第64話 限界突破1

 ほとんど草木が生えていない岩石地帯で、一人の女性が走っている。

 ボロボロのローブを着て、頭部をフードで隠していた。必死になって走っているようで、ほほを流れる汗の量が多い。

 それでも立ち止まることはなく、南に向かって一直線に走っていた。


「はぁはぁ」

「いたぞ!」

「逃げるな!」

「まっ拙いわ」


 女性のはるか後方に、十人ほどの武装した騎士が姿を現す。

 彼らは、全身よろいと呼ばれるフルプレートメイルを着込んでいた。かなりの重量だと思われるが、まるで苦にしていない。

 追いつかれるのも時間の問題だろう。


「でも、まだ距離はあるわ」



【インジビリティ/透明化】



 女性は近くの岩陰に隠れて、透明化の魔法を使う。効果時間がある魔法なので、長時間は維持できない。

 それでも姿を隠せれば、追っ手から逃げられる可能性は高いだろう。

 現に騎士たちは立ち止まって、女性を見失ったようだ。


(一度東に向って、また南を目指しましょう)


 岩陰から飛び出た女性は、東に向かって走り出した。しかしながら女性の思惑が外れて、騎士たちが追いかけてきた。

 どうやら、足跡を見られているようだ。

 これでは透明化の意味が無く、すぐに追いつかれてしまう。


「駄目だわ。捕まってしまう」

「姿が見えたぞ! こっちだ!」

「くっ!」

「話を聞け!」


 まだまだ騎士たちとの距離はあるが、魔法の効果が切れたようだ。完全に発見されて、女性を追いかけてくる人数も増えた。

 ただし捕縛されても、それ自体は不幸と言えない。


(同族たちは好待遇で受け入れられているわ。でも私は……)


 追いかけてくる兵士は、女性を保護するつもりなのだ。

 余計な御世話なのだが、同族と人間の関係からすれば止むを得ないだろう。本来であれば、人間とは殺し合いが始まる間柄だった。

 女性は保護されることを拒んで、今に至っている。


「キシャー!」

「え?」


 女性が必死に逃げていると、岩陰から大きな蜥蜴とかげが現れた。

 そして驚いて立ち止まった瞬間に、灰色の息をかれる。追いかけてくる騎士たちを気にしていたので、女性は避けられなかった。


「きゃあ!」


 大きな蜥蜴は、女性の前から逃げていった。

 彼女の後ろから、騎士たちが必死に追いかけてきたからだ。このままなら捕まってしまうが、今は考えている場合ではなかった。

 なんと女性の体が、足元から石化しているのだ。石化のスピードは早く、騎士たちが追いつく頃には体が動かせなくなった。


「あ、あ……。助けて……」

「ギョーッ!」


 そして首元まで石化した瞬間に、蜥蜴とは別の鳴き声を聞く。

 女性はその声を最後に、視界が真っ暗になって意識を失うのだった。



◇◇◇◇◇



 ビッグホーンの解体作業を終わらせたフォルトたちは、大型魔獣の棲息せいそく地から双竜山の森に帰ってきた。

 当然のように肉の運搬と搬入は、召喚した魔物や亜人たちに任せてある。八体のデモンズリッチを指揮官に、ゴブリンやオーク・オーガたちが何度も往復した。

 人間からすれば魔物の軍団だが、道中に人間の町は存在しない。

 領主のグリムにも言い含めてあるので、誰も近寄ってこなかった。


「旦那様、お帰りなさいませ」


 相変わらず人任せなフォルトは、湖の中央に浮かんでいる小島にいた。

 そして大木の前に寝転んで、ドライアドから不在時の報告を受けている。破廉恥な格好をしているので、頬がだらしなく緩んでしまう。

 いくら若者の姿に『変化へんげ』していても、中身はおっさんのままだ。


「俺たちがいない間に何かあった?」

「いえ。侵入者もおらず平穏でした」

「そっか。森の管理は順調かい?」

「はい。野菜や果物の栽培も問題ありません」

「へぇ」

「それと頂いた野菜も、すでに運び込んでおります」

「グリムのじいさんからの土産か」


 グリム家からは大根や人参――名称は違う――など、地中で育つ野菜が届けられていた。毒野菜に分類されるので、彼らには不要だそうだ。

 それならばとフォルトは、なぜ栽培するのかと疑問に思った。

 ソフィアに聞いたところ、魔法薬の調合材料で使うらしい。大量生産をするわけではないので、かなり余るとの話だった。


(しかし宗教って怖いよなあ。地中で育つ野菜が毒野菜とか、まったく意味が分からん。そのおかげと言っちゃなんだが、野菜には困らないな)


 毒野菜は、神官が浄化しないと食べられない。

 また浄化には寄付金が発生するため、費用対効果が悪い。本来なら捨てられるが、フォルトならば活用するだろうと言っていた。

 そんなことを考えていると、小島に同伴した女性から非難の声が上がる。


「ちょっと貴方。私を無視するなんて、今すぐに死にたいのかしら?」

「無視してはいないぞ」

「ここから先はどうすればいいのよ!」

「俺がやる。壊れるなよ?」

「誰にものを言っているのかしら?」


 フォルトの前には、魔族姉妹の片割れマリアンデールがいる。

 可愛いゴシック調の黒服を着用した状態で、その小柄な体をすり寄せてきた。とある目的があり、無理やりついてきたのだ。


「どうだ?」

「ぃっ! いいわね。続けなさい」

「このままで?」

「っぁ! いちいち聞かなくてもいいわ。好きになさい!」


 マリアンデールの言葉を受けて、フォルトは目的とやらを完遂させる。

 彼女は色々と小さいので、フォルトからすると背徳感が満載だった。とはいえ、それを指摘すると怒られるのは確実だ。

 今は考えないほうが良いだろう。


「痛くなかったか?」

「ふふっ。初めてだったけど平気よ」

「なぁ……」

「何かしら?」

「いや……。何でもない」


 フォルトと体の関係を持つことが、マリアンデールの目的だったのだ。

 彼女が何に触発されたのかは分からない。当然のようにそれを聞いても怒りそうなので、わざわざ聞くことは避けておく。

 そして乱れた服を直した彼女から、更にとんでもないことを告げられた。


「後でルリちゃんもよろしくね」

「……………。いいのか?」

「貴方は種馬らしく言われたことをやればいいのよ」

「それは酷いな」


 確かに種馬と揶揄やゆされても仕方ないだろう。

 カーミラやレイナス、アーシャとは毎晩のように情事を重ねている。


「冗談よ。これで庇護ひごじゃなくて身内ね」

「客人だが身内だと思っていたぞ?」

「ふふっ。私たちは安心が欲しいのよ。駄目かしら?」

「駄目ではないが……。もう手遅れだし……」

「いつでも求めてきなさい。貴方の色欲を満足させてあげるわ」


(安心か。こっちの世界は大変なのだな。マリとルリは強いはずだが、それでも安心が欲しいのか。常に危険と隣り合わせで命をおびやかされる、か)


 フォルトも人間であれば、すでに死んでいるだろうと思っていた。

 ゴブリンやオークとて、普通の人間には脅威である。だからと言って都市から出ずにいても、治安が悪いと聞いた。

 魔人に変わっていなければ、五体満足に生きていける自信は無い。

 そもそも人間のままなら、城から放り出された瞬間に詰んでいた。


「私は行くわ。また後でね」

「あぁ」

「ルリちゃんには、もっと優しくしなさい!」

「そうしよう」


 用事を済ませたマリアンデールは、小島からジャンプして離れていく。

 さすがは魔族だと思ったが、どうやら魔法を使っているようだ。空中で浮いたり沈んだりしている。

 最後は一気に向こう岸まで跳ねた。

 おそらくは重力系魔法だろうと思いながら、フォルトは小さくつぶやく。


「なぁカーミラ、あれでいいのか?」

「えへへ。いいんですよぉ」


 ドライアドの宿る大木の上から、カーミラが顔を出す。

 マリアンデールは気付いていなかったが、ずっと近くにいたのだ。二人の情事も見ていたようで、恍惚こうこつな表情を浮かべている。

 そして、寝そべっているフォルトに密着してきた。


「結局は全員と……」

「色欲を持っている魔人としては少ないほうですよぉ?」

「そうなのか?」

「百人以上なんて当たり前ですしねぇ」

「当たり前なんだ」

「暴食も持っていると、そのまま食べたり?」

「うぇ。勘弁してくれ」


(七つの大罪の組み合わせって怖いなあ。俺もそうなる可能性があったのか? ブルブル。考えないようにしよう)


 フォルトは魔人の持つ大罪のことを、あまり考えないようにしている。

 あちらの世界で言われている大罪を当て込んでいるだけだった。単純に似ているか同じだろうと思っている。

 そもそも深く考えない性格なのだ。


「マリとルリには堕落の種を食わせないのか?」

「魔族は長寿なので、いま食べなくても大丈夫でーす!」

「そりゃ羨ましい」

「御主人様は永遠の命ですよぉ?」

「人間としての感覚でなあ」


 不老不死を追い求めるのは、人間としてのさがか。

 特に権力者や幸せを手に入れた人間は切望しているだろう。フォルトとしては人生を捨てるほど落ちぶれていたので、不老不死よりは死を望んでいたが……。


「えへへ。二百年もすれば姉妹も欲しいって言ってきますよぉ」

「ながっ!」


 魔族の寿命は五百年程度で、エルフ族は千年程度である。

 それでも長寿ゆえの弊害か、どちらも子供が誕生しにくい。


「そう言えば御主人様?」

「どうした?」

「オーガたちを山に配置したのには、何か訳があるのですかぁ?」

「あぁレイナスが、な」


 レイナスとアーシャはレベルを上げるために、双竜山で自動狩りをしていた。だが続けていると、魔の森と同じ状況になったのだ。

 つまり、彼女たちが狩っていた亜人たちが降伏してきた。

 反対側の山でも同様だったので、ならばとフォルトは片方の山にまとめた。魔の森から連れてきた亜人たちは、空いた片方の山に配置している。


「御主人様は変に几帳面きちょうめんでーす!」

「こればかりは性格だからなあ」

「肉を保存する倉庫もそうですしねぇ」


 肉を保存する倉庫は、部位の数だけブラウニーに作らせていた。

 重い腰をあげたフォルトも、土属性魔法で協力して地下室としてある。しかも冷凍庫として仕上げており、凍った肉を大量に保存した。

 旨い肉を食べるために頑張ったのだ。


「部位ごとに味が違うのは分かっただろ?」

「はい! どれも美味ですよねぇ」

「まぁビッグホーンのおかげで、食料問題は解消されたな」

「オーガたちに渡した肉は腐っちゃうかもしれませんねぇ」

「いや。まとめて搬入してあるぞ」

「そうでしたっけ?」

「どうしても獲物が取れなかったら渡すのだ」

「なるほどぉ」


 最初から食料として渡してしまうと、狩りを行わなくなってしまう。

 そうなると、野生が失われて使い物にならなくなる。だからこそ、最悪の場合にだけ渡すことにした。

 これも、とある目的のためだ。


「山越えをする人間を殺してもらわないとなあ」

「追い返すんじゃないんですかぁ?」

「森は、な。山は知らん。魔物のいる山を登る奴が悪いのさ」

「さすがは御主人様です!」

「それよりもルリを抱く前に……」

「えへへ。待ってましたぁ!」


 マリアンデールとの情事で、カーミラも体が火照っている。

 そして小島の主ともいうべきドライアドは、男女の交わりには無関心のようだ。破廉恥な格好をした美人だが、人間ではなく森の精霊である。

 それでもチラチラと視線を感じたので、そそくさと場所を移動するのだった。



◇◇◇◇◇



 フォルトの屋敷から、北に向かっている二人の女性がいた。

 魔族の姉妹であるマリアンデールとルリシオンだ。暇な時間はダマス荒野で、魔物を討伐する遊びをしていた。


「お姉ちゃんは仕事が早いわねえ」

「だって、早く身内になったほうがいいでしょ?」

「そうだけどお。激しすぎて大変だったのよお」

「今度はこっちから襲えばいいのよ!」

「それは面白いわねえ。フォルトなら怒らないわあ」

「身内にしたことを後悔させないようにね」

「私たちを捨てることはしないわねえ」


 魔族の姉妹は、フォルトの身内になった。

 庇護の状態でも良かったのだが、それだとレイナスやアーシャに負けてしまう。人間に負けるのは、魔族として許せなかった。

 今は人間である彼女たちを、玩具として扱ってはいる。しかしながら、女性としても扱っているのだ。

 その比重は、後者のほうが高くなっていた。であれば身内になることで、上下関係は完全に上になるだろう。

 調教でも服従でもない。

 魔族の女性として、魔人の身内になることが姉妹の望みだった。


「婚姻は考えてなさそうだけどねえ」

「ローゼンクロイツ家のためには考えないと駄目よ」

「私たちが家の名誉を考えているだなんて思っていないでしょうねえ」

「ふふっ。いずれ思い知らせてあげるわ」


 自由奔放な姉妹だが、名家の誇りを持っている。

 魔族の中でも、上位の貴族家なのだ。魔族の国は滅亡したが、魔族自体は滅んでいない。たとえ滅んでいたとしても、家名の誇りは残す必要があった。

 それが、魔族の貴族家に生を受けた令嬢というものだ。


「シャー!」


 マリアンデールとルリシオンが家の存続について話していると、遠くの岩陰からバジリスクが現れた。

 この魔物は、石化のブレスを吐く危険な大蜥蜴である。大きさは、人間の大人と同等ぐらいか。通常の蜥蜴と違って、岩のような硬い肌を持っている。


「あら? 所詮は蜥蜴ねえ」


 威嚇の声を出すあたり、知能の無い魔獣である。

 おびえさせて捕食するか石化させるのだろう。とはいえ残念ながら、今回は相手が悪かったと言わざるを得ない。


「ルリちゃん、やるわね」

「いいわよお」

「キシャー!」


 姉妹が逃げないので、バジリスクは戦闘を開始した。口を大きく開けて、石化のブレスを吐くつもりのようだ。

 まともに受ければ石化してしまうが、マリアンデールのほうが速い。



【タイム・ストップ/時間停止】



 マリアンデールの時空系魔法で、バジリスクの動きが止まる。対象の周囲の時間を止める効果なので、それ以外は動いている。

 次に数秒ほど過ぎたところで、ルリシオンが魔法を撃ち込んだ。



【ポップ・ファイア・ボルト/弾ける火弾】



「ギョッ!」


 ルリシオンの火属性魔法が放たれた瞬間に、バジリスクの時間が動きだす。

 同時に爆音が響いて、火弾が着弾した場所を中心に煙が舞う。周囲に散乱した肉片からは、焼き焦げた匂いも漂ってくる。

 木っ端みじんに吹き飛んで、跡形も無くなっていた。


「ルリちゃん、コンマ一秒遅いわ」

「ごめんねえ。ちょっと股が痛くて……」

「まったく……。優しくしなさいと言ったのに!」


 いつも姉妹が使っている連携攻撃だが、着弾の時間がズレていた。

 マリアンデールは、その微妙な差を判別できる。


「お姉ちゃん、あれを見てえ」

「え?」


 マリアンデールがブツブツと文句を言ったところで、ルリシオンが何かを発見したようだ。視線の先を見ると、最近よく見かけるものが立ち並んでいた。

 並ぶというように、何体もあるのだ。


「人間の石像があるわねえ」

「馬鹿なのかしら? 人間はそんなにも石になりたいのね」

「今回は多いわねえ」


 姉妹がダマス荒野で遊んでいるときに見かける石像だった。どう考えても、バジリスク・コカトリス・ゴルゴンに石化させられた人間だろう。

 荒野が危険だと分かっているくせに、何の対策もしていなかったようだ。

 ともあれルリシオンが、一つの石像を指した。


「お姉ちゃん、この女を見たことはないかしらあ?」


 今回発見した石像の中には、女性の石像があった。

 ルリシオンは、石像の顔に見覚えがあるらしい。マリアンデールもマジマジと見たところ、確かに見知った人物だった。


「あら、この女……」

「後ろの石像は人間ねえ」


 女性の石像の後ろには、騎士らしき石像が大量にある。

 首を傾げたルリシオンは、女性に起きた状況を考察する。しかしながら、考えるまでもないだろう。

 人間に追いかけられて、石化三兄弟と遭遇したと思われる。


「お姉ちゃん、どうするう?」

「人間の石像は壊していいわ」

「フォルトには止められているわよお?」

「大丈夫でしょ。私たちは身内になったのだしね」

「そうねえ。苦痛にゆがむ表情が見られないのは残念だけどお」


 ルリシオンは、怒りと落胆が交じり合った微妙な表情になった。

 そして、人間の石像を素手でたたき壊す。

 石化されただけでは、仮死状態で生きているからだ。生命を維持する部分が残っていれば死なない。だが粉々にされれば、完全に死んでしまう。

 もちろん風化して崩れ落ちても死ぬ。


「私たちだと、石化の解除ができないわ」


 女性の石像は姉妹が見知った人物なので、このまま放置はできない。しかも石化を解除する魔法は、信仰系魔法に属する。

 司祭や神官でもない二人には使えない。


「フォルトなら何とかできそうよお?」

「そうね。じゃあ、持って帰りましょうか」



【レビテーション/浮遊】



 マリアンデールが魔法を発動すると、女性の石像が宙に浮く。

 得意とする重力系魔法の一つであり、浮遊する石像ならば簡単に運べる。ならばと姉妹は、顔を見合わせてうなずいた。

 後は石像を壊さないように、ゆっくりと丁寧に運ぶのだった。



――――――――――

Copyright©2021-特攻君

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