第88話 近づく者たち2
フォルトたちの住む双竜山の森。
それを挟むように、東西に双竜山がそびえ立っている。南には平野が、北には霧のかかる岩石地帯ダマス荒野が広がっていた。
双竜山が国境になっており、荒野はソル帝国領である。
「本当に岩や石ころばかりだなあ」
「帝国領へようこそ。って言ったほうがいいかしらあ?」
「ふふっ。貴方にはどうでもいいことね」
(ふーん。こうなってるんだな。自分の庭の周辺を見ておこうと思ったけど、特に意味はなかったな。何にも無いや)
フォルトの目の前に広がるのは、何の変哲もない岩ばかりだった。
人間がいないのを良いことに、ダマス荒野に足を運んだ。一緒にいるのは、デートがてら連れてきた魔族のマリアンデールとルリシオンである。
現在はやめさせているが、彼女たちはダマス荒野で遊んでいた。双竜山の森に移動する条件として、人間を襲わない約束をしたからだ。
二人はストレス発散のために、魔物を討伐していた。
「そう言えば、カーミラはいないの?」
「今は帝国の町へ仕入れに行ってる」
「仕入れって……。奪ってるだけでしょ」
「そうとも言う」
「相変わらずねえ。私たちも何かやれないかしらあ?」
「何をだ?」
「貴方の手伝いよ」
「へ?」
なにやら二人は、意味ありげな顔で聞いてきた。
妹のルリシオンには、皆の料理を担当してもらっている。姉のマリアンデールはお察しだが、姉妹でセットと考えていた。
これ以上彼女たちに、何を頼めというのか。
「やってるだろ?」
「料理はねえ」
「私たちが言ってるのは、人間を殺すような何かよ」
「ああ、そういう話か」
「久しぶりに遊びたいのよねえ」
「本当に人間と仲が悪いんだな」
「ふふっ。国を滅ぼした代償は払ってもらわないとね」
魔族の国を滅ぼされ、同胞たちが人間に狩られている現状だ。
その憎悪は計り知れないだろう。たとえフォルトの身内になったとしても、人間への恨みは消えない。
「と言ってもなあ。人間とは関わりたくないし……」
「知ってるわよ!」
「私たちはフォルトの身内になって、安全を手に入れたけどねえ」
「魔族を助けろと言ってるのか?」
「そこまでは言わないわ」
「人間を狩れる場が欲しいってだけねえ」
「なるほど」
「無ければ無いで構わないわ。頭には入れておいて」
遠回しな言い方だったが、要は暴れる場所が欲しいようだ。
それに森での生活で、牙を削がれるのが嫌らしい。
(マリとルリの願いは聞き届けたいが、今は何にも無いからなあ。帝国が大規模に侵攻してくるなら、二人に任せてもいいんだけど……)
「なあマリ、ルリ。魔族の国ってどこにあったの?」
「北よ。ずっと北」
「へえ」
「北には大陸を分断する巨大な絶壁があるのよお」
「絶壁?」
「山だけど登れないわ。ほぼ垂直よ」
北の絶壁には、巨大なトンネルがある。
その先には、魔族の国ジグロードが栄えていた。現在はトンネルに結界が張られており、大陸の三大国家が管理していた。
トンネルが封鎖されているので、その先は戦争の傷跡だけが残っている。魔族はもちろん人間もいないので、魔物が
ここまで厳重に封鎖しているのは、魔族を通さないためだった。もしも戻られて旗揚げされれば、魔族の国を滅ぼした意味がなくなる。
「念入りなことだな」
「人間とは力の差があるからねえ」
「国として再起できれば、人間には脅威よ」
「現状じゃ無理なんだろ?」
「他の魔族と連絡を取りようがないわ」
「旗揚げするなら行くのか?」
「行かないわよ。貴方も行ってほしくないでしょ?」
「私たちはフォルトのものよお」
「………………」
(これは恥ずかしい。確かに手放すつもりはないけど、正面から言われれるとなあ。それになんだか……)
フォルトは流さないで良い汗が出そうになった。顔が赤くなってるかは分からないが、
そのとき、近くから魔物の鳴き声が聞こえた。
「ギョーッ!」
人が発する声ではないので、おそらくは魔物だと思われる。
フォルトがルリシオンに顔を向けると、それを肯定した。
「コカトリスだわあ。数がいるようねえ」
「私たちなら余裕でしょ。ルリちゃん、やるわよ」
「まあ待て」
恥ずかしさが残るフォルトは、戦闘態勢に入ろうとした姉妹を止めた。
彼女たちに
今まで戦闘らしい戦闘をしたことがない。だいぶ前に魔の森で、オーガを少し倒した程度だった。
「俺がやってみる」
「珍しいわねえ」
「怠惰なくせに」
「ははっ。その代わり昼食の準備をしてくれ」
フォルトは無造作に右手を突き出して、周囲を見渡す。とはいえ視覚に入る範囲には、コカトリスがいないようだ。
そこで……。
【マス・キャプチャー/集団・捕捉】
最初の魔法で、敵対行動を取っているコカトリスを補足する。
どうやら岩陰に隠れているようで、十体はいるだろう。
【マジック・アロー/魔力の矢】
次にフォルトは、魔力で作られた矢を宙に浮かべた。これは先端が
無属性魔法で初級に該当するとはいえ、その数がどんどん増えていく。魔力を多めに込めることで可能だが、合計五百本の魔力の矢など見た者はいないだろう。
そして、すべてのコカトリスに魔法が飛んだ。
「うひょ!」
フォルトはゆっくりと右手を挙げて、
本来は魔法を使うのに、そんな行動は必要ない。これはただのパフォーマンスで、
コカトリスたちは圧倒的な数の矢で殴打され、すべてミンチ肉になった。
「終わったぞ」
「改めて思うけど、魔人は凄いわね」
「デタラメねえ」
「昼食の準備は?」
「ふふっ。これが精一杯よ」
「あはっ! どうぞ召し上がれえ」
昼食用に持ってきたオヤツと肉は、ダマス荒野へ来るまでに消費していた。なので準備と言っても、言葉通りの意味ではない。
準備のできたマリアンデールとルリシオンは、顔を見合わせてフォルトに近づいてきた。先ほどまで彼女たちのいた場所には、二枚の布が落ちている。
そして姉妹は、体に
◇◇◇◇◇
西側の双竜山の北に、十人の人間たちがいた。
顔を隠すマスク、黒い全身服、迷彩マントの三点セットを着ている。
「さあ向かうわよん」
「「はっ!」」
その人間たちの目の前には、一人の女性らしき者がいる。ミスリル鉱石で作られたピンク色の胸当てを装備して、胸の部分が大きく膨らんでいた。
腰当も同様で、スリットのあるスカートが付いている。そこから見えるのは、ぶっとい筋肉質の足だった。
「あらん。私の顔に何か付いてるのかしら?」
「い、いえ!」
十人の人間たちは、ゲテモノでも見るような目で女性を見ている。
その姿は特徴的で、一度見れば忘れないだろう。彼女はモヒカン頭で、筋肉質の男性である。身長は二メートルくらいか。
フォルトが見れば、どこかの世紀末雑魚を思い浮べるはずだ。
そして、頭には二本の角が生えている魔族だった。彼? は魔族の名家ホルノス家の嫡男ヒスミールという。
「我々はこの後、どうすれば?」
「私についてくるだけでいいのよん」
「分かりました!」
ヒスミールを先頭に、十人の人間が双竜山を登る。
ここには、オークとオーガが
「大丈夫でしょうか?」
「あらん。心配は要らないわよん」
「我らは生粋の兵ではありませんので……」
「気にしないでいいのよん。黙ってついてくるだけでねん」
この場にいる人間たちは、ソル帝国が魔族を囲っていたのを知らなかった。
ヒスミールについては、この十名だけに知らされた機密情報である。とはいえ任務は、彼らを先導して双竜山を越えることだ。
一人も脱落者を出さないように……。
「「グオオオオッ!」」
周囲を警戒しながら山を登っていくと、オーガに発見されてしまった。
亜人や魔物のほうが、人間よりも鼻が利く。対策していなければ、先に発見されるのは必定だった。
ヒスミールは人差し指を顎に沿えて、少女のように可愛らしく? 首を傾げる。腰をクネクネと動かし、見る者の目を背けさせた。
もちろん本人に、そのつもりはない。
「えっと……。三体ねん」
「分かるのですか?」
「うふふ。この程度はねん」
ヒスミールがニヤけていると、奥の岩陰からオーガが三体も現れる。
人間を餌と思っているので、その顔は歓喜に満ちているようだ。
「「ウガアアアアッ!」」
「食ウ! 肉ッ!」
「じゃあ貴方たちは、そこで見てるのねん!」
オーガたちは雄たけびを上げながら、大きな
そして、そのまま突っ込んできた。
「行くわよーん!」
オーガと同時に、ヒスミールも飛び出す。
彼の武器は、腰に下げている蛇腹剣と呼ばれる特殊な剣だ。これは刃の部分が鉄のワイヤーで
剣の剛性と
「「グオオオオッ!」」
「まず一体よん。どらあっ!」
ヒスミールは蛇腹剣を、オーガの首に巻き付けた。
そして、一気に引き戻しながら巨体を宙に浮かせる。その後は豪快に、頭から地面へ
それを確認した彼は、蛇腹剣を引き戻す。すると分裂した刃が太い首に食い込み、そのまま息の根を止めた。
「ウガッ? ウガアアアッ!」
「二体目ねん。『
このスキルは筋力を増加して、体を強固かつ頑丈にする。身体強化魔法のストレングスと防御魔法のシールドが、同時に発動するようなスキルだ。
蛇腹剣は、一体目のオーガの首に巻き付いたままだった。それを捨てたヒスミールは物凄いダッシュで、二体目のオーガの懐に踏み込む。
スキルの特性を活かして、オーガの分厚い腹を拳で殴りつけるのだ。
「どらあっ!」
「ウガアアアアッ!」
オーガの筋肉は強固である。
人間が素手で殴っても、普通は効かない。しかしながらヒスミールの拳は腹に食い込んで、オーガの頭を下げさせた。
「どらどらどらどらどらっ!」
ヒスミールは、オーガの顔に拳の連打を撃ち込む。右へ左へ、ガンガンと殴った。右で殴れば、すぐ左で殴る。
まるで台風のような連打だ。
「トドメよーん」
「グガッア!」
最後は、オーガの鼻っ柱に右の拳を撃ち込んで終わりだった。
これで、二体目が地面に崩れ落ちる。完全に鼻を潰して、頭蓋骨を砕いたのだ。圧巻の勝利である。
「逃ゲル!」
簡単に二体がやられたのを見て、最後の一体は逃げ出してしまった。
知能が低くても、勝敗の判断ぐらいはできるものだ。
「ヒスミール様、追わないのですか?」
「放っておくのよん。あれはもう向かってこないわん」
「そっ、そうですか……」
ヒスミールは、逃げたオーガを
それを眺めていた人間たちは、
「さあ向かうわよん」
「「はっ!」」
この後の遭遇戦も、ヒスミールが一人で戦った。
もうオーガは襲ってこない。オークも数体撃破しただけで、遠くから監視してるだけだった。
「お強いですなあ」
「私は魔族よん。当たり前だわん」
「い、いや。聞いていた話とは……」
「うふふ。私の武勇伝でも、ベッドの中で教えてあげようかしら?」
「けっ、結構です!」
「冗談よん。男に興味はないわん」
「そっ、そうですか」
「うふふふ」
ヒスミールは話しかけてきた人間に向かって、目をパチパチする。
それからマスクを引っぺがし、頬へ唇を押し当てた。
「ひっ、ひい!」
「あらやだ。そんなに喜ばなくてもいいのよん」
ヒスミールはウインクしながら、怯えている男性から離れた。
他の十人も一斉に離れたが、彼は意に介していない。
「それよりもヒスミール様、森を見てください」
「どうしたのかしら?」
今度は別の男性が話しかけてきた。
マスクをしているので、誰が誰だか分からない。とはいえ言われたとおり、眼下に見える双竜山の森へ視線を移した。
「何かしら? 湖の近くに建物があるわねん」
「はい。誰かが住んでるのでしょうか?」
「さあねえ。兵士でも駐屯してるんじゃないかしら」
「それは……。報告しないといけません」
「帰ったら私がしておくわん。貴方たちは別の任務があるでしょ?」
「お願いします」
建物などに構っている暇はなかった。
ヒスミールは一刻も早く双竜山を越えて、彼らをエウィ王国に送り届ける必要がある。もたもたしていたら、やらなくても良い戦闘が増えるだけだ。
「さあ、もうすぐよん!」
「「はっ!」」
ヒスミールたち一行は、さっさと山を進んでいく。
双竜山の
ソル帝国に囲ってもらった恩を返すのも、ホルノス家嫡男の務めであった。たとえそれが、
(帝国は魔族をどうしたいのかしらねん)
魔族を囲った理由は聞いている。しなしながら正直に信用するほど、ヒスミールは馬鹿ではない。
もちろんそれは、ソル帝国も分かっているだろう。お互いの利益のために利用し合う関係といったところか。
そんなことを考えながら、麓まで来た道を戻るのだった。
――――――――――
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