第44話 運命の転換点2
エウィ王国の中枢である城内には、各地の領主が使う執務室が存在する。
そのうちの一室には、左右の壁を本棚で埋め尽くした部屋があった。本棚には分厚い本が、大量に収められている。
聖女ソフィアの祖父、宮廷魔術師グリムの執務室だ。重厚感の
彼女は魔の森での出来事を報告書として渡したが、その後に協議した結果を受けて祖父に呼び出されていた。
「報告書は読んだ。厄介な話じゃな」
書類を机に置いたグリムは、長くて白い
青いローブを
ともあれソフィアは、王国の対応について問いかけた。
「それで……。上は何と?」
「ローイン伯爵が本格的な侵攻を主張しておる」
「そうなるでしょうね」
「じゃが、デルヴィ伯爵が反対しておる」
「魔の森の利権ですか?」
「分かるか。そのとおりじゃ」
魔の森は、資源の宝庫である。
木材もそうだが、希少な薬草類や素材が手付かずなのだ。開拓で生み出される利益は、想像を絶するだろう。
その利権を狙っているのが、かのデルヴィ伯爵である。
ローイン伯爵の主張どおりに大規模侵攻などすれば、森が荒らされて資源が採れなくなってしまう。だからこそ、反対している。
質が悪いのは、二人とも王国の有力貴族だということだ。
どちらも大きな派閥を持ち、実力は
「どちらが優勢ですか?」
「デルヴィ伯爵じゃな」
「貴族らしいと言えば、らしいですが……」
「ローイン伯爵の主張は、個人的な部分が多いからのう」
「レイナス様は戻らないと言っておりました」
「駆け落ちか? 馬鹿馬鹿しい。何かされたに相違あるまい」
「されたとしても、今は本気のようですよ?」
「じゃが個人的な話で、国は動かないじゃろうて」
「そうでしょうね」
グリムとしても、ローイン伯爵に味方できない。
もちろん、気持ちは分かる。父親として、娘のレイナスを取り戻すことが優先されるだろう。しかしながら一人を助けるために、千人を殺せない。
魔の森は魔物の巣窟なので、侵攻すれば大量の犠牲者が出るのだ。
「それよりもじゃ。魔族についてじゃが……」
「〈爆炎の
「先ほど早馬が来てな。森の駐屯地が襲撃されたそうじゃ」
「え?」
「〈狂乱の女王〉もいたそうじゃ。姉妹が
「な、なぜ……。フォルト様のところにはいなかったですよ」
聖女のソフィアが、ザインやシュンたちと向かった魔の森の奥地。
そこで暮らすフォルトのところで、〈爆炎の薔薇姫〉ルリシオンと遭遇した。また彼女の隣には、獣人族のような子供がいたような気がする。
すぐに戦闘が開始されたので、残念ながら深く考える余裕は無かった。とはいえ、勇魔戦争のときに報告されていた面体と違うはずだ。
そうなると、〈狂乱の女王〉マリアンデールは確認していない。
これには、首を傾げてしまう。
(そう言えば……。あれからは子供を見ていないです。隠れていたのかしら? レイナス様と同じような? もっと考える時間があれば……)
ルリシオンと遭遇してからのソフィアは、忙しさに追われた。
フォルトとは話し合う必要があり、シュンやアーシャの容態も気になっていた。傷付いた兵士たちの様子も見なければならない。
子供のことは、頭から抜け落ちていたようだ。
「目撃されておる。駐屯地は大惨事じゃ」
「では……」
「この報告で、ローイン伯爵が優勢になるかもしれぬな」
「各国との協定で決められた魔族狩りのことですね?」
人間による魔族狩りは、勇魔戦争時の連合国で結ばれた協定である。
この協定の効力は人間の国だけで、亜人の国とは結んでいない。しかしながら人間の国であるエウィ王国は、それを履行する必要があった。
「それについては、まだ協議中じゃ」
「すぐには動けませんものね」
「うむ。森にいるなら利権の件も絡むからのう」
こちらの件も、やはりデルヴィ伯爵が反対しているようだった。
魔の森の外なら、貴族の多くのは賛成したかもしれない。だがローゼンクロイツ家の姉妹は、森の中にいるのだ。
相手が悪すぎて、余計に資源を消失するだろう。
「アーシャさんについては?」
「その者についての見解は無いの。犯罪者として扱うぐらいじゃ」
「そうですか」
「同情はするがの。発狂しただけじゃろうという話じゃった」
「ですが、フォルト様のところに向かったと思われます」
「レイナス嬢と同様に何かされたのじゃろ」
アーシャは二人の冒険者を殺して、ソフィアたちの前から姿を消した。追いかけようにもそれと呼応するかのように、魔物の襲撃を受けたのだ。
そして、フォルトのところに向かう道は閉ざされてしまった。
魔物の群れが、道を塞いでしまったのだ。数が多すぎるため、ソフィアたちだけで排除するには無理があった。
「その異世界人は危険じゃがな。手出しせねば平気なのじゃろ?」
「姉妹の行動で分からなくなりましたけどね」
「かの姉妹は自由奔放じゃからのう」
「知っているのですか?」
「援軍として帝国に向かったときに少々、な」
「どういった人物なのですか?」
「言葉通りじゃ。戦況を度外視して遊んで帰るだけじゃった」
マリアンデールとルリシオンは、グリムが言ったとおりの人物である。
後一歩で
行動がまったく読めずに、ソル帝国は苦慮していた。
「暫くは様子見じゃが……」
「
「状況に進展が無ければ、魔族の討伐を盾に魔の森を手中に納める」
「フォルト様には王国を出るようにとお伝えしましたが……」
この話は、フォルトも承知している。
そういった「最悪」を想定していたようだ。王国侵攻の可能性を伝えても、あまり驚いていなかった。
しかも魔の森からの退去を助言したが、それすらも考えていただろう。
ソフィアたちを殺害した場合の結果も理解していた。
「その異世界人。何とか呼び戻せぬかのう」
「御爺様?」
「強者の囲い込みは必須じゃ。多少の罪は不問にできるのじゃがの」
「無理だと思われますよ?」
「なぜじゃ?」
「最初の対応が拙かったです。それに……」
「それに?」
「フォルト様が言うには、自堕落生活を満喫中だそうです」
「はぁ……。怠け者ということかの?」
「はい。腰は重そうでしたよ」
苦笑いを浮かべたソフィアは、この言葉に
フォルトを観察していたが、まるで動こうとしない。食料の調達や畑の世話は召喚された魔物、雑用はカーミラやレイナスがやっていた。
そこだけを見ると駄目男である。
「もう一度行って、その異世界人を連れてきてもらえぬかの?」
「はい?」
「フォルトと言ったかの? ソフィアには心を開きかけていそうじゃ」
「物凄く嫌そうな顔をしていましたが?」
ソフィアとの会話は、本当に嫌そうだった。フォルトの表情に現れていたので、誰もが同じような感想を抱くだろう。
それでも話を聞いてくれたので、穏便に進められた。
「困ったのう」
「一緒にいるローゼンクロイツ家の姉妹は魔族ですよ?」
「それじゃ。かの姉妹の討伐は困難じゃ」
「困難なのは分かりますが……」
「討伐できぬなら囲い込むほかあるまいて」
「さすがに無理では?」
グリムは何を言っているのだろう。
それでは王国の方針と真逆で、各国との協定も破ることになる。人間の敵である魔族は討伐しなければならないのだ。
そしてフォルトは法を犯した異世界人なので、国法では処分の対象だった。
「ソフィアの考えは理解しておるがのう」
「でしたら……」
「知らぬ間に、他国に行かれても困るのじゃ」
「異世界人は国から出しませんからね」
異世界人に関わる国法の中には、国外に出さないという条文がある。
要は囲い込むための法律で、例外はあるが破れば重罪だった。
確かにフォルトには、エウィ王国を出ることも勧めた。だがそれは、今の状況でも処分の対象だったからだ。
ソフィアとしては、生き残る確率が高い方法を勧めただけである。
「国法とは別の話でな」
「え?」
「すでに勇魔戦争から十年じゃ。国同士の調和は失われつつある」
「そうでしょうか?」
「帝国が協定を破って、魔族を囲っておる」
「えっ!」
「表向きは守っておるがの。証拠もあるのじゃ」
これでは、何のために協定を結んだのか。
魔族の国を治めていた魔王は、すべての国に宣戦布告をして世界に挑んだ。戦争の傷跡として、幾千万もの人々が死んでいる。
ソル帝国とて、戦争の被害に遭っている国なのだ。
協定どおりに魔族を殺すことを、国是としていたはずだ。しかしながら、その憎むべき魔族を囲っているという。
その理由としては、魔族の力を軍事的に利用することが目的だろう。ならば現在の帝国軍は増強され、エウィ王国の脅威となっている。
戦争でもしようものなら、魔族を前面に押し出してくることは明白だった。
「ソフィアなら分かるじゃろ?」
「はい」
「ワシの
「ですが……」
「当面はかの者の望むことをさせるつもりじゃ」
「何もさせないという話ですか?」
「そうなるかの。自堕落生活をしてもらおうではないか」
「はぁ……」
ソフィアは
再び魔の森に戻ることになってしまった。
フォルトを連れてくるなど無理な相談だと思っているが、それでも祖父の懸念を考えると聞き入れてもらう必要がある。
まずは同行の依頼をするために、ザインがいる場所に向かうのだった。
◇◇◇◇◇
フォルトから「従者になれ」と言われて、アーシャは頭を抱えている。
はっきりと言えば選択肢は無いのだが、納得するかは別だった。
「決めたか?」
「うるさい! 黙ってて!」
「あ……。はい」
アーシャの怒声が、庭に響き渡る。
フォルトは気圧されてしまったが、彼女の怒声を聞いたマリアンデールとルリシオンが自宅から出てきた。
「フォルトぉ。どうしたのお?」
「貴方! ルリちゃんといいところなんだから邪魔しないでよ!」
「あ、あぁ……。すまんな」
「あらあ。死にぞこないの人間じゃなあい」
「うっ」
アーシャは、ルリシオンが苦手である。
それは当然だろう。焼けただれた醜い顔にした張本人で、後一歩のところで殺されていたのだ。もちろん、彼女に勝てる見込みは無い。
そのときを思い出すだけで身震いしてしまう。
「
「い、いえ……」
「ルリ、あまり虐めるな。俺の従者になる奴だからな」
「ならないわよ!」
「ならないのか? じゃあ帰っていいぞ」
「ちょっと!」
「「従者?」」
フォルトの従者という言葉に、姉妹が興味津々である。
一般的に従者とは、主人の共をする者の総称だった。身の回りの世話から、一緒に戦うことまで行う。
「貴方にはカーミラとレイナスがいるじゃない」
「カーミラはシモベで、レイナスは俺のキャラだ!」
「同じようなものだと思うけどお?」
「要は雑用係だな」
「ふーん」
「雑用って……。あたしに何をさせる気よ!」
「何って……。色々?」
「それじゃ分からないでしょ!」
アーシャは、シュンの従者だった。
雑用はしていたが恋人だったので、面倒なものは押し付けられなかった。今は思い出しただけで、むかっ腹が立つ。
それにしても、フォルトに何をやらされるか見当も付かない。
「えへへ。二つに一つしかありませーん!」
「そうだな。どっちかだ」
「う、うぅ……」
「もちろん、契約で縛るぞ」
「また契約……」
二者択一なのは、フォルトやカーミラに言われなくても分かっている。
そして、契約には悪いイメージしかない。アーシャが結んだ悪魔の契約は、どちらも自身を殺すものだった。
元の可愛い顔に戻っても死んだら意味が無いのだ。
「この人は何を迷っているのかしら?」
「え?」
「フォルト様の近くにいられるのは女の幸せですわよ」
いつの間にか、レイナスも近くにいた。
アーシャから見れば、フォルトの周囲で一番まともに見られる人物だ。同じ人間であり、女性でも憧れるほど奇麗なのだ。
ともあれおっさんは嫌いなので、彼女の言葉には顔をしかめてしまう。
「レイナスちゃんの言ったとおりだよぉ」
「何でそこまで……」
悪魔とはいえ、カーミラも物凄く可愛い女性だ。彼女もレイナスと同様に、フォルトの体にピッタリと身を寄せている。
アーシャには、とても理解できない。
「身をもって体験したんじゃないのお? また燃えたいのかしらあ」
「何この人間、私のルリちゃんに挑んだの? 馬鹿なの?」
「うっ!」
ルリシオンは魔族として理解したが、もう一人は分からない。
初めて見る女性だが、角は無いので魔族ではなさそうだ。とはいえ今までに体験したことの無い、物凄い威圧感を感じる。
(なっ何なのよ!)
こちらの世界は、平和な日本と違う。
命の危険と隣り合わせで、人間が簡単に死んでしまう。また王政国家で格差が酷いため、生活するのにも苦労する。
今まで生きてこられたのは、シュンの従者で庇護下にいたからだ。しかしながらルリシオンに負けたとき、アーシャは捨てられてしまった。
弱肉強食の世界で生きるためには、弱者だと二択しかない。自分が強くなる、もしくは強者の下に付くしかないのだ。
死にたくないのであれば……。
「わっ分かったわよ! 従者でも何でもやるわよ!」
もう「どうとでもなれ」であった。
投げやりではあるが、どうせ選択肢は一つしかないのだ。二択だとしても、アーシャに反対は選べない。
「よし! じゃあ早速終わらせよう」
「え?」
フォルトは意気揚々と立ちあがった。
それから近づいてきて、右手を向けてくる。アーシャは簡単な風属性魔法が使えるので、何をやるのか理解してしまった。
「魔法を使う。体の力を抜いて受け入れればいい」
「やっぱり……。痛くないでしょうね?」
「大丈夫さ」
アーシャは気が気でないが、フォルトに言われたとおりにする。
腕をダランと下げて、
【ウーンズ・トランスファー・カース/傷移しの呪い】
「っ!」
フォルトの魔法が発動すると、アーシャの体が暗黒に包まれていく。思わず身構えてしまったが、痛くも
そして数秒後には、その暗黒は消え去った。
「終わったぞ」
「もう?」
「包帯を取ってみろ」
「えぇ……」
効果のほどは分からないが、アーシャは包帯を解いた。続けて顔を手で弄ってみると、周囲の女性たちが感嘆の声を挙げる。
これには、少しビックリした。
「へぇ。さすがは魔人ね」
「面白い使い方をするわねえ」
「さすがは御主人様です!」
「フォルト様は凄いですわ!」
「なっ治ったの? どうなのよ!」
結果が分からないアーシャは、もどかしさを感じて怒鳴ってしまった。
その怒声を聞いたカーミラが、何かを手渡してくる。
「これを使うといいですよぉ」
「鏡……」
(持ってんなら、さっさと渡しなさいよ! って悪魔だったわね……)
心の中で愚痴をこぼしたアーシャは、受け取った鏡を恐る恐る
火傷の跡など無かったかのように、奇麗さっぱりと消えていた。
「マジ? 治ってるじゃん!」
「元の口調に戻ったな」
「うるさい! でも、何これ? 超凄いんですけど!」
あれだけ悩んで苦労したのだ。喜ばないほうがおかしいだろう。人殺しまでして戻ってきた
今までの出来事が、嘘のように感じてしまった。
「どうやったのよ!」
「呪いだ」
「呪い?」
「ほら。冒険者の顔を見てみろ」
「げっ!」
「俺の魔法はなあ」
フォルトは言った。使った魔法は呪術系魔法であると。アーシャの醜かった顔の火傷は、首だけになった冒険者の顔に移ったのだ。
これには、驚いてしまった。
別の意味で……。
「キモッ!」
「アーシャもなあ。その顔をしてたんだがな」
ソフィアから鏡を借りたアーシャは、自分の醜い顔を知っている。
そして冒険者の顔は、同じように醜くなった。死んだ人間の顔は恐怖を誘うが、気持ちの悪さが先にきてしまう。
それでも、結果としては万々歳だった。
「細かいことはいいのよ!」
「では対価をもらうぞ」
「従者だったわね。いいわよ。何をすればいいの?」
「ギャルだ」
「はい?」
またもやフォルトが、突拍子もないことを言い出した。
最初は従者になれと言われたので、まずは何をやるかを聞いたのだ。その回答がギャルでは、まったく意味が分からない。
頭上にクエスチョンマークが出たアーシャは、ただ
――――――――――
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