第121話 ソフィア日記2

 応接室に残ったソフィアは、ソファーに座り直した。

 視線を横に向けると、フォルトが召喚した地獄の番犬がいる。

 種族が魔人に変わった彼については、人間の常識や倫理観が壊れていると理解したつもりだった。しかしながら、まだ足りていないようだ。

 その思考と共に目を伏せて、先日の出来事を回想する。


「ちっ。インプロ……」

「フォ、フォルト様!」

「おっと……。ソフィアさん?」


 人通りの多い町中だというのに、フォルトは魔法を使おうとした。咄嗟とっさに飛びついて止めたが、まるで悪びれた様子も無い。

 いとも簡単に一般人の殺害を選択した事実に、ソフィアは戦慄を覚えていた。


「ソフィア殿?」

「あ……。失礼しました」


 そうだった。

 バグバットに何かを伝えるために、フォルトを送り出して応接室に残ったのだ。回想をしている場合ではなく、彼に意識を向けるべきだろう。

 ソフィアは目を開けて反省する。


「大丈夫である。それでグリム殿の伝言とは何であるか?」

「失礼しました。うそです」

「ふむ。では吾輩わがはいに、何か相談事であるか?」

「さすがですね」

「フォルト殿、であるな」

「お察しのとおりです」


 笑みを浮かべたソフィアは、隣でうなっている地獄の番犬に視線を戻した。

 フォルトの命令で、その三つ首はバグバットに向いている。妙な動きをすれば、牙をいて襲い掛かるだろう。

 護衛のためと分かるのだが、あまりにも失礼だった。


「ソフィア殿への気遣いが知れるのであるな」

「気遣い、ですか?」

「ケルベロスを選ぶあたり、会話の内容には触れないつもりである」

「そうですか?」

「聞く気があれば、人語を話せる魔物を召喚するのである」

「………………」


(普段はとても優しいのですが……。だからこそ怖いのです。このまま悪に染まってしまうと、きっと取り返しのつかない事態に……)


 フォルトは自身の境遇を、ソフィアに話してくれている。

 また人間に対する考えも聞いており、それに偽りは無いだろう。しかも言葉の端々には、まるで虫のように人間を捉えている節もあった。

 今の状態が悪化すれば、全人類を敵に回す危険性をはらんでいる。


「フォルト様が魔人だと知るのは……。私と……」

「吾輩であるな」

「申しわけございません」

「お察しするのである。して、吾輩に相談とは?」

「私はどうすれば良いでしょうか?」

「はははははっ! これはまた大雑把であるな」

「ご助言を頂ければと存じます」


 バグバットの言葉を聞いて、ソフィアは頭を下げる。

 互いがフォルトの秘密を知る者となったのだ。知識量の豊富な吸血鬼の真祖から、意見が欲しいところだった。

 三大大国が認めるアルバハードの領主として、信頼に値する紳士である。

 まずは自身が知るフォルトの情報を、嘘を交えずに伝えた。


「ふむ。勇者召喚以降に魔人に変わったのであるな?」

「はい」

「人間らしいのも理解できるのであるな」

「………………」


 腕を組んだバグバットが考え込む。

 ソフィアから得られた情報で、何かを導き出しているのだろう。邪魔はできないと思って、ふと地獄の番犬に視線を移した。

 実のところこの魔界の魔物とは、勇魔戦争で戦ったことがある。だからこそ名称を知っているのだが、当時は討伐に苦労した。

 もちろん十歳だったので、勇者チームの後ろで大人しくしていた。しかしながらその恐ろしさは目に焼き付いており、思わず息をのんでしまう。

 視線を戻すと、バグバットが優しい目をしてうなずいた。


「吾輩から言えることは二つであるな」

「お聞かせください」

「一つはすぐさま縁を切り、金輪際近づかないことである」

庇護ひごをお願いしたのですが……」

「詳しくは聞かないのであるが、グリム殿で対処できないであるか?」

「それは……」


 聖女を剥奪はくだつされたソフィアは、デルヴィ侯爵が狙っている。だがそれは最悪の可能性であり、危機管理として最大限の警戒をしたに過ぎない。

 そしてフォルトが存在しなければ、グリムが全力で守っただろう。

 国王の側近として、侯爵とも渡り合えずはずだ。ならば今離れたとしても、多少の危険で済むと思われる。


「フォルト殿は、ソフィア殿が離れれば追わないのである」

「そうですか?」

「裏切るのは論外であるが……」


 怖いから離れると、正直に伝えれば平気だとバグバットは言う。

 確かにソフィアとしても、そういった人物だとフォルトを見ている。演技が下手なので、かなり落ち込んだ姿が目に浮かぶ。


「ふふっ。そうですね」

「ただし、これについては一般的な話である」

「と言いますと?」

「もう一つの話は、ソフィア殿の運命を決するものである」

「………………」


 バグバットの言葉で、ソフィアは緊張してしまう。

 おそらく……。おそらくだが、自分が考えている内容と同じだと思われる。


(バグバット様も気付かれましたか。私だけの考えでないのだとすると……。これは決定的かもしれませんね)


「フォルト殿の身内になることであるな」

「………………」

生贄いけにえである」

「やはり……」

「お気づきであるか?」

「はい。聖女剥奪と聖女任命の遅れが物語っています」

「神々が望んでいるのは、貴女がフォルト殿の弱点になることである」

「つまりは足枷あしかせ役、ですか」

「で、あるな。フォルト殿は貴女に心を開いているのである」

「っ!」

「神々の望みは魔神覚醒をさせない、もしくは遅らせることである!」


 ソフィアが辿たどり着いた答えに、バグバットも至る。

 神々の目的は、フォルトの無力化だと思われた。生贄という名の重しを付けて、魔人の脅威に対処しようとしている。

 そして、この場合の無力化は神々に対してだろう。

 神々は人間を助けない。

 たとえ滅んでも、また作れば良いと考えていると……。


「ソフィア殿に関しては、小悪魔への対抗手段である」

「カーミラさんですか?」

「そもそも魔人のカルマは悪である」

「悪魔の存在は、それに拍車をかけるものだと?」

「善側に引き寄せる役がソフィア殿であるな」

「………………」

「ゆえに貴女の運命を決することと相成るである!」


(これは……。下手をすると使い捨て。いえ、間違いなくそうでしょう。魔人や悪魔の寿命は永遠です。人間の私は数十年……)


 人間のソフィアを使うということは、一定期間の生贄と考えているだろう。以降は今後任命される聖女を、永遠に送り続けると神々は選択するはずだ。

 ソフィアは魔法使いであっても、敬虔けいけんな信者である。聖神イシュリルが望んだのであれば、そうすることに問題は無い。

 しかし……。


「その先はソフィア殿の考えで変わるのであるな」

「え?」

「選択肢としては、三つ」

「三つ……」

「一つは、吾輩の眷属けんぞくになることである」

「つまり、吸血鬼になれと?」

「フォルト殿の興味が失われる可能性が高いのであるな」

「バグバット様が危険では?」

「で、あるな。選択肢としてはあるが、御免被りたいである」


 真祖のバグバットに血を吸われた生物は吸血鬼になる。アンデッドに変わることを意味しているので、確かに永遠の命と言えた。

 フォルトから興味が失われる件も、何となく分かる。眷属のルーチェはアンデッドであるデモンズリッチで、今まで抱いていない。

 そして、バグバットは危険にさらされる。

 身内に手を出せば殺すと明言したので、全力で滅ぼそうとするだろう。


「二つ目は、小悪魔から堕落の種を受け取って悪魔になることである」

「それは!」

「いばらの道であるな。精神まで悪魔に堕ちれば終わりである」

「そう、ですね」

「神々の援助を期待してはならないのである!」

「っ!」


 種族が悪魔に変れば、精神まで悪魔に準じていく。

 ソフィアに強い意志があれば抗えるが、並大抵のことではないだろう。しかも神々は、助力をしないはずだ。

 堕落の種を食べた時点で、神々から見放される。以降は使い捨てにされて、次の聖女が送り込まれるだけだ。

 この道を選ぶと、単独でやる必要がある。と言っても自分を見放した神々のためとなると、まるで道理が通らない。


「最後は?」

「三つめは、何も選ばずに寿命で使命を終えることであるな」

「無難ではありますね」

「で、あるな。使命を次の聖女に委ねれば良いだけである」


 最後が一番楽な道だろう。

 年齢を重ねればフォルトに見放される可能性は高いが、それまでに次の聖女にバトンタッチをすれば良い。だがソフィアの一生は、魔人の生贄で終わる。

 まるで、魔人の玩具として生を受けた人形のようだ。


(私の一生は私のものです。それをささげる、ですか……)


「すべてを選ばないとしたら?」

「難しい質問であるな。吾輩の考えで良ければ伝えるのである」

「構いません」

「魔神が誕生して、神話戦争が勃発するのであるな」

「え?」

「天界、魔界、精霊界、物質界。あらゆる世界に被害が及ぶのである!」

「なっ!」

「異世界には波及しないと思われるが、さすがに予測不能である」


 過去に一度だけ、神話戦争が勃発していた。現在まで伝えられているものは、その戦争に勝利したのは天界に住まう神々だった。

 そして、世界を創造したという神話である。


「規模が……」

「今すぐではないのである。見たところ、フォルト殿は中立である」

「中立ですか?」

「フォルト殿の思考は、人間の域を出ていないのである」

「そうですか?」

「人間を人間として意識してる間は……。そうであるな」

「………………」

「フォルト殿の人間嫌い。それは――――」


(これは、カーミラさんが言っていた……)


 バグバットの意見は的を射ている。フォルトは元人間であるがゆえに、その思考から人間という存在を評価していた。

 そして無表情のカーミラが、ソフィアに耳打ちした言葉は……。


「まだフォルト様は人間……」

「内面はそうであるな」

「まだ人間……」


 右手で軽く唇を摘まんだソフィアは、自身の言葉を繰り返す。

 確かに今のフォルトは、人間を矮小わいしょうな生き物と考えているかもしれない。しかしながら同時に、人間と敵対しようとしていないのだ。

 内面までも魔人なら、「竜がありを見る」がごとくだろう。


「ここで問題になるのは、カルマ値である」

「カルマ値、ですか」

「完全に悪に傾くと、魔神が生まれるのである」

「………………」

「人間は悪に堕ちやすい傾向であるが、引き戻す力も持っているのである」

「善行を積ませる手助けをしろ、と?」

「小悪魔が許すかは分からないのである」

「少し、考えます」

「で、あるか。しかし時間が過ぎれば、次の聖女に委ねられるのである」

「ご相談に乗っていただき誠にありがとうございました」


 ここまで話したところで、ソフィアは席を立った。

 話が終わったので、フォルトたちと合流するのだ。以降はバグバットと一緒に、緊張感が漂う応接室を出た。

 それを見届けた地獄の番犬は、応接室から消えるのだった。



◇◇◇◇◇



 ソフィアは「多くの問題を抱えてしまった」と思いながら、アーシャの鼻歌から曲を起こしている楽団を眺めていた。

 全部で二十人おり、それぞれの楽器を演奏をしている。

 そして、隣に立っているフォルトと会話を始めた。


「珍しい曲ですね」

「日本じゃクラブミュージックと言われていたよ」



 ElectronicエレクトロニックDanceダンスMusicミュージック

 通称「EDM」と呼ばれ、クラブでDJが流す音楽の総称である。電子的な音楽なので、こちらの世界に落とし込むとクラシックにするしかない。

 たかだか鼻歌だけで、よく曲に起こせたものだった。


「吾輩の楽団は超一流である!」


 バグバットが自慢げに語った。

 それを聞いたフォルトは、満足気に頷いている。


(フォルト様の身内になると、グリム家を潰してしまいます。父様と母様には、弟か妹を作ってもらわないといけませんね。きゃ!)


 ソフィアは真面目な顔をしながら、ほほを赤らめてしまう。

 フォルトは中年のおっさんだが、彼女は見た目で判断しない。やはり、強さや力にかれる女性だった。

 シュンに口説き落とされなかったのは、強さに問題があったのだ。


(私は受け入れてもらえるのでしょうか? たっ確かに色々とアピールをされている感じはするのですが……。この前も……。きゃ!)


 このように頭の中をピンク色に染めていれば、フォルトを意識してしまうのは当然だった。とはいえ、ソフィアの妄想が止まらない。

 まだ選択肢を提示されただけだが、我知らずにそわそわしてしまう。


「ソフィアさん?」

「ひゃい!」


 フォルトに声を掛けられて、ソフィアは素っ頓狂な声を挙げてしまう。

 これも恥ずかしさが込み上げ、早鐘みたいな胸の鼓動を感じた。


「いっいえ。何でしょうかフォルト様」

「この曲はどうですか?」

「アーシャさんらしい曲だと思います」

「ですか。ところでソフィアさん」

「はい」

「顔が赤いようですが、もしかして風邪でも?」

「っ!」


 意識している本人から言われて、もうどうして良いか分からなくなった。

 フォルトは先程の話は知らないので、変な詮索をされても困る。しかしながら、詮索されたい自分もいた。

 もしも心を読まれて、今ここで押し倒されても拒めない気がする。

 そんなことを考えたソフィアは、プイッと顔を背けるのだった。



――――――――――

Copyright(C)2021-特攻君

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