第四章 新天地 ※改稿済み
第43話 運命の転換点1
魔の森に月明かりが差し込んでから、暫く経った頃。
二十名ほどの人間が一カ所に集まって、野営を続けていた。
ほとんどの者たちは、地面の上で横になっている。立っている人間は数名で、松明を持って周囲を見渡していた。
魔物の襲撃を警戒しているのだろう。
「いやああああああああっ!」
森の静寂を破るかのように、突然女性の絶叫が木霊する。
その人物は、顔を包帯でグルグルと巻かれた状態だった。上半身を起こして、両手で頭を抱えている。
見開いた目は血走っており、口を大きく開けて絶叫を上げていた。
「なっ! アーシャさん! アーシャさん!」
その女性はアーシャだった。
隣で寝ていた女性は、その声にビックリして飛び起きる。続けてすぐに彼女の肩に手を乗せ、前後に揺さぶった。
誰が見ても正気ではなかったからだ。
「ああああっ!」
「アーシャさん!」
アーシャの絶叫が止まらない。
精神が壊れたかのように頭を抱えて、地面の一点を凝視している。女性に肩を揺さぶられても、まるで気が付いていないようだ。
そこに、大勢の人間が集まってきた。
「ソフィア様! 何事ですか!」
人間の集団は聖女ソフィアたち一行である。
森に住む異世界人フォルトとの話し合いは、結局のところ平行線で終わった。人間の敵である魔族も現れたので、これ以上の滞在は危険だと判断したのだ。
そのため、森を抜けて帰還する途中だった。
「アーシャ! どうした! アーシャ!」
「ああああっ!」
その集団に所属している勇者候補のシュンも、アーシャの肩を
同郷の異世界人で元恋人でもある。だが絶叫は止まることなく、彼女は完全に錯乱状態に陥っていた。
「魔法を使います」
このままでは拙いと思ったのだろう。
絶叫を上げ続けていれば、森の魔物や魔獣を呼び込んでしまう。今の状況で襲われると、部隊に被害が出てしまうのだ。
冷静な判断をしたソフィアは、アーシャに魔法を放つ。
【スリープ/睡眠】
「ああああ、ぁぁ…………」
精神系魔法が効果を発揮したようで、アーシャは静かに寝息を立てる。
それにホッとしたソフィアは、手を握り締めて祈りを
「いったい何が?」
「おそらくは悪い夢でも見たのでしょう」
「悪夢かよ。驚かせやがって!」
「シュン様、そのような物言いは……」
「あ……。すまねえ。そうだな。アーシャの身になれば当然か」
「そうですよ」
(ちっ。失敗した。イメージがマイナスになっちまったな。くそっ! アーシャも余計なことをしてくれる。静かに寝てろってんだ!)
すでにシュンの目に、アーシャは恋人として映っていない。もう不要の存在に成り下がったので、別れも告げてあった。
一方的ではあったが……。
「ソフィアさんが近くにいてやってくれ」
「分かりました」
「ザインさん、俺も警戒にあたるぜ」
「そうしろ。魔物が来るかもしれん。各自、警戒を怠るな!」
「「はっ!」」
失敗を
あの絶叫を魔物が聞きつけたら、必ず襲ってくるだろう。ならばこれこそが、頼れる男性として良いイメージとなる。
アーシャをソフィアに任せたことも好印象だ。
「アーシャさん……」
シュンの心の内など、ソフィアが知る由もない。
彼に言われるまでもなく、アーシャの手を離さずに寄り添っている。同じ女性として、なぜ悪夢を見て絶叫を上げたかは分かっている。
「んんっ」
状況が落ちついた頃に、アーシャが目を覚ました。
そして、ゆっくりと起き上がろうとする。彼女を気遣っているソフィアは、背中に手を添えながら手伝った。
「こ、ここは?」
「まだ森の中ですよ」
「デルヴィ伯爵……」
「え?」
「ゆ、夢?」
消え入りそうな声だったので、ソフィアに聞き取れなかった。とはいえ、落ち着きを取り戻したようなので安心する。
今はアーシャを労わるように、その背中に手を回した。
「大丈夫ですか?」
「う、うん。何とか、ね」
「悪い夢でも見ましたか?」
「そうね。とても怖い夢だったわ」
「もうすぐ森を抜けますからね」
「あ……」
「どうしました?」
アーシャは何かを思い詰めたように、額に手を添えて考え込む。
ソフィアの夢という言葉が、頭にこびり付くように残ったからだ。物凄くリアルな悪夢を見ていたので、鮮明に記憶として残っていた。
そこで、彼女に問いかける。
「ごめん。ちょっと聞きたいんだけどさ。いい?」
「答えられる話なら大丈夫ですよ」
「デルヴィ伯爵とモルホルト司祭って……。いるの?」
悪夢の中で登場した人物たち。
名前までハッキリと思い出せるが、アーシャとは面識が無い。
そのような人物が夢に出る場合は、自分自身の分身と聞いたことがある。自身が気付いていない内面を表すという。
それを踏まえて考えても、破滅願望など持っていない。
自暴自棄になり、死にたくなったときもあった。だが今は希望があるので、カーミラと悪魔の契約を結んだ。
破滅など、頭の片隅にも無い。
「なぜ、そのようなことを?」
「いいから答えて!」
「はっはい。いらっしゃいますよ」
「そう……」
悲痛な表情を浮かべたアーシャは、さらに考え込む。ソフィアの話では、二人とも実在する人物のようだ。
これには、首を傾げてしまいそうになる。
その後も特徴などを聞いたが、すべて合致していた。
「少しだけでいいからさ。一人にしてもらえる?」
「いいですよ。何かあれば迷わずに呼んでくださいね」
「ありがと」
ソフィアは近くから離れていった。
それを見送ったアーシャは、ゆっくりと地面で横になった。もちろん眠るわけではなく、悪夢について考えるためである。
すると、どこからか女性の声が聞こえてきた。
「いい夢は見られたかしら?」
「え?」
「大声を出すと、周りの人間に聞こえるわよ?」
「だから誰よ!」
「私は夢魔。主様に召喚された悪魔よ」
「あく、ま? 主って……」
「ふふっ。フォルト様よ」
「えっ! おっさん?」
「騒ぐと貴女のためにならないわ。契約の話が知られるわよ?」
「そっそうね」
アーシャはキョロキョロと周囲を見るが、どこにも夢魔の姿が見えない。しかしながらフォルトの名前が出たので、とりあえず声を落とした。
確かにカーミラと契約を結んだため、夢魔の存在が知られると拙い。契約内容を他人に伝えられないので、変に勘繰られて問い詰められても困る。
「何の用よ?」
「私は精神体の悪魔。貴女の体の中から話しているわ」
「精神体? 体の中って!」
「騒がないほうがいいって言ったでしょ?」
「あ……」
幸運にもアーシャの声は、誰にも聞かれなかったようだ。もしかしたら、状況的に無視してくれたか。
ソフィアも近づいてこなかった。
「最初に言っておくわ。貴女が見た夢は現実になるわよ」
「え?」
「主様は選択肢を間違えたと言っていたわ」
「選択肢?」
「ちょっと考えれば分かる話よ」
カーミラから出された選択肢。
一つ目は、貴族から金銭を奪うこと。二つ目は、上級の信仰系魔法が使える人間を拉致すること。
そして最後は、フォルトを頼ることだ。
(現実になる? 確かにあたしが大金を使うのはおかしいわね。そんなのは誰でも分かるわ。もう一つも同じね。あたしが疑われるかあ)
アーシャが大金を手に入れて使うことは、可能性は低いがゼロではない。だが、どう考えても現実的ではない。
金銭が奪われたら、真っ先に疑われるだろう。
もちろん、司祭を拉致しても同じだった。火傷を治して元の顔に戻るためには、上級の信仰系魔法が必須なのは変わらない。
同じく疑われる。
「もう一つの夢も見たいかしら?」
「結構よ!」
「ふふっ。もし主様を頼るなら手土産が必要だわ」
「手土産?」
フォルトへの手土産と言われて、アーシャは困惑してしまう。
それでも聞いてから考えれば良いので、夢魔に話の続きを促した。
「一緒に来た冒険者がいるでしょ?」
「いるわね」
「二人の首を持ってこいと仰せよ」
「えっ!」
衝撃的な話だった。
これには、アーシャも驚いてしまう。フォルトとの付き合いは無いに等しいが、自身を殺してほしいと頼んでも断った人物である。
そういった恐ろしい話をするとは思っていなかった。
すると、夢魔が心を揺さぶってくる。
「貴女を救えるのは主様だけ。それとも醜い顔で生きる?」
「………………」
「私はね。それを伝えるだけの悪魔。じゃあ消えるわね」
この夢魔も、カーミラと同様に悪魔である。
アーシャの希望を的確に突いてきた。当然のように揺さぶられたので、どこかに消えようとしていたのを止める。
「まっ待って!」
「あら。どうしたのかしら?」
「悪いけど手伝ってほしいの」
「私と契約するのね?」
「また契約……」
「冗談よ。一度だけ手伝えと言われているわ」
「え?」
「貴女から希望したらって条件でね」
「なら……」
「いいわよ。じゃあ冒険者の二人を呼び出してね」
「分かったわ」
これで、アーシャの運命は変わった。
カーミラが言った、「私は悪魔」という言葉が思い出される。
提示された選択肢の二つは、どちらも自身を殺すためのものだった。最後の選択肢はフォルトを頼ることなので、悪魔の契約とは無関係だ。
そして、先に気が付くべき内容も分かった。
(怖い……。何て世界なの……。悪魔……)
カーミラは、最初の契約で言っていた。
「治す方法」は、いくらでもあると……。
提示された条件は三つだが、もっとよく考えるべきだった。「貴族の金銭を奪う」や「司祭の拉致」は、結果的に神殿が関係している。
(そうよ。選択肢は……)
違うのだ。そもそもが、三択ではないのだ。カーミラとの二回目の契約は、神殿かフォルトかの二択だったのだ。
それを三択にしたのはアーシャ自身である。
顔の火傷を治すためには、白金貨が十枚必要だった。だからこそ最初の契約で聞いた「治す方法」を、二回目の契約で分けてしまった。
まさに、悪魔の選択である。
(こっちの世界で生きていくには……)
アーシャは決断した。
五体満足で生きていくためには、フォルトを頼る以外に道は無かった。おっさん嫌いを克服できるかは分からないが、努力するしかないだろう。
「さてと……。やるっきゃないか!」
すぐに行動を起こす必要がある。
アーシャを含めた一行は、魔の森から帰還するために戻っているのだ。森を出てしまえば、もうフォルトの家に行くことはできない。
それに……。
「どっちを選んでも死んじゃうからね」
カーミラと結んだ契約を破棄しなければ、アーシャが見た悪夢が現実になる。しかしながら破棄すれば、契約不履行で死亡する。
悪魔は契約にうるさいと言っていた。
契約を履行し続けなければ、魂を刈り取られてしまう。どちらのせよ、城塞都市ソフィアに戻れば死ぬことになるのだ。
ならばと立ち上がって、
そして地面に置いてある剣を拾って、冒険者の二人を呼び出すのだった。
◇◇◇◇◇
フォルトは本日も屋根の上で、カーミラの膝枕を堪能する。
毎日のようにやってもらっているが、まったく飽きることはない。柔らかすぎず硬すぎず、実にすばらしい太ももである。
「御主人様」
「どうした?」
「あの小娘を助けるんですかぁ?」
「アーシャか?」
「そうでーす!」
カーミラに対して、フォルトは隠し事をしない。ソフィアたちが帰った後に、夢魔を召喚して追いかけさせたことは伝えてあった。
それについて、聞きたいのだろう。
「不満か?」
「不満は無いですよぉ。何でかなぁと思っただけでーす!」
「理由は色々とあるが……」
「それは?」
「ははっ。アーシャが戻れたら教える」
「無視しちゃうかもしれませんしねぇ」
アーシャが戻ってくるかは賭けだが、ハッキリ言えばどちらでも構わない。手は差し伸べたので、同郷の義理は果たしたと言えるだろう。
それで十分だと思っていた。
他の理由については、夢魔の話を聞き入れないと意味が無い話である。どうしてもと言うなら教えるが、カーミラはフォルトのもったいぶる性格を把握している。
本当に、最高のパートナーだ。
そんなことを考えていると、屋根の下からルリシオンに呼ばれた。
「お姉ちゃんが、そろそろ行きたいって言ってるわあ」
「もう数日ほど待ってくれ」
「まだ森から出ていないのかしらあ?」
「もう少しかかるんじゃないかな」
「まとめて殺しちゃってもいいんじゃないのお?」
「さすがに聖女を殺しちゃうとなあ」
「ふーん。じゃあ、もうちょっとだけ待つわあ」
マリアンデールが自宅に来たときに、とある提案を受けた。
その内容とは、ルリシオンと一緒に人間の駐屯地を襲撃することだ。ローゼンクロイツ家の姉妹が魔の森にいると認識させて、侵攻を遅らせるのが目的だった。
「あれってさ。二人が暴れたいだけだろ?」
「えへへ。そう思いまーす!」
魔族は人間を見下している。
ニャンシーと出会う前のルリシオンは、マリアンデールと一緒に人間の町を襲っていたと聞いた。魔族狩りが横行してるにもかかわらず、だ。
それは、姉妹が強いことに他ならない。
逆に、人間狩りを楽しみたいのだろう。
「ニャンシーが戻るまでの時間稼ぎになればいいけどな」
「御主人様が全滅させるのは駄目ですかぁ?」
「面倒! ダルい! やってられん!」
「さすがは御主人様です!」
「ははっ。それよりも……」
フォルトがカーミラと会話していると、森からアーシャが現れた。
「来たな」
「来ましたねぇ」
「それじゃ下に降りるか」
「はあい!」
屋根の上からでは、アーシャの表情が分からない。
そこでフォルトはカーミラを連れて、庭に設置した簡易テラスに飛び下りる。続けてテーブルに着き、彼女が近づいてくるのを待った。
「はぁ、はぁ」
「お疲れのようだな」
「ちょっとあんた。おっさんはいる?」
「はい?」
「あたしはね。おっさんに用があるの!」
「御主人様、『
「あ……」
ソフィアたち一行が帰ったため、フォルトは若者の姿に変わっていた。
これは、カーミラやレイナスのためだった。
おっさんと
ならばとさっさと、ネタ晴らしをする。
「すまん。俺がフォルトだ」
「はあ?」
「『
「なら始めから若くしてなさいよ!」
「いや。人間と会うときにはな」
「その姿ならキモいなんて言わないわよ!」
「そっそうか?」
アーシャが殺気立っている。
血と泥にまみれて、一生懸命に森を抜けてきたのだ。状況が理解できるだけに、フォルトは申しわけない気持ちになった。
「もういいわ。おっさんが助けてくれるんでしょ?」
「土産は?」
「あるわよ!」
怒声を上げたアーシャは、同じく血と泥にまみれた革袋をテーブルの上に置く。次に中身を取り出すと、土産の冒険者の首だった。
その首は血が流れきっており、青白く変色している。
「御主人様、これは?」
「アイナと同じだな。約束を破ったから死んでもらった」
「私たちのことを誰にも言わないって約束ですねぇ」
「そうそう。アイナだけ死んだら不公平だろ?」
冒険者二人の首は、フォルトとの約束を破ったことに対する制裁だ。
自分たちだけでは、魔物に殺されて森を出られないと言った。だからこそ森の外まで送り届けたのだが、そのときに交わした約束だ。
たとえ口約束でも、命を
死をもって償うのは当然だろう。
「これでいいのよね?」
「よく人を殺せたな」
「おかげさまでね。夢魔のおかげだわ」
今までアーシャは、人間を殺したことがない。
殺害できたのは精神状態が最悪だったのと、夢魔の手伝いがあったからだ。冒険者を眠らせて、悪夢を見せていた。
その無防備な状態のときに、剣で心臓を貫いたのだ。
その後は急いで首を斬って、ソフィアたちから逃げ出した。
「土産は受け取った。帰っていいぞ」
「ちょっと!」
「冗談だが、あくまでも土産だ」
「はあ?」
「顔を治すなら対価をもらう」
「それが首でしょ!」
アーシャが激怒する。
フォルトが助けてくれるという希望があったからこそ、夢魔に言われたとおりに冒険者を殺害したのだ。
その希望へ対価を要求されるなら、彼女が怒るのは当然だった。
「冒険者の首は、選択肢の間違えを教えたことに対する土産だぞ」
「なっ! 何よそれ!」
「教えなければ死んでいただろ?」
「そっそうだけど……」
フォルトが言ったとおりなので、アーシャは言い返せない。だが殺人という罪を犯してまで、自身の希望を
納得できるはずはないだろう。
「まぁ難しい対価じゃない」
「言ってみて……」
「俺の従者になってもらおうかな」
「はあ? ちょっと待って!」
フォルトからの突拍子もない対価を聞いて、アーシャは
もちろん、その気持ちは痛いほどよく分かる。
今までの彼女は、シュンの従者だった。
そしてこの話を受けると、今も嫌っているおっさんの従者になってしまうのだ。彼女には、非常に辛い提案だろう。
そう思っていたが、回答については一端保留されてしまうのだった。
――――――――――
Copyright(C)2021-特攻君
感想、フォロー、☆☆☆、応援を付けてくださっている方々、
本当にありがとうございます。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます