第38話 アーシャの決断3

 川から戻ったアーシャは、すぐに女性用の天幕に入った。

 ソフィアはいないので、ザインと今後についての打ち合わせをしているのだろう。もう一人の女性兵士もおらず、周辺の警戒に出ていると思われた。

 これには助かった。

 三つの選択肢をよく考える必要があるので、雑音は無いほうが好ましい。

 まずは座り込んで、先ほどの出来事を思い出す。


(まったく……。何なのよ! おっさんが魔人で、あの女が悪魔ですって? 意味が分かんないんですけど!)


「でも、本当なのよね?」


 おもむろに首元から服を伸ばしたアーシャは、再び胸を見る。

 小さくて目立たないが、左胸には魔法陣が刻まれていた。

 これは、カーミラという悪魔と交わした契約で刻まれたものだ。対価として要求された内容を破ると発動する。

 契約の不履行は死を意味するので、フォルトたちの秘密は誰にも話せない。


「出発するまでに答えを出さなきゃね」


 そして醜く焼けただれた顔を治療するには、もう一度カーミラから助力を得ないと無理である。とはいえ、再び契約を結ぶ必要があった。

 対価は、アーシャの死体である。

 これには悪魔らしさを感じて、ブルっと体を震わしてしまう。

 そうは言っても、死んだ後の話はどうでも良い。なので、契約を結ぶことは構わないと思っていた。


(貴族から金を奪う。司祭を拉致する、かあ)


 二つの案は分かる。

 確かに貴族であれば、白金貨十枚は所持しているだろう。金銭を奪うことさえできれば、神殿に寄付をして治療してもらえる。

 次に上級の信仰系魔法を扱える司祭を拉致して、無理やり治療させる。

 どちらの方法でも、確実にアーシャを治せるはずだ。早速飛びつきたいところだったが、カーミラが発した最後の言葉が頭を過った。


「悪魔……」


 悪魔については、漠然としたイメージしか持っていない。

 またカーミラは悪魔というよりは、悪戯好きの可愛い小悪魔のほうがイメージに合う。と考えると、言葉に意味は無いかもしれない。

 ただし、アーシャの死体を欲しがっていた。まるでホラー映画に登場するような、怖い悪魔とも思える。

 いくら考えても堂々巡りだった。

 そのような状況で悩んでいると、天幕にソフィアが戻ってきた。


「アーシャさん」


 世話焼きなのか、ルリシオンに負けて以降は面倒を見てもらっている。とはいえ今は一人で考えたいので、少し煩わしさを感じてしまう。

 醜い顔になってからというもの、アーシャの心は荒んでいる。


「なに?」

「具合はいかがですか?」

「痛みは無いわ」

「それは良かったです」


 体の痛みは引いているが、心の痛みは続いている。

 これが治まるには、可愛い顔に戻らないと無理だろう。アーシャは気分が滅入っているので、嫌みともとれる言葉で応じた。


「良くはないわ。変わってくれるならうれしいけどね」

「すっすみません!」

「ごめんね。冗談よ。それで?」


 さすがに言い過ぎたかと、アーシャは後悔する。ソフィアに八つ当たりをしたところで、状況は何も変わらないのだ。

 とにかく話を聞いて、早く一人になりたい。


「お伝えする話があります」

「なに?」

「明日ですが、魔の森を出て帰還します」

「もう?」

「シュン様の具合が思いのほか早く回復しました」

「ちっ」


(何がシュン様よっ! あたしを捨てた奴なんて……。あの魔族に殺されちゃえばいいんだわ。あーあ。あたしって男運が無いのかなあ)


 恋人だったシュンは、醜い顔になったアーシャを捨てた。分かっていたことだが、体だけが目的だったのだ。

 そんな男性は、日本で何人も見てきた。しかしながら、あちらの世界から召喚された後に頼れる人物がいなかった。

 男性経験は無かったが、体を使ってでもつなぎ止めておきたかった。

 自身の好みであるホストのイケメンで、勇者候補に選ばれたからだ。


「ソフィアさんも、シュンには気を付けなさいよ」

「はい?」

「男は選びなさいってことね」

「それはもう……」


(明日出発なら、もう選ばないと駄目ね。強盗か誘拐か。最後がおっさんの出番とか言ってたわね。おっさんかあ)


 アーシャはフォルトが大嫌いだ。別に何かをされたわけではないが、「おっさんは気持ち悪い」という固定観念を持っていた。

 それが植え付けられたのは、中退した高校の教師に言い寄られたときだ。若ければ良いわけでもないが、その教師は年齢の離れた中年だった。

 本当に気持ち悪かったのだ。


「ソフィアさんは、さ。おっさんをどう思う?」

「フォルト様ですか?」

「あたしは嫌いだけど、ソフィアさんはどうなのかなってね」

「どうと言われましても困りますね。一般的な話でもいいですか?」

「いいよ」


 好きか嫌いかの二択だと、さすがに答えづらいだろう。

 またソフィアは、恋愛の対象としてフォルトを見ていないと思われる。魔の森に訪れたのも、聖女としての仕事である。

 それでも、一般的な趣向が聞けるなら聞いておきたい。


「私も同じですが、相手の強さを判断基準にしますね」

「強さ、ねえ」

「女性は非力ですからね。強い男性に憧れます」

「ソフィアさんでも守ってもらいたいんだ?」

「ふふっ。一人で生きていくには辛い世界ですよ」

「そうね」


 こちらの世界は日本と違って、常に危険と隣り合わせである。また多様な生物が存在する中で、人間は最弱に位置していた。

 そのうえ愚かにも、人間同士で争っているのだ。

 そういった外敵から身を守り、生きていくには強さが必要である。だからこそ、強い男性を求めている。

 腕力・知力・経済力・権力と様々な強さがあるが、それらを持つ男性に守ってもらいたいと考えるのが一般的だった。

 非力な女性が安心して生きていくために……。


「やっぱり異世界だわ」

「申しわけありません」

「もう謝らなくていいわよ」

「………………」

「じゃあさ。おっさんが強かったら抱かれるってこと?」

「え?」

「違うの?」

「いえ。急にどうしたのかなと思いまして……」


(ヤバッ! 胸の魔法陣がうずいたわ。カーミラって悪魔が言ってた話は本当ね。これ以上話すと、二人とも死んじゃうわ)


 悪魔との契約は絶対である。

 しかも契約の内容は、悪魔の気分次第だ。カーミラとの契約は「他人を巻き込むタイプ」だと、川から立ち去る間際に聞いた。

 情報を伝えた相手も始末する陰険なものだ。

 この疼きは警告だろう。


「考えを変えないと生きていけないのかな?」

「どうでしょうか。それぞれだと思いますよ」

「そうね」

「とにかく明日は出発ですので、帰還の準備をお願いします」

「分かったわ。ならおっさんに挨拶ぐらいしとくかなあ」

「それでしたら私も一緒に……」

「いいって。挨拶ぐらい一人で行くわ」

「そうですか? では私は外に出ますね」

「いってらっしゃい」


 首を傾げたソフィアは、天幕から出ていった。

 これでやっと一人になれるが、出発は明日だと告げられてしまった。まだ答えは出ていない。しかしながら、アーシャは急いで選択する必要がある。

 これには、頭から煙が噴き出しそうだ。

 それでも暫く悩んだ末に、最後の決断をするのだった。



◇◇◇◇◇



 自宅前の庭から、すべての天幕が消えている。

 やっと、ソフィアたちが帰ったのだ。実に喜ばしい。そんな気持ちを体現するように、フォルトは若者の姿に『変化へんげ』している。

 そして、屋根の上で寝そべっていた。


「騒がしいのがいなくなって平和が戻ったなあ」

「いつもの自堕落生活でーす!」

「ははっ。膝を貸してくれ」

「はあい!」


 フォルトはカーミラの膝枕を堪能しながら、眼前に広がる魔の森を眺めた。

 ソフィアたちが森を抜けるには、数日は必要だろう。ならばと引き返してこないように祈りながら、これからのことを考える。


(まずはルリの寝所を増築する。それからレイナスを育てる。後はニャンシーを待てばいいかな? この家は捨てないと駄目かなあ? 大きな問題は……)


「エウィ王国は攻めてくるかな?」

「そう思いますよぉ。レイナスちゃんが帰りませんしねぇ」

「だよなあ。ソフィアさんもそう言ってたし……」


 ソフィアは森での出来事を、何も隠さずに報告すると言っていた。

 その立場は日本で例えると、国家の官僚と同意だろう。本人の意思で個人的に隠したくても、立場がそうさせてくれない。

 そういったしがらみは理解しているので、彼女を責めることはしない。

 ともあれ、フォルトの興味は他にもあった。


「結局のところ、アーシャはどれを選んだのだ?」

「貴族から金を奪うことでーす!」

「そっか」

「ですので、数日後に行ってきますねぇ」

「すぐに終わるのだろ?」

「はいっ! 香辛料を奪うついでに終わらせておきますよぉ」


 アーシャの決断は、最初に提示した「貴族から金銭を奪う」こと。

 それを神殿に寄付して、火傷で醜くなった顔を治療するのだ。金銭という「物」が無くなるだけで、誰も傷つかないといった理由らしい。

 カーミラが『人形マリオネット』か魅了の魔法を使って、貴族から奪い取るだけだった。


「アーシャの死体ってさ。何に使うんだ?」

「上級悪魔の受肉でーす!」

「受肉?」

「召喚した上級悪魔が定着するには必要なんですよぉ」

「なるほど、な」


 悪魔も上級・中級・下級と分類される。

 近いところだとリリスのカーミラが上級悪魔で、養鶏場で作業をしているインプが下級悪魔だった。

 上級悪魔は一部の例外を除き、魔界以外の世界では定着できない。召喚するための魔法陣から出ると、一瞬で魔界に送還されてしまう。

 それを防ぐには、死体を依代として受肉させるのだ。

 どうやら上級悪魔を使役させて、ずっとフォルトと一緒にいたいらしい。

 可愛いことを考えるものだ。


「カーミラも受肉しているのか?」

「カーミラちゃんはシモベですので、受肉は必要ありませーん!」

「ふむふむ。その受肉ってさ。見た目はアーシャになるのか?」

「そうですよぉ」

「ほうほう。それならいいか」


 基本的に悪魔とは、世にも恐ろしい姿をしている。

 フォルトの美的感覚に合致するのは、リリスやサキュバスといった女性型の悪魔ぐらいだ。となると受肉に使う死体は、奇麗で可愛い女性に限るだろう。

 それにしても、まるでアーシャが死んだような口ぶりだった。

 結果はまだ先の話であり、今も彼女は生きている。


「二週間後ぐらいかなぁ? 回収してきますねぇ」

「残念と言えば残念だ」

「そうですかぁ?」

「嫌われていたが、一応は同郷だしな」

「そういうものですかねぇ」


 そしてアーシャについて話していると、ルリシオンが屋根に上ってきた。

 魔族の彼女も、人間がいなくなって清々しているようだ。


「フォルトぉ」

「ルリか。どうした?」

「暇なんですけどお」

「そうは言っても、娯楽があるわけじゃないしな」

「フォルトには私を楽しませる義務があるわあ」

「はい?」

「こんなに可愛い私を放っておくのは罪なのよお?」


 過ごした時間は短いが、ルリシオンの性格は分かってきた。

 非常に我儘わがままで独善的なのだ。しかしながら、なぜか憎めなかった。カーミラと同様に、とても愛嬌あいきょうがあるのだ。


「俺は罪の塊だがな。七つの大罪を持っているし……」

「そんなことはいいのよお。寝てないで遊びましょう?」

「常にダラけてるのが俺なのだが……」

「ブレないわねえ。人間たちを追いかけて殺そうかなあ」

「好きにしろと言いたいところだが、面倒事は勘弁だな」

「なら私と遊びましょう」

「分かった分かった。じゃあ……」


 フォルトはルリシオンの誘いに根負けしたので、何をやって遊ぶかを考える。実は根負けしたわけではなく、根を詰めるのが面倒だった。

 とりあえず屋根から周囲を見渡すが、何も変わったものは無い。

 庭ではレイナスが、一人で剣の訓練をやっていた。まるでアスリートのように汗を飛ばし、太陽の光を受けてキラキラと輝いている。

 その奇麗な光景を見て、とある遊びを思いついた。


「あ……。これなら楽しめそうだ」

「何かしらあ?」

「ルリ。俺のレイナスと模擬戦をやらないか?」

「え?」


(久々にレイナスを操作してみるのも悪くない。魔族のルリは強い。レベル差は相当ありそうだが、俺の腕を試すチャンスだな)


 レイナスは、対戦ゲームのキャラクターとして拉致した玩具である。

 現在はレベルも上がって、当初より強くなっていた。とはいえ最近は、操作して遊んでいない。ならばと思って、ルリシオンと対戦したくなったのだ。

 模擬戦であれば、実力を試すチャンスである。


「いいだろ? ルリが勝ったら、一つだけ願いをかなえてやる」

「えっ! ほんと?」

「やれる範囲で、な」

「そんな約束をして後悔しないかしらあ?」

「もちろんレイナスが勝ったら、ルリを好きにさせてもらう」

「いいわよお。面白そうだわあ」

「決まりだ。レイナス!」


 フォルトは満面の笑みを浮かべる。

 まるでゲームの大一番を迎えた感じがして、年甲斐としがいもなくワクワクした。すでに脳内では、どうやって戦うかと戦術を組み立てている。

 以降は屋根から飛び下りて、レイナスに模擬戦の件を伝えるのだった。



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Copyright(C)2021-特攻君

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