第67話 レイナス日記2

 荒ぶる雄。組み敷かれる雌。

 そして、同時に責めてくる小悪魔。全身を襲った得も言われぬほどの感覚は、今もなお残っている。

 まるで、体に刻まれた刻印のようだった。

 それから変わった。変わらざるを得なかった。永遠の主人を得たようだった。最高の宝物を手に入れた。


「んんっ」


 主人は自分に夢中だった。毎回、壊れるほどだ。しかしながら、いつも小悪魔が傍にいる。一番夢中なのは、その小悪魔に対してだった。

 それでも求めてくる。とてもうれしいことだ。とても幸せなことだ。たとえ今は玩具であろうとも、女性としての喜びを与えてもらえるのだ。


「あっ。ぅん」


 主人は服を脱がさない。

 なぜかと聞いたら、昔からの趣味だそうだ。

 それについては、理解するのが難しい。とはいえ主人の趣味なら、喜んで受け入れようと決めた。

 白いもやの中を主人が歩いてくる。立ち上がって、その胸に飛び込みたくなる。にもかかわらず、体じゅうが悲鳴を上げていた。


「い、いたっ」


 そして靄が消え、意識が鮮明になってきた。

 どうやら、自分は気を失っていたようだ。再び目を閉じて耳を澄ますと、周囲は静寂に包まれていた。


「ここは?」


(ワイバーンを倒したら、地面が崩れて……。そうよ! 穴に落ちたのだったわ。どれほど落ちたのかしら?)


 レイナスは天を見上げた。

 とても深い穴のようなので、地上に出るのは難しいかもしれない。ワンバーンの死体を飲み込むほどの深さであり、横幅は体を伸ばしても届かない。

 まずは、出口を探す必要があるようだ。


「困ったわね」


 天から光が差し込んでいても、レイナスの周囲は薄暗い。

 このような状況は考えておらず、残念ながら松明などは持参していない。


(このまま助けを待とうかしら? でも、救助が来るかは分からないわ。私はフォルト様の玩具。考えたくはないけど、無くなった玩具は……)


「探さない? そのまま捨てられる? 捨て……。いやああああっ!」


 レイナスの絶叫が木霊する。

 これは、穴に落ちただけでは済まない。

 フォルトは最初の頃よりも優しい。目的は体だけかもしれないが、一緒にいれば貪るように愛してもらっている。

 それでも、玩具という認識なのだ。


(あのときのフォルト様は……)


 そして、十字架にはりつけにされた人間たちを思い出した。命令されたとはいえ、レイナスが自らの手で惨殺して、鮮血に染まったときだ。

 彼らは、盗賊に偽装した一般人だった。心を壊すためだったと聞いたが、人に行わせる所業ではない。

 そのときに見せていたフォルトの目が、記憶として鮮明に残っている。

 まるで、実験動物でも眺めるような冷めた目だった。


(嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!)


 レイナスは頭を抱えてうずくまり、目を見開きながら地面を眺める。

 どれぐらいの時間が経過しただろう。長い時間、体を震わせながら座り込んだ。体が引き裂かれるような精神状態だった。


「捨てられるのは嫌っ! どうにかして、ここから出ないと駄目だわ!」


 無理やりではあったが、何とか答えを出した。

 フォルトに捨てられたと決まったわけではない。しかも、穴から脱出する望みを捨てるには早すぎる。

 まだ足掻あがいてすらいないのだ。


「でも、どうやって?」


 とりあえずレイナスは、ワイバーンの死体から降りた。しかしながら周囲を見渡しても、横道らしきものは見当たらない。

 もちろん壁を登ってみようと試みるが、足場となる岩がボロボロと崩れてしまう。ロッククライミングなどやれる状態ではない。

 そして暫く経つと、穴から差し込む光が赤みを帯びてきた。太陽が沈んできたらしく、夜が近いようだ。

 現状のままなら、主人が準備している祝いの席に間に合わない。


「あれは……」


 目を細めたレイナスは、穴の途中に横道らしき亀裂を発見した。

 それでもかなりの高さであり、その場でジャンプしても届かない。


(上までは無理ですが、あそこなら行けるかもしれないわ)


「フォルト様ならどうやるかしら?」


 操作と称したフォルトの遊びが鍵かもしれない。

 レイナスが魔の森で暮らしていた当時の実力で、オーガやルリシオンに勝利できたことには理由があった。

 それは、トリッキーな戦術のおかげである。

 今回のワイバーン戦も同様で、戦術を事前に聞いていた。最後だけ焦ってしまったが、概ね主人から受けた戦術どおりに進めて勝利している。


「こう、かしら?」



【アイス・ブロック/氷塊】



 レイナスは思考を逆算して、フォルトが選択するだろう行動を採ってみる。

 まずは氷属性魔法で、足場となる氷塊をワイバーンの背中に落とす。


「次は……。『魔法剣まほうけん』?」


 レイナスはスキルで剣に魔力を込めて、氷塊を切り刻んだ。

 魔法の武器となった剣であれば、氷など簡単に斬れる。しかも足場となれば良いので、立派な階段など作る必要は無い。

 その後は切り刻んだ部分に手と足を掛けて、氷塊をよじ登った。多少は亀裂に近づけているが、残念ながらまだ届かないか。

 おそらくは次の一手で、亀裂まで登れるだろう。



【ストレングス/筋力増加】



「やああああっ!」


 身体強化系魔法で筋力を上げたレイナスが、亀裂に向かってジャンプする。当然のように、手を伸ばしても届かない。

 そこで岩肌に剣を突き立てると、想定どおりになった。見事に壁に突き刺さって、自身の体を支える。

 後は剣を起点にして、亀裂によじ登るだけだった。しかしながら、岩肌がもろかったことを思い出す。


「やれやれね」



【アイス・ウェポン/氷属性・武器付与】



 レイナスの魔法が発動すると、剣が冷気を帯びて岩肌を凍らせた。

 これで体重を掛けても、簡単に抜けることはないだろう。ならばと最後に剣を足場にして、亀裂まで登った。


(もう魔力が無いわ。これを繰り返して、穴から出るのは無理ね)


 魔法剣士として成長しているレイナスは、魔法使いほど魔力が多くないのだ。ワイバーン戦でも減らしており、亀裂の先に出口があることを祈るのみであった。

 もう魔力が自然回復するまでは、魔法が使えない。


「一応は奥に続いているようですが……」


 先は真っ暗である。

 光属性魔法なら、光を灯すことも可能だ。とはいえ氷属性魔法を伸ばしているレイナスは、残念ながら習得していない。

 目が慣れるまでは、岩肌を触りながら進むしかなかった。


「魔物はいないようね」


 道と言っても、自然にできた亀裂だ。

 いつくばらないと進めない場所もあった。とはいえ分岐点は無く、ひたすらに道が伸びていた。


(ん? あれは……)


 暗い道を暫く進むと、前方から光が差し込んでいた。レイナスは出口かと思って、足早に進み始める。

 そのまま道の終わりまで近づいて、光の先に向かっていく。


「ここは!」


 亀裂のような道の先。

 そこは、広い空洞になっていた。周囲には水晶があり、近くには光を発するこけが群生している。非常に珍しく、光苔と呼ばれる植物だ。

 日本で知られている光苔とは違って、自らで発光している。

 魔法研究にも使われる貴重な植物なので、採取すれば良い値で売れるだろう。しかしながらフォルトは、金銭を必要としていない。

 もちろん、レイナスにも興味が無い。

 興味があるのは……。


「あれは何かしら?」


 空洞の奥には、光り輝く何かがあった。

 よく見ると、岩に突き刺さった剣のようだ。今まで使っていた剣は、壁をよじ登るために捨ててしまった。

 この場所に魔物はいないようだが、外に出てから襲われる可能性もあるか。と考えたレイナスは、無造作に近づいた。


「幸運だわ」


 レイナスは笑みを浮かべながら、岩に突き刺さった剣の柄を握った。

 同時に頭の中で、女性らしき声が響き渡る。


「(なんじ、我を使用する資格が有るや否や?)」

「きゃっ!」


 レイナスはビックリして、剣の柄から手を放す。

 その後は、何も聞こえてこない。慎重に周囲を見渡して人の気配を探るが、先ほどの声の主はいない。

 これには首を傾げて、再び剣の柄を握った。


「(汝、我を使用する資格が有るや否や?)」


 またもやレイナスの頭の中に声が響いてきたが、内容は同じだった。

 そこで今度は柄を放さず、剣に問いかけてみる。


「剣がしゃべっているのかしら?」

「(私は聖剣ロゼ。汝、我を使用する資格が有るや否や?)」

「聖剣?」

「(そう)」


 聖剣とは、世界最強の武器の一つである。

 欲しがる人物は多く、自分で使っても良いかもしれない。だがこういった剣は、使用者を選ぶと伝えられている。


(怪しいですわね)


 レイナスは、元ローイン伯爵家令嬢である。相手は剣とはいえ、話を鵜呑うのみにするほど落ちぶれてはいない。

 こちらに使用する資格を問いかけているが、本来なら聖剣自身が判断するものだろう。だからこそ、信用できない。

 また今は話の真偽を確かめるよりも、他に知りたいことがあった。答えてもらえるかは分からないが、質問に質問で返してみる。


「ねぇ。出口を教えてくれるかしら?」

「(え?)」

「一刻も早くフォルト様のところに戻りたいですわ」

「(あ、あの)」

「知らないのかしら? それなら用は無いわ」


 レイナスは興味を失ったように、聖剣ロゼから手を放す。

 知能はあるようだが、その反応は鈍い。口調もしどろもどろになっており、回答するか迷っている感じだ。

 それならばと急かすつもりで、出口を探すために離れようとする。


「(ちょ、ちょっと待ちなさいよ!)」

「何かしら?」

「(私は聖剣よ! 持っていかなくていいの?)」

「剣より出口だわ。出口はどこ?」

「(聖剣だよ? 凄い剣なのよ?)」

「出口のほうが重要ですわよ。フォルト様に捨てられたくないわ」


 使用する資格を聞いてきたわりに、自己アピールが激しい。必死さが見え隠れしているが、レイナスの知りたいことは出口の場所である。

 さっさと答えてもらいたい。


「(出口は無いわ)」

「え?」

「(出口は無いって言ってんのよ!)」

「それならなぜここに、聖剣があるのかしら?」

「(埋まった)」

「はい?」

「(何十年も前に埋まっちゃったのよ!)」


 聖剣ロゼの話はこうだ。

 本来なら出入口があり、この場所に隠されていた。

 なぜ隠されたかは分からない。気付いたら岩に突き刺されており、前所有者は出ていくところだった。

 それから何十年も経過したが、地震のせいで出入口が崩落した。

 以降は日の目を見ずに、ずっと放置されている。


「隠した人は、ロゼを使えなかったのかしら?」

「(当然よ。所有するだけじゃ能力を使えないわ)」

「ロゼが私を認めれば出られるの?」

「(使用する資格を有していればね)」

「その判定はどうやるのかしら?」

「(岩から引き抜いて、魔力を流してみなさいよ!)」


 所有することは可能なようだ。

 他に手段が無い以上、やってみる価値はあるだろう。

 それに、聖剣ロゼが間抜けに思えてしまった。動けないのだから仕方無いが、レイナスは笑みを浮かべた。

 そして、言われたとおりにやってみる。


「ふふっ。流してみるわね」

「(駄目ね。貴女に資格は無いわ)」

「そう。残念ね」


 使用する資格を有していないと分かると、レイナスは聖剣ロゼを放り投げた。使えないものを持っていても意味は無い。

 そればかりか邪魔である。


「(ちょ、ちょっと!)」

「もう用は無いと思うのだけれど?」

「(連れてって……)」

「え?」

「(連れていきなさいと言ってんのよ!)」

「資格が無いのでは?」

「(少しはあるわ。だから連れてって!)」

「はい?」

「(こんな場所に置いていかれたら、誰も来ないのよ!)」


 すでに出入口は失われ、この場所には誰も来ないだろう。

 もしもレイナスが持っていかなければ、二度と日の目を見ない。


「資格はあるのかしら?」

「(ふん! 成長すれば使えるんじゃない?)」

「そんなことでいいの?」

「(いいわよ! 認めてあげるわよ! いえ……。認めさせてください!)」

「わ、分かったわ」


 成長して使えるのならば、今は持っていっても構わないだろう。

 たとえレイナスが使えなくても、フォルトに渡せば喜んでくれるかもしれない。と思い直して、聖剣ロゼを拾う。

 その瞬間に、亀裂のような横道から声が聞こえた。

 まさかと思って振り返ると、そこには愛しの主人が立っている。


「おーい、レイナス! 帰るぞ!」

「え?」

「おっ! いたいた。みんなが待っているぞ!」

「どっどうして……」

「なかなか戻らないから迎えに来ただけだけど?」

「フォルト様!」

「どうした?」


 怠惰なフォルトが迎えに来るなど考えもしなかった。レイナスは嬉しさのあまり、涙が込み上げてくる。

 またもや聖剣ロゼを放り投げて、主人の胸の中に飛び込んでいった。


「(ちょっと!)」


 聖剣ロゼの慌てた声が、レイナスの頭の中に響く。しかしながらその声は、今の彼女には届いていない。

 いや届いているが、完全に無視してフォルトをギュっと抱き締める。


「まさか怪我でもしたのか?」

「いえ。探していただけるとは思わず……」

「ははっ。レイナスは俺の玩具だ。ロストするわけにはいかない」


 レイナスは顔をあげて、恐る恐るフォルトの目を見た。すると実験動物を見るような目ではなく、優しく温かい目をしていた。

 口では玩具と言っているが、内心は違うのだろう。

 主人からの愛情を感じて、心からホッとしてしまう。


「あの……。フォルト様」

「どうした?」

「ちゅ」

「むぐっ!」


 レイナスはフォルトの首に手を回して、大人の口付けをする。

 以降は察してくれたのか、服の中に手が入ってきた。聖剣ロゼの声がゴチャゴチャと聞こえるが、ここでも完全に無視する。

 そして二つの影は折り重なり、一つになるのだった。



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Copyright©2021-特攻君

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