第324話 帝国軍師の思惑2

 フォルトは宿舎になっている屋敷の庭へ出て、おっさん親衛隊がやっている訓練の様子を見ていた。いつもはベルナティオとレイナスの師弟コンビと、他の者たちは一緒にやっていない。

 チームとしての連携を高めるために、今回から一緒にやってみる事とした。訓練メニューなどは別で構わないが、形から入ってみようという事だ。


「御主人様。寝坊でーす!」

惰眠だみんこそ、わが幸せの境地」


 もともと屋敷へ設置されていたテラスだ。いつものように寝過ぎたフォルトはカーミラの隣に座った。専用椅子がないのが残念だが、椅子を寄せ合っている。


「今日で四日目だ。三日後には出発だな」

「そうですねえ。でも、帝国は何も仕掛けてきませんでしたね」

「まだ分からんがな。思い過ごしだったか?」


 帝国軍師テンガイは忙しいという理由を付けて、ターラ王国への出発を一週間後にしていた。バグバットの顔をつぶさないために了承をしたが、その間にフォルトたちの内情を探るべく動いていると思っていた。

 しかし、滞在して四日目になっているが何もない。屋敷から出ないかの監視程度はあるが、接触を持とうとしてくる者などは居なかった。


「フォルト様。お茶をお持ちしました」


 くつろいでいるとメイドが茶を持ってきた。茶などは普段であればレイナスやルリシオンが持ってくるが、この屋敷にはメイドが居る。バグバットの屋敷にも獣人族のメイドが居るが、こちらは帝国貴族の御令嬢だ。

 基本的に人間社会のメイドは平民の仕事ではなく、爵位の低い下級貴族令嬢の仕事である。それは当然の事だった。礼儀作法から貴族社会の常識が必要であり、貴族同士のつながりも必要で平民ではなり得ない職業なのだ。


「御苦労」

「ありがとうございます」


 メイドはフォルトの前にカップを置き茶を入れる。それから一歩下がって斜め後ろに立った。なんともムズかゆい。


「あ……。下がってくれていいよ」

「畏まりました」


 こうやって告げないと駄目なのも手間だ。メイドなど不要と伝えてもらったのだが、解雇されてしまうと言われ渋々了承した経緯があった。


鬱陶うっとうしいですねえ」

「まあな。だが、解雇はキツイ。それはよく知っている」


(俺も何十年と勤めた会社に解雇されてから、引き籠りになってしまったしな。他人だからどうでもいいのだが、どうも同じ事をさせたくない)


 つらさを知っているだけに解雇と言われると弱い。魔人として生きていくには不要な感情だと分かっているし、悪魔であるカーミラの意に沿わないのも分かっている。しかしながら、ある種のトラウマなのだろう。


「カーミラ、すまんな」

「大丈夫ですよお。御主人様は魔人であって、悪魔ではないでーす!」


 カーミラの人間を見限れという言葉は、結局のところ弱肉強食の世界をフォルトに理解させるためである。それはかなえられているので問題はないようだ。


「そう言えば、レティシアたちは?」

「部屋でくつろいでると思いますよお。出ていないようですし」

「そうだな。部屋に二つの反応か」

「呼んできますかあ?」

「いや。伝言だけ頼む」

「なんて言えばいいですかあ?」

「先に風呂へ入るから、まだ戻らないとな」

「はあい!」

「カーミラは後から来るように」


 おっさん親衛隊の訓練が終わりそうなので、先に風呂へ入ると伝えてもらう。汗を流しに訓練中の五人も来るだろう。空き家とはいえ貴族の屋敷なので、大理石のような石で造られた湯船がある。


「さて、先に入って……。でへ」

「えへへ。すぐに行きますねえ」


 フォルトはカーミラとともに宿舎へ入り階段で二手に別れた。自分たちの屋敷のように直通で行けないのが欠点である。それから風呂場へ向かっていると、曲がり角の陰から何かが飛び出してきた。


「えいっ!」

「うん?」


 何か掛け声が聞こえた気がしたが、その何かはフォルトへぶつかって尻餅をついている。よく見るとメイドの一人だ。大量の布を持っていたのか廊下に散乱している。


「いたたっ」

「だ、大丈夫か?」

「こ、こ、これはフォルト様!」

「それより」

「はい?」

「見えているぞ」


 フォルトの視線はメイドのある場所を見ていた。彼女は尻餅をついたまま足を広げており、スカートがめくれ上がっていた。少々不自然なめくれ方だが、中身は純白である。残念ながら一般的なトランクスのような形なのでえない。


「こ、これは、とんだ失礼を!」

「いや。急に飛び出すと危ないぞ」

「フォルト様にお怪我けがは? って、きゃ!」


 メイドは恥ずかしがりながら起き上がり、フォルトの近くへ寄ってくる。それから床に散らばっている布で滑り、胸の中へ飛び込んできた。


「おっと」

「あ……。重ねがさね、もうしわけありません!」

「い、いや。それより」

「はい?」

「いつまで抱きついているのだ?」

「はっ!」


 すぐに離れるのが当然なのだが、なぜかギュッと抱きついたままだ。メイドはフォルトの言葉で気づいたようで、サッと離れていった。


「どれ。拾うのを手伝おう」

「い、いえ。そのような事をフォルト様にさせられません!」

「布を拾うだけだが?」

「お手を煩わせてはメイド失格です! お気になさらずに!」

「そ、そうか?」

「あっ! お風呂ですよね? 今は誰も入っておりません!」

「分かった。なら、行かせてもらうとしよう」


 とんだラッキーハプニングだったが、メイド失格と言われては手伝うわけにもいかない。この時点でメイドから視線を逸らして歩き出した。


「あ、あの」

「うん?」

「た、たくましい体でした! きゃ!」

「へ?」


 メイドは急いで布を拾い、頬を赤らめながら走り去っていった。なんともドタバタしてよく分からなかったが、フォルトは首をかしげながら風呂場へ向かった。


「湯船が狭いんだよな。貴族なら金をかけろと言いたい」


 宿舎の風呂は湯ではなく水である。湯を使う場合は燃料費がかかるそうだ。毎日のように熱い風呂へ入る貴族などおらず、節約する部分は節約をしていた。体を洗うだけなら、それで十分なのだ。ルーチェが作った魔道具がないのが悔やまれる。

 フォルトたちの屋敷の風呂は広い。全員が入っても問題がないのだ。もし滞在が一週間でなければ改装してしまいたいところだ。そんな事を考えながら脱衣所へ入り、服を脱いで布を腰へ巻く。それから扉を開けて風呂場へ入っていった。


「きゃあ!」

「え?」


 風呂へ入ると全裸の女性がいる。誰も入ってないと聞いていたが、先ほど庭で茶を入れていたメイドが入浴をしていた。仕事中に入っているのはおかしいが、そんな事を考えている余裕はない。


「フォ、フォルト様!」

「す、すまん。入っているとは思わず。すぐに出ていく」

「お、お待ちください」

「え?」


 フォルトが急いで風呂を出ようとすると、そのメイドが背中へ抱きついてきた。そして、柔らかいモノを押し当ててくる。これには混乱をしてしまった。


「な、なにを」

「御迷惑でなければ、御背中を流しましょう」

「は?」

たくましいです」

「ちょっと!」


 メイドはフォルトの背中をさすりつつ誘惑してくる。背中を流すといいながら、後ろから手を伸ばしてきた。いきなりの事で面をくらってしまう。これでたくましいと言われたのは二度目だが、おっさんの姿であるためプニプニしている。


「私では駄目でしょうか?」

「だ、駄目というか、これからみんなが来るのだが」

「え?」

「目を閉じているから、先に出た方がいいぞ」

「そ、そうですか。失礼をしました」

「もう来るぞ。早く出た方が身のためだ」

「畏まりました。では、夜にでも御呼びください」

「へ?」


 メイドが発した最後の言葉はよく分からなかったが、そそくさと風呂から出ていった。脱衣所にメイド服があったかは記憶にないが、カーミラと鉢合わせにはならなそうだ。鉢合わせになっていれば、彼女の首がなくなると思われる。


「な、なんだったんだ?」


 メイドの裸体を見られたのはラッキーだったが、残念ながら欲情はしなかった。帝国貴族の令嬢で容姿はよく、スタイルも素晴らしいものがあった。普通の男性ならイチコロだろう。しかし、フォルトの趣味ではなく襲うほどの魅力がない。それがあったとしても身内以外には手を出さないのだ。


「御主人様!」

「きたか」


 フォルトが首をかしげていると、布を巻いたカーミラが入ってきた。それから洗いっこを開始していると、おっさん親衛隊も入ってくる。そして、風呂場は嬌声きょうせいに包まれたのであった。



◇◇◇◇◇



「フォルト様。料理の味は、いかがでしたでしょうか?」


 風呂を済ませたフォルトたちは、食堂で夕食をとっていた。そして、食べ終わった後に執事から話しかけられた。


「うまかったぞ」

「皇帝陛下は農業や酪農の改革をおこなっておりますれば」

「ほう。改革か」

「帝国のため、常に新しい事へ挑戦し続けております」

「なるほどな」

「ですので、エウィ王国とは違い活気に満ちておりますな」

「いいね。その調子で頼む」

「はい?」

「いや、こっちの話だ」


(そうやって、頑張って技術を発展させてくれ。俺は発展したものを楽しむだけだ。この飯のようにな。いや、素晴らしいな帝国)


 エウィ王国では特に見られなかったが、帝国では力を入れているようだ。人間の技術発展は望むところ。ドンドンと発展してもらい楽しませてもらいたい。


「そのため、帝国の未来は明るいです」

「だが、それと飯と何の関係が?」

「失礼しました。少々、熱が入ってしまいました」

「そのようだな。では、食後の茶を頼む」

「畏まりました」


 この執事は、バグバットの執事のように仲がいいわけではない。話していたいとも思わないので、さっさと切り上げた。

 その執事はフォルトの近くから離れていきメイドへ指示を出している。そして、そのメイドのうち何名か寄ってきて茶を入れてくれた。


「ソフィア。エウィ王国って技術の発展に力を入れてないのか?」

「まったく入れていないわけではありません」

「そうだろうな。他国とのバランスもあるだろうし」

「はい。技術力で負ければ国が衰退しますので」

「だが、負けてるようだぞ」

「かもしれませんね。御爺様は手を打っていたはずですが」

「ふーん」


 戦争だけが国と国の戦いではない。技術力の差も戦いの一部だ。それは軍事分野であったり国民生活の向上のためであったりするが、そこで差がつくと国力の差として如実に出てしまう。ソル帝国が先へ進んでいるなら、エウィ王国も進む必要があるだろう。しかし……。


「貴族のせいですわね」

「へえ。レイナス、詳しく」

「はい。簡単なところだと、既得権益ですわ」

「ああ、そういう事か」


 既得権益とは、長期にわたり維持している権利や利益の事だ。技術が発展すると、維持していた技術の権利で利益を上げられなくなる。そのため、その恩恵にあずかる貴族が発展の邪魔をする。エウィ王国の貴族は王家に協力している立場であるため、王家が強く言えないのだ。

 帝国にも貴族は居るが、全ての技術は皇帝に帰属している。そのため、既得権益はあるが誰も邪魔をできない。完全独裁国家の強みである。


「エウィ王国は足の引っ張り合いをしてるって事だな」

「さすがはフォルト様。理解が早いですわ」

「帝国は鶴の一声で決まるからスムーズに進むと」

「そういう事ですわね」

「なら、帝国の方がいいのか?」

「どちらも強みがあり、弱みもありますわね」


 さまざまな主義を掲げた国家があるが、完璧な国家を造る事は不可能だ。ある部分で強くても、ある部分では弱かったりする。完全独裁国家の場合は、次代皇帝が愚かだったら国が一気に衰退してしまうという欠点がある。現在の帝国が豊かなのは皇帝が優秀だからだ。

 エウィ王国の場合は、王家が愚かでも貴族が優秀なら暴走を止められる。長期にわたり国を維持しやすいのだ。ゆえに三百年という長きにわたり、国が存続していた。その他にも有利なものは多い。


「まあ、発展してるならいい。俺はそれを享受するだけだ」

「ふふ。ちゃっかり者ですね」

「その通り。何が発展してるか興味があるが、部屋へ戻ろうか」

「はい」


 茶を飲み終えたフォルトたちは、立ち上がって自分たちの部屋へ向かった。風呂へ入ったばかりだが、これから汗を流す事になる。これで四日目が終わるが、残りの三日も自堕落な生活を続けるのだった。



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