第303話 (幕間)帝国の策謀

 時はさかのぼる事、ベクトリア公国の樹立前。商業都市ハンの町にある高級料理屋で、デルヴィ侯爵とグラーツ財務尚書がテーブルを挟んで向かい合っていた。今回は息子のアルカスも同席している。


「初めましてデルヴィ侯爵様。アリマー家嫡男のアルカスと申します」

「私の息子だ。一度、会わせておこうかとな」

「ほう。ワシがデルヴィだ。利発そうな息子だな」

「やはりそう見えるか?」

「ほっほっ。それよりも、まずは一献」


 これは当然、社交辞令だ。とても利発そうには見えない。それはともかく、テーブルの上に置いてあるワインを手に取りグラスへ注ぐ。もちろん最初と同じく、グラーツは持参したワインを注いだ。そして、話を始める。


「ぶひひ。闘技場では大変な騒ぎでしたなあ」

「ほっほっ。予期せぬ出来事は、いつでも起こり得ますからな」


 情報を得るのが速い。帝国の諜報員も活発に動いているという事だろう。それはエウィ王国とて同じ事。帝国の動きは分かっている。


「して、私が呼ばれたという事は?」

「例の品ですな」

「ぶひひ。戦神の指輪が見つかりましたか」

「ワシにかかれば造作もない事。しかし、問題がありましてな」

「はて。指輪は落札をした私の物。他に何が問題で?」

「金は支払われましたかな?」

「おお。そう言えば、まだでしたなあ」

「そういうわけです」


 「黒い棺桶かんおけ」が主催する闇のオークションは、先の騒ぎで中止になっていた。あれから再開をしてグラーツも参加しているが、大金を持ち歩いて参加する者は居ない。グラーツは帝国内で受け取り、支払いをするつもりだった。


「ふむ。でしたら、予定通り届けていただければ」

「そうしたいのは山々ですがな」

「それも問題があるのかね?」

「国境の兵を退いていただければ」

「ぶひひ。それは先日の話。まだ陛下へ話しておらぬ」


 グラーツは、でっぷりと肥えた腹を揺らしながら笑っている。言ったところで寝耳に水。何度もやり取りをして、何度も同じ答えが返ってきている。もちろんデルヴィ侯爵は期待をしていない。


「それは期待しておきますが、もう一点ありましてな」

「まだなにか、ありますかな?」

「指輪の出品者なのだが」

「おお。たしか、オービスという偽名を使っていたな」

むくろの傭兵団を知っておるか?」

「ぶひひ。ランキングSSSの傭兵団だな。知っておるぞ」

「そこの団長だ」

「クラウケスか! そうか、やつが……」


 デルヴィ侯爵から意外な名前が出た。これにはグラーツも驚くが、それはたいした問題ではない。要は戦神の指輪を入手できればいいのだ。しかし……。


「それでな。指輪は返しておいた」

「な、なにっ! こちらへ渡すのではないのか!」

「金の支払いがまだでしたからな」

「それで支払いの事を聞いてきたのか」

「うむ。交渉は直接やるとよかろう」

「くそっ。親友が聞いてあきれるわ!」

「ほっほっ。親友だとも。だが、物事には順序があるからの」

「わ、分かった。たしか、エウリカが拠点だったな」

「そうですな。では、食事を運ばせましょう」


――――――パン、パン


 グラーツの苦々しい表情を無視して、デルヴィ侯爵が両手をたたく。すると、料理が運ばれてきてテーブルの上に並ぶ。


「パパ。難しい話は終わった?」

「そうだな。そう言えば、侯爵殿へ聞きたい事があるのだったな」

「御子息殿が、ワシにですかな?」

「小さな魔族が、どこに居るかを聞きたいのです」

「小さな魔族ですと?」

「こ、これ。それは諦めたと」

「諦められないよ! アリマー家を侮辱したんだよ?」

「す、すまぬ侯爵殿。忘れてくだされ!」


 グラーツは慌ててアルカスを止める。小さな魔族とはマリアンデール・ローゼンクロイツだ。当主を名乗ったフォルト・ローゼンクロイツと面識を持ちたいが、魔族に用はない。それに、その魔族へ手を出すと友好など到底結べない。


「御子息殿」

「は、はい!」

「その魔族もそうですが、元来魔族とは人間より強く」

「分かっております。ですが、居場所さえ分かれば」

「分かれば?」

「わが帝国の第九……」

「こら! アルカス!」

「パ、パパ?」


 デルヴィ侯爵が目を細める。グラーツが息子を怒鳴るのは珍しいのだろう。アルカスは目をキョトンとさせてほうけていた。


「はて? なんと言いましたかな?」

「い、いや。聞こえておらねばよい」

「そうですか? とにかく、魔族とは関わらない方がよいですぞ」

「わ、分かりました」

「では、食事を楽しみましょうかな」

「う、うむ」


 これからの時間は、たわいもない話をする。その間、デルヴィ侯爵の頭脳がフル回転をしていた。アルカスが何を言ったかを聞き取れなかった。わけがない。

 それにしても、グラーツの息子は愚息だ。自分の息子なら殺している。そんな事を考えながら、彼らとの食事を楽しむのであった。



◇◇◇◇◇



 時は進み、現在。


「テンガイ。うまくいったようだな」


 ソル帝国帝都クリムゾンにある帝城リドニー。その皇帝の執務室に、軍師のテンガイと帝国四鬼将筆頭ルインザードがソファに座っている。その対面に座るのが皇帝ソルだ。その覇王然とした顔は笑顔で満ちていた。


「これで、エウィ王国は挟み撃ちですな」

「ヒスミール将軍は?」

「現在は、ダマス荒野の駆除を始めております」

「砦の建設には、数カ月を要するでしょう」

「ちょうどよいな」


 帝国軍第九軍を率いるヒスミールは、ダマス荒野の中央へ砦を築くために動いている。魔族だけで組まれた特戦隊が中心となり、魔物の討伐をおこなっていた。


「はい。しかし、ただ待つのもなんですな」

「当然だ。ターラ王国はどうなっておる?」

「ランス王子が王族を傀儡かいらいとし、統治しております」

「レジスタンスは?」

「そちらは、もう少々かかりますな」

「四鬼将の一人を出したのだぞ?」

「潜入には成功したようです。しかし、まだ本拠地には」

「ふん。定期連絡を怠るなとランスに伝えておけ!」

「はっ!」


 ターラ王国のレジスタンスは規模が大きいが本拠地が分かっておらず、現在は潜入調査中だ。分散された支部などは分かるが、それをつぶしたところで意味はない。雲隠れをされて新たな支部を作られるだけである。


「ネズミどもが」

「ところで陛下」

「どうした?」

「最近、グラーツ殿を見かけませんが?」

「やつは休暇がてらエウィ王国だ」

「エウィ王国ですと?」

「裏のオークションで、戦神の指輪を出品されるとの情報を得たらしい」

「ほう。十年以上前にオービス神殿から盗まれた物ですな」

「長期の休暇をくれてやった。裁量権を与えてな」

「さすがは陛下ですな。グラーツ殿なら休暇を有効に使うでしょう」

「今頃はデルヴィ侯爵と会談中ですかな?」


 基本的にグラーツ財務尚書は、帝国の内政と財政を担っている。軍事作戦上は予算を捻出する事が仕事であり、すでに達成している。

 彼には長めの休暇を取らす事で、他の部分の補強を兼ねさせた。戦神の指輪を手に入れて、神殿勢力と良好な関係を築く。デルヴィ侯爵と会談をして、時間を稼ぐなどである。休暇中は自由な裁量権を与えていた。


「軍師殿はどちらが上だと思う?」

「残念ながら、一歩及ばず」

「そうだろうな。まあ、時間を稼げればいい」

「その点は大丈夫でしょう。ルインザード様が悪者になりますが」

「困ったものですな。私は猪武者いのししむしゃではありませんぞ!」


 帝国軍が国境から距離を取らないのは、全てルインザードのせいとなっている。主戦論者であり、三国会議の取り決めなどとも思っていない。皇帝ソルの幼馴染おさななじみのため、誰も強く言えない。ソルですら頭を抱えている。という設定だ。


「その設定のおかげで、時間を稼げているのですよ」

「軍師殿も悪い人だ。いずれ、穴埋めをしてもらいますぞ」

「帝国の英雄にでもなりますかな?」

「止めてくれ。性に合わんし、それで喜ぶ歳でもないわ!」


 テンガイの冗談に、ルインザードが嫌そうな顔をする。帝国のためなら、いや、ソルのためなら悪者になっても構わない。しかし、英雄などという華やかな舞台には立ちたくはないのだ。


「英雄と言えば……。軍師殿。大賢者殿はどうしてる?」

「塔へこもりっきりですな」

「相変わらず魔法の研究か」

「はい。いずれ、デモンズリッチになりそうな気がします」

「はははっ。軍師殿の師匠であろう。悪しざまに言うものではない」


 帝国が誇る大賢者ドゥーラ。魔法の深淵を追い求め、ひたすらに知識を蓄えている人物だ。帝国が研究施設などを貸し出しているので、対価としてソルに仕えている。しかし、国家運営や政治には興味がない。

 弟子を取る事もないが、テンガイが若い頃に助手として近づいた。それから実験をするために、魔法を教えてもらっていたのだ。助手とはいえ、魔法を知らねば実験に付き合えないからである。


「これは失礼を。して、師匠に何か?」

「ジグロードへの道だな」

「結界ですか。しかし、エルフの女王は?」

「多忙との事だ。まだ数年は持つらしいが」

「すぐにでも更新をしておきたいですな。作戦が始まれば……」

「それだ。軍師殿の知恵を貸せ」


 ジグロードへ続く大トンネルにほどこされた結界。三大大国の魔法使いが儀式魔法でほどこした結界である。帝国の作戦が開始されれば、エウィ王国の宮廷魔術師長グリムが協力を拒むはずだ。


「でしたら、パロパロ殿に連絡をつけましょう」

「グリムの代わりと思っておったが、ジュリエッタの代わりに使うか」


 グリムの穴埋めとして、サザーランド魔導国女王パロパロを考えていた。それにはベクトリア公国も賛成するだろう。大国としての地位を上げられるのだから。

 しかし、現在はエルフの女王ジュリエッタと連絡が取れない。そのため、作戦が始まる前に大賢者ドゥーラ、エウィ王国宮廷魔術師長グリム、サザーランド魔導国女王パロパロで結界を更新してしまうのだ。


「しかし、これは保険ですな」

「ほう」

「パロパロ殿を使うとなると、フェリアスの反発が予想されます」

「で、あろうな。しかし、三国会議欠席の責任を問えばよかろう?」

「そこで、私がアルバハードへ行きましょう」

「アルバハードだと? バグバット殿か」

「はい。フェリアスへの仲介です」

「ふむ。そこでジュリエッタが出てくれば問題はないか」

「その通りです。仲介を頼んだという事で、反発も和らぐかと」

「よし! それでいこう。結界の件では全権を与える」

「ありがたき幸せ」


 軍師テンガイの知恵は卓抜していた。万が一ジュリエッタが出てこなくても、帝国の損にならない保険をかける。


「ところで陛下。フォルト・ローゼンクロイツの件ですが」

「うむ。どうなっておる?」

「双竜山の中央にある森に居るかと」

「その情報はどこからだ?」

「エウィ王国の貴族ですな。えらく吹っ掛けられました」

「あいつか。しかし、作戦上の要所だぞ」

「はい。どうしようか悩んでいるところです」

うそを言え。どうする予定だ?」

「その件で、許可をいただきたく。内容としましては――――」

「構わん。だが、慎重にな」

「畏まりました」


 皇帝ソルは、フォルトの件をテンガイに一任する。基本的には敵に回したくない相手である。アルバハードの領主バグバットと仲がよく、高位の魔法使いだ。

 作戦が始まる前に、調略を仕掛けて引き抜いておきたい。それをテンガイへ言い含め、次の策略を練っていくのであった。



――――――――――

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