第52話 森から森へ3

 エウィ王国。

 国家としての歴史は三百年ほどである。

 大陸の中央部から南部にかけて、広大な領土を支配している。と言っても、人間の住める領土は限られているが……。

 森や山などは魔物の領域であり、人間が生活できる場所ではない。気軽に足を踏み入れると、すぐさま魔物の腹に収まるだろう。

 人間が暮らしやすい平野でも、大型の魔物や魔獣が棲息せいそくしている。

 それでも幸いなことに、場所は限定的だった。魔物の領域を避けることで、人間の領域として国家を築けている。


「ソフィアさん、御爺様おじいさまの領地とは?」

「エウィ王国の北西部です」

「へぇ」

「双竜山の山間に広がる森が、フォルト様に融通する場所ですね」

「双竜? 竜でもいるのですか?」

「実際にはいません。左右対称のような山、ということです」

「なるほど」

「ですが……」


 これから向かう双竜山には、ワイバーンが棲息しているらしい。

 飛竜種に分類されるが、ドラゴンとは別物だった。二足二翼の魔獣で、前肢と翼は一体になっている。蝙蝠こうもりのような皮膜の翼と、鋭い尻尾を持つ。

 その体躯たいくは堅いうろこに覆われて、全体的に蛇を太く大きくしたイメージである。

 毒も持っているので、もしも戦うなら注意が必要だ。


「ワイバーンって食べられるの?」

「まずいと聞きました」

「ほう」

「肉質が悪く毒抜きの手間もあるので、食用には不向きとの話ですね」

「倒せる人間が?」

「推奨討伐レベルは三十。限界突破の対象になる場合が多いです」

「あぁ。確か神様から試練を受けると言っていましたね」

「はい」

「試練を受ける前に倒したら?」

「意味は無いそうですよ」

「それは残念」


 限界突破の試練は、魔物討伐がメインだそうだ。

 どの魔物が指定されるかは、まさに神のみぞ知る。

 フォルトは双竜山の森に到着したら出るつもりが無いので、レイナスの限界突破の相手がワイバーンなら非常に助かる。

 そうは言っても、まずは試練を受けるところからだ。


(やっぱり、魔族の司祭を探さないと駄目だなあ。人間だと面倒臭い。国に所属とか金が必要だとか……。まぁそれを探すのは……)


「ニャンシー」

「はい?」

「あ……。やっぱり来なくていい」

「御主人様、手遅れでーす!」


 ソフィアが何の違和感も無く同乗しているので、口を滑らせてしまった。

 シモベや眷属けんぞくとは、不可視な魔力の糸でつながっている。

 基本的に、思念伝達といった便利なものではない。まるで鈴を鳴らすように、主人が呼んでいると伝えるだけだ。

 ちなみに、近くにいる場合は便利である。小声でも大きく聞こえるので、戦闘中の指示などは聞き逃さない。

 カーミラが手遅れと言ったように、暫く待つとニャンシーが現れた。


「主よ。どうしたのじゃ?」

「フォ、フォルト様! その獣人族の人は?」

「あ……」

「獣人族とは失礼じゃの。わらわはケットシーの女王ニャンシーじゃ!」

「こらっ!」


 獣人族と言われたニャンシーは不貞腐れているが、ソフィアは赤の他人である。魔界の住人を眷属にしたと知られては拙い。

 これもまた、手遅れではあったが……。


「フォルト様!」

「はい!」

「それが強いという証拠です」

「え?」


 奇麗な女性は怒ると迫力がある。

 その最たる例がソフィアだ。いくら魔人になったフォルトでも、中身は人間のおっさんから変わっていない。

 思わず顔を引きらせて、その迫力に押されてしまう。


「魔界の魔物を召喚するなんて……」

「駄目なのですか?」

「駄目という話ではなくて、ですね」


 単純計算はできない。

 それでも召喚魔法で呼び出せる魔物は、レベル差が二倍以上は必要。

 狩り用に召喚したブラッドウルフの推奨討伐レベルは十七だ。つまり召喚するためには、フォルトのレベルが三十四以上も必要だった。

 そして魔界の魔物は、全体的にレベルが高いのだ。ケットシーですらレベル三十もあるので、召喚するにはレベルが六十以上も必要である。

 これが、フォルトを強いと言った理由の一つだった。

 ソフィアは周囲を観察し、召喚されていた魔物から推察したのだ。

 今回の件で、レベル六十以上は確定である。

 他の理由は、ザインに伝えたとおりだ。


(うーん。さすが過ぎて言葉が出ないな。どうするか……。俺はソフィアさんも信用していないから、秘密を教えるのは無理だな。殺すのは……)


 ソフィアの殺害は論外である。

 魔の森での話し合いで、彼女の頭が良いのは分かっていた。死んだ後のことも考えていると結論付けている。

 秘密を教えるのも難しく、エウィ王国の上層部に伝えるだろう。もちろんその結果は、フォルトにとって悪い方向にしか進まない。

 ただでさえ、魔族のマリアンデールとルリシオンがいるのだ。王国に所属しない異世界人は処分の対象なので、確実に討伐令が出るだろう。

 それでも、今まで配慮してもらっている。秘密は話せないが、口止めを依頼しても良いかもしれない。

 聞くだけなら、タダである。


「ソフィアさん」

「はい?」

「何も見なかったことには……」

「分かりました」

「なりませ……。あれ?」

「ですが、いずれ知られますよ」

「そうなのですか?」

「すでに召喚してあった魔物については報告しました」


 信用以前の問題である。

 確かにソフィアは、エウィ王国に包み隠さずに話すと言っていた。一度は魔の森から帰還しているので、とっくに伝わっているのだ。

 これには、フォルトも溜息ためいきを吐いた。


「はぁ……」

「ですので、隠し事が下手だと言いました」

「常識を知らないことが原因なのですね?」

「それもありますが、表情や態度にも出ますし……」

「ぐっ!」


 そもそもフォルトは、人をだましたり欺いたりしたことが無い。つけ焼き刃でやろうとしても無駄だった。

 そんな器用な真似ができるなら、今まで落ちぶれていない。

 とりあえずソフィアは、ニャンシーを見なかったことにしてくれるそうだ。すでに王国に伝わっているのなら、誤差の範囲と考えたのかもしれない。

 こういったものは、多めに見積もられるものだ。魔族の姉妹がいる以上、同様の強さを想定して対策を練られているのだろう。

 もう野となれ山となれである。


「御主人様は可愛いですねぇ」

「カーミラよ。慰めにならないぞ」

「えへへ。そこが御主人様のいいところでーす!」

「そっそうか? 悪いところの間違いじゃ……」

「主よ。用は何じゃと聞いておるのじゃがのう」


 わざわざソフィアに、秘密を伝える必要は無い。しかしながら隠し事が下手なのを理解したので、フォルトは問題を棚上げする。

 そして本来の目的を、ニャンシーに伝えることにした。


「旅のついでで構わないが、魔族の司祭を探してくれ」

「残念じゃが、妾には見分けがつかぬのう」

「マリとルリに聞けばいいと思いますよぉ」

「それだ! カーミラよ。でかした!」

「えへへ」

「では姉妹に聞いてから向かうのじゃ」

「頼んだぞ。ニャンシー」


 ケットシーは種族スキルとして、『影潜行かげせんこう』を持っている。

 短距離であれば、影の中を移動することが可能だ。マリアンデールとルリシオンが乗る馬車までは、簡単に移動できる。

 ニャンシーはフォルトの影に入って、この場から姿を消した。


「フォルト様、旅のついでとは?」

「ニャンシーには新天地を探させているのですよ」

「双竜山の森では駄目ですか?」

「ははっ。保険です」

「信用していないと?」

「信用していると?」

「筋金入りですね」

「メリットのほうが大きいから話に乗った。それだけですよ」


 フォルトは誰も訪れないどこかで、身内と気楽な生活を過ごしたいだけ。

 ただそれだけのことを許してもらえない。ならば自堕落生活を満喫するために、何を優先させるかだ。


「明日には到着するはずです」

「そうですか。楽しみは……。もうちょっと先か」


(気は進まないが、もう諦めたよ。頑張れ、俺)


 今までは町や村には立ち寄らずに、郊外で休憩する。

 それを何度も繰り返してきたが、やっと目的地に到着するようだ。しかしながら、双竜山の森ではなく町の中だった。

 最後の関門を通る必要があるのだ。

 憂鬱な気分になったフォルトは、馬車の外を眺めるのだった。



◇◇◇◇◇



 フォルトにとって最後の関門。

 それは、ソフィアの祖父である宮廷魔術師グリムと面会することだった。庇護下ひごかに入れてもらうので、さすがに無視はできない。

 現在向かっている双竜山の森をもらうわけではないのだ。

 名目上は「融通」という形をとっているので、グリム家から貸し出される。領土の一部を譲渡するなど、エウィ王国が許可するわけはない。

 当然と言えば当然だった。


「憂鬱だなあ」


 本当に憂鬱である。

 馬車を下りたフォルトは、一緒に来た者たちを見る。


「マリ、ルリ」

「頑張ってねえ。私たちは馬車の中で待っているわあ」

「さっさと行ってきなさい。待たせるんじゃないわよ!」


 姉妹らしい反応である。ルリシオンの言ったとおりに頑張って、マリアンデールを待たせないように戻りたい。

 可能ならば、だ。


「レイナス、俺の代わりに行ってきてくれ」

「私は構いませんが、すぐ戻ることになりますわ」

「ごもっとも」


 レイナスの指摘は的を射ている。

 グリムが会いたいのは、他の誰でもないフォルトなのだ。「呼んでこい」と言われて、すぐに戻ってくることになるだろう。


「だよな。じゃあ従者のアーシャ」

「無理に決まってるしぃ。馬鹿なの?」


 アーシャに期待しても無駄である。

 レイナスと同様に言われて、屋敷からたたき出されるだろう。一言多いので、グリムを怒らせる可能性すらあった。


「はぁ……」

「御主人様! カーミラちゃんが一緒に行きますよぉ」

「カーミラだけが頼りだな」


 やはりカーミラが、一番頼りになる。

 これが、グリムの屋敷に到着したときのやり取りだった。人に会うのが嫌で、一人で面会するのも同様である。

 それはさておき……。

 二人はソフィアに連れられて、グリム家の屋敷に入った。

 それなりに大きく、とても重厚感がある。中世の欧州に存在した図書館のようなイメージがしっくりとくるだろう。

 あくまでも外観の話で、屋敷の中に本棚が並んでいるわけではない。


「空気が重いな」

「そうですか?」

「この屋敷にソフィアさんも住んでいるのかな?」

「はい。ですが、今は城に詰めております」

「聖女だからですか?」

「そうですね。御爺様の名代も務めておりますよ」

「ずっと領地を空ける領主はいませんしね」


 ソフィアはとても忙しい人物だ。フォルトからすると、「俺なんかのために申しわけないな」という気持ちになってしまう。

 そんなことを考えている間に、応接室まで通された。

 以降は暫く待っていると、屋敷の主グリムが入ってくる。

 いかにも宮廷魔術師と思える人物だった。白髪で長い顎髭あごひげを扱いているお爺さんである。青いローブを身にまとって、古臭いつえを持っていた。

 ソファーに座らず立っていたので、そのまま挨拶をする。


「お初にお目にかかります。フォルトと申します」

「ようこそ御出でなされた。ワシがグリムじゃ」

「色々とご迷惑をかけたようで……」

「緊張しておるのかの? お座りくだされ」

「はい」


 軽い挨拶から席を勧められて、二人は対面形式で座った。グリムの表情も硬いようで、初対面で緊張しているのはお互い様かもしれない。

 カーミラは隣に、ソフィアは対面に座った。

 愛しの小悪魔は口を閉じているが、隣にいてくれるだけでも助かる。


「ソフィアから聞いていると思うがの」

「謝罪を込めて、俺たちを庇護してくださるとか?」

「うむ。最初から手厚くできずに悪かったのう」

「結果的には、今のほうが良かったですけどね」

「それでもじゃ」


(俺は人を見抜く目なんて持っていない。本当に済まなそうにしているな。でもこういった人間に限って、言葉とは違うことを考えているものだ)


 いつものようにフォルトは、グリムに対して邪推してしまう。今回の件も、何か裏があると思っているので仕方無いだろう。

 ソフィアも、思惑はあると言っていた。


「双竜山の森でしたか。自由にしていいのですか?」

「自然を破壊しない程度であればじゃ」

「ですね。森が俺たちを隠してくれますので……」

「ふむ」

「何か?」

「いや。聡明そうめいな男と聞いていたものでな」

「いやいや。さすがに無いです」

「そうかのう。理知的と思うがの」

「あ、はは……。褒めても何も出ませんよ」


 どうやら、何かの琴線に触れたようだ。

 今まで硬かったグリムの表情が柔らかくなる。

 聡明やら理知的と言われたフォルトは、思わず苦笑いを浮かべた。二つとも持っていれば、今この状況になっていないだろう。

 自分は愚昧で馬鹿だと思っている。


「話は変わるがの。お主は魔剣というものを知っておるか?」


 グリムの話が、よく分からない方向に飛んだ。

 双竜山の森と関係があるとも思えないので、フォルトに嫌な予感が走る。


「魔の森に引き籠っていたので、俺は何も知りません」

「そうじゃったな。簡単に言うと強大な力を持った剣じゃ」

「ほう」

「町を完全に滅ぼす魔剣も存在するのう」

「危なっかしいですね」

「その魔剣の一つをな。ワシが持っておる」

「へぇ」

「双竜山の森で、お主に管理してほしいのじゃ」


 何を言い出すかと思えば案の定だった。

 やはり、美味い話は転がっているはずがない。双竜山の森を借りるのに、家賃を取る気なのだ。

 もちろん、その答えは決まっている。


「嫌です」

「なぜじゃな?」

「そんな剣を持っていたら狙われるじゃないですか」

「かもしれぬのう」

「俺は自堕落な生活をするために来たのですよ」

「魔剣を持っておれば排除できるぞ?」

「えっと……」


 何のために引き籠るのかを分かっていないのか。

 身内以外の他人に会いたくないから、誰も寄り付かない場所で暮らすのだ。魔剣を持っていたら、それを奪いに来る人物と対面してしまうではないか。

 そういった話を、簡単に説明しておく。


「面白い御仁じゃな」

「そう、ですか?」

「魔剣を持っておれば、国を取ることも滅ぼすこともできよう」

「あ……。そういうのはいいんで!」

「何じゃと? お主は力を求めぬのか?」

「何が悲しくて面倒なことを……。他の人が勝手にどうぞ」


(グリムの爺さんは何を言ってるのやら。国など別に要らんし、そんなことで動く気力があれば日本で働いてたわっ! まぁ力なら持っているが、な)


 フォルトは無気力なのだ。

 もちろん生きるためには、どこかで働かなければならないと知っている。だが体を動かす気力すら湧かずに、親のすねをかじって引き籠っていた。

 親のすねが、魔人の力やカーミラに置き換わっただけだ。


「ほっほっ。済まぬな。実は試しておった」

「はい?」

「お主が危険かどうかをじゃ」

「それで?」

「放っておけば害は無いのう」


 なかなか食えない爺さんだ。

 結局のところは、フォルトの性格や思考を知りたかっただけか。あれこれと自分を見つめ直してしまったが、このての駆け引きで勝てる気はしない。

 ムスっと、不満気な表情を浮かべてしまう。


「この話で最後なのじゃがの」

「はい」

「お主を庇護するにあたって頼みがあるのじゃ」

「何でしょう?」


 最後と聞いて、フォルトの表情がパッと明るくなった。

 ソフィアが言ったとおり、表情に出ている。対面に座っている彼女は真面目な顔を崩して、グリムは苦笑いを浮かべている。

 ともあれ、最後の話を聞く。


「ソフィアの疑問に答えてやってくれぬか?」

「え?」

「お主に会いに行った目的じゃな」

「ジェシカさんの話ですか?」

「それ以外にも聞いたと思うがの。話せる範囲で良い」

「話せる範囲、ね」

「いま答えるならば罪を問わん」

「ですか」

「ワシとて陛下の側近じゃ。うそは言わぬ」


 人間を信用していないフォルトには、グリムの話が嘘に聞こえる。

 教えた瞬間に捕縛される可能性は高いだろう。とはいえ雰囲気のせいか、彼らには話しても良いと思ってしまった。

 それに、嘘だったとしても切り抜けることは可能である。チラリとカーミラに視線を送ると、ニコニコと笑っていた。

 その程度の話は、問題無いとでも言いたげだ。


「知ったところで良い話ではありませんよ?」

「フォルト様、お願いします」

「俺を憎むことになると思いますよ?」

「そうならないように努めます」


 真実を知りたいのは、人間の性である。

 罪に問われなくても、ソフィアからは憎悪を向けられるだろう。だが赤の他人なので、どう思われようが構わないか。

 ならばと思ったフォルトは、すべてを教えてしまう。


「ではお話しますね。まずはジェシカさんとアイナの件です」

「お願いします」

「二人は発狂するまで犯し、オークの巣に放り込みました」

「………………」

「一緒に来た兵士は、すべて殺しました」

「………………」

「レイナスは拉致してから調教して、従順な魔法剣士にしました」

「………………」

「ルリはレイナスの魔法の先生にしようかと呼びました」

「………………」

「ですが、期待に沿えないとの話でしたね。今は客人として扱ってます」

「………………」

「マリはルリを追いかけてきて、そのまま居候を決め込みました」

「………………」

「俺の強さについては勘弁してください」

「はい」

「最後に。香辛料など欲しいものは、都市から奪っています」


 フォルトは淡々と罪を告白する。

 グリムは真実を知るために、罪を問わないと言った。もしも約束を破ったら、魔人の力を解放して殺すつもりだ。

 それが、二人には分かってるのだろうか。


「想像以上、でした」

「約束通りに罪を問わんし口外もせん。胸の内に秘めておこう」

「そうですか? 助かりますよ」


(いまさら気にしていないが、少しだけ気楽になったな。矛盾しているが、そんなものだろう。さて、ソフィアさんはどうかな?)


 チラリとソフィアを見るが、表情は普通だった。

 彼女の心情までは分からないが、悲しみや憎悪にも満ちていないようだ。宣言したとおりに、フォルトを憎まないように努めているのだろう。

 堕ちた魔人には、それがまぶしく見えた。自分とは真逆の人間だと思った。しかしながらそれすらも、心の闇が塗り潰していくのだった。



――――――――――

Copyright©2021-特攻君

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