第91話 異世界人の冒険者1
エウィ王国グリム領には、グリムブルグという都市がある。名称の由来は、寿命を延ばしてまで貢献している宮廷魔術師の名前からだ。
そして都市の周囲には、中規模の町が存在する。それらは都市を中心に
「ヘイ、シルビア。諦めるかい?」
「ノー。諦めるわけないわよ」
そのグリムブルグを取り囲む五芒星の一角。
北にあるリトの町に、二人の冒険者が訪れていた。現在は町の酒場で、木製のジョッキを片手に愚痴をこぼしている。
「何回トライしても駄目だぜ」
「丸一日は歩かされて、入口に戻されるわ」
「きっと魔法か何かだろうな」
「その異世界人。棒になった足でドロップキックを見舞いたいわ」
「へへっ。違げえねぇ」
酒場で飲んでいる二人は、冒険者のシルビアとドボだった。
レイバン男爵からの依頼を受けて、双竜山の森に住む異世界人を連れていくのが仕事である。簡単な依頼だと思っていたが、幸先は良くない。
彼女たちは、普通に平地から森に入った。しかしながらいくら歩いても、入口に戻されるのだ。
まるで、侵入者を拒むかのように……。
「正攻法じゃ駄目ね」
「だな。やっぱ双竜山から行くか?」
「昨日、兵士に言われたでしょ」
「冒険者たるもの、そんなのを守ってどうすんだ?」
兵士からの注意など、行儀よく守る冒険者などいない。法を犯す内容だと冒険者ギルドの規約に触れるが、ギリギリのところまではやる。
双竜山の森には、左右の山からも侵入できた。巡回中の兵士に止められたが、登山口をすべて見回っているわけではない。
「やめておきな」
「うん?」
二人の会話に、酒場のマスターが割って入ってきた。
冒険者にとって、酒場での情報収集は基本である。当然マスターも、そのことを分かって声をかけてきたのだ。
こういったものは、臨時収入になる。
「なんでだ?」
「双竜山での巡回は、オメエらが来てからだ。目を付けられてるぜ」
「そうなのか?」
「ああ。以前はやってなかったしな」
「ちっ。迷わせてるうえに通報ってか?」
「あの森は立入が厳禁だぜ。町のもんは守ってるしな」
「誰も破らねえのか」
「グリム様からの通達だ。わざわざ破らねえよ」
「尊敬されてんだな」
「そりゃあな。貴族が言っても聞かねえが、グリム様なら違うぜ」
グリム家は領民に慕われている。
宮廷魔術師のグリムや息子のソネンは、領民側に立った政策を採っている。困窮した者には、屋敷の財産を処分してでも支援していた。
ソフィアに至っては、自分の娘のような目で見られている。
「依頼人が誰だか知らねえけどよ。諦めな」
「そうはいかないねえ。こっちも生活が懸かってるからね」
「だが、双竜山はやめたほうがいいぜ。魔物や亜人に殺されるぞ」
「バグベアとコボルトならなんとかなるよ」
「いや。残念ながらオーガもいるぜ」
「西側だけじゃなかったっけ?」
「飲みにきた兵士に聞いたが、東側にも数体が移動したって情報だ」
「あちゃあ。じゃあ駄目ね」
シルビアとドボであれば、オーガの一体なら勝てるかもしれない。しかしながら、二体以上いれば確実に負ける。
また双竜山には、バグベアやコボルトも存在する。もちろん二人は、敵と一体しか遭遇しない確率に賭けるほど馬鹿ではない。
「情報ありがとね」
シルビアが銀貨を一枚取り出して、マスターに渡した。約十ドルだが、この程度の情報なら十分だろう。
その証拠に、ニコニコと笑顔を浮かべている。
「騒ぎを起こすなよ」
「分かってるわ」
二人は食事の清算をして酒場を出たが、先行きは暗い。
森の奥まで行けないと、依頼人が望む異世界人に会えない。とはいえマスターの言ったとおり、双竜山からの侵入は危険だった。
それにまた森に向かっても、入口に戻されるのがオチである。
「どうすんだ?」
「大金貨一枚の仕事よ? 諦められないでしょ」
「そうだな。依頼内容にしちゃ高けえ」
指定された異世界人を連れていくだけで百万円。
冒険者ギルドの依頼では、こんなにおいしい仕事などめったにない。ならば、チャレンジすべき案件である。
「そういや気になってたんだけどよお」
「ドボ、どうしたの?」
「北門に積まれてる荷物ってよ。どこ行きだ?」
ドボの視線の先には、木箱が大量に積まれている。馬や荷車も用意されており、まず間違いなく町の外に運ばれる荷物だった。
その周囲には、御者のような男性が座っている。
「北に町なんか無いわね」
「村も無えよ。他には……。まさか!」
「ふふっ。きっとビンゴだよ」
「ならよ。情報を仕入れようぜ」
「善は急げだね」
シルビアとドボは、顔を見合わせて
そして、何食わぬ顔で御者に近寄っていった。もしも期待どおりなら、有益な情報が手に入るはずだ。
出費はかさむむが、先ほどのマスターのように、銀貨でも握らせれば良いだろう。そう思った彼女は、懐に入れてある袋に手を伸ばすのだった。
◇◇◇◇◇
ソフィアは木製のカップを持って、テラスでくつろいでいる。その対面には、レイナスが座っていた。
二人は優雅に、お茶を楽しんでいる最中だった。
「レイナス様」
「私はローイン家を廃嫡された身。敬称は要らないですわよ?」
「では私も同様です。聖女を
「ふふっ。ソフィアさんは神様に振り回されていますわね」
「レイナスさんはフォルト様に……」
「そのおかげで、私は幸せですわ」
「本当に好いていらっしゃるのですね」
「ええ。ソフィアさんにも分かるときがくると思いますわ」
元聖女と元伯爵令嬢である。
貴族の子息から見れば、目の保養となる光景だ。近づいて名乗りを上げ、彼女たちに気に入られようとするだろう。
どちらも婚姻相手として狙われていたのだから。
「そう言えば、グリム様はなんと?」
「要望どおりに、巡回兵を配置してくれたようです」
「結構ですわね。フォルト様の心も休まると思いますわ」
「他にも差し入れとして、毒野菜を送ってくれたようです」
「あら。畑で作られておりますのに……」
「ふふっ。フォルト様は暴食ですからね」
ソフィアは召喚魔法を習得している。しかしながらレベルが低いので、弱い魔物や獣しか使役できない。
実家との連絡は、彼女が召喚したハーモニーバードを使っていた。美しい鳴き声が特徴的な白い鳥で、平和の象徴にもなっている。
日本でいうところの
「ドライアドには?」
「伝えました。そろそろ到着するのではないでしょうか」
「ルリの料理が楽しみですわ」
双竜山の森には、魔の森から連れてきたゴブリンが生活している。
それを管理するのは、フォルトに使役されている森の精霊ドライアドだ。彼女に言っておけば、森に届けられた食材は運んでくれる。
「レイナスさん」
「なにか?」
「聖剣の具合はどうですか?」
「武器としてはいいですわ。切れ味が抜群ですわね」
「使用者と認められたのですか?」
「まだ認められていないですわ」
レイナスが所有する聖剣ロゼは、意思を持つインテリジェンス・ソードである。
本来の力を発揮させるには、使用資格が必要だった。とはいえ彼女は認められておらず、現在は試用期間中といったところだ。
そして自動狩りがやれない関係で、今は包丁になっていた。本来の力が使えなくても、切れ味の良いミスリル製の武器である。
そのため文句も多い。
「聖剣はお互いが認め合えれば、最高の力を出すと聞きます」
「そうなのですか?」
「昔の仲間が使っていました」
「魔王を倒した勇者チームですか?」
「はい。今は旅に出ているはずです」
当時の勇者チームには、聖剣を使う戦士がいた。
もちろん異世界人で、プロシネンという男性だ。ギッシュのようなタンクではないが、超一流の戦士である。
「認め合う……ですか」
「難しそうですか?」
「今も「さっさと強くなりなさいよ! ムキー!」と言っていますわ」
「そっ、そうですか」
聖剣ロゼの声は、残念ながらレイナスにしか聞こえない。しかも自己表現が激しいのか、とても騒がしいらしい。
耳を塞いでも意味はなく、頭に直接伝わるところが始末に負えないと聞いた。
「ところでソフィアさん、こちらをお渡ししておきますわ」
「え?」
ソフィアはレイナスから、なんの変哲もない紙袋を受け取った。
それにしても、なんとなく見た記憶がある。
「パンツですわ」
「や、やっぱり……」
「色付きが完成しましたので、お渡ししておきますわね」
「あの……」
「なんでしょう?」
「なぜフォルト様は、私にパンツを渡されるのでしょうか?」
「芸術だそうですわよ」
「芸術?」
「チラリズムの追求と言っておられましたわ」
「そっ、そうですか」
受け取った紙袋を開くと、パンツと一緒にブラジャーも入っていた。
さすがにこの場では取り出さないが、
見られることはないとしても、だ。
「フォルト様は?」
「アーシャの部屋に籠っていますわね」
「まあ!」
「抱いているのではなく、服のデザインを決めているようですわよ」
「っ!」
「ふふっ。気になりますか?」
「いっ、いえ!」
どうも最近のソフィアは、この手の勘違いが多くなっているようだ。
彼女は家族の愛に包まれながら、聖女としての仕事をこなしていた。また勇者アルフレッドと共に冒険したときは、周囲の人間が気を遣っていた。
はっきりと言えば、男女の関係とは無縁だったのだ。それを今では、毎日のように見ている。
フォルトのせいなのだが、彼女にとっては刺激が強かった。
「ソフィアさんを取り巻く環境は特殊ですわね」
「ええ」
「デルヴィ伯爵次第でしょうが、暫くは滞在する必要がありますわ」
「そうなりますね」
レイナスの言葉が、ソフィアを現実へ引き戻す。
デルヴィ伯爵については、どうすることもできない。仕かけてくる相手に流れを任せるのはいただけないが、ここは家族を信じるしかないのだ。
うまく
「ですので、フォルト様を選ぶのも良いと思いますわ」
「はぇ?」
本気か冗談か。ソフィアはレイナスの言葉に、
つまりフォルトに抱かれて、身も心も
内容が意外すぎて、どう返したら良いか迷う。しかしながら、会話にはまだ続きがあるようだった。
「ソフィアさんは宮廷魔術師グリム様の孫娘ですわ」
「え、ええ……」
「残念ながら、フォルト様の子は身籠れません」
「魔人は完結した種族と聞きましたね」
「ですが女性の幸せは、女性としての喜びを与えてもらうことですわ」
「………………」
「その幸せを、私はフォルト様から頂いていますわ」
「えっと……」
子供を身籠れないのは致命的だ。
弟か妹がいれば違うだろうが、グリム家を潰すことになる。ソフィアの場合はソネンやフィオレの一人娘として、他家から婿養子を招くことになるだろう。
もちろん、フォルトをどう思ってるかも重要である。
特に嫌いではないが、別に好きでもない。彼を恋愛対象として見ていないのだ。友達としてなら良いが、恋人となると話が変わってくる。
それに相手は魔人なので、種族すら違っていた。
「ふふっ。考える時間はたっぷりとありますわ」
「………………」
「あら。送っていただいた荷物が届いたようですわよ」
「え?」
話題を変えるように、レイナスが南に顔を向けた。
そしてソフィアは、彼女の視線の先を追いかける。すると、荷物を持ったトレントやゴブリンが歩いていた。
中身はきっと、グリム家から届けられた毒野菜だろう。
「さてと。ルリと一緒に食材を見繕いますわね」
「ええ」
タイミングが良いのか、レイナスは茶を飲み干したところだった。
彼女は椅子から立ち上がって、屋敷の中に入っていく。きっと食堂では、魔族の姉妹が遊んでいるだろう。
ソフィアは残った茶をカップに注いで、その香りを楽しむ。それにしても、赤面するような話を振られたものだ。
「はぁ……」
この世界では、歳の離れた結婚は珍しくもない。
齢六十のデルヴィ伯爵は、十七歳のミリアを婦人にしていた。とはいえフォルトは特殊すぎるので、ソフィアが嫁ぐことはないだろう。
それでも無縁だった恋愛話に、空を見上げて口元を緩めるのだった。
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