮かべている。


「冗談さ。それよりも休んでいくのだろ?」

「ぐ、ぐす……。駄目よ、駄目なのよ。時間がないのよ!」

「え? 一泊ぐらいしたほうがいいよ」

「うふふふふ。一日でも遅れると、破壊神が目覚めてしまうわ!」


 レティシアは、片手で左目を隠して真面目な顔をする。

 それを見たキャロルは、片手で両目を覆って天井を仰いだ。


「破壊神?」

「駄嬢様の病気です」

「駄嬢様じゃなあい! 病気でもなあい!」

「一日でも遅れると、大婆様が自ら鍛え直すと言っていました」

「な、なるほど。じゃあ、急いで帰らないとね」

「だからわたしのことは書かずに、要点だけ書いて!」

「わ、わ、分かったよ」

「私は補給しておきますね」


 再びレティシアは、シャハーダの肩を激しく揺さぶった。

 その間にキャロルは、出発の準備を始めた。


「任せたわ! ほら、シャハーダおじさん。早く書いて!」


 ケリーラウンズまでは順調に来たが、帰りも同様とは限らない。砂漠にはサンドウォームの他にも、危険な魔物が棲息せいそくしているのだ。

 とりあえずレティシアは、自分のことが書かれていないかと、シャハーダの後ろから手紙をのぞき込むのだった。



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Copyright(C)2021-特攻君

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