第140話 新・聖女誕生1
エウィ王国国王エインリッヒ九世が主催の舞踏会が始まった。
この行事さえ終われば、フォルトたちは数時間後に城から退去できる。最後の関門とまでは言わないが、もう少しの辛抱だった。
「ふぅ。マリとルリは踊れるのか?」
「当り前よ」
「貴族の
「そっそうか」
もちろん、ローゼンクロイツ家が主役ではない。他にも王国の重鎮たちが招かれており、あくまでも招待するという名目で呼び出されただけだ。
主役は王族なので、三国会議の
「今回は大人しくしないとな」
フォルトは額に眉を寄せて、チラリとマリアンデールを見る。
三国会の晩餐会最終日、彼女は話しかけてきた貴族を吹っ飛ばした。さすがに今回は遠慮してほしいと、彼女の頭に手を置いた。
それともう一人、違う意味で注目を浴びている身内がいた。彼女の隣にいるルリシオンの角が立派で、周囲に魔族だと宣伝しているようなものだった。
「あれが……」
「ちょっと大丈夫なの?」
「陛下は問題無いと仰っておられたが……」
「グリム殿の客将になったとか?」
「まあ! 魔族のくせに生意気ですわね」
「狩られるのが怖くて泣きついてきたのであろう」
フォルトたちには聞こえなかったが、貴族同士の会話が姉妹に伝われば暴れ出すだろう。しかも、こちらを見る目が好意的とは思えない。
それにしても、貴族の人数が少ないようだ。ローイン公爵は参加しているが、デルヴィ侯爵は見当たらない。
もちろん興味は無いので、貴族たちの視線は適当に流しておく。
「ちょっと貴方、なぜ私の頭を
「あ……。撫でやすい位置に頭があるからだな」
「どうやら死にたいようね。【グラ……】」
「さすがに駄目でーす!」
「むぎゅ!」
カーミラが胸の中に、マリアンデールの顔を埋めている。
実に羨ましいが、彼女のキレそうになったのは久しぶりだ。最近はマシになっているほうだが、それはフォルトに対してだけだった。
見知らぬ人間が言おうものなら、絶対にマジギレするだろう。
(別に小さくてもいいと思うんだけどなあ。可愛いし背徳感があるし……。だがしかし百歳なのだ! それもまた
「ふふっ。面白い方々ですね」
「うん?」
今のやり取りで、余計に注目を浴びたのだろうか。
一人の女性が、フォルトたちに声をかけてきた。ニャンシーのような小さな王冠をかぶっており、派手さが少ないドレスを着ている。
その女性が優雅に一礼して近づいきたので、思わず一歩引いてしまった。最近は慣れてきたが、それでも人間と話すのは苦手だ。
「あら?」
「すっすみません。えっと……」
「私はリゼット・ユフィール・フォン・エインリッヒと申します」
「エインリッヒと言えば……。王女様?」
リゼット姫は国民から天使と呼ばれており、それに恥じない容姿をしている。人には好みがあるので一概には言えないが、万人受けする顔立ちだと思われた。
幼さが残っているので、フォルトは十五歳前後とあたりを付ける。
「はい。このたびは舞踏会にお越しいただきありがとうございます」
「あ……。フォルト・ローゼンクロイツです」
「マリアンデール・ローゼンクロイツよ」
「ルリシオン・ローゼンクロイツよお」
「お二方の
三人でローゼンクロイツを名乗ると、ちょっと恥ずかしい。
その反面、格好良いとも思ってしまう複雑な心境だ。
「そちらの赤髪の女性は……」
「えへへ。カーミラだよ! 気にしなくていいよぉ」
「そっそうですか。えっと、フォルト様の御令嬢かしら?」
「違います!」
「あ、あら。失礼しましたわ。でしたら……」
「いま考えてることも違いますから!」
「ふふっ。慌てなくても大丈夫ですよ」
見た目だけであれば、カーミラとは親子ほども差がある。
リゼット姫の考えていることは分かるが、マリアンデールに言われると困る。なので、さっさと話題を変えるに限る。
「まさか王女様から声をかけられるとはね」
「フォルト様、私と踊っていただけないかしら?」
「あ、すみません。俺は踊れません」
「そうでしたか。でしたら教えて差し上げますわよ?」
「結構です! 踊ると死んでしまう病なので!」
「あら。もしかして持病ですか?」
「………………」
(さすがに難易度が高かったか。日本でしか通用しないようだ。そんな本気で心配そうな顔をされても困る。いやマジで……)
通じない冗談は、時として苦悩を生む。
フォルトは頭を抱えそうになるが、場に不相応なので自重した。と同時に目に力を込めて、リゼット姫に「早くあっちに行け」と念じる。
その内心を察したのか、マリアンデールとルリシオンが余計なことを言う。
「人間ごときが、ローゼンクロイツ家の当主と踊れると思って?」
「あはっ! 身の程を弁えなさあい」
「こら! マリ、ルリ!」
「そうですわね。ですが、これも何かの縁。良き関係を望みますわ」
「ふん! 考えておくわ」
「それではまた……」
さすがに無礼が過ぎると思ったが、リゼット姫は怒りもせずに離れていった。
姉妹はローゼンクロイツ家令嬢として、当然の対応だとすまし顔だ。
「ふーん。あんな感じでいいのか?」
「そうねえ。フォルトは見た目が人間なのだから、普通でいいわよお」
「卑屈にならなければ構わないわ」
「なるほどな。まぁ適当にやってみるか」
(俺は傲慢も持っているしな。魔王プレイでもすればいいのか? いや。面倒事になるだけか。俺は静かに暮らしたいだけなのだ!)
そんなことを考えながら、貴族たちのダンスを眺める。
本来であれば、マリアンデールかルリシオンを誘って踊れば良いのだろう。しかしながら基本的に、フォルトは音痴なのだ。
リズム音痴のうえ、歌も下手である。
「マリとルリは踊りたかった?」
「他に魔族がいればねえ。見せつけてやっても良かったけどお」
「ルリちゃんのダンスを人間に見せるのは
「ふむ。まぁ俺以外とは踊らせるつもりもないけどな」
「あはっ! フォルトがキレる前にお姉ちゃんがキレるわあ」
「ルリちゃんと踊ろうなんて男がいたら、命の時間を止めてあげるわ」
「………………」
妹離れができないマリアンデールは、ルリシオンの腰に抱きついている。
微笑ましいかぎりだ。
「それよりも貴族どもが見てるわよお」
「え?」
ルリシオンが言ったように、貴族の何名から視線を送られていた。ガン見ではなくチラチラとなので、気付いてしまえば不快に思う。
顔をしかめたフォルトは、その視線の意味を姉妹に尋ねた。
「家の名が大きい魔族。でも王に呼ばれた。ってところかしらね」
「へぇ。レイナスみたいな言い方だな」
「あはっ! レイナスちゃんも貴族の令嬢だったからねえ」
「そうだった。その父親は……」
フォルトが会場を見渡すと、貴族たちが目を逸らす。
それは良いのだが、ローイン公爵からはガン見されている。嫌っているのは分かるし理由も知っていた。近寄ってこないのも、そのためである。
レイナスは
「貴方も社交界にデビューね」
「へ?」
「何をマヌケな顔をしてるのかしらあ。断る算段でも練りなさあい」
「断る? 何を?」
「舞踏会。貴族からの誘いがワンサカとくるわよ」
「げっ! マジか?」
「仲良くしたいと思っている者はねえ」
「嫌過ぎる。でも森に引き籠るし……」
「貴方は客将でしょ。
「断れば……」
「それができればねえ。フォルトじゃ無理じゃなあい?」
「何で?」
「今の状況が答えでしょ」
確かに姉妹の言ったとおりだ。
結局は断り切れず、舞踏会に参加している。人間を簡単に殺害できるようになったとしても、近しい者には遠慮をしてしまう。
(この性格も変えないと拙いな。ノーと言える人間か。レッスンすれば治るとか何とか聞いたことはあるが……。面倒だな)
「まぁ流れで適当に、な」
「あはっ! フォルトらしいわあ」
「もう帰りたいんだが?」
「もうすぐ終わりじゃないかしら。ほら、王が前に出てきたわ」
エインリッヒ九世が前に出ると同時に、会場に流れていた音楽が止まる。
そして、何かを
以降はお開きになって、舞踏会は終了した。ならばとフォルトたちは、サタンの待機している貴賓室に移動するのだった。
◇◇◇◇◇
舞踏会も終わって、リゼットは椅子に座りながら書物を読む。
ここは彼女の部屋だが、周囲に世話をするメイドはいない。テーブルの上に紅茶を用意させて、隣の部屋に下がらせてある。
「………………」
書物のページをめくったリゼットは、一口だけ紅茶を飲む。
そして目を閉じたところで、昔の自分を思い出していた。
(いつからだろう)
王族として生を受けたリゼットは、何の不自由も無く温室で育った。
両親は優しくて、乳母も同様である。しかも幼少の頃から、頭が良かった。しかしながら、それが不幸の始まりだった。
「誰も聞いてくれなかったわ」
リゼットの提案する政策は、奇抜で画期的なものだった。
もしも実行できれば、現在よりもエウィ王国は栄えていただろう。だが子供の話など、大人は誰も聞いてくれない。
それ以上に、気持ちの悪いものを見るような視線を送られた。
「そうね。あのときからだわ」
運命を変えた出来事は、リゼットが六歳の頃に訪れた。
それは、勇魔戦争である。王国各地から徴兵された国民が、体の一部を欠損したり骸となって帰ってきた。
王女として、彼らを慰問したのだ。国王の決定で戦地に送り出したからこそ、王族が責任を取らなければと思っていた。
(石を投げられたわね。
リゼットは約束した。
家族を失った国民には、その者の分まで幸せになれることを。笑って過ごせる国を目指して、精一杯努力すると。
そして実行したところ、彼女の意見はすべて通らなかった。しかしながら約束を守るために食い下がって、一部を認めさせた。
「ふふっ。みんなは喜んでいたわ」
一時金の支給や税の免除などを実行させたのだ。
これで生活が楽になると、国民はリゼットの功績として褒め称えた。しかしながら短期的な幸せなど、すぐに壊される。
支給された一時金は、手元に残るはずもない。税の免除など数年で終わった。
「良かったわ」
追い打ちをかけるように、増税からの徴発。
それは、各地の貴族たちが行った。一部を認めたのはこのためで、すべては仕組まれていたのだ。
国民は一時の幸せから、絶望を味わった。
「んっ、ぁっ」
今までリゼットに感謝していた国民が増税に耐えきれず、犯罪に手を染めた。
そして貴族は、彼らを処刑と決めた。もちろん助命を請いに向かったが、残念ながら間に合わなかった。
「イッ……く」
それからというもの、リゼットは変わった。
彼らが見せていた笑顔が、絶望に染まった首になって地面に転がった。にもかかわらず、体に衝撃が走ったのだ。
それは快楽。
絶望した人間の表情が
(人の不幸は蜜の味)
「思い出しただけで……」
幸せと絶望の落差。
その差が大きいほど、リゼットは絶頂をする。だからこそどうやれば落差を生み出せるかと、思考を巡らせるようになった。
そして、いま読んでいる書物を手に入れた。
「これも分からないわ」
いつの頃からか、部屋の本棚にあった書物だ。読むたびに頭が
何の権限も無い王女の提案などは、貴族が認めないと分かっている。しかしながら提案を出すことによって、周囲に波及するものがある。
それに気付かせてくれた。
「あら。下着が
リゼットは席を立つ。
このままでは股間が涼しすぎるので、着替えることにした。書物をテーブルに置いて、クローゼットに向かって歩きだす。
「フォルト様を招いたことで……。それにカーミラさんでしたか?」
テーブルに置かれた書物は、風が吹いたようにパラパラと
表紙まで一気に戻ったが、タイトルには見慣れない文字が書かれていた。翻訳スキルの「エウィ語」では読めない。しかしながら、リゼットは読める。
そのタイトルは、こう書いてあった。
――――――「悪魔王の書」と。
――――――――――
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