第280話 姉妹と堕落の種2
商業都市ハンの北東に、小さな町であるエウリカがあった。その町の北にそびえるエウリカ山脈をこえれば、フェリアスへ入国できる。しかし、山道はなく険しい山である。魔物も多いため、誰も山越えをしようとは思わない。
山越えをしたところで、フェリアスの有翼人や獣人族に捕縛されるだけだ。そのままエウィ王国へ引き渡されて、国境を破った罪で
「さて、傘下へ入ったのはいいが……」
「よかったじゃないかい。幹部だよ!」
「まあ、クラウケスの近くで戦いたかったからいいけどよ」
「しっかりしな! ここを縮こませてる場合じゃないよ!」
「へっ! でけえのが取りえだからよ」
ジュリアはグランテの下腹部をたたく。それに気をよくしながら、拠点の中を歩いていた。エウリカにある
「入るぜ」
グランテは目の前の大きな扉を開ける。ここは団長室だ。中へ入ると大きなソファーが何個もある。そのソファーには誰も座っていなかった。
「グランテか」
「あ、ああ。クラウケス……。いや、団長」
「クラウケスでいい。おまえも傘下とはいえ団長だ」
「分かった。クラウケス」
彼の素顔を見た者は居ない。たとえ幹部であってもだ。そして、〈デスロード〉の二つ名を持っている。見た目はまさに、死の王であった。
「血煙の傭兵団はランキングから除外される」
「分かってる」
「座れ」
「ああ」
グランテは空いているソファーへ座る。隣にはジュリアだ。団長のクラウケスは、
「編成した団員はどうだ?」
「ああ。俺らの団員と打ち解けてるようだぜ。でも、いいのか?」
「何がだ?」
「団員をもらっちまってよ」
「
「なるほどな。これで血煙の傭兵団は二百人になったが……」
「他の傭兵団も同じだ」
「改めて言っておくが、傘下の団長は幹部だ」
「本気で新参者の俺を幹部にするのか?」
「そうだ。それが俺の方針だ」
「古株も居るだろうに……」
「関係はない。俺は組織力を重視する」
「ほう」
「団をまとめた事もない古株など、何の役にも立たん」
「そりゃあ、なんか狙いでもあんのか?」
「そうだ。だが、グランテが気にする事はない」
「ランキング五位を買ってもらったと思っとくぜえ」
「そうしろ。ランキングに入っていただけでも十分強い」
「へへ。嬉しいねえ」
ランキング二位以下の傭兵団もマネをすればいいのだが、そうは問屋が卸さない。各傭兵団は方針が合致せず、実力も
それにランキング外の傭兵団を加えても、あまり意味はない。実力が追いつかず、同じ難易度の仕事を受けられないからだ。
「それで、俺を呼んだ理由は? 仕事か?」
「闘技場の警備をやれ。期間は二日。トーナメントの開催日だ」
「闘技場か。依頼主は?」
「デルヴィ侯爵だ。他の幹部は、別の仕事が入っている」
「オッケーだ。で、分配は?」
「今回は全額をやる」
「い、いいのか?」
「初仕事の御祝儀だ。次回からは決められた配分を入れてもらう」
「ありがてえ。さすがはクラウケスだぜ」
傘下の傭兵団は、報酬額の幾らかを上納する必要がある。それが傘下に課せられた義務だ。その代わり、ランキング一位なりの仕事が舞い込んでくる。
今回の闘技場の警備もそうだ。トーナメントにはエインリッヒ九世も見物するため報酬が高額だ。それに依頼主がデルヴィ侯爵である。こういうおいしい仕事は、ランキング三位以下に回ってこないのだ。
「んじゃ、開催日の三日前から準備しとくぜえ」
「それでいい」
警備には万全を期して望む必要がある。「黒い
仕事を受けたグランテは、ジュリアとともにソファーから立ち上がる。それから団長室を出て、自分の隊が居る場所へ戻っていくのであった。
◇◇◇◇◇
「水の精霊ウンディーネよ!」
シェラの掛け声とともに、前へ伸ばした右手から水の球が放出される。その水の球は畑の中央で弾けて、地面へ吸収された。
「ほうほう」
「シェラ。すごいじゃない」
「へえ。やるわねえ」
「そ、そんな。恥ずかしいですわ」
マリアンデールとルリシオンが手をたたいている。パチパチパチといった感じだ。フォルトにはよく分からなかったが、どうやらこれが精霊魔法のようだ。シェラは精霊の力を、自ら使っていた。
「水の精霊かあ」
「下級精霊ですわ。こちらがウンディーネです」
シェラが手のひらを上にしてフォルトの前へ出す。すると、その手のひらから水が湧き出て女性の形をとった。手のひらサイズだ。これが水の精霊ウンディーネである。水の精霊というくらいなので、体は青く透き通っていた。
「おっ! かわいいな」
「っ!」
「あ……」
ウンディーネが顔を上げてフォルトを見ると、一目散に消えてしまった。胴体の部分を触ろうとしたのが、いけなかったのかもしれない。
「精霊にも手を出す気?」
「あ、はは……。俺が魔人だからか?」
「そうですわね。ですが、慣れると思いますわ」
「ドライアドは慣れているからな」
「それとは違いますね。召喚ですので」
「ああ。違うんだったな」
シェラの場合は、野良の精霊と話ができるという感じだ。そこらじゅうに水分があるので、手近なウンディーネと話したという事である。
「なんか、友達になったとか?」
「似たような感じでしょうか」
「ふーん。召喚は使役だしな」
「そうですわね。小難しい術式を覚えなくていいですね」
「ふんふん。では、祝いだ」
「あんっ!」
フォルトはシェラを抱き寄せて、腰へ手を回す。しかし、その手をマリアンデールが
「練習中よ。終わってからにしなさい」
「そうでした」
シェラは現在、畑の水やりをしながら精霊魔法の練習をしている。ここで慣れておかないと、戦闘では使えない。
「他には?」
「まだ、ウンディーネだけですわね」
「へえ。他とも仲良くなれるの?」
「そうですわね。声を聞くところからですが」
「ふーん。なら、頑張って!」
「はいっ!」
フォルトは精霊の召喚ができるので、仲良くはならない。使役して命令をする方だ。当然のように、野良の精霊とは話ができない。
「フォルトぉ。カーミラちゃんは?」
「ここですよお」
カーミラの声が聞こえるが、どこにも見当たらない。そこで魔力探知を使うと、目の前の森の中に反応があった。
「えへへ。私も精霊魔法は使えまーす!」
その声を合図に、目の前の森の影からカーミラが現れた。どうやら影と同化していたらしい。彼女が使う精霊は、闇の精霊であるシャドーだ。精神も
「それって、その辺の影に居たとか?」
「そうですよお。私はシャドーしか要りませんけどね!」
「悪魔だしな」
「そうでーす!」
「それで、ダマス荒野はどうだった?」
カーミラには、ダマス荒野の偵察を頼んでいた。空からチラっと見てもらっただけなので、すぐに帰ってきたようだ。
先日、グリムに帝国の事を言われたからである。攻めてくるならダマス荒野からと言っていたので、少々気になったのだ。
「人間の姿はなかったですよお。あちこちに石化三兄弟が居ましたあ!」
「そっか。まあ、ドライアドの目視だけじゃな」
「空は飛べませんからねえ。たまに私が見てきますねえ」
「よろしく。ついでに金も」
「それなんですが、まだ帰ってないみたいでーす」
「行ってきたのか」
「はい!」
「すぐ必要になるものではないしな。また今度でいいよ」
カーミラが金を奪っていたのは、帝国の財務尚書グラーツの息子である。名前は聞いていないが、なんとなく見覚えがあった。
「マリ?」
「なによ」
「マリが殴った貴族って……」
「へ?」
「ほら。バグバットの晩餐会で」
「そんな事をしたかしら? 覚えてないわ」
「あっそ。さすがはマリだ」
「どういう意味よ!」
マリアンデールなら覚えていなくても仕方がないだろう。忘れっぽいのではなく、彼女から見ればゴミ虫だったからだ。
「そう言えば、そんなやつも居たわねえ」
「ルリは覚えていたか」
「薄っすらとねえ」
「ははっ。そいつが金づるだ」
「へえ。カーミラちゃんが金を奪ってる相手ねえ」
「えへへ。偶然でしたけどね!」
カーミラとて狙ったわけではない。たまたま領地がダマス荒野の先にある町で、そこの領主の息子だっただけだ。
「名前は……」
「覚えてませーん!」
「当然ね」
「残念ながら、私も覚えてないわあ。ゴミ虫だったし」
「そ、そうか。まあ、そうだな」
(グラーツの息子ってだけでいいか。会う事もないだろうしな。そうだよ。あいつのせいで注目を浴びたんだった。ああ、皇帝を思い出しちまったよ)
フォルトは皇帝ソルを思い浮かべた。三国会議から何のアプローチもないが、覚えておくと言われていた。このまま忘れていてもらいたい。
「ところでフォルトぉ」
「どうした? ルリ」
「堕落の種を食べてもいいわあ」
「おっ!」
「リリエラは抜きにしても、全員が限界突破を終えたしね」
「なら……」
「はあい! これでーす!」
カーミラは懐から堕落の種を取り出した。それから姉妹へ手渡す。二人はそれを、ゴクンとのみ込んだ。
「アッサリしてるな」
「ふふ。みんなが食べるところは見てるからねえ」
「これで、私たちも悪魔なのかしら?」
「明日まで待ってくださーい!」
「明日?」
「えへへ。ティオも調教の二日目に食べましたよお」
「そうだっけ?」
「それで三日目に調教が終わったら、悪魔になりましたあ」
「ああ。そうだったな」
フォルトはベルナティオを責める事で頭がいっぱいだった。よって、覚えていない。カーミラが勝手に食べさせていたらしい。
そう言えば、唇を重点的に責めていた時があったような、なかったような。そんな事を思い出しながら、顔の筋肉を緩めた。
「御主人様が、イヤらしい顔をしています!」
「でへ。あれは忘れられないな」
「と、言うわけでえ。マリとルリの悪魔化は、明日のお楽しみです!」
「分かったわ」
「ふふ。どういう悪魔になるのかしらねえ」
「それも、お楽しみでーす!」
「じゃあ、今日はマリとルリと寝よう」
「ふふ。待ちきれないって顔ね」
「いいわよお。まだ昼だけどねえ」
「そうだな。カーミラ、膝を貸して」
「はあい!」
フォルトは地面へ腰を下ろして、そのまま仰向けになった。それからカーミラに膝枕をしてもらいつつ、シェラの練習風景を見ている。
マリアンデールとルリシオンも隣に座り、同じ光景を見ている。姉妹にとってシェラは魔族の仲間という認識だ。成長が嬉しいのだろう。その視線を一身に浴びている彼女は、恥ずかしそうに練習を続けるのであった。
――――――――――
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