第98話 奴隷と小悪魔2

 黒いうわさの絶えないデルヴィ伯爵が懇意にしている奴隷商人。

 当然のように裏組織の人間で、拠点となる場所の特定は困難である。取り扱っている商品は非合法の奴隷であり、その存在は家畜以下だ。

 拠点の一室では、鉄格子で作られたおりが並んでいる。糞尿ふんにょうの臭いが充満して、衛生管理など行われていない。

 そして檻の中には、薄汚れた服を着た女性がいた。所々が破けて、肌の露出が目立つ。腕には鎖付きの手枷てかせめられている。


「………………」


 女性は虚ろな目をして、床をジッと眺めている。

 すると誰か来たのか、ザッザッと靴と床が擦れるような音が聞こえてきた。女性は少しだけ顔を上げて、檻の外に視線を向ける。


「飯だ!」


 片手に盆を持った男性が、女性を見下しながら告げた。

 そして、洗っているのかさえ分からない食器を二つ置く。中身は冷めたスープとパンの切れ端である。

 女性は腹が減っていたのか、四つんいになって鉄格子に近づいた。


「まだ食うなよ」

「はい」

「まだだ。まだまだ……」


 まるで犬の調教のようにお預けされる。

 今すぐにでも食べたいのだが、男性の言葉を無視すれば飯抜きだ。三日に一度しか与えられない食事である。

 命令には従うしかなかった。


「お前は誰だ? 言ってみろ」

「私は……」


(私カルメリー王国第一王女の……)


 そう。この女性はミリアである。

 デルヴィ伯爵の命令が変更されて、奴隷商人に売られていた。あの地獄から連れ出されてから、何日経過したかは数えていない。


「名も無き奴隷です」

「そうだ。しかし間があったな。パンは俺が食う」

「あ……」


 男性はミリアの前に置かれたパンを、口の中へ放り込んだ。

 それからまずに、胃の中へ納めてしまう。


「お前は誰だ?」

「名も無き奴隷です」

「そうだ。食っていいぞ」

「ありがとうございます」


 これでミリアは、やっと食事にありつける。

 固形物のパンは男性に食べられてしまったが、スープの入った食器を手に取って一気に飲み干した。


「それでは足りないか?」

「い、いえ。おいしい食事をありがとうございました」

うそを言うな」

「はい。足りません」

「しょうがねぇ。俺が個人的に与えてやる」


 その場でズボンを脱いだ男性は、檻の前で仁王立ちだ。

 何をやれば良いか理解しているミリアは、鉄格子に近づいて歯の抜けた口を開く。逆らえば食事を与えられず、他にも酷い目に遭わされる。

 そして満足した男性は、またもやミリアに問いかけた。


「お前は誰だ?」

「名も無き奴隷です」

「そうだ。お前は奴隷だ。買われたら主人に奉仕するだけの娼婦だ」

「はい。そのとおりです」

「ふんっ!」


 鉄格子の前から、男性が離れていく。

 それに合わせて、ミリアは檻の奥へ戻った。最初は助けを叫んだが、その気力は失せていた。助ける者など訪れず、何日も同じ状況が続いている。

 そして最初と同じ姿勢になり、床を眺めているのだった。



◇◇◇◇◇



 寝室でベッドに座っているフォルトは、カーミラからの報告を受けていた。

 彼女は首に腕を回して、背中に柔らかい二つのものを押し当てている。送り出してから暫く経過していたので、とても久しぶりの感触だった。

 そしてカルメリー王国第一王女で、デルヴィ伯爵夫人ミリアは持ち帰っていない。現在は奴隷として調教中だそうだ。


「さすがはカーミラだな」

「えへへ」


 魔人として堕ちているフォルトは、カーミラの機転を褒め称える。

 不幸の上塗りをしたのだが、それについて嫌悪感を覚えない。そもそも遊びの玩具として入手するつもりなので、ミリアに向ける感情など持ち合わせていないのだ。

 そのような些細ささいな話よりは、他に確認しておくことがあった。


「ドッペルゲンガーは召喚したままでいいんだな?」

「はい! 奴隷商人の所に潜入していますねぇ」

「ニャンシーは?」

「ドッペルちゃんのサポートでーす! 買われちゃうと困るのでぇ」

「なるほど」


(機転が利くなあ。そこまでしてるなら、ゲームも面白くなりそうだ。今はキャラメイキング中といったところだな)


 カーミラが後ろから抱きつき、うれしそうにニコニコしている。

 フォルトの傍に帰ってきたときは、彼女の欲求が最高潮だった。それはもう激しかったものだ。おそらくミリアの状態を見て、欲求不満になったのだろう。

 リリスの本領を発揮されてしまった。


「しかしデルヴィ伯爵って奴は、金と権力の化け物って感じだ」

「はい! 悪魔にしたいくらいですよぉ」

「悪魔がスカウトする人物か……」

「えへへ」


 フォルトの脳裏に、悪代官という言葉が浮かんだ。

 テレビを見るように、遠くから眺めているぶんには面白い人物か。とはいえ、庇護ひごしたソフィアを害すかもしれない老人だ。

 好意を持てるわけもなく、一生出会いたくない。

 そんなことを考えていると、何かに戸惑った女性に声をかけられた。


「魔人様、そろそろ服を……」


 カーミラが後ろということは、フォルトの目前には他の身内がいる。

 プレゼントした白衣を着たシェラだ。女医さんのように椅子へ座って、木の板に張った羊皮紙に何かを書き込んでいた。


「まだ頼む。ちょっと心臓のあたりが……」

「はい。では少しヒヤッとしますわ」

「うん」


 シェラは聴診器らしきネックレスを、フォルトの胸に当ててきた。

 いま彼女が行っているのは、日本でいうところの健康診断である。こちらの世界に召喚される前は、毎年受診していた。


「はい。異常はありませんわ」

「あ……。触診をしてね」

「っ!」

「どうしました?」

「え、あの。では……」


 ほほを赤らめたシェラは、次に手のひらを使って胸を触ってくる。

 彼女の手は柔らかくて暖かい。しかもおずおずしながら触ってくるので、フォルトの目がだらしなく下がる。

 とても良い感触だ。


「はい! 終わりですわ」

「えぇぇ」

「お、わ、り、で、す!」

「はい」


 シェラが持っている木の板はカルテである。

 フォルトはチラリとのぞき込むと、異常なしと書かれていた。当然だ。元気が取り柄の魔人なのだから。

 それに、お医者さんごっこなのだから……。


「ところでシェラさん、神様からなんか言われた?」

「いえ」

「やっぱり寝取っても気にしていないんですね」

「もぅ!」


 普段は物静かなシェラだが、畑で抱いてからは明るくなった。

 司祭として厳格に過ごしていたのだ。そのタガが外れたのかもしれない。


「カーミラよ。モルホルトって司祭って奴はどうしたんだ?」

「回れ右で帰ってもらいましたあ!」

「そっか」

「連れてくれば良かったですかぁ?」

「人間の……。それも男など要らん!」

「ですよね!」

「後は受肉用の死体か」

「そうですねぇ。調達しますかぁ?」

「いや。ドッペルゲンガーって受肉しなくてもいいような?」


(ドッペルゲンガーは人物に化けられるんだよな。わざわざ受肉しなくても、適当な女性に化けさせればいいだけだし……)


 女性として受肉させるのは、アバターを楽しむためである。

 ならばその能力で、適当な女性を記憶して戻ってくるだけで良い。しかしながら現在は、奴隷商人の従業員に化けているらしい。

 場所的に可愛い女性がいるとも思えない。


「まぁ成り行きに任せればいいか」

「さすがは御主人様です! 適当です!」

「どっかに可愛い女性の死体が落ちてるかもしれないしな」

「それはないと思いまーす!」

「ははっ」

「魔人様、そろそろテラスへ行きましょう」


 シェラが外のテラスに向かいたいようだった。

 彼女は立ち上がって、なぜか両手を前に出している。しかも上目遣いなところが、フォルトの琴線に触れる。

 なんとなくだが、イメージが変わってしまった。


「シェ、シェラ?」

「抱っこを……」

「これは……」

「アーシャの入れ知恵でーす!」

「またかっ!」


 このシェラの行動に、フォルトはギャップえしている。

 アーシャには感謝なのだが、同時に恐るべしとも思った。雑学が豊富で、歳の離れた中年の心をつかむ。

 おっさんは嫌いと言っていたが、実は好きでしたと言われても納得できそうだ。

 それはあり得ないのだが……。


「じゃあ行くか!」

「きゃっ!」


 ここまでされれば、アーシャの気遣いに乗らないと男が廃る。

 もちろんシェラを抱え上げ、お姫様抱っこした。


「カーミラ、窓を開けてくれ」

「はあい!」

「魔人様? きゃあ!」


 ここは、屋敷の二階にある寝室だ。

 いつもどおり窓を開けて、外に飛び降りた。屋敷の一階は天井が高いため、二階といえどもかなりの高さだ。

 シェラがギュっと首に腕を巻き付けてくる。

 その行為に対してフォルトは、デレッとしてしまいそうになった。とはいえ、はるか上空から急降下するわけではない。

 すぐに着地してしまった。


「あ、あの魔人様。下ろしていただければと……」

「いえ。もっと抱きついていてください」

「はっはい!」


 女性好きのフォルトは、シェラの柔らかい体を堪能する。

 そして彼女を抱えながらテラスへ歩いていくと、視線を逸らすように遠くを眺めているソフィアが座っていた。


「またフォルト様はそういう……」

「ははっ。やりますか?」

「結構ですっ!」

「グリムのじいさんは?」

「そろそろ到着すると思いますよ」


 本日は久々に、グリムが訪れることになっていた。

 事前に分かるのは、ソフィアが召喚魔法で家族と連絡を取り合っているからだ。そのおかげで、フォルトは気構えができる。


「私は席を外しておきますわ」

「うん。悪いねシェラ。カーミラはレイナスに茶を用意させてくれ」

「分かりましたあ!」

「その後は隣にね」

「サワサワと触られると気持ちがいいでーす!」


(誰かを変態と言ったことはあったが、俺も似たようなものだな。でも、それでいいのだ。これに関しては、誰も俺を止められない)


 こちらの世界に召喚されたフォルトは、様々な事柄が激変していた。

 魔人になったことが要因だが、国法の及ばない中で生活している。今の状態は、欲望を体現しているのだ。

 アーシャの言葉ではないが、まさにエロオヤジである。


「用件は聞いていますか?」

「いえ。ですが大事な話のようですよ」

「面倒事かなぁ」

「どうでしょう。もしかすると、とても面倒な話かもしれません」

「分かるの?」

「予想通りなら……」

「なになに?」

「内緒です」

「ええっ!」

「いつも私に意地悪をなさるので……。お返しです!」

「あ、ははっ……」


 頬を膨らませたソフィアが、プイッと横を向いてしまった。にもかかわらず、顔は笑っている。フォルトに仕返しできて嬉しいのだろう。

 今までを振り返ると、彼女に文句は言えなかった。


(だが数日後には、俺が仕返しするのだ。あの服が完成するからな。ソフィアさんの真っ赤な顔が楽しみだ)


「ふふん!」

「どっどうされましたか?」

「いえ。どうやら来たようです」

「御爺様!」


 白い顎髭あごひげを扱いているグリムが、木々の合間から姿を現す。もう何度も訪れているので、迷わずに屋敷まで到着した。

 なんとなくだが、自分の家のように思っていそうだ。テラスに近づくと、テーブルにつえを立てかけて椅子に座った。


「息災かな?」

「ええ。毎日気楽に過ごしてます」

「ソフィアは迷惑をかけておらぬか?」

「もぅ、御爺様!」

「御主人様! オヤツを持ってきましたぁ!」

「ありがとうカーミラ」


 あいさつもそこそこ、カーミラが茶とオヤツを持ってきた。レパートリーは多くないので、今回はフライドポテトである。

 もちろん彼女は、フォルトの隣に座った。


「デルヴィ伯爵の嫌がらせは始まりましたか?」

「まだじゃの。おそらくは次の聖女が決まってからじゃ」

「まだ決まってないんだ」

「うむ。それもあって、お主に頼み事があってのう」

「ソフィアさんが言っていましたね。とても面倒な話だと……」

「まだ伝えておらぬが?」


 フォルトからの言葉に、グリムはソフィアに視線を向ける。

 彼女は笑顔で応じて、その答えを話し出した。


「予想はつきます。聖女絡みなら一つしかありませんよ」

「ほっほっ。ならばソフィアから、こ奴に教えてやるのじゃ」

「はい」


 先程は内緒にされたが、グリムに促されたソフィアは内容を伝えてくる。

 悪戯っぽい笑みを浮かべているところが気になるが……。


「三国会議への出席ですね」

「え?」

「エウィ王国では、聖女が参加することになっています」

「へぇ」


 三国会議とはよく分からないが、重要な会議なのだろう。とはいえソフィアは、聖女を剥奪はくだつされた身だ。

 参加することはないと思われる。


「ふふっ。お飾りですよ。剥奪の件を他国は知りません」

「なるほどね」

「と言ったわけでフォルト様」

「はい?」

「私の護衛をお願いしますね」

「え? ええっ!」


 ソフィアは笑いながら、フォルトを見ている。グリムも、だ。護衛ということは、双竜山の森から出るということ。

 もちろんやりたくないので、嫌な表情をして回答する。


「無理ですって!」

「あら。フォルト様は私を庇護しているのでは?」

「あ……。そっそうですが!」

「デルヴィ伯爵も参加するからのう」

「は、嵌めましたね?」

「まさか。聖女を決めていない聖神イシュリルのせいですね」

「くっ!」

「御主人様! 頑張ってくださーい!」


 カーミラの笑顔がまぶしいが、今はそれどころではない。

 次の聖女が決まっていれば、その人物が参加をすれば良かった。しかしながら、未だに決定していない。

 これは由々しき問題である。フォルトは双竜山の森から、絶対に出ないと決めていた。数カ月に一回だけ、ビッグホーンを仕留めるだけにしたかった。

 それでも、ソフィアを庇護すると決めたのは自分だ。彼女が森の外に出るならば、やはり守る必要がある。

 そしてこの無理難題について、頭を抱えるのだった。



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Copyright(C)2021-特攻君

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