第351話 レティシア日記1

「ぜぇぜぇ。御嬢様、ついに来てしまいましたね」


 レティシアは、魔人フォルトの寵愛ちょうあいを受けることになった。

 そして現在はキャロルと一緒に、とある場所へ来ていた。ダークエルフの里から西にある集落で準備して、今まで走り続けたのだ。途中で休憩などはほとんどない。

 瓢箪ひょうたんの森を出てから平野部を抜け、岩石地帯を走り抜けてきた。途中で遭遇した魔物からは、一目散に逃げだした。もちろん、一日では辿たどり着けない。途中で休憩を入れながらも、三日間は走り通しだった。

 遅れたら、大婆に殺されてしまう。


「キャ、キャロルぅ。み、水を……。飲ませ、て」


 レティシアは地面へ突っ伏していた。

 キャロルはレティシアの従者として、二人分の荷物を持っている。大きな背負い袋のようなものだ。その中には水や食料などが入っている。

 その背負い袋を地面へ下ろして、中から木で作られた水筒を取り出した。


「はっ、はい。御嬢様、お口を」

「あけけうぅ」

「開けながらしゃべらないでください!」

「はゃくぅ」

「はいはい」


 水を飲ませてもらったレティシアは、それでもグッタリしている。

 それを見たキャロルは菓子を取り出して、開けっ放しの口へ放り込んだ。まるで、餌をもらうのを待っているこいのようだ。


「うんまあい!」

「疲れは取れましたか?」

「取れた取れたあ。この御菓子は別格ねえ」

「あまり数は無いのですから、帰りの分も必要ですよ」

「わ、分かってるわよお! でも、もう一個」

「駄目です。大婆様から餌を与えるなと言われています」

「餌ってなによお!」


 レティシアが食した菓子は、ダークエルフ族に伝わる特殊な製法で作った菓子である。これを食べると、体力と気力が戻ってくるのだ。

 俗にいう栄養食である。日本で売られている食品よりも強力で、その効果がすぐに現れる。ある意味では体に悪い菓子だ。


「では、足を伸ばしてください」

「はあい」



【ヒール/治癒】



 キャロルが信仰系魔法を使う。

 彼女は自然神の神官でもあった。ここまで走っているので、二人とも足がパンパンに張っている。先にレティシアを治癒して、次に自身も治癒した。

 これで歩くことは可能だろう。


「と、とにかく行くしかないわ」

「御嬢様の春のためです」

「そうよ! ついに、この時が来たわ! 世界征服よ!」

「駄嬢様! 世界征服ではありません!」

「うふふふふ。わたしは魔王と一緒になったのよ。不可能ではないわ!」

「魔王と呼ぶなと言っていましたよ」

「じゃあ、何がいいのかしらね?」

「知りませんよ!」


 これでは先が思いやられると思ったキャロルは、レティシアを起き上がらせて前方を見る。そこは草木も生えていない土地。ターラ王国の西にある隣国、砂漠の国ハンバーへ入国していた。

 入国と言っても不法入国である。瓢箪の森から来た二人は、魔物の領域を横断したのだ。ダークエルフ族に対して、人間が決めた国境など無意味であった。


「あー、つー、いー、のー!」

「砂漠ですからね。森の住人としてはキツイです」

「帰ろう?」

「大婆様に殺されますよ」

「もう! 大婆様のばかぁ!」


 山ではないので木霊しないが、周囲にレティシアの大声が響く。この砂漠へは、大婆の命令を受けたから来たのだ。

 大婆と砂漠。どちらがマシかと問われれば砂漠だった。さすがに諦めて、日差し避けのフードをかぶる。

 そして、砂漠の中を歩き出した。その後をキャロルが追う。


「体力が削られていきますね」

「帰ろう?」

「死にます?」

「よし! さあ前進、前進!」


 レティシアは弱音を吐きながらも、ズンズンと砂漠の中を進んでいく。

 すでに砂漠と岩石地帯の境界線は見えなくなって、周囲は砂だらけである。日差しも強く、二人の体力を奪っていった。


「キャロルぅ。私たち、死んじゃうのね」


 どう考えても、砂漠を進むには装備が足りない。

 塩分が入った保存食と水はあるものの、その量が少ない。夜は氷点下まで冷えるのだが、防寒具も無い。こっちの世界に、コンパスや医療用品は無い。

 ある程度は魔法でどうにかなるが、遭難して死亡する可能性が高い。


「駄嬢様! その腰の木の棒は飾りですか?」

「え?」

「早く地面へ立てて倒してください! 行き先が分かりますよ」

「あっ! そうだったわね。忘れてたあ」


 レティシアが持っている木の棒。

 これは魔道具であり、砂漠でも遭難しないで進める便利アイテムだ。フェリアスに存在する世界樹の枝で作られており、対となる棒を指し示す。


「えっとぉ。こっち!」

「さあ、日が暮れないうちに進みましょう!」

「御褒美の御菓子が欲しいなあ」

「駄目です。餌は上げません」

「キャロルのケチぃ」


 キャロルが進み始めたので、レティシアもついて行く。

 対になる木の棒を持っているのは、ダークエルフの司祭だ。砂漠に存在するオアシスに住んでおり、ダークエルフ族が来るのを待っている。

 さすがに砂漠では走れないので、二人はゆっくりと歩いている。それからある程度進んだところで、声を潜めて立ち止まった。


「キャ、キャロル。あれ……」

「御嬢様、動かないでくださいね」


 レティシアが発見したものは、大きく盛り上がった砂山だ。よく見ると上下に動いたり、左右へ移動しているようだった。


「サンドウォームですね。動くと感知されてしまいます」

「何匹かしら?」

「見たところ、一匹のようですが……」


 サンドウォームとは、砂漠に潜むミミズの魔物だ。

 砂の中を移動して、獲物を感知すると襲いかかる。体の尖端せんたんが口になっており、捕食方法は丸呑まるのみである。

 口に感知機能が集中しており、砂上の振動から獲物を探知する。


「一匹……。うふふふふ。なら、ここで終わらせるわ!」

「駄嬢様! 病気を発症させてる場合じゃありません!」

「駄嬢様でも病気でもなあい! キャロルは手を出さないでね!」

「うぅ。なら、御嬢様の武器を……」

「そうっと、そうっとよ?」


 キャロルはゆっくりと背負い袋を地面へ置いて、その中から武器を取り出す。それからソロリソロリとした動作で渡してくれた。

 その武器は、シミターやシャムシールに分類されるような三日月剣だった。通常の長剣より、刀身が反り返っている。斬ることを目的とした剣で、柔らかいものなら突くことも可能。

 それを二本受け取った。レティシアは双剣使いなのだ。


「ありがと」

「御嬢様、これからは持っていてください」

「はあい!」


 なぜ武器をキャロルへ渡していたのか。

 レティシアは他に身を守る術があるので、単純に持ち歩きたくなかっただけだ。もともとフォルトのように怠惰な女性で、あまり戦いを好まない。しかしながら、今回は必要だと判断した。いや、今回からと言ったほうが正解か。

 今後は瓢箪の森を出て、魔人と一緒に暮らすのだから……。


「じゃあ、支援をちょうだい」

「はい」



【シールド/盾】



 支援も無しに戦うのは危険なので、キャロルから防御魔法を受ける。

 そして、サンドウォームが潜んでいる砂山へ向き直った。まだレティシアたちは感知されていないようだ。

 それに気を良くしたのか、双剣を構えて名乗りを上げる。


「魔人王が姫の一人、〈黒き魔性の乙姫〉!」

「魔人王も却下されると思います。二つ名も初耳です」

「わたしの血となり肉となり、その身をささげよ!」

「はぁ……。聞いていませんね」

「レティシア、行きまあす!」

「危険だと判断したら逃げてくださいねえ!」

「はあい!」


 自分は「かっこいい!」と思いつつ、レティシアは走り出した。

 すると、それに気づいたサンドウォームが砂の中から姿を現す。口を開ければ、一飲みで食べられてしまいそうな大きさだ。全長は二十メートルはあるか。

 それでも、シルバーセンチピードよりは小さい。


「小さいので良かったあ」

「オオオオオッ!」

「土の精霊ノームよ! 足元を固い石にして!」



【ストーン・ウォーク/石歩行】



 ダークエルフ族はエルフ族と同じで、弓に秀でて精霊魔法を使える戦士が多い。もちろんレティシアも、精霊魔法の使い手である。これが身を守る術であった。

 それでも訓練はサボり気味なので、あまり強力な魔法は使えない。


「これで良しっ!」


 レティシアの精霊魔法は、指定した地面を硬い石へ変える魔法である。砂場や沼地などで使える魔法だ。土属性なので、海や川では使えない。

 これで、砂の上でも足を取られずに走れる。


「ボオオオオオッ!」


 サンドウォームは、レティシアを完全に感知した。

 体を持ち上げて、口を大きく開けて上から迫ってくる。所詮はミミズなので知能はない。ただ獲物を呑み込むことしか考えていない攻撃だった。

 そして、サンドウォームの影に包まれた。


「ひいぃぃ! 気持ち悪いよお」


 このような単純な攻撃は、砂の上を普通に走れるダークエルフには通用しない。レティシアはサッと右へ進行方向を変えて、サンドウォームの攻撃を避ける。

 それにしても、ニョロニョロしていて気持ち悪い。


「御嬢様!」


 レティシアに避けられたサンドウォームは、そのまま砂へ突っ込んだ。

 その衝撃で、砂が大量に飛び散る。そんなものを浴びたくないので、さっさと離れていった。それでも、多少の砂を被ってしまう。


「ペッペッ! キャロルは動いちゃ駄目だからね!」


 サンドウォームは、全身を砂の中へ潜らせた。

 そして、また動いている獲物を感知しようとしている。遭遇したときと同様に、砂が盛り上がっていた。


(近づけないのは困ったものね。どうしようかしら? 攻撃は単純なんだけど、近づけば避けたとしても、砂に埋もれてしまうわ)


 砂に埋もれれば呼吸が困難になる。もがいて脱出を試みるしかない。

 だがそれをやると、砂ごと呑み込まれるのは必至だ。動きの取れなくなったレティシアを、悠々と食べてしまうだろう。


「うふふふふ。ひらめいたわ。わたしの勝ちね」


 何かを思いついたレティシアは、再び走り出した。サンドウォームも同じように感知して、その大きな体を持ち上げる。頭を狙おうにも、この状態では高すぎて狙えない。八メートルから十メートルは持ち上げている。

 そこから勢いをつけて落ちてくるため、受け止めることも無理である。


「ボオオオオオッ!」


 サンドウォームの頭が大きな口を開き、レティシアを目がけて落ちてくる。このままでは先ほどと同じだ。それでもレティシアは、同様の行動をとった。

 そして、今度は完全に離れずに精霊魔法を使う。


「土の精霊ノームよ! 砂を強固な岩盤に変えよ!」



【ロック・フロア/岩の床】



 レイナスの氷属性魔法にある氷の床の岩バージョンである。

 この魔法を使うことにより、サンドウォームが飛び込む場所の砂を岩へ変えた。それでも勢いが物凄いので、砕けた岩が飛び散って襲ってくる。


「このっ、ていっ! いたっ、いたっ!」


 レティシアは、サンドウォームへ向かって走った。地面を岩へ変えたため、潜り込むのに時間が掛かっている。

 それが狙いであった。飛び散ってきた岩は、キャロルから受けた防御魔法で威力を削いでいる。それでも、完全には防げない。

 そこで顔や急所へ飛んでくる岩だけを、双剣で弾いていた。


「もらったわ!」

「オオオオオッ!」


 レティシアの双剣が、サンドウォームの体へ突き刺さる。

 その体はセンチピードど違って外殻は無く、とても柔らかいのだ。双剣はやすやすと、体へ食い込んでいった。


「ひいぃぃ! なんか変な液体が出てきたあ」

「御嬢様! 早くスキルを!」

「そ、そうだったわ。『黒死剣こくしけん』!」

「オオオオオッ!」

「きゃあ! 土の精霊ノームよ!」

「御嬢様!」


 レティシアはスキルを使った瞬間に、サンドウォームの体当たりを受けた。

 その攻撃で、遠くに吹っ飛んでしまった。それでもギリギリのところで、石歩行の魔法を解除して砂の上に落ちた。


「けほっ、けほっ」

「だっ、大丈夫ですか?」

「痛い……。ちょっと、動けないよ」

「ジッとしててください! その場所なら平気です!」

「わ、分かったわ」


 これも、キャロルの防御魔法のおかげだろう。

 サンドウォームの大きな体が、レティシアに勢いよくたたきつけられたのだ。それでも衝撃が強く、防御魔法があったとしても動けないでいた。

 死んでいないだけ、マシかもしれない。


「オオオッ、オオ……!」


 レティシアは、苦しみ出したサンドウォームを見る。

 『黒死剣こくしけん』は、傷口から腐食させていくスキルである。この魔物は、体を真っ二つにしても死なない。ある程度なら再生できる。しかしながらスキルの効果で、ドンドンと傷口から黒くなっていった。


「後は放っておけば死ぬかなあ?」


 サンドウォームが死ねば、キャロルが治癒魔法を使ってくれるだろう。それを心待ちにしつつ、レティシアは砂の上へ寝転ぶのだった。



――――――――――

Copyright(C)2021-特攻君

感想、フォロー、☆☆☆、応援を付けてくださっている方々、

本当にありがとうございます。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る