第90話 ニャンシー日記2

 魔界のどこかにある岩場。

 そこにある大岩に、ニャンシーが座していた。魔人フォルトの眷属けんぞくになって、ケットシーの女王になったからだ。


わらわの命令が聞けぬというのか!」


 ニャンシーの眼下には、そこらじゅうに猫のような形をした影がいた。

 これらは、魔界の魔物であるケットシーたちだ。とはいえ、どの個体も彼女を見ていない。

 お腹を出して寝ていたり、蝶々ちょうちょらしき昆虫を追いかけてる。


(やはり無理じゃのう。妾のいうことを聞くケットシーなんぞおらぬ。逆に妾とて、女王になる前なら同じじゃな。ただの名乗りじゃからのう)


 女王とは、ニャンシーが勝手に名乗っているだけだった。

 確かに魔人の眷属となったことで、彼女の能力が上がっている。名乗っても差し支えないのだが、ケットシーの中では無意味なのだ。

 とにかく自由奔放すぎるので、誰かの命令など聞きはしない。


「さりとて、主のために頑張らねばならぬのじゃ!」

「「ニャー」」

「ふむ。手伝ってもよいとな?」

「「ニャー、ニャー」」

「物質界の魚じゃと? まあ主の屋敷には有り余っておる」

「「ニャニャー!」」

「一カ月分か……。今は持っておらぬゆえ、後払いじゃ」

「「ニャー!」」


 大量にいるケットシーの中から、十匹の有志が声をあげてくれた。

 フォルトの食料を持ち出すことになるが、ニャンシーの話に乗ってくれたのはありがたいことだ。これで、主のために働けるだろう。


「ではデルヴィ伯爵領とやらに行っての。情報収集じゃ」

「「ニャー?」」

「なに? 場所が分からぬとな。そうじゃったな」


 物質界とは人間や亜人など、様々な生物が混在する世界。

 つまり、フォルトたちが住む世界である。他の世界と比べると広大で、多くの物質が存在していた。

 また物質界と他の世界は、密接に結びついている。だからこそ世界の狭い魔界を通ると、物質界より速く目的地に到着できた。

 そして魔界にいる魔物は、物質界の特定の場所など知らない。手伝うと言っても、どう手伝って良いかも分かっていない。

 ニャンシーの言葉が足りなさすぎた。


「しょうがないのう。妾についてくるのじゃ」

「「ニャー」」

「では行くのじゃ」


(やれやれじゃ。まあ、これで主の望みがかなうのう。影の中のケットシーなど、誰も気付くまい。妾たちの能力を、存分に発揮してやるのじゃ)


 魔界は常に夕闇のような空である。

 その中を黒い猫らしき魔物たちが、颯爽さっそうと走っていく。ケットシーは魔界だと弱い部類に入るが、あまり攻撃されない。

 敵を感知したら、影の中へ逃げてしまうからだ。魔界は物質界以上に弱肉強食なので、そういった能力でもなければ生き残れない。


「この印じゃの」


 魔界から物質界へ向かうには、印と呼ばれる扉を通る。

 それは個人で設置できるが、物質界へ召喚された者しか付けられない。他にも様々な制約があって、簡単には世界を移動できない。

 そして、今回使う印は面前にある。ニャンシーが魔界へ戻るときに、デルヴィ伯爵領からつなげてあった。


「「ニャー」」

「うん? 数が減っておるではないか。まったく気まぐれじゃのう」

「「ニャニャ」」

「大丈夫じゃ。減った分はお主らの働きによって分けてやるのじゃ」

「「ニャー!」」


 基本的に魔界から物質界へ行くには、物質界の者に召喚される必要がある。しかしながら、同族なら召喚が可能だった。

 通常の召喚魔法とは違って、『眷属召喚けんぞくしょうかん』に代表されるスキルや別の魔法で呼び出すことが可能にある。

 ヴァンパイアと呼ばれる吸血鬼なら分かりやすいだろう。吸血鬼は、大蝙蝠こうもりという眷属を呼び出して使役できる。

 ニャンシーの場合は、かなりの制限を受けることになるが……。


(すでに眷属である妾が同族を眷属にすると、レベルが下がって戦闘力が半分になるからのう。じゃが我らは……)


 眷属の眷属になった魔物は、かなり弱体化する。とはいえ、そういった制約があっても、ケットシーには有利な条件である。

 影に潜るなどの能力が消えるわけではないのだ。

 問題があるとすると、ニャンシーについてきたケットシーが眷属になってくれるかであった。


「眷属でなければ、この先には向かえんのう」

「「ニャ?」」

「妾の眷属になってくれれば、物質界に向かえるのじゃ」

「「ニャニャニャニャ!」」

「話が違うとな? 違わぬぞ」

「「ニャ?」」

「眷属にならねば、妾の付けた印を通れないだけじゃ」

「「ニャア?」」

「簡単であろう? 印を通れば、物質界の魚が手に入るのじゃ」

「「ニャニャ!」」

「おおっ! 分かってくれたかの? では早速……」


 無理やり同意を取ったニャンシーは、この場にいるケットシーを眷属にした。お互いの同意があれば良いので簡単である。

 脱落したケットシーは三匹なので、彼女は七匹の眷属を得た。


(妾がいうのもなんじゃが口車に乗りやすいのう。まあよい)


「では向かおうぞ!」

「「ニャー!」」


 ニャンシーたちは印を通って、デルヴィ伯爵領へ出た。

 町の名前など知らないが、とりあえず伯爵の拠点になっている大きな町だ。そこかしこに建物が並び、人間が通れないような場所もある。

 こんな大きな町など影の宝庫だった。ニャンシーの持つスキル『影潜行かげせんこう』は、種族スキルである。ゆえに、どのケットシーでも使える。

 そして眷属とは、視覚や意識などを共有できる。弱体化しているので距離は限られるが、この程度の町なら問題ない。

 ニャンシーたちが現れたのは裏路地の一角で、周囲に人間の姿は無い。


「お主たちにやってもらいたい仕事じゃがの……」


 ニャンシーは片手でほほを擦りながら、眷属の七匹を見る。

 彼女は耳と尻尾を除けば、人間の姿である。しかしながら、他のケットシーは影猫のままだ。

 人間の前に出ると、魔物として騒がれてしまう。なので見つからないように、注意を払う必要がある。

 そのあたりを念入りに言い含めながら、指令の内容を伝えた。


「「ニャ」」

「よい子たちじゃのう。では散ってゆけ」

「「ニャー!」」


 ケットシーたちは、指定された人物を探すために散っていく。

 まだ数日の時間的余裕はあるが、早めに情報収集を開始した。ニャンシー自身も、他にやることがある。

 そして周囲を見渡した彼女は、再び魔界に戻るのだった。



◇◇◇◇◇



 魔界を走るニャンシーは、障害物を避けながら考える。

 彼女と同じく、主人の眷属になったルーチェのことだ。レベルがかけ離れており、魔界で戦えば消し炭にされてしまう。


(妾の後輩が、あのデモンズリッチとはのう。恐ろしい上級悪魔で、しかもアンデッドじゃぞ? 毛が逆立つというものじゃ)


 ニャンシーは改めて、魔人フォルトの眷属になった件を喜んだ。ケットシーのような弱い魔物など、ほとんどの場合は使い捨てである。

 それに主のシモベはリリスなので、サキュバスを選択しても良かったはずだ。にもかかわらず、彼女を一番に眷属とした。

 これを喜ばずに何を喜ぶのか、だ。


(それにしても、ルーチェの忠義は厚いのう。受肉したのは羨ましいが、妾は今の姿をもらったのじゃ。十分じゃな)


 ニャンシーの姿は猫耳と猫の尻尾がある少女で、白いもふもふ付きレオタードを着ている。しかも猫手のグローブを付けて、猫足のブーツを履いていた。

 フォルトの趣味が分かろうというものだ。


「よし! 到着じゃな。どれ……」


 ニャンシーは、魔界から物質界に戻った。

 もちろん、デルヴィ伯爵領ではない。彼女は別の仕事を遂行するために、今は眷属たちと離れている。

 そして近場の影に潜り込んで、目的の人物がいそうな場所へ移動した。


「お父様、私は結婚なんて嫌です!」

「そうは言ってものう」


 移動先では、人間の男女が会話をしていた。

 一人は身なりが良く、頭に王冠をかぶっている男性だ。ニャンシーには名前など分からないが、女性は目的の人物だった。

 会話の内容から察すると、どうやら親子のようだった。


(部屋は合ってたようじゃ。あれが第二王女かの?)


 ニャンシーは別件で、隣国のカルメリー王国に訪れていた。

 男性はカルメリー王国の国王で、女性は第二王女のミリエである。人物のいる場所さえ分かっていれば、隠密能力の高いケットシーなら容易に発見できる。


「しかしのう、ミリエ。デルヴィ伯爵の機嫌を損ねれば……」

「分かっておりますが、ミリア姉さまのことを考えてください!」

「うーむ。ワシも同じ気持ちだがな」

「いくら属国とはいえ、お父様は気弱すぎまする!」

「そうは言ってものう」

「その口癖はどうにかなりませんの?」

「そうは言ってものう」

「はぁ……」


 ニャンシーにとって、会話の内容はどうでも良い。彼女が知りたかったのは、第一王女であるデルヴィ伯爵夫人ミリアの姿だった。

 おそらくは王城内に、人物画があるだろう。しかしながら、まずは妹のミリエを見たかったのだ。

 第二王女に似てる人物画を探すためである。


(ふむふむ。主が好きそうな顔立ちじゃの。じゃが、主の一番の好みは妾じゃ。この姿が物語っておるからのう)


 ケットシーは召喚主のイメージに合わせて、その姿を変える。

 ニャンシーの姿は、フォルトの好みと思って差し支えないだろう。しかしながら、人の好みは様々である。

 彼女の場合は、猫を擬人化させたイメージなのだ。

 恋愛対象の好みとは、ちょっと違う。


「とにかく! 引き延ばせるだけ引き延ばしてくださいませ!」

「そうは言ってものう」

「その口癖で延ばせますわよ」

「そうかのう」


(記憶したから、もうよいの。では第一王女の人物画を探してから、デルヴィ伯爵領へ戻るとしようぞ)


 フォルトの指令を完全遂行するため、ニャンシーは王城内を駆け巡った。

 当然のように影の中を移動しているので、誰からも発見されることはない。目的の絵画もすぐに発見して、ミリアの姿を記憶する。

 そして魔界へ戻って、デルヴィ伯爵領へと向かった。


「お主らは何をしておるのじゃ?」


 ニャンシーはカルメリー王国へ行く前に、眷属たちに思念を飛ばして、待ち合わせ場所を決めておいた。

 そこではケットシーたちが集まっており、木の下で寝転んでいる。


「「ニャー」」

「なに? 日向ぼっこじゃと」

「「ニャー!」」

「木陰にいて日向ぼっこでもあるまい」

「「ニャニャ!」」

「魚が食いたいじゃと?」

「「ニャ、ニャニャ、ニャア」」

「しょうがないのう。一匹ずつじゃぞ」

「「ニャー!」」

「人間に気づかれたら、妾からの褒美は無しじゃ」

「「ニャニャ!」」


 その言葉を最後に、すべてのケットシーが散開した。

 そして、彼らが狙っていた民家や食堂へ入っていく。とてもすばやい動きで、ニャンシーはあきれてしまった。

 魚が絡むと、途端に動きが良くなる。


「腹が空いては戦はできぬか……。戦などしないのじゃがのう」


 命令には従ってくれるが、勝手気ままに行動するのは勘弁してほしい。

 それでもニャンシーは、相手がケットシーだから仕方ないと納得する。


(ケットシーの統率なぞ、妾とて不可能じゃからな。眷属として最低限の働きをしてもらえるだけ、ありがたいというものじゃ)


「後は共有した意識を使って……」


 今から行うのは、ケットシーが探しだした人間の確認である。

 眷属との意識共有で、彼らが見たものが映像として頭に流れ込んでくるのだ。さすがにまとめては確認できないので、一匹ずつ意識を繋げる。

 ちなみに彼らが探しているのは、フォルト好みの女性奴隷だった。


「ニャ」

「可愛らしい娘じゃが、奴隷ではないのう」

「ニャ」

「性別は合ってるが、ちと年齢が高いの」

「ニャ」

「残念ながら胸がデカいの。却下じゃ」

「ニャ」

「ふむ。映像がぼやけておる。次からはよく見るのじゃぞ?」

「ニャ」

「なかなかじゃの。候補に入れておくのじゃ」

「ニャ」

「墓場に奴隷はいないじゃろ。それはゾンビじゃ」

「ニャ」

「お主好みの猫を探してどうするのじゃ!」


 意識共有で送られてくる映像が、ニャンシーの頭に流れ込んでくる。とはいえ、彼女からの指令を間違えたケットシーもいた。

 困ったものだが、まだ情報収集を開始して数時間である。


(もう数日やっておれば、手に入りそうじゃ。妾のほうは葬儀後かの? それにしても、主からの呼び出しがないのう)


 ニャンシーが新天地を探してるときには、何回も呼び戻されている。

 その内容は、どうでも良い内容だった。一緒に食事をしようとか、もふもふ成分の補充とかである。しかしながら、今回はそれがない。

 だからこそ、重要な指令を受けたのだ。と、彼女は思っている。


「忘れられている……。わけはないのじゃあ!」

「なんの声?」


 さすがに声が大きかったのか、建物の窓を開けて人間が顔を出した。

 フォルトからは、「人間に見つかるな」と言われている。なのでニャンシーは、急いで影の中に飛び込んだ。

 そして眷属たちに一抹の不安を抱えながら、周囲を警戒するのだった。



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Copyright(C)2021-特攻君

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