第69話 帝国の影2
ソル帝国。
双竜山より北に領土を持つ帝政国家である。南にはエウィ王国、東は亜人の国フェリアスと国境を接していた。
この三カ国が、大陸の三大国家と呼ばれている。
そして人間種の国家であるソル帝国とエウィ王国の周辺には、数多の小国が乱立している状態だった。
「それで、双竜山は抜けられそうか?」
首都となるのは帝都クリムゾン。
その中心に位置する帝城リドニーに、皇帝が鎮座していた。また皇帝の執務室では豪華な机を挟んで、二人の男性が会話をしている。
どちらも大柄な筋肉質の中年男性であり、内一人は黄金の椅子に座っていた。
まるで覇王のような風格を漂わせる人物が、皇帝ソルその人である。
この名前は、絶対的な権力の象徴だ。エウィ王国のエインリッヒ九世と違って、名前と家名を分けずに世代も付けない。
皇帝こそが帝国である。
つまり、完全なる独裁国家ということだ。帝国臣民で皇帝の名を付けることはおこがましく、重罪に処されるほどだった。
「
皇帝ソルの問いに答えるのは、帝国騎士の
名をルインザード、帝国四鬼将の一人であり筆頭でもある。武門の家に生まれ、皇帝とは
二つ名は〈鬼神〉。厳つい顔と大柄な体は、まるでオーガを思わせる。
「森のほうはどうだ?」
「迷った揚げ句に入口に戻されるとか……」
「ふんっ! ダマス荒野の魔物が減っておるのだぞ!」
「
「あの
「分かりかねますが……。軍師殿に聞くのが一番ですぞ」
「はははははっ! あいつは忙しい。三国会議の調整でな」
三国会議とは、三大国家が一堂に会するサミットのことだ。領土問題から経済のことまで幅広く議論される世界会議で、その日程が近づいていた。
それゆえに諜報員を、エウィ王国に送り込んでおく作戦が遂行中だったのだ。しかしながら、肝心の国境を越えることが難しいとの話である。
「すでに駆け引きは始まっているのだがな」
「申しわけないですな。ですが、エウィ王国も帝国に送れませんぞ?」
「分かっておる。だが、より有利な条件を引き出すには……」
「父上!」
皇帝ソルとルインザードが会話していると、執務室の扉が開けられて、一人の若い男性が入ってくる。
一端会話を止めた皇帝は、そちらに顔を向けた。
この不敬な眉目秀麗な若者が、皇帝の嫡子であるランス皇子。いずれはソルの名を受け継いで、次代皇帝となる人物だ。
「何だ? 騒々しいぞ」
「すみません! ですが、隣国のターラ王国を陥落させました!」
「そうか。ご苦労だった」
「ランス皇子、初陣を飾られましたか」
「はいっ!」
「ふんっ! 余の息子なら当然だ」
ソル帝国もエウィ王国と同様に、周辺領土を手中に収めていない。小国が乱立しているので、これらを屈服させる必要があった。
そしてランス皇子を派遣したのは、ターラ王国が表立って敵対したからだ。
とりあえずの基本戦略として、王族に従属を勧めて属国とする旨を命令した。小国とはいえ下手に武力で滅ぼすと、国民が臣従しないからだ。
その任を終えた皇子は、帝都に
「それでランス、王族はどうした?」
「捕らえてあります。現在は従属を勧めているところです」
「それで良い。お前も理解してきたようだな」
「はい。小国と言えども、生産性はあります」
「そうだ。
「王族を屈服させて、国民を臣従させるのですよね?」
「そこまで分かっておるなら、ターラ王国の件はランスに任せる」
「ありがとうございます!」
ランスは一礼をして、執務室から退出した。
その皇子の背中を、皇帝ソルは厳しい目で
「ルインザードよ。貴族どもの動きは?」
「今は大人しいものですな」
「そうか。ならば良い。双竜山越えの作戦は続行させろ」
「畏まりました」
ルインザードも皇帝ソルに一礼して、執務室を後にする。
彼に対して思うところは、たった一つだけだった。優秀な人物であり、共に肩を並べて道を歩める最高の幼馴染だということ。
(ルインザードよ。帝国を導こうぞ)
腕を組んだ皇帝ソルは、天井に顔を向けながら目を閉じる。
帝国の進む道は決めていた。しかしながら、困難な道のりになるだろう。だがやり遂げてみせると、決意を再確認する。
そして、椅子から立ちあがるのだった。
◇◇◇◇◇
双竜山を西側から登った山中に、一人の人間が息を殺していた。真っ黒いフルフェイスマスクと、同色の全身服を着用している。
その人間は、大岩の後ろに隠れていた。周囲を
次にマントを装備すると、遠目からは岩と同化しているように見えた。
「あんなのが棲息しているなんて……」
人間は毒突きたい気持ちに駆られた。
フルフェイスマスクを脱げば、「聞いてないよ!」とでも言い出しそうな表情をしているだろう。
このままなら、撤退を視野に入れる必要があった。
(以前登ったときは、バグベアとコボルトしかいなかったのに……)
この人間は、本来双竜山には棲息していない魔物を発見して隠れたのだ。
推奨討伐レベル二十五のオーガが九体もおり、先に発見できたまでは良かったが、大岩の裏から動けなくなった。
今は気付かれていないとはいえ、岩陰から飛び出せば見つかってしまう。
(任務は双竜山を抜けて、エウィ王国に潜入すること。それから諜報活動。撤退してもいいけど、一人だけ戻ったら評価に……)
首を振った人間は、ソル帝国から派遣された諜報員だ。
エウィ王国に密入国するため、ダマス荒野から双竜山に入山した。十人で組まれたチームとして送られ、現在は単独で行動している。
一人を残して全滅したわけではない。
諜報員は隠密能力が高いので、それぞれが別の入山ルートから進んでいる。全員が
双竜山を越えたところで合流する予定だ。
「みんなは抜けられたのかな?」
そんなことを
このまま何事も無くやり過ごして、静かに進むつもりだった。しかしながら、その考えは許されなかったようだ。
「メスノ匂イ!」
「え?」
「捕マエル!」
(オ、オークも棲息しているの? 拙いわ!)
鼻が利くオークの数体に発見されてしまった。
この魔物も棲息しているとは聞いていなかった。と言っても、それについて考えている余裕は無いだろう。
メスと言われたように、この人間は女性だからだ。オークに捕まった女性がどうなるかなどは、誰でも知っていた。
この場に留まるのは死を意味するので、女性は即座に撤退を選択する。オーガにも発見されてしまうが、一目散に逃げるが勝ちだ。
そして女性が、大岩から飛び出した瞬間……。
【スリープ/睡眠】
(え……?)
何やら声が聞こえて、突然の眠気が女性を襲ってきた。
これで起きれば良かったが、深い眠りに入ってしまった。
「メス! 仲間増ヤセル!」
「ストップでーす!」
「何ダ!」
オークたちの前に、翼と尻尾を生やした女性が姿を見せる。
その女性は、可愛らしいポーズを決めていた。右手を横ピースに右目の前に出し、左手を腰に置いて前傾姿勢だ。
そして、尻尾をゆらゆらと揺らしながらウインクした。
「「メス!」」
「数ガ増エタ!」
「確かにメスだけどねぇ。襲ってみますかぁ?」
「ア……。スミマセン」
「魔人感謝。仲間、襲ワナイ」
「いい子だね。物分かりのいい子は好きでーす!」
現れたのはフォルトのシモベ、カーミラだった。
オークたちは矛を収めて、ひたすらに謝っている。知能が低くても、彼女のことを思い出したようだ。
その光景に気付いたオーガも、足早に近寄ってきた。
「ウガッ。人間食ッタ」
「何匹かなあ?」
カーミラは人差し指を顎に当てながら、可愛らしく首を傾げる。
オーガに
そのオーガも、人差し指を立てた。
「一匹?」
「違ウ」
「あっ! 一体で一匹ということですかぁ?」
「ウガウガ」
「じゃあ九匹ですねぇ」
オーガの答えに、カーミラは口角を上げてニンマリする。
魔の森から連れてきた亜人たちは、よく働いている。主人のフォルトは、双竜山への侵入者を殺してもらうと言っていた。
現状は、そのとおりになっている。
「人間、食ウ!」
「メス、コッチ!」
「食ウ!」
「コッチ!」
「ストップでーす!」
亜人同士の争いは厳禁にしている。オーガやオークが減ってしまっては、フォルトの望みを
ビッグホーンの肉を分け与える条件の一つだった。
「えっと、メスはカーミラちゃんが持っていきますねぇ」
「食イタイ」
「ヤリタイ」
「ですよね。だから、これで我慢してくださーい!」
カーミラが後ろを向いて手を振ると、数十体のゴブリンが姿を現した。
この亜人も魔の森から連れてきたが、山ではなく森に配置している。
そのうちの何体かを使って、屋敷からビッグホーンの肉を持ってきたのだ。フォルトたちに人気の無い部位でも、彼らは喜んで食べる。
そもそも、分け与える日だったが……。
「「肉!」」
「うん。ビッグホーンの肉だよぉ。これと交換でーす!」
「ウガウガ!」
「交換、交換!」
「うんうん。じゃあ、メスは持っていくねぇ」
オーガとって人間は、ただの食料である。
それはオークも同様だが、女性の場合は繁殖の材料と見なしていた。肉と交換すると繁殖を諦めることになるが、オークにもメスはいる。
美醜の価値観も人間とは違うので、どちらも食料が提示されれば応じた。
そして、カーミラを襲えない。戦えば確実に負けて、そのうえ魔人の怒りを買うことになるのだ。
その程度のことは、知能が低くても理解していた。
「仲良く食べてねぇ」
カーミラは満足そうに笑顔を浮かべる。
主人のフォルトは亜人たちを支配していないと言っているが、これでは餌付けになっている。
オーガとオークは、一生懸命にビッグホーンの肉を食べ始めた。
「ゴブリンたちは森に戻っていいよぉ」
「「ギャ!」」
そしてカーミラは、ゴブリンたちに帰還を命じる。
この亜人には、森への侵入者を追い返す役目を与えていた。単独だと弱いので、ドライアドのサポートといったところだ。
そんなことを考えついたフォルトに届けるため、人間の女性を担ぐのだった。
◇◇◇◇◇
屋敷の屋根で横になっているフォルトは、欠伸をしながら地面を眺めた。
周囲には誰もいないが眼下のテラスには、アーシャとニャンシーが見える。魔法の勉強をしているのだろう。
すぐさま向かいたいが、魔力の糸でカーミラが近づいているのを知っていた。
「御主人様!」
「おっ! いたようだな」
「オークに襲われる寸前でしたねぇ」
「そっか。いるか分からなかったけど行ってみるものだ」
「えへへ。丁度良いタイミングでしたよぉ」
フォルトは起き上がって、カーミラを迎えた。
ソル帝国の人間が双竜山や森に侵入していたので、もしかしたらと思って捕縛に向かわせたのだ。
その目算は当たったようで、一人の人間を抱えていた。
「御主人様、人間を何に使うんですかぁ?」
「ん? 言ってなかったか。受肉だ」
「受肉?」
「アーシャの死体をどうするかって話をしたことがあっただろ?」
「あっ! 悪魔を受肉させる話ですねぇ」
顔に酷い火傷を負ったアーシャが、カーミラと悪魔の契約を結んだときだ。
そのときの対価として、彼女が死んだ後の体を要求している。
提示された選択肢を間違ったので、本来なら死体を入手できた。しかしながらフォルトが助け船を出して、現在は身内となって一緒に暮らしている。
「デモンズリッチがさあ」
「召喚したままですよねぇ」
「うん。コストがかかってな」
召喚した魔物を送還しないでおくと、召喚主の魔力が減っていく。ブラウニー程度なら問題無いが、デモンズリッチだと魔力の消費が多すぎるのだ。
自然回復量を越えているので、何とかしたいと考えていた。
「でも、死体じゃないと駄目ですよぉ?」
「ふーん。じゃあ……。アーシャ!」
フォルトに呼ばれたアーシャは、ニャンシーから逃げるように屋敷に入った。
彼女のことだから、魔法の勉強が進んでいなかったのだろう。きっと今日は、このまま
ともあれ彼女は、寝室に向かったと思われた。
風呂や食堂に直通で行けて、
そして暫く待っていると、笑顔のギャルが近づいてきた。
「呼ぶならもっと早く……。って誰?」
「双竜山から拾ってきた人間」
「フォルトさんは何をやってんのよ!」
アーシャは気付いたようだ。
フォルトの近くには、真っ黒な全身服を着た人間が倒れている。同色のフルフェイスマスクをかぶっているので、残念ながら顔が分からない。
うつ伏せで置かれているが、寝息を立てているので生きている。
「ははっ。それよりも、アーシャに頼みがある」
「え?」
「殺してもらえる?」
手招きしたフォルトは、続けて全身服の人間を指さす。
簡単に言っているが、これは
「何であたしがやるのよ!」
「経験だ。経験を積んでもらう」
「はあ?」
「アーシャは冒険者を殺したけど、精神状態が最悪だったよな?」
「そっそうね」
「だから殺して?」
「嫌よっ!」
「ふーん。はい、ナイフ」
「え?」
口角を上げたフォルトは、懐からナイフを取り出す。
その柄をアーシャに向けると、すんなりと受け取った。絶対服従の呪いを使った命令で、彼女には拒むことができない。
今までに一度――「お手の命令」――しか使っていなかったが、今回は是非ともやらせたいので強制させる。
「顔が見えたほうがいいな」
「はあい!」
カーミラは寝ている人間を仰向けにして、フルフェイスマスクを取った。
ボーイッシュな顔立ちと金髪のショートヘアが魅力的の女性だ。残念ながら胸は大きく、フォルトの琴線には触れないが……。
「あれ? 女だったのか」
「えへへ。女性のほうがいいですよねぇ?」
「ちょっと止めてよ!」
アーシャにしてみれば、フォルトから殺害を命令されている。
人殺しは経験済みだが、当時は精神状態が最悪で追い詰められていた。だからこそ正気の状態で、人間を殺せるようになってもらう。
こちらの世界で生きていくには、絶対に必要なことだ。
「双竜山に侵入してきた人間だ。気にするな」
「気にするわよ!」
「まあまあ。後で可愛がってやるからさ」
「え? な、なら……」
「一思いにやってやれ」
「もぉ! 分かったわよ!」
「うっ!」
これに対しては、絶対服従の呪いを使っていない。アーシャは自らの意志でナイフを振るって、女性の心臓を貫いた。
これは魔の森で、レイナスにも行わせたことだ。
当時は心を壊して堕とすためだった。しかしながら、今回は主旨が違う。人間を殺すことに対して、
それでも無抵抗の人間を使って殺害させるのは、悪魔の所業だろう。
フォルトとて堕ちた魔人だった。
「よくできました」
「本当は嫌だったんだからね!」
「アーシャがやらなくても、オークかオーガの餌食になっていたさ」
「だからって……」
「死ぬまで
最後の言葉については、あえて語ることはない。
実際に女性はオークに発見されて、オーガと挟み撃ちになる寸前だった。カーミラが止めなければ、フォルトが言った結末になっていただろう。
「御主人様、女を犯さなくても良かったのですかぁ?」
「目の前に可愛い女が二人もいるのにか?」
「きゃー! 御主人様、ちゅ!」
「ちゃんと約束は守ってよね!」
そしてフォルトは、女性の死体を屋根から落として寝室に戻った。
ちなみに、死体に気付いたマリアンデールとルリシオンは知らんぷりしていた。レイナスも
唯一シェラだけが、黙とうを
――――――――――
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