第41話 魔族の姉妹3

 魔の森の前には、平原地帯が広がっている。

 大きな駐屯地が設営されて、総勢千人に及ぶエウィ王国兵が詰めている。王国は資源を確保するため、冒険者を雇うとともに軍を動員していた。

 ともあれ、広大な森という行動が制限される場所だ。

 一朝一夕では、獰猛どうもうな魔物や魔獣を討伐できない。入口近辺は制圧したが、そこから先に進めていなかった。

 兵士たちは、終わりの見えない仕事に嫌気が差している。


「もうちょっとでいいからよお。兵士を増やしてくれねぇかな」

「愚痴るな愚痴るな。お偉方には現場のことは分からないのさ」

「来る日も来る日も魔物とじゃれ合ってるんだぜ?」

「倒してもよお。一向に減らないのは勘弁してほしいよな」

「ゴブリンやオークならなあ。俺たちでも何とか倒せるんだが……」

「オーガを相手にできる奴が少なすぎるぜ」


 駐屯地は、高い柵で囲われている。

 中には小屋が建てられ、所々に天幕が張られていた。入口に近い場所は更地で、休憩に入った兵士たちが輪を作っている。

 彼らの会話からは、魔物討伐の苦労が察せられた。


「そう言えばよ。聖女様の顔を見たか?」

「険しかったな。それでも美しいけどよ」

「そうだな。俺の嫁にしたいぜ」

「俺の嫁だ! お前のじゃねえ!」

「何だと! 俺は声をかけられたんだ! 俺の嫁だ!」

「お前ら……。そういう話ではなくてな」


 聖女ソフィアは、兵士たちにとても人気がある。

 身分の高い人物の中では兵士たちに近く、普段から接する機会が多い。実際に駐屯地では、彼らに混じって食事をとっていた。

 それに若く美しく、しかも独身である。

 宮廷魔術師グリムの孫娘なので高嶺たかねの花だが、婚姻を狙う男性は多かった。

 その聖女が、危険を承知で向かった森の奥地から戻ってきたのだ。表情は察するに余りあり、探索の苦労がにじみ出ていた。


「脱落者もいたようだしな」

「ザイン様がいても、か。なら相当な無理をしたんだろうぜ」

「あのイケ好かねえ男と一緒じゃな」

「金髪の奴か? だがあいつの女――――」


 兵士たちが難しい顔をしていると、急に会話が止まって静寂が訪れる。

 それは、異様な光景だった。

 どの兵士も指一本すら動いておらず、瞬きすらしていない。会話をしていた者は、口を開いた状態である。

 立ち上がろうとしていた者は、中腰のまま止まっている。

 そして二人の見目麗しい女性が、駐屯地の入口から歩いてきた。

 片方は、側頭部から二本の立派な角を生やした人物。もう一人は、二つの大きなリボンを付けた子供のようだった。

 どちらも、場に不相応なゴシック調の可愛い黒服を着ている。

 そう。二人の女性とは、魔族のマリアンデールとルリシオンだった。


「ルリちゃん、いいわよ」

「あはっ! お姉ちゃんと一緒だと楽でいいわあ」



【ファイア・ボール/火球】



 右手を挙げたルリシオンが、周囲に火球を十個ほど出現させる。

 大きさにして、両手に収まる四十センチメートルサイズだ。ちなみにレイナスとの模擬戦では、その半分の大きさだった。

 ともあれ彼女は、右足をリズミカルに動かす。続けて兵士たちが密集している場所を指し示し、すべての火球を撃ち込んだ。


「あはっ!」


 ルリシオンが満面の笑みを浮かべたのと同時に、場の静寂が解ける。

 兵士たちは何も気付かずに、会話を再開しようとしていた。しかしながら、言葉が発せられることはなかった。静寂が消えた瞬間に、火球が着弾したからだ。

 物凄い爆発音が、駐屯地を襲った。


「さすがはルリちゃんね。タイミングがドンピシャだわ」


 いきなり受けた攻撃で、周囲は大惨事になった。

 火球が直撃した兵士は、肉片を飛び散らかして死んでいる。近くにいた人間も、爆風を受けて吹き飛ばされた。

 体を燃やしている者は、炎を消そうと地面を転げまわっている。


「なっ何だ! 何事だ!」

「熱いっ! み、水を掛けてくれえ!」

「ぎゃあああっ! 足がっ! 俺の足がっ!」

「敵襲! 魔物が現れたぞ!」

「剣を取れ! 迎撃しろ!」


 一連の流れで、負傷や死亡した兵士は二十人ほどか。

 それでも、三百人近くの兵士が駐屯地に残っている。他の兵士は森に侵入して、魔物討伐の任務を遂行していた。

 その残留兵士たちが、小屋や天幕からワラワラと現れた。

 どうやら、指揮官もいるようだ。マリアンデールとルリシオンを取り囲むように、新たな兵士たちを配置した。


「ウジャウジャといるわね」

「お前たちの仕業か!」

「そうよお」

「なっ! 貴様は魔族か! 残っているすべての兵を回せ!」

「「はっ!」」


 ルリシオンの立派な角を確認して、魔族と断定したようだ。

 十年前の勇魔戦争では、人間と魔族が戦った。魔族の国が滅亡しようとも、人間の敵であることは変わらない。

 すぐに剣を抜いて、戦闘態勢に入っている。だが、魔族は強いと知っているのか。我武者羅に襲い掛かろうとせずに、全兵力を集めさせていた。

 もちろん、それを許せば不利になるだけだろう。

 それでもこの姉妹は、兵士が集まるのを待った。


「もっと呼んでもいいのよお」

「貴様! そっちの小さいのは人質のつもりか!」

「あ……。お姉ちゃん?」


 指揮官の言葉を受けたルリシオンが、恐る恐るマリアンデールを見る。とはいえ姉は背が低く、しかもうつむいていた。

 これでは、表情をうかがい知れない。

 その間にも兵士たちが、姉妹の周囲に集まってくる。と同時に、子供扱いするような言葉を飛ばしてきた。


「そこのちっさい嬢ちゃん! すぐに助けてやるからな!」

「子供を盾にするとは卑怯ひきょうだぞ!」

「魔族の女め! 子供を解放しろ!」

「お、お、お、お」

「「お?」」

「おんどりゃあ! 誰が小さいですってえええええっ!」

「はぁ……。やっぱりキレたわあ」


 ルリシオンには分かっていた。

 今までも同様だった。姉のマリアンデールを「小さい」と指摘すると、味方の魔族ですら半殺しにされていた。

 それを、魔族より下等な人間が指摘すればどうなるのか。分かり過ぎるほど分かりきっているのだ。

 その姉は顔を上げた瞬間に、両手を前に突き出した。



【グラビティ・プレス/重力圧】



 マリアンデールが魔法を発動すると、兵士各人の真上に暗黒の球体が現れる。

 大きさとしては、ルリシオンの火球と同程度か。球体から放たれた重力圧は、まるで姉の怒りを表現するかのごとく増加した。

 その重力圧に耐えられる兵士は、残念ながら一人もいないようだ。

 姉妹を取り囲んだ兵士たちの全員が、地面に張り付けられる。


「うおおおおっ!」

「ぎゃ!」

「つ、潰れ……。ぎょばっ!」


 ルリシオンの火球にしてもマリアンデールの重力球にしても、これほどの数を出せるものではない。

 それは姉妹のレベルが高く、魔力が高い証拠でもあった。


「はぁはぁはぁ……」

「お姉ちゃん?」

「はぁはぁ……。あ、あら? 人間どもがいないわね」

「えっと。そこに……」

「え?」


 ルリシオンが指し示した地面には、血まりができていた。

 もちろん重力圧を受けた兵士たちは、原型を留めていない。血と肉片を周囲に散乱させて、ピンク色の内臓もまるで明太子を圧し潰した感じだ。

 骨も砕けしまって、周囲に飛び散っている。

 また他にも、平坦へいたんな金属が大量に落ちていた。兵士が装備していた装備だが、完全に圧し潰されている。


「あ……」

「ちょっとお姉ちゃん!」

「ごっごめんなさいね。オホホホッ!」

「仕方ないわねえ。じゃあ帰りましょうか」

「これから現れる人間は、ルリちゃんに任せるわ!」

「そっちほうが面倒だわあ。お姉ちゃんも一緒にやりましょうねえ」

「だからルリちゃんは大好き! 次は気を付けるからね!」


 ルリシオンは遊び足りなかった。

 それでもマリアンデールと一緒に、人間を蹂躙じゅうりんするのが楽しかった。だからこそ以降に現れる人間も、二人で甚振るつもりだ。

 そして姉妹は、何事も無かったかのように駐屯地を後にする。以降は人間の兵士たちを狩りながら、フォルトの自宅を目指すのだった。



◇◇◇◇◇



 ソフィアたち一行は、魔の森から城に帰還した。

 そしてアーシャは、城内に建てられているロッジに戻されてしまう。

 シュンに捨てられて、勇者候補の従者ではなくなったからだ。しかもエウィ王国では、不要の存在になった。

 一般兵として使おうにも、顔が醜く焼けただれて完治の見込みが薄い。

 そういった者を兵士にしても、士気が下げるだけだ。また彼女は一般兵程度の力量しかないので、大金を出してまで完治させることは万が一にもあり得ない。

 結局はフォルトのように、一定の期間を経て放り出されることになった。


「おっさんもこんな気持ちだったのかなあ?」


(顔が治る見込みはあるけど言えないし……。それに危険なことは嫌だわ。魔物と戦うなんて、もうたくさんよ! 都市で働いたほうがマシね)


 ロッジで横になったアーシャは、魔の森での出来事を思い出す。

 魔族の女性に焼き殺される寸前だった。助かってはいるが、絶望を味わった。もう生きていけないと思って、一時は死ぬことさえも考えた。

 そして、フォルトたちの正体を知ったときの衝撃は忘れられない。魔人のことは分からないが、悪魔と名乗る女性と契約を結んだ。


「カーミラって名前だったわね。いつ来るのかしら?」

「そんなに待ちましたかぁ?」

「きゃあ!」

「驚かないでくださーい! ただのスキルですよぉ」


 脳裏に浮かべたカーミラが、いきなりアーシャの前に現れる。

 突然のことでビックリして、心臓が止まるかと思った。『透明化とうめいか』というスキルを使ったらしいが、こういった登場は勘弁してもらいたい。


「ちょっと! 急に現れないでよ!」

「えへへ。悪魔がいるとバレたら困るよねぇ?」

「当り前よ!」

「とりあえず契約どおりに奪ってきたよぉ」

「えっ! もう?」


 アーシャの膝元には、カーミラから白い貨幣が置かれた。

 それを見たアーシャは、さすがに驚いてしまう。

 確かに彼女とは、貴族から金銭を奪う契約を結んでいた。だが、それにしても早すぎるので驚かないほうがおかしい。

 しかも……。


「ねぇ……。多くない?」


 そう。膝元に置かれた白金貨が、なんと二十枚もあるのだ。

 アーシャの顔を元に戻すには、上級の信仰系魔法が必要だった。代価を神殿に寄付するのだが、白金貨が十枚と聞いている。

 つまり、過剰に奪っていた。


「要らないなら返してきますよぉ」

「もっもらうわよ! でも契約だと、白金貨十枚よね?」

「えへへ。十枚以上必要だったら手間じゃないですかぁ」

「そう言えば……。詳しい金額を聞いていなかったわね」

「カーミラちゃんも忙しいんですよぉ。二度手間は避けたいでーす!」

「契約に問題が無ければいいわ」

「大丈夫でーす! さっさと受け取ってくださいねぇ」

「あ、ありがとう」


 何の苦労もせず、簡単に大金が手に入ってしまった。

 契約内容に問題なければ、金銭を多く持っていても損は無い。顔を元に戻すために寄付金を支払っても、半分の白金貨が手元に残る。

 これならアーシャは、都市での生活が楽になるだろう。

 もしかしたら、一生遊んで暮らせるかもしれない。


「これだけあれば……」

「一つ前の契約は覚えていますかぁ?」

「もちろんよ! あんたたちのことは誰にも教えないわ!」

「えへへ。だったら平気でーす!」


 カーミラに確認されなくても覚えている。

 アーシャの胸には、小さな魔法陣が刻まれているのだ。まだ肌と同化していないようだが、それを見ると嫌でも思い出してしまう。

 それにしても、呆気あっけないほど呆気ない。

 少し怖くなったので、確認の意味も込めて聞いてみる。


「それだけ?」

「はい?」

「あ、悪魔との契約ってさ。もっとこう……。ドロドロしたような?」

「対価は貴女の死体でーす! まだ死んでないですよねぇ?」

「生きてるわよ!」

「悪魔は契約にうるさいって教えたはずですよぉ」

「そっそうだけどさ……」


 確認をとったアーシャは、ホッと胸をなでおろす。自身の死体と聞いて、カーミラに殺されるのではないかと思っていた。

 この場で殺されて、死体にされてもおかしくはない。

 相手は悪魔なのだから……。


「そういう手もありましたねぇ」

「ちょっと!」

「えへへ。御主人様から止められているのでぇ」

「え?」

「御主人様の寛大な心に感謝してくださーい!」

「そう、ね」


 あれだけ嫌って馬鹿にしていたフォルトに助けられる。

 それは屈辱でもあり、当たり前だと思っていた。

 おっさんは年長者なのだ。若いアーシャを守るのは義務なのだ。もちろん身勝手な言い分なのは理解しているが……。

 それでも日本にいた友達は、全員がそう思っていた。


「こっちの契約は履行したのでぇ。カーミラちゃんは帰るねぇ」

「もう会うことはないわ」

「貴女が契約を履行してればねぇ」

「………………」


 カーミラの契約は果たされたので、今後は会うこともないだろう。

 彼女と再会するときは、老衰か事故で死んだ後になる。もちろん都市で生活を始めれば、大嫌いなフォルトに会うこともない。

 今回の件で助けてもらったが、一生魔の森から出てこないでほしい。

 そう思ったアーシャは、徐々に笑顔を浮かべる。と同時に白金貨を手に取って、キラキラした目で眺めた。


「あはっ! あはははっ……。痛たた……」


 悪魔のカーミラから提示された三つの選択肢。

 アーシャは随分と悩んだものだが、その甲斐かいはあったようだ。どうやら正解を引いたらしく、笑いが止まらない。

 ともあれ、顔に痛みが走った。

 傷口が塞がれても、まだ痛みは残っているのだ。


「あ……。もう治してもらえるじゃん!」


 アーシャは傷の痛みで、重要なことを思い出す。

 本来の目的は、顔の火傷を神殿で治療してもらうことなのだ。大金を手に入れたからと、心を躍らせている場合ではない。

 すぐにでもロッジを出て、治療を開始してもらうにかぎる。と考えたところで、白金貨を懐にしまい込んだ。

 そして意気揚々と立ち上がり、足早に神殿に向かうのだった。



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Copyright(C)2021-特攻君

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