第46話 アーシャ日記1

 フォルトの従者になってから、アーシャは庭で剣術の訓練を行っていた。初期のレイナスと同様に、まずは素振りからだ。

 おっさん嫌いなので、それを断りたかったのも事実である。しかしながら命令されるよりは、自主的に動いたほうが良いと考えていた。

 それに今の面体は若者だからなのか、嫌悪感を覚えるほどでもない。時折おっさんに戻って意地悪してくるが、それについても今は楽しくなっていた。


「もう慣れたよねぇ。さっすがあたし!」


 そもそもの性格が楽観的なので、人と打ち解けるのが早い。

 今までの出来事は、悪夢として割り切っていた。


「アーシャだっけ? フォルトはいるかしらあ?」

「あ、ルリ様……」


 アーシャの悪夢は、この魔族から始まった。

 〈爆炎の薔薇ばら姫〉ルリシオン・ローゼンクロイツ。

 勇者候補で元恋人のシュンと一緒に挑んで、返り討ちに遭ってからだ。とはいえフォルトの従者になったことで、恨みは消していた。

 苦手意識はあるが、普通に接してもらえているのだから……。


「寝室にいると思います」

「まだ寝てるのお。さすがはフォルトだわあ」

「起こしてきましょうか?」


 普通に接していても、やはり敬語になってしまう。

 恨みが消えたところで、恐怖は刻み付けられていた。思い出すと震えるが、ルリシオンの殺意はアーシャに向かないと知っている。

 彼女はフォルトの客人として、周囲の女性たちには手を出さないのだ。


「そうだ! 面白いことを考えたわあ」

「え?」

「アーシャ、ちょっと耳を貸しなさあい」

「はっはい!」

「ゴニョゴニョ」

「えー!」

「いいからやってきなさいねえ。また燃やすわよお?」

「はははっ、はいっ!」


 ルリシオンは、我儘わがままで独善的である。

 すぐに脅しを使うので、まさにパワハラの極みだった。と言っても彼女から耳打ちされた内容は、アーシャも狙っていたのだ。

 まさに、チャンスだった。


「やってきます!」

「頑張ってねえ」


 ルリシオンが玄関扉を開けると、アーシャは忍び足で寝室に向かう。

 そして室内を見渡すと、予想通りにフォルトが寝息を立てていた。カーミラとレイナスを両脇で寝かせて、いい御身分である。


「さぁ……。やるわよ!」


 ルリシオンの悪戯。

 それはアーシャが、フォルトを起こすことだ。とはいえ悪戯なので、普通に起こすわけではなかった。


(そっそうよ! やるっきゃないっしょ!)


 アーシャはベッドに乗って、恐る恐るフォルトに近づく。次に馬乗りになって、体を重ね合わせた。

 ルリシオンの悪戯と合致した狙いとは、既成事実を作ることだ。

 ここまできたら、従者以上を狙う。カーミラがいるので恋人は無理でも、レイナスと同様の位置にはいたかった。


(こっちの世界で生きるためとはいえ、シュンにだって抱かれたのよ! これくらいはできなきゃね! も、もちろん誰でもいいわけじゃないのよ?)


 アーシャは自分に言い訳をして、フォルトに顔を近づける。

 そして行為に及ぶ寸前、どこからか視線を感じた。ふとカーミラを見ると、邪悪な笑みを浮かべて目を開けている。


「ひっ!」

「調教が良かったですかぁ?」

「ちっ違うの!」

「続けていいですよぉ」

「え?」

「やらないんですかぁ? 御主人様は喜ぶと思いまーす!」


 上体を起こしたカーミラが、アーシャの二の腕に指をわせる。

 それは肩口を越えて、首筋から胸の谷間で止まった。続けて顔を近づけ、唇が触れる一歩手前で吐息を漏らす。

 とても甘い匂いだ。


「私は三日で堕ちましたわよ?」

「ひゃ!」

「こうやって……」

「っぁ! や、やめ……」


 今度はレイナスが起き出して、背中から抱きついてきた。しかも露出しているお腹に手を回して、アーシャの大事な部分へと移動させている。

 これには体が反応したようで、ゾクゾクと快感が沸き上がってきた。


「むにゃむにゃ」

「ご、ご、ご、ご、ごめんなさあい!」


 少し騒がしくなったせいか、フォルトも目覚めそうだ。とても危なっかしいシチュエーションである。

 二人の行為に流されそうになったアーシャは、一目散に寝室を出た。


「面白い見せ物だったわよ」


 フォルトの自宅から飛び出したアーシャは、もう一人の魔族と鉢合わせる。

 〈狂乱の女王〉マリアンデール・ローゼンクロイツ。

 色々と小さいが、これでもルリシオンの姉である。だがコンプレックスを指摘すると、フォルトの従者でも殺されると注意を受けた。

 また溺愛している妹と同様に、我儘で独善的である。


「マ、マリ様……」

「ふふっ。次は二人がいないときにやりなさいよ」

「分かり……」

「お姉ちゃん。いるからこそ面白いのよお」

「ああん! そのとおりだわ。次は失敗しないようにね!」

「………………」


 アーシャは姉妹から離れたかったが、それをすると気分を害するだろう。

 さすがにその勇気は持ち合わせていないので、自主的に離れていくのを待つしかなかった。と思っていると、自宅からフォルトも出てくる。


「マリ、ルリ。戻ったのか」

「あら。おかえりなさい」

「早かったですねぇ」


 カーミラとレイナスも一緒だった。

 寝室での出来事があるのでバツは悪いが、二人はあっけらかんとしている。


「貴方は相変わらずね」

「惰眠は俺の幸せだからな」

「駐屯地の襲撃は終わったわよお」

「楽しめたか?」

「それなりにねえ。お姉ちゃんが暴……」

「ルリちゃん!」


 魔の森に侵入する前のアーシャは、姉妹が向かっていた駐屯地に滞在している。兵士は多かったと記憶しているが、傷一つ無く無事に戻っていた。

 こういうところが怖い。


「これで時間が稼げるかなあ」


 フォルトからは、「別の場所に引っ越しするかも」と言われていた。

 そして新天地を探しているのは、彼の眷属けんぞくであるニャンシーだ。出発してからは戻っておらず、残念ながらこの場にはいない。

 とても愛くるしいので、耳をモフモフして癒されたい気分になった。


「アーシャ、レイナスに鍛えてもらえ」

「分かったわ。レイナス先輩、お願いします!」


 レイナス先輩は同い年。

 アーシャと比べると、大人っぽい素敵な女性である。今では憧れを込めて、先輩と呼んでいる。

 そして、ノックスが入学した魔法学園の生徒会長だったと聞いている。しかしながら、今はフォルトの近くにいた。

 詳しい話は聞いていない。


「いつも思うのですが、先輩は恥ずかしいわね」

「あはは……」

「鍛えると言っても基礎訓練ですわよ?」

「そうなの?」

「やっぱり足腰だわ」


 レイナスの剣技は自己流である。

 それを覚えるよりは、基礎能力を高めてほしいそうだ。独自の技法を身に着けたほうが良いという判断らしい。

 フォルトの方針らしいが、グーたらしてるわりには考えている。


「レイナス先輩の足って……」


 足腰と聞いたアーシャは、レイナスの足に視線を落とした。

 見事な脚線美をしており、まるでカモシカのような足である。腰も細くて、男性だけでなく女性でも憧れる体型だ。

 そうは言っても、足については自分も負けていないと思う。


伊達だてにクラブ通いをしてたわけじゃないよ! こっちの世界に召喚されても、暇を見ては踊ってたんだから!)


 アーシャは、超ミニスカートから見える自分の足を触る。

 そして、お気に入りの服は処分されていなかった。しかもニャンシーが持ってきてから、フォルトが魔法付与を施している。

 そのおかげで、ずっと着ていられるのだ。少しでもオシャレをしたいと思っていたので、非常に感謝していた。

 エウィ王国から支給された服はダサすぎるのだ。


「その服は露出が激しいわね」


 へそ出しルックの超ミニスカートである。少しでも太ももを上げようものなら、パンツが見られてしまう。

 それでも勝てない相手がいる。


「カーミラには負けますって!」

「確かににそうね。ほとんど下着だわ」


 カーミラの上着は、ブラジャーのようなものだ。スカートも短すぎて、ちょっとでも風が吹けばめくれるだろう。

 香辛料を奪いに行くときは、ボロいローブで隠しているが……。


「三時間ほどの訓練よ!」

「はいっ!」


 やることは、本当に基礎訓練だった。

 まずは走り込みから始まって、腕立て・腹筋・スクワットをこなす。陸上競技でもやるのかと思うほどだ。

 それでもアーシャには、そこまで辛い訓練ではなかった。女性らしい体型を維持するために、あまり筋肉を付けないメニューなのだ。

 さすがは、レイナス先輩である。


(おっさんの趣味が分かるわ。それでギャルをやれって? エロオヤジめ)


 アーシャは基礎訓練をやりながら、テラスにいるフォルトを見る。

 マリアンデールとルリシオンを交えて会話を楽しんでいるが、むっつりなのか顔だけはこっちを向いていた。

 そして、訓練を終わらせてテラスに戻る。姉妹はいなくなっているが、カーミラを膝の上に置いて日向ぼっこをしていた。

 自堕落とはよく言ったものだ。


「視線がイヤらしいんですけど!」

「ははっ。つい、な」

「見られるのは慣れてるからいいけどさ」


 クラブで踊っていたアーシャは、当然のように男性の視線をくぎ付けにしていた。目立ってナンボである。

 モデルにならないかと、スカウトに声を掛けられたことも多かった。


「次は何をやればいいわけ?」

「特に無い」

「はい?」

「やってもらいたいことは、召喚した魔物がやってるしなあ」

「はぁ……。じゃあ何で従者にしたの?」

「目の保養だな」


 これが馬鹿馬鹿しいのだ。

 シュンの従者だったときは、雑用係としてそれなりに忙しかった。しかしながらフォルトの場合は、何の仕事も無いのだ。

 絶対服従の呪いまで使っておいて、何もやらせてこない。

 不満は無いのだが、暇を持て余すぐらいだった。


「従者にした意味あんの?」

「それを言われるとなあ。他に対価もなかったし」


あきれるわ。でも、王城にいたときよりはいいけどね!)


 王城と言っても、敷地内に建てられている施設で隔離されていたようなものだ。周囲には騎士や兵士ばかりで、息が詰まっていた。

 そんなことを思い返していると、カーミラが爆弾発言をする。


「アーシャは御主人様を犯そうとしていましたよぉ」

「ちょっと!」

「えへへ。事実じゃないですかぁ」

「あっあれは……。ルリ様に命令されてさ!」


 カーミラは、リリスと呼ばれる悪魔だ。

 アーシャが暮らしていた日本だと、ゲームなどに登場する女性型の悪魔として知られている。友達だった男性陣が、よく話題にしていた。

 そして、悪魔の恐ろしさを始めて知った相手である。

 狡猾こうかつで悪辣。まさに悪魔という言葉通りだった。だがフォルトのシモベで、魔族の姉妹と同様に身近な者には手出ししない。

 小悪魔と思える程度の悪戯をするぐらいだ。


「抱いて良かったのか?」

「何でそうなるのよ!」

「だって俺を犯そうと……」

「ム、ムードってものを考えてよね!」


 そしてフォルトは、なぜか人間から魔人になったらしい。

 最終的には、アーシャを助けてくれた。しかも、その理由が馬鹿らしい。最初に出会ったときのキモいおっさんから、今ではエロいおっさんに変わっている。

 引き籠りはそのままだが……。


(はぁ……。今は若者だけど、中身はおっさんのままだわ。あれ? 若くなってる。若くなれる……。『変化へんげ』だっけ?)


 目の前のフォルトは、スキルを使って若者に変わっている。

 これであればキモくないので、何のわだかまりも無く話せる。シュンのようなイケメンではないが、いわゆる普通の顔立ちだ。

 そういった友達は、日本にもいた。

 ともあれ、面白いスキルを持っている。おっさんと若者の切り替えにしか使っていないようだが、他にも使いようはあった。


「フォルトさん!」

「なっ何だ?」

「月曜のドラマに出演してた俳優は知ってる? アイドルの……」

「ん? 名前は知らないが顔だけはな。ファンなのか?」

「そうそう。ちょっとさ、その顔になってみてよ!」

「は?」

「『変化へんげ』よ! できるでしょ? 早く!」

「こうか?」


 アーシャの勢いに負けたようで、フォルトは渋々ながらスキルを使った。しかも顔だけで、更には微妙に違う。

 おっさんの記憶力なら、こんなものかもしれない。


「いいじゃん! それなら抱かれてもいいよ」

「嫌だ!」

「なんでよ!」

「嫉妬ですねぇ。七つの大罪の一つでーす!」

「嫉妬?」


(そんな話も聞いたなあ。七つの大罪を持ってるとか何とか。あたしが俳優のファンだから嫉妬したってこと? あはっ! 可愛いところもあるじゃん!)


 フォルトに嫉妬されることは悪い気がしない。

 それは、アーシャを気にしているからだ。ならば、その気があるということ。先ほども抱いて良いのかと聞いてきた。

 狙っていたことが、実を結べるかもしれない。


「とにかく! やってもらいたいことは無い!」

「ふーん。それよりもさ」

「うん?」

「化粧品とか持ってないから、ギャルになれないんですけど?」

「雰囲気がギャルならいいぞ」

「適当過ぎない?」

「あっはっはっ! だがヘアメイクは、カーミラが得意だぞ」

「え?」


 フォルトから意外な言葉を聞いた。

 冗談だろうと思いながらカーミラを見ると、得意げな笑顔でうなずいている。日本から召喚されて以降は、オシャレもやれずにいたのだ。

 髪だけであっても、ファッションを楽しみたい。


「えっへん! カーミラちゃんにお任せでーす!」

「お、お願いできる?」

「いいですよぉ。髪型を紙に書いて教えてねぇ」

「マ、マジ? やった!」


 悪魔がヘアメイクをするなど、世の中は分からないものだ。

 実際にやってもらったが、カーミラの手際は凄まじかった。まるで有名美容師のような技術力を持っている。

 それにしても、シュンと一緒にいた頃とは段違いの解放感だ。

 アーシャは片手に鏡を持ち、整えてもらった髪形に満足するのだった。



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