第351話 レティシア日記1
「ぜぇぜぇ。御嬢様、ついに来てしまいましたね」
レティシアは、魔人フォルトの
そして現在はキャロルと一緒に、とある場所へ来ていた。ダークエルフの里から西にある集落で準備して、今まで走り続けたのだ。途中で休憩などは
遅れたら、大婆に殺されてしまう。
「キャ、キャロルぅ。み、水を……。飲ませ、て」
レティシアは地面へ突っ伏していた。
キャロルはレティシアの従者として、二人分の荷物を持っている。大きな背負い袋のようなものだ。その中には水や食料などが入っている。
その背負い袋を地面へ下ろして、中から木で作られた水筒を取り出した。
「はっ、はい。御嬢様、お口を」
「あけけうぅ」
「開けながら
「はゃくぅ」
「はいはい」
水を飲ませてもらったレティシアは、それでもグッタリしている。
それを見たキャロルは菓子を取り出して、開けっ放しの口へ放り込んだ。まるで、餌をもらうのを待っている
「うんまあい!」
「疲れは取れましたか?」
「取れた取れたあ。この御菓子は別格ねえ」
「あまり数は無いのですから、帰りの分も必要ですよ」
「わ、分かってるわよお! でも、もう一個」
「駄目です。大婆様から餌を与えるなと言われています」
「餌ってなによお!」
レティシアが食した菓子は、ダークエルフ族に伝わる特殊な製法で作った菓子である。これを食べると、体力と気力が戻ってくるのだ。
俗にいう栄養食である。日本で売られている食品よりも強力で、その効果がすぐに現れる。ある意味では体に悪い菓子だ。
「では、足を伸ばしてください」
「はあい」
【ヒール/治癒】
キャロルが信仰系魔法を使う。
彼女は自然神の神官でもあった。ここまで走っているので、二人とも足がパンパンに張っている。先にレティシアを治癒して、次に自身も治癒した。
これで歩くことは可能だろう。
「と、とにかく行くしかないわ」
「御嬢様の春のためです」
「そうよ! ついに、この時が来たわ! 世界征服よ!」
「駄嬢様! 世界征服ではありません!」
「うふふふふ。わたしは魔王と一緒になったのよ。不可能ではないわ!」
「魔王と呼ぶなと言っていましたよ」
「じゃあ、何がいいのかしらね?」
「知りませんよ!」
これでは先が思いやられると思ったキャロルは、レティシアを起き上がらせて前方を見る。そこは草木も生えていない土地。ターラ王国の西にある隣国、砂漠の国ハンバーへ入国していた。
入国と言っても不法入国である。瓢箪の森から来た二人は、魔物の領域を横断したのだ。ダークエルフ族に対して、人間が決めた国境など無意味であった。
「あー、つー、いー、のー!」
「砂漠ですからね。森の住人としてはキツイです」
「帰ろう?」
「大婆様に殺されますよ」
「もう! 大婆様のばかぁ!」
山ではないので木霊しないが、周囲にレティシアの大声が響く。この砂漠へは、大婆の命令を受けたから来たのだ。
大婆と砂漠。どちらがマシかと問われれば砂漠だった。さすがに諦めて、日差し避けのフードをかぶる。
そして、砂漠の中を歩き出した。その後をキャロルが追う。
「体力が削られていきますね」
「帰ろう?」
「死にます?」
「よし! さあ前進、前進!」
レティシアは弱音を吐きながらも、ズンズンと砂漠の中を進んでいく。
すでに砂漠と岩石地帯の境界線は見えなくなって、周囲は砂だらけである。日差しも強く、二人の体力を奪っていった。
「キャロルぅ。私たち、死んじゃうのね」
どう考えても、砂漠を進むには装備が足りない。
塩分が入った保存食と水はあるものの、その量が少ない。夜は氷点下まで冷えるのだが、防寒具も無い。こっちの世界に、コンパスや医療用品は無い。
ある程度は魔法でどうにかなるが、遭難して死亡する可能性が高い。
「駄嬢様! その腰の木の棒は飾りですか?」
「え?」
「早く地面へ立てて倒してください! 行き先が分かりますよ」
「あっ! そうだったわね。忘れてたあ」
レティシアが持っている木の棒。
これは魔道具であり、砂漠でも遭難しないで進める便利アイテムだ。フェリアスに存在する世界樹の枝で作られており、対となる棒を指し示す。
「えっとぉ。こっち!」
「さあ、日が暮れないうちに進みましょう!」
「御褒美の御菓子が欲しいなあ」
「駄目です。餌は上げません」
「キャロルのケチぃ」
キャロルが進み始めたので、レティシアもついて行く。
対になる木の棒を持っているのは、ダークエルフの司祭だ。砂漠に存在するオアシスに住んでおり、ダークエルフ族が来るのを待っている。
さすがに砂漠では走れないので、二人はゆっくりと歩いている。それからある程度進んだところで、声を潜めて立ち止まった。
「キャ、キャロル。あれ……」
「御嬢様、動かないでくださいね」
レティシアが発見したものは、大きく盛り上がった砂山だ。よく見ると上下に動いたり、左右へ移動しているようだった。
「サンドウォームですね。動くと感知されてしまいます」
「何匹かしら?」
「見たところ、一匹のようですが……」
サンドウォームとは、砂漠に潜むミミズの魔物だ。
砂の中を移動して、獲物を感知すると襲いかかる。体の
口に感知機能が集中しており、砂上の振動から獲物を探知する。
「一匹……。うふふふふ。なら、ここで終わらせるわ!」
「駄嬢様! 病気を発症させてる場合じゃありません!」
「駄嬢様でも病気でもなあい! キャロルは手を出さないでね!」
「うぅ。なら、御嬢様の武器を……」
「そうっと、そうっとよ?」
キャロルはゆっくりと背負い袋を地面へ置いて、その中から武器を取り出す。それからソロリソロリとした動作で渡してくれた。
その武器は、シミターやシャムシールに分類されるような三日月剣だった。通常の長剣より、刀身が反り返っている。斬ることを目的とした剣で、柔らかいものなら突くことも可能。
それを二本受け取った。レティシアは双剣使いなのだ。
「ありがと」
「御嬢様、これからは持っていてください」
「はあい!」
なぜ武器をキャロルへ渡していたのか。
レティシアは他に身を守る術があるので、単純に持ち歩きたくなかっただけだ。もともとフォルトのように怠惰な女性で、あまり戦いを好まない。しかしながら、今回は必要だと判断した。いや、今回からと言ったほうが正解か。
今後は瓢箪の森を出て、魔人と一緒に暮らすのだから……。
「じゃあ、支援をちょうだい」
「はい」
【シールド/盾】
支援も無しに戦うのは危険なので、キャロルから防御魔法を受ける。
そして、サンドウォームが潜んでいる砂山へ向き直った。まだレティシアたちは感知されていないようだ。
それに気を良くしたのか、双剣を構えて名乗りを上げる。
「魔人王が姫の一人、〈黒き魔性の乙姫〉!」
「魔人王も却下されると思います。二つ名も初耳です」
「わたしの血となり肉となり、その身を
「はぁ……。聞いていませんね」
「レティシア、行きまあす!」
「危険だと判断したら逃げてくださいねえ!」
「はあい!」
自分は「かっこいい!」と思いつつ、レティシアは走り出した。
すると、それに気づいたサンドウォームが砂の中から姿を現す。口を開ければ、一飲みで食べられてしまいそうな大きさだ。全長は二十メートルはあるか。
それでも、シルバーセンチピードよりは小さい。
「小さいので良かったあ」
「オオオオオッ!」
「土の精霊ノームよ! 足元を固い石にして!」
【ストーン・ウォーク/石歩行】
ダークエルフ族はエルフ族と同じで、弓に秀でて精霊魔法を使える戦士が多い。もちろんレティシアも、精霊魔法の使い手である。これが身を守る術であった。
それでも訓練はサボり気味なので、あまり強力な魔法は使えない。
「これで良しっ!」
レティシアの精霊魔法は、指定した地面を硬い石へ変える魔法である。砂場や沼地などで使える魔法だ。土属性なので、海や川では使えない。
これで、砂の上でも足を取られずに走れる。
「ボオオオオオッ!」
サンドウォームは、レティシアを完全に感知した。
体を持ち上げて、口を大きく開けて上から迫ってくる。所詮はミミズなので知能はない。ただ獲物を呑み込むことしか考えていない攻撃だった。
そして、サンドウォームの影に包まれた。
「ひいぃぃ! 気持ち悪いよお」
このような単純な攻撃は、砂の上を普通に走れるダークエルフには通用しない。レティシアはサッと右へ進行方向を変えて、サンドウォームの攻撃を避ける。
それにしても、ニョロニョロしていて気持ち悪い。
「御嬢様!」
レティシアに避けられたサンドウォームは、そのまま砂へ突っ込んだ。
その衝撃で、砂が大量に飛び散る。そんなものを浴びたくないので、さっさと離れていった。それでも、多少の砂を被ってしまう。
「ペッペッ! キャロルは動いちゃ駄目だからね!」
サンドウォームは、全身を砂の中へ潜らせた。
そして、また動いている獲物を感知しようとしている。遭遇したときと同様に、砂が盛り上がっていた。
(近づけないのは困ったものね。どうしようかしら? 攻撃は単純なんだけど、近づけば避けたとしても、砂に埋もれてしまうわ)
砂に埋もれれば呼吸が困難になる。もがいて脱出を試みるしかない。
だがそれをやると、砂ごと呑み込まれるのは必至だ。動きの取れなくなったレティシアを、悠々と食べてしまうだろう。
「うふふふふ。
何かを思いついたレティシアは、再び走り出した。サンドウォームも同じように感知して、その大きな体を持ち上げる。頭を狙おうにも、この状態では高すぎて狙えない。八メートルから十メートルは持ち上げている。
そこから勢いをつけて落ちてくるため、受け止めることも無理である。
「ボオオオオオッ!」
サンドウォームの頭が大きな口を開き、レティシアを目がけて落ちてくる。このままでは先ほどと同じだ。それでもレティシアは、同様の行動をとった。
そして、今度は完全に離れずに精霊魔法を使う。
「土の精霊ノームよ! 砂を強固な岩盤に変えよ!」
【ロック・フロア/岩の床】
レイナスの氷属性魔法にある氷の床の岩バージョンである。
この魔法を使うことにより、サンドウォームが飛び込む場所の砂を岩へ変えた。それでも勢いが物凄いので、砕けた岩が飛び散って襲ってくる。
「このっ、ていっ! いたっ、いたっ!」
レティシアは、サンドウォームへ向かって走った。地面を岩へ変えたため、潜り込むのに時間が掛かっている。
それが狙いであった。飛び散ってきた岩は、キャロルから受けた防御魔法で威力を削いでいる。それでも、完全には防げない。
そこで顔や急所へ飛んでくる岩だけを、双剣で弾いていた。
「もらったわ!」
「オオオオオッ!」
レティシアの双剣が、サンドウォームの体へ突き刺さる。
その体はセンチピードど違って外殻は無く、とても柔らかいのだ。双剣はやすやすと、体へ食い込んでいった。
「ひいぃぃ! なんか変な液体が出てきたあ」
「御嬢様! 早くスキルを!」
「そ、そうだったわ。『
「オオオオオッ!」
「きゃあ! 土の精霊ノームよ!」
「御嬢様!」
レティシアはスキルを使った瞬間に、サンドウォームの体当たりを受けた。
その攻撃で、遠くに吹っ飛んでしまった。それでもギリギリのところで、石歩行の魔法を解除して砂の上に落ちた。
「けほっ、けほっ」
「だっ、大丈夫ですか?」
「痛い……。ちょっと、動けないよ」
「ジッとしててください! その場所なら平気です!」
「わ、分かったわ」
これも、キャロルの防御魔法のおかげだろう。
サンドウォームの大きな体が、レティシアに勢いよく
死んでいないだけ、マシかもしれない。
「オオオッ、オオ……!」
レティシアは、苦しみ出したサンドウォームを見る。
『
「後は放っておけば死ぬかなあ?」
サンドウォームが死ねば、キャロルが治癒魔法を使ってくれるだろう。それを心待ちにしつつ、レティシアは砂の上へ寝転ぶのだった。
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