第352話 魔人と皇子1
俺は誉れ高い帝国軍の兵士だ。
若い頃から剣術を磨いて、騎士学校を優秀な成績で卒業した。今は帝国軍第三軍へ配属されている。
今でも思い出す。俺は騎士学校を卒業してから、初めて闘技場で試合を見た。そこで行われた戦いは、まだ目に焼き付いている。いや、これからもだ。闘技場で負け知らずの剣士。あの女性を、もう一度だけ見たい。
そう思っていた。
「ベ、ベルナティオ様」
〈剣聖〉ベルナティオ。
闘技場で開催された総当たり戦を無傷のまま優勝して、その後の参加が禁止された女性剣士だ。その圧倒的な技の数々は、
その強さに憧れ、美しい姿に
そして、恋慕した。
「どうした?」
「………………」
「こいつ、固まっているぞ」
「きさまが怖いのではないか?」
「どう見ても、ただのおっさんだぞ」
「そうでもないだろう。最近は
「そうか? なら、マリとルリに褒められるか」
「その前に、私が褒めてやろう。ちゅ」
眼前の光景に、目を疑ってしまった。しかしながら、目の前に居る女性が〈剣聖〉ベルナティオであった。今でも美しさは変わらず、あの時のままだ。
その恋慕した女性が、おっさんを抱き締めながら口づけしていた。
「えっと。フォルト様、早く行きませんと」
「この熱い抱擁が終わったら……」
「フォルトさん! 後にしなさいよぉ」
「師匠は終わらせないと思いますわ」
「では旦那様、ご一緒しても?」
「御主人様、外で始めちゃいますかあ?」
俺は目を疑った。ベルナティオ様だけに留まらず、なんとも美しく可愛い女性たちが現れたのだ。しかもあろうことか、眼前の弱そうな小太りのおっさんに
これは、洗脳でもされているに違いない。この男はすぐに斬って捨てないと、のちのち皇帝陛下へ害を成すに違いない。
現に俺の心が折れかかっているのだ。
「………………」
「ちゅ。ん? 動きだしたようだぞ」
「ちっ、邪魔をするな」
「い、いえ! フォルト・ローゼンクロイツ様でよろしいでしょうか?」
「そう言っている」
「し、失礼しました! ランス皇子が、お待ちになっております!」
そう。目の前の男性はフォルト・ローゼンクロイツ。
あの六魔将筆頭であるローゼンクロイツ家の当主だ。どれほど恐ろしい魔族が来るのかと思っていたが、普通の人間ではないか。しかも、おっさんだぞ。
それにしても、悪魔のように語り継がれている〈狂乱の女王〉と〈爆炎の
「おまえが案内をしてくれるのか?」
「い、いえ! 私は馬車を移動させます!」
「そうか。では誰が……」
「フォルト殿であらせられるな?」
おっと、これはいかん。帝国が誇るテンプルナイトがいらっしゃったぞ。いつも、ランス皇子と話している御仁だ。
名前は確か……。
「うむ」
「してフォルト殿。その女は?」
おおっ! この女も奇麗だな。だが、縛られてるぞ? それに、なんとなく見た覚えがあるな。えっと、どこでだったか?
「捕虜を交換したいのだ」
「捕虜ですか?」
捕虜だと? ここへ連れてきたってことは、帝国兵の誰かか? だが、こんなに美しい女兵士は居たっけ?
もし居たのなら口説きたかったが。
「では別室で、お供の方々と御一緒というのはいかがでしょう?」
「いいのか?」
「もちろん、監視は付けさせていただきます」
「それでいこう。あとテンガイ君からの手紙があるのだが?」
「拝見いたします」
このおっさん。軍師様と面識があるのか。しかも、君付けだぞ? なんという人脈なのだ。それならベルナティオ様を連れていても……。
いや、それでも俺のほうが釣り合ってるはずだ! ベルナティオ様を返せ!
「別に来ていた手紙と内容が一致しますな」
「そうか。なら、案内を頼む」
「御者はよろしいのですかな?」
「うむ。馬車と一緒に乗せといたままでいい」
「聞いていたな? 御者と一緒に、
「はっ!」
あ、危ない。この御仁は怖い御方だった。余計なことを考えていると怒鳴られてしまうな。よし、さっさと移動させよう。
はぁ……。それにしてもベルナティオ様はお美しい。俺の嫁になってほしかった。でも、こんなに美しい女性たちが居るのだ。
交渉すれば一人ぐらいは……。
「早く行け!」
「はっ!」
くそっ、怒鳴られてしまった。と、とにかく御者と話して移動させないとな。
しかし、こんなに汚らしいローブを着て良いのか? フードまでかぶりおって。さすがに当主様から怒られるだろう。それに体つきが細い。
これでよく、御者が務まるものだ。
「隣に乗って場所を指示する。分かったな?」
「………………」
「どうした。口がきけないのか?」
「………………」
「返事ぐらいはしてほしいのだが?」
「カタカタ」
「うん?」
「カタカタカタカタ」
「うわぁぁ!」
な、なんでこんなところにスケルトンが居るんだ! こ、これは拙い。とにかく剣を! アンデッドは滅ぼさないと!
「貴様! いきなり剣を抜くとは何事だ!」
「ス、スケルトンです! スケルトンが居ます!」
「カタカタ」
「なにっ!」
「あ、ああ。待ってくれ」
「え?」
「そいつは俺が召喚した魔物だ」
「しょ、召喚?」
「休まず仕事をしてくれて便利だぞ」
「便利って……。アンデッドですよ!」
このおっさんは何を言ってんだ? スケルトンが便利って……。確かにそうかもしれんが、命を憎むアンデッドだぞ? おぞましい敵だ!
「攻撃しないように命令してある。そのまま連れていけ」
「き、聞いたな? 連れていけ!」
「は、はっ!」
く、くそっ! なんだって俺がアンデッドなんかと……。
だが、これも仕事だ。偉大な皇帝陛下のためだ。我慢しよう。って、こっちを向くな! カタカタと口を動かすな!
そうだ。ベルナティオ様のことだけを考えればいいな。そうしよう。それにしても奇麗な足だ。仕事を放り出して飛びつきたい。
でもなんで、あんなおっさんなんかと……。
◇◇◇◇◇
帝国軍の駐屯地は、街道沿いから離れた平野部に設営されている。それでも、魔物の領域へは入っていない。
大きな建物と小さな建物がある広い敷地に、天幕がそこかしこに張られてあった。建物は簡易的に建てられてある。周囲には、
その大きな建物の中へ、フォルトたちは案内された。捕虜のファナシアを閉じ込めておく部屋を用意してもらい、三人の身内で監視してもらう。
ベルナティオとレイナス、それとアーシャだ。
「では、こちらの部屋でお待ちください」
「うむ」
残りの者は、ランス皇子と面会する部屋へ案内された。
駐屯地なので謁見の間はない。案内された部屋も、軍の関係者が会議で使うような場所だ。長テーブルが置いてあり、簡易的な椅子が並んでいた。
そして、一つだけ
「フォルト様、どうやら帝国は友好的なようですね」
「そうだな。早馬のおかげか? それとも……」
「御主人様、別の手紙とか言ってましたよお」
「言ってたな。テンガイ君は抜け目がないなあ」
「旦那様のことも、何かを言い含めていそうですね」
「まあ、交渉が簡単に済めばいいのだ」
「ですが、本当に良いのですか?」
「ファナシアか? それはいいと言っただろ」
「そうですが……」
フェブニスとファナシアを交換する。
レジスタンスの捕虜を渡すことになるが、こっちは交換さえできれば良い。ソル帝国でも、有効活用するだろう。
十分に納得すると思っている。
「御主人様!」
「どうやら来たようだ」
カーミラの魔力探知に、ランス皇子と護衛らしき人間が引っかかったようだ。もちろん、フォルトも探知している。
馬車を移動させていた帝国兵より魔力が高い。
(皇子の護衛だし、強くて当たり前か。エウィ王国の王宮で、王様を護衛していた騎士たちと似たようなものか。それにしても……)
フォルトは苦笑いを浮かべる。
三国会議の
力を持つと、偉い人物が寄ってくるのかと思ってしまう。物語にはよくある展開だが、ハッキリ言ってシュンに任せたいところだ。
そんなことを考えていると、部屋に先ほどの帝国騎士が入ってきた。
「フォルト殿、ランス皇子がお見えです」
「ああ」
フォルトが短い返事をすると、四人の男性が入ってきた。
一目見れば分かる。透き通るような長い白銀の髪で、眉目秀麗な男性。一人だけ黄金の
シュンより若い。ノックスと同じか。つまり、大学生ぐらいである。その皇子が部屋へ入るなり、笑顔で話しかけてきた。
「フォルト・ローゼンクロイツ殿だな?」
「うむ。突然の来訪ですまないな」
フォルトはローゼンクロイツ家の当主として偉そうに立ち、腕を組んでランスを迎えた。すまないと言いながらも謝っていない。
これも、マリアンデールとルリシオンのためだ。
「いや、来訪を待っていた。座ってくれ」
「うむ」
セレスが言ったように、テンガイから何かを言い含められているようだ。フォルトたちは、言われたとおり椅子へ座る。
それからソフィア、セレス、カーミラの順に紹介をする。
「ほう。そなたが聖女ソフィアか」
「お初に御目にかかります。元聖女のソフィアです」
「そうだったな。では、話を始めるとしよう」
ランスからすると、フォルトとソフィア以外は眼中にないようだ。
セレスはエルフ族である。人間は亜人種を見下しているため、ソル帝国としても同じように見ていた。長年の確執は埋められないものだ。
カーミラは『
「簡単には聞いているが、捕虜を交換したいと?」
「おっと、その件からか。助かる」
「………………」
フォルトは笑みを浮かべる。
顔に出てしまっているが、最大の懸案を先に解決するのは良いことだ。
「ダークエルフ族のフェブニスと交換をしてもらいたい」
「村へ火矢を放った亜人種だな」
「返せと言っても返してもらえないと思ってな。それで交換だ」
「なるほど。捕虜は女と聞いたが?」
「レジスタンスのファナシアという女性だ」
「レジスタンスだと? それにファナシアと言えば……」
ランスは髪をかきあげてから悩む仕草をとった。
それを見たフォルトは、腹芸でも仕かけられるのかと思った。
「どうだろう。フェブニスと交換してもらえるかな?」
「こちらからすれば、攻撃を仕かけられたのだがな」
「ダークエルフ族は、人間へ報復したのだ」
「人間か。亜人種らしい答えだが……」
「問題あるかね?」
ここまでの答えは、ソフィアに用意してもらった。
フェブニスに執着しているところを見せて、フォルトが完全にダークエルフ族の味方だと認識させる。
交換しないと、協力関係が築けないと理解させるのだ。
「あることはあるが、他ならぬフォルト殿の頼みだ。いいだろう」
「それはありがたい」
「捕虜は別室であったな?」
「うむ。部屋へ届けておいてくれ」
「おい。捕縛したダークエルフとファナシアを取り換えてこい」
「「はっ!」」
どうやら成功したようだ。
ランスの護衛として、近くに控えていた帝国騎士の二人が部屋を出ていった。これで、最大の懸案は終わった。
「では、私の頼みも聞いてくれるかな?」
「皇子のか?」
「簡単な話だよ。ダークエルフ族の認識の変化だ」
「認識の変化?」
「まず、ソル帝国は
「そうだな」
「それを理解させろ」
「ふむ」
「そうすれば、約定を破った件には目を
(ソル帝国からすれば、約定を破ったのはダークエルフ族という認識だったな。非はダークエルフ族側として、面目を守るってことか。まあこれも……)
ソフィアの言ったとおり、ソル帝国は体面を気にしていた。
それが原因で、弁明の使者が来なかったのだ。これを受けない場合は、大国の面目に賭けて帝国軍を動かすだろう。
もちろん、その答えも用意してあった。
「分かった。それについては、族長を納得させる」
「フェリアスは、人間の社会を理解している」
「そうだな」
「今後、同じことを起こさないようにさせろ」
勘違いをしたわけではないが、それを言っても意味はない。会談は始まったばかりである。まずは、最大の懸案が終わったことを喜ぶべきだろう。
それに懸案が片付いたということは、ファナシアの運命も決定したということだ。どう扱われるかは御察しである。
それを想像したフォルトは、片手で口を隠しながら口角を上げるのだった。
――――――――――
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