第78話 聖女剥奪1

 扉を開けると、そこは別世界。

 木材を使った大浴場が目の前に広がって、異世界人のアルディスとエレーヌは、目を見開いた。湯船も広くて、日本の温泉旅館を思い出す。

 それでもさすがに、ひのき風呂とは比べるまでもない。とはいえ、天然の木材を魔法で加工してあった。

 こちらの世界に召喚されてからは見たことのない、立派な風呂だった。


「わあ。広い!」

「え……。なんで、お風呂がこんなに立派なの?」


 あたり一面に湯気が立ち昇って、風呂場に入ってきたアルディスとエレーヌを隠した。それによって、水が温かいことが分かった。二人とも裸ではなく、グリムが調達した高級布を、体に巻いている。

 そして、二人が風呂場を眺めていると、ソフィアも入ってきた。レイナスから使って良いと言われたので、双竜山から戻って早々、入浴に来たのだった。


「聖女様、おっそーい!」

「お待たせしました」

「ねえねえ。おじさんって、もしかして金持ちなの?」

「いえ。お金は持っていないはずです」

「それで、こんな屋敷を持ってるの?」

「自分たちで建てたそうですよ」

「「ええっ!」」


 フォルトの屋敷は、外装や内装が物凄く雑である。本当に、ただ木材で建てただけという感じだった。

 もちろん知らされていないが、ドワーフではなく、ブラウニーが建てたので当然だろう。しかしながら、所々に変なこだわりがあった。

 風呂場もそうだが、食堂や調理場も凝っている。


「最初に見たときは、どこの旧校舎かと思ったわよ」

「建てたばかりなのは分かったけど……。ちょっとね」


 湯船に入る前には、体を洗ってくれと言われている。

 アルディスとエレーヌは日本人なので、当たり前といった顔だった。


「訓練所だと、水で体の汚れを流すだけだったのにねえ」

「それに汚いよね。変なものが浮いてるし……」

「申しわけありません」

「聖女様のせいじゃないですって!」


 ソフィアは知っているが、この屋敷よりも、立派な風呂は存在する。

 王族や大貴族ならば、大理石で作ったような立派なものを持っている。しかしながら、そのような話を、二人に伝える必要はない。あったところで、彼女たちは、羨むことしかできないのだ。

 それが原因で、不満がまって爆発されても困る。


「エレーヌって、スタイルがいいよねえ」

「そっ、そうかな?」

「さすがはミスコン優勝者。胸もデカい!」

「も、もう!」


 アルディスのセクハラ発言を受けたエレーヌは、両腕で自身の胸を隠す。

 女性同士だが、やはり恥ずかしいようだ。


「ボクなんて鍛えてるから、筋肉がついちゃってさ」

「引き締まった、いい体だと思いますよ」

「そういう聖女様は着ぶくれするタイプ? 細いわねえ」

「そうですか?」


 ソフィアは、アルディスに腕を軽くつかまれた。彼女は気にした様子がなく、キョトンとした表情を浮かべている。

 それからも女子トークに花を咲かせていると、入口のほうから音が聞こえた。三人はハッとなって、首まで湯船に浸かった。


「ちょっと、何の音?」

「レ、レイナスさんかしら?」

「いえ、彼女は先に入ったと聞きました」

「じゃあ、この屋敷の誰か?」

「まさか、シュンじゃないでしょうね!」

「彼らは湖へ向かったと思いますよ」


 勇者候補チームは、武器の手入れをしてから、それぞれで風呂に向かった。水で十分と言っていた男性陣は、硬派のギッシュが、のぞきなどはやらせないだろう。

 そして、ドアが開いて、誰かが中に入ってくる。湯けむりの先には、身長の低い影が見えた。


「誰よ!」

「掃除」

「え?」

「あ……。ブラウニーですね」

「ブラウニー?」

「家の精霊です。この屋敷の管理をしてたはずですよ」

「へ、へえ」

「精霊なので、女性の裸には興味がないです」

「な、なら……」


 ソフィアが言ったように、ブラウニーは、三人に目を向けない。そのまま、風呂場の掃除を開始した。

 その光景を、アルディスとエレーヌは、興味深く眺める。家の精霊とは良く言ったもので、魔法を使って掃除していた。


「面白いわねえ」

「汚れてないのに掃除してるね」

「日課なのでしょう。召喚主の指示に従ってるだけですね」

「おじさんが召喚してるの?」

「レベル三って聞いたよ?」

「じゃあ、他の誰かかな。魔族なら召喚できるんじゃない?」

「きっとそうよ。それか、赤い髪の女性ひとかもね」

「カーミラさんですか?」

「名前までは分かんない」


 残念ながら、アルディスとエレーヌは、レイナス以外の名前を聞いていない。

 それというのも、自己紹介などしていないのだ。フォルトの名前は聞いているが、すでに覚えていなかった。

 おじさんで覚えてしまったのだ。


「それもよりもさ。天井の扉は何?」

梯子はしごが付いてるね。食堂にもあったかな」


 湯けむりがのせいで、薄っすらとしか見えない。とはいえ、物珍しい扉が、アルディスの興味を引いた。

 横へずらす引き戸のようだ。


「あれは……」

「非常口みたいなもんかな。ちょっと行ってみない?」

「え?」

「いいじゃん。探検みたいで面白そうだしさ」

「いいのかなあ?」

「………………」


 アルディスは言うより早く、梯子を上り始めた。

 その下では、エレーヌが見上げている。ソフィアは聞いたことがあったので、記憶を辿たどっていた。


「あっ! お待ちください!」

「え?」

「その先は……」

「もう着いちゃった。開けてみれば分かるよ」

「でっ、ですから!」


 ソフィアの声を無視したアルディスは、扉を少し開いた。その先は暗いが見えないほどではない。

 そして、奥のほうからは、女性の声が聞こえた。


「誰かいるわよ?」

「駄目です! そこは!」

「もうちょっとで見えるんだ、け、ど…………。もう、ちょい」

「何が見えるの?」


 思い出したようにソフィアは叫んでいたが、それは手遅れというものだ。アルディスはさらに扉を開けて、奥を覗き込んだ。

 すると彼女は、とある光景を見て、その場で固まってしまった。


「な、な、な、なっ!」

「どうしたの?」

「きゃー!」

「ア、アルディス?」


 エレーヌに声をかけられたアルディスは、悲鳴を上げて扉を閉める。

 そして、勢いよく湯船に飛び込んだ。口まで湯船に浸かり、顔を真っ赤に染めて、ブクブクと水泡を出した。

 もちろん、湯にのぼせたわけではない。


「ですから駄目だと」

「ブクブク」

「ねえ、何を見たの?」

「ブクブク」

「ねえってば!」

「うぅ……」


 エレーヌの必死な問いかけに負けたアルディスは、扉の先で見た光景を、簡潔に説明した。


「男女がベッドですること……」

「え?」

「恥ずかしいから言わせないで!」

「それって……。きゃー!」


 天井の扉は、フォルトの寝室へ直通なのだ。最短距離で目的地へ向かい、最短距離で戻るという仕様である。

 アルディスは、見てはいけないものを見たのだ。


「男女ってことはおじさんと……。誰?」

「………………」

「ねえってば!」

「おじさんと五人……」

「え?」

「五人よ! もう一人は、きっとアーシャって女性ひとだわ」

「ええっ!」


 焼き肉騒動で見た女性は四人だった。カーミラ、レイナス、マリアンデール、ルリシオンである。

 残りの女性は、食堂から離れていたので見ていない。しかしながら、シュンやノックスから、アーシャの話は聞いていた。

 当然、この屋敷にいるだろう。それが扉の先で見た、見知らぬ一人だ。


「もう、フォルト様ったら……」

「聖女様、どうなってんのよ!」

「あ……。わ、私は詳しくありません!」

「おじさんって、そんなにいいのかしら?」

「エレーヌ?」

「あ、ごめんなさい……」

「と、と、とにかく。もう出ようか!」

「そっ、そうね!」


 この話を続けると、アルディスはどうにかなりそうだった。

 シュンと初めてを済ませたばかりである。あのような光景を想像しただけで、顔から火を噴いてしまいそうだ。

 そこで、さっさと風呂場から出ることにした。


「私は、もう少し温まりますね」

「出ないの?」


 ソフィアには、風呂場を出られないわけがあった。

 フォルトからもらったエッッッッグいパンツを見られたくないのだ。彼女たちより遅れて入ったのだから……。


「後でお風呂のお礼を伝えておきます」

「無理だって! 明日にしたほうがいいわよ」

「五人……」

「そっ、そうですね。で、では、ブラウニーさん――――」


 最後に風呂場を出るならばと、ソフィアは風呂を貸してもらった礼を、フォルトに伝えたかった。とはいえ、アルディスが言ったように、会うのは無理だろう。

 そこで、掃除中のブラウニーに、伝言を頼んでおくのだった。



◇◇◇◇◇



 次の日の朝、ソフィアがフォルトを尋ねてきた。これから双竜山の森を抜けて、帰還の途に就くようだ。

 シュン率いる勇者候補チーム一行は、遠くで彼女を待っていた。


「無事に限界突破ができたようで何よりです」

「はい。宿泊させていただいたおかげです」

「そうですか? まあ、気をつけて帰ってください」

「それと、山へワイバーンの素材を取りに……」

「レイナスから聞いています。山ならいいですよ」

「ありがとうございます」

「帰るまでは襲わせません」


 ソフィアからの話は、ベッドの上で、レイナスから聞いていた。素材は倒した彼らの所有物なので、勝手に持っていって構わない。

 亜人種たちには、こちらからの合図があるまで、人間を襲うなと言ってある。帰ったのを見計らってから、合図を送れば十分だった。


「それとお土産です」

「これは?」

「肉ですね。グレイトキャメルの肉です」

「ふふっ」


 フォルトは大きな袋を、ソフィアに渡した。

 中身は凍らせてあるビッグホーンの肉だが、カーミラの機転のおかげで、グレイトキャメルになっている。土産として渡すぶんには良いだろう。

 どうせすぐに、ギッシュが食べてしまう。


「もう一つあるけど、これはソフィアさんにね」

「え?」


 次に、薄く小さな袋を渡す。

 これはフォルトから、ソフィアへのプレゼントである。


「ブラです。履いてるパンツとセットですね」

「っ!」

「ははっ。次に来るときは、それを着てね」

「し、知りません!」


 ソフィアは顔から火を噴いて、その場から去っていった。

 とても、からかい甲斐がいがある。とはいえ、あまりからかうと、屋敷に訪ねてこなくなる。暫くは止めたほうが良いだろう。

 そして、彼女らが双竜山の森へ入ったのを見計らって、屋敷から身内が出てきた。フォルトはレイナスを伴って、いつもの専用椅子へ座った。

 もちろん背後には、カーミラが立っている。


「フォルト様、やっと帰りましたわね」

「そうだな。レイナスもご苦労だった」

「いえ、あの程度なら問題ないですわ。ピタ」

「よしよし。それで、どうだった?」


 フォルトはレイナスの頭をでながら、シュンとギッシュの戦いを聞いた。昨夜は大まかな話しか聞けなかったので、詳しく話してもらうのだ。

 だが、大した収穫はなかった。限界突破時のレイナスとレベルが同じでも、戦い方が駄目だったようだ。


(これは、熟練度ってやつだな。特にギッシュの戦い方が酷い。よく生きてたな。んで、シュンは堅実派か。堅実すぎて、欠伸が出たようだが……)


「レイナスが勇者になったほうがいいんじゃないか?」

「そんな面倒なことは嫌ですわ」

「ははっ。そうだな」

「ですが、フォルト様だけの勇者なら……」

「御主人様。レイナスちゃんは、勇者になれませんよお」

「ああ、堕落の種か」


 フォルトの後頭部を刺激していたカーミラが、話に加わってきた。

 その内容に、ちょっと首を傾げてしまう。


(確か、レベル四十で芽吹くんだったな。あれ? これって……)


「もしかして、勇者にさせないためか?」

「結果はそうなりますねえ」

「じゃあ、シュンたちに食わせた肉へ混ぜたとか?」

「あんな弱っちぃのは、悪魔王もお断りでーす!」


 フォルトは吹き出しそうになった。

 シュンやギッシュでは、カーミラの眼鏡にかなわないようだ。


「悪魔になったら、悪魔王とやらに会うのか?」

「会う必要もないですし、会いにも行けませーん」

「そうなんだ。何かやることはあるの?」

「今と何も変わらないですねえ」

「へえ」

「レイナスちゃんは、御主人様に尽くせばいいのですよお」

「もちろんですわ!」

「御主人様は魔人ですからねえ」


 フォルトは七つ大罪をすべて持つため、それだけで悪である。

 その彼に追従するレイナスも同様といった話だった。


「そう言えば、悪の定義って?」

「神の教えに反することでーす!」

「ふーん」


(神の教えなんか知らないなあ。それに人間は、少なからず七つの大罪を持ってるだろ。俺の場合は、大罪そのものって話みたいだが……)


 もともと無神論者のフォルトには、神の教えなど分からない。聖書すら読んだこともないのだ。それに、世界が違う。

 人間としての思考で、善悪の区別がつく程度だった。


「どうでもいいか」

「えへへ」


 現在のフォルトは、好きなように生きると決めている。難しいことを考えても仕方ないだろう。それに、あまり深く考えると眠くなる。

 まだ起きたばかりなのだ。そんな小難しいことを話している場合ではない。これから身内と、どう過ごすかを練ったほうが良い。

 そう思いながら、他のテーブルへ向かうのだった。



――――――――――

Copyright(C)2021-特攻君

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