第37話 アーシャの決断2

 額に眉を寄せたフォルトは、アーシャを殺害した場合のメリットとデメリットを考える。しかしながら、メリットは何も無い。

 自分を馬鹿にしていた女性がいなくなるだけだ。

 その代償がソフィアたちからの非難で、最悪は敵対からの戦闘か。何日も相手をした時間が無駄になってしまう。

 本当に馬鹿馬鹿しい話だった。


「残念ながら殺せない」

「何でよ!」

「だって面倒臭いし……」

「あたしに生きろって言ってんの?」


(いや。俺にやらせるなという話なのだが……。それに自殺は……)


 思っていても口に出さないのは、社会人としてのマナーである。

 フォルトが知らない場所で、勝手に死ぬのなら構わない。

 なぜメリットも無いのに、アーシャを殺害する必要があるのか。人間を見限っていても、わざわざ火種を作る趣味は無い。

 そして、こちらの世界に召喚される前は自殺を考えていた。と言っても痛いのが嫌なので、行動を起こせなかったのだ。

 方法についても漠然としか考えておらず、ロープを用意したところで先に進めずにつまづいた。以降は餓死を選択して、こちらの世界に召喚されたのが最後だ。

 いま思い返せば、自分にやれるはずがないと思った。ならばと手伝える者を知っているので、それを彼女に教える。


「魔物に殺してもらえば簡単に死ねると思う」

「嫌よっ! 生きたまま食べられるなんて、ゾッとするわ」

「ですよね」


 少し短絡的過ぎたか。

 魔物なら人間を殺して、死体を残さず食べてくれる。と思ったのだが、生きた状態で食べられるアーシャからすれば地獄の苦しみになってしまう。

 きっと、物凄く痛いだろう。


「そこはほら……。死ぬまで戦えば殺してから食べるさ」

「おっさんが強いなら、一瞬で殺してくれるでしょ?」

「だから殺さないって!」

「何でよっ! うあああああん!」

「ちょ、ちょっと!」


 フォルトの言葉は、冗談とも本気とも聞こえるが無視された。

 そしてアーシャが、目の前で座って泣き出した。

 今までこういった場面に遭ったことがないため、あたふたしてしまう。「女性の涙は武器」というのは本当だった。


「うあああああん!」

「御主人様が女の子を泣かせていまーす!」

「カ、カーミラ! いいところに!」

「えへへ」


 カーミラが追いかけてきていたようだ。

 実に良いタイミングなので、フォルトはすぐに助けを求めた。


「何とかしてくれ!」

「無理ですよぉ」

「え?」

「殺してあげればいいじゃないですかぁ」

「だって。後々どうなるか分かるし……」

「そうですかぁ?」

「もうソフィアさんたちは帰ってくれるのだぞ」

「金髪の男が治ったらですよねぇ?」

「それなのに、だ。アーシャを殺したら帰ってくれなくなるぞ」

「だ、そうでーす!」

「え?」


 立ち上がったアーシャの目には、涙の跡が無い。

 つまり、うそ泣きだ。

 どうやら、カーミラには分かっていたようだ。

 演技にだまされてしまったフォルトは、口を開けて呆気あっけにとられた。少し恥ずかしいかもしれない。


「何であんたまで来るのよ!」

「えへへ。カーミラちゃんは御主人様のシモベですからねぇ」

「シモベ?」

「その醜い顔が治ると言っても死にたいですかぁ?」

「え?」

「治す方法なんて、いくらでもありまーす!」


 カーミラは得意満面の笑顔だ。

 それに対してアーシャは、即座に詰め寄った。フォルトに殺してもらおうと考えていたので、当然の反応だろう。


「ちょ、ちょっと! それは本当なの? 嘘じゃないでしょうね!」

「とりあえずですねぇ。落ち着いてくださーい!」

「わっ分かったわ」

「ところで、神殿じゃ駄目なんですかぁ?」

「駄目よ。白金貨十枚なんて無理なのよ!」


 神殿で上級の信仰系魔法を依頼する場合は、寄付として白金貨十枚が必要だ。

 つまり、一億円である。

 日本にいた頃でさえ、夢のまた夢の金額だ。こちらの世界に召喚されて間もないアーシャに、大金を支払うことは不可能だった。


「ねぇお願い! 治して!」

「何でカーミラちゃんが、そんなことするんですかぁ?」

「え? 治してくれるんじゃ……」

「治す方法はいくらでもあるよって言っただけでーす!」

「ちょっと!」

「えへへ。望みどおりに殺しちゃいましょう!」

「いっ嫌よ! 治るなら死にたくないわよ!」


 カーミラは悪魔なので、希望を与えてから殺すのが楽しいのか。

 その証拠に、獲物を狩るような鋭い目が印象的だった。


「御主人様、どうしますかぁ?」

「フォルトさん! 助けてよ!」

「何か……。新鮮だな」

「いいから助けて!」

「ちなみにさ。どんな方法があるのだ?」

「教えちゃっていいんですかぁ?」

「別にいいよ。それで面倒事が減るなら安いもんだ」


 フォルトの思考は単純明快である。

 アーシャが勝手に死ぬのは構わない。また生きていても構わない。要は絡んでこなければ良いのだ。

 そんな些細ささいなことよりも、自宅のベッドで寝たいだけだった。


「カーミラちゃんにお任せでいいですかぁ?」

「いいよ」

「やったあ! 御主人様、大好き! ちゅ!」


 カーミラは大喜びだ。

 フォルトに密着して、ほほに口付けされた。他人の目があると恥ずかしいが、それで喜んでくれるなら何も問題は無い。


「ところで貴女さぁ」

「なっ何よ!」

「悪魔との取引って知ってるかなぁ?」

「え?」

「えへへ」

「悪魔との取引って……。確か……」


 アーシャの知っている悪魔の取引は、願いの代償として魂を要求される。

 それを聞いたカーミラは、邪悪な笑みを浮かべながら訂正した。


「貴女が言っているのは、契約が不履行の場合でーす!」

「は?」

「悪魔は天使と違って、契約にはうるさいんですよぉ」

「どっどういうことなの?」


 悪魔は契約を交わしても、対価に魂を要求しない。

 対価は当然もらうのだが、その内容は悪魔の気分次第だ。

 契約を履行しない、もしくは破ると魂を奪われる。一度契約を交わしたら、その内容を履行し続ける必要があった。

 または、選択を間違えた場合だ。

 その場合は、契約者の目的が完遂されても死ぬ結末が待っている。

 要は悪魔が提示する選択肢に正解して、契約内容を履行し続ければ良い。


「貴女は悪魔なの?」

「御主人様のシモベであり悪魔。リリスのカーミラちゃんだよぉ」

「おっおい! それは言うな!」

「逃げたら殺しまーす!」

「あっ!」


 カーミラは『隠蔽いんぺい』を解除して、悪魔の姿を現す。

 それを見たアーシャは、驚きながら後ずさった。角と翼が視界に映って、尻尾まで生えているからだ。

 彼女の姿は、日本のゲームに登場するような美少女の悪魔だった。ゲーム自体に興味は無いが、男性の友達もいたので、雑学として知っている。

 話題の一つとして使って、会話に味を付けるのは得意だった。


「えへへ。ごめんなさーい!」

「まぁいいか。カーミラに任せたしな」

「さすがは御主人様です!」


 カーミラの笑顔がまぶしい。

 とても謝っていないが、アーシャの件は一任したのだ。後は面倒事に発展しないかを、じっくりと眺めていれば良いだろう。


「………………」

「どうしますかぁ? カーミラちゃんと契約しますかぁ?」

「………………」

「可愛い顔に戻って、人生を楽しく過ごしたくないですかぁ?」

「戻りたいわよ!」


 アーシャは他人だけではなく、自身の面体も気にする女性だ。もともと自信を持っており、可愛い顔に戻りさえすれば良い。

 シュンに捨てられようとも、自分に釣り合う恋人はいくらでも作れるだろう。実際に兵士とも仲良くなっていた。

 その中から選ぶつもりはないが……。


「最初は簡単な契約にしてあげますねぇ」

「簡単?」

「こちらの秘密は内緒にしてくださーい!」

「それだけ?」

「だから簡単だよって言ったじゃないですかぁ」

「へ、平気よ!」

「なら契約成立でーす!」


 目を伏せたフォルトは、魔の森の外に送り届けた冒険者たちを思い出す。

 あのときの彼らは、簡単に約束を破っていた。


(嫌なことを思い出してしまったな。アイナたちは簡単な口約束さえ破っていた。でも今回は、悪魔の契約かあ。やり方が巧妙という何というか……)


 ある意味で恐ろしい。

 まずは簡単な内容で、契約者の希望をかなえる。

 そして味を占めさせた後で、深みにめるつもりなのだろう。詐欺の手口と似ているが、同じようなものだ。

 カーミラは、『契約けいやく』のスキルを持っている。

 悪魔が持つ固有のスキルであり、お互いが納得した時点で発動する。続けて契約者の体に、小さな魔法陣が刻まれるのだ。

 この魔法陣が契約者を監視するので、安易な行動をすると魂が狩られる。


「胸を見てくださーい!」

「何これ?」

「契約の印ですよぉ。破れば……。ドカーン!」

「ひっ!」


 首元から服を伸ばしたアーシャが、自身の胸を見て驚愕きょうがくしている。

 小さな魔法陣が刻まれているようだが、契約を破らなければ害はないらしい。しかも時間が経過すれば、肌と同化して見えなくなるそうだ。

 それを聞いて安心しているのは、ピチピチの柔肌を維持するためか。


「じゃあ何個か教えるねぇ」

「早く教えて!」

「まずは神殿ですねぇ」

「それは無理だって言ったでしょ!」


 残念ながらアーシャには、白金貨十枚が用意できないのだ。だからこそ、「何度も言わせるな」と続けた。

 それに対してカーミラは、笑顔を維持している。


「白金貨十枚ですよねぇ。奪えばいいじゃないですかぁ」

「え?」

「貴族なら大量に持ってるよぉ」

「無理よ……」

「これが一つ目でーす!」


 カーミラにとって、アーシャがやれるかは関係無い。

 確かに金銭を奪えば、神殿での治療は可能だろう。しかしながら、貴族から奪うのは無理である。

 犯罪だと分かりきっており、厳重に警備されているはずだ。


「次はですねぇ。上級が使える司祭を拉致しまーす!」

「貴女ねぇ……」

「拷問でもすれば、簡単に使ってくれますよぉ」

「だから……。無理だって言ってるでしょ!」

「えへへ。カーミラちゃんが手伝っても無理ですかぁ?」

「え?」

「最初の契約は、方法を教えるだけでーす!」


 これが悪魔のささやき、だ。

 アーシャは知らないが、カーミラはレベル百五十の悪魔。

 実際に金品を奪ったこともあり、彼女に教えた内容を実行することは可能である。だがこれを手伝わせるとなると、次の契約になってしまう。


「最後はですねぇ。御主人様の出番でーす!」

「はい?」

「御主人様は人間じゃありませーん! 魔人になったんだよぉ」

「え? どういうこと? 魔人って何?」


 アーシャに魔人のことは分からないようだ。

 もちろん、「フォルトが人間ではない」という言葉にも首を傾げている。また悪魔の発言なので、真偽については判別が付かないだろう。

 そうは言っても、これは隠すべき事実だった。


「おい。カーミラ……」

「えへへ。秘密は内緒ですよぉ。契約実行中でーす!」

「そうだが……」

「教えた瞬間に死んじゃいますよぉ」

「うーん」


(カーミラは大胆だなあ。契約した後に秘密を明かすか。アーシャがどう行動をしようと、他人に知られたら死んでしまうな)


 フォルトはカーミラに感心する。

 すでに、悪魔との取引は終わったのだ。アーシャが契約を履行しない場合は、即座に魂が奪われる。

 秘密を他人に話したとしても、事実は伝わらない。

 また口頭だけではなく、紙で伝えようとしても同様だった。


「魔人って……。おっさん! どういうことよ!」

「おっさんに戻っているぞ」

「うるさい! もう何が何だか分からないよ!」

「だろうなあ。俺もそうだった」


 アーシャは頭を抱えて、その場に座り込んでしまった。次々に襲ってくる情報の波により、頭が混乱しているのだろう。

 それを見たフォルトはほくそ笑んだ。

 彼女に知られた秘密は、ソフィアが知りたがっている内容なのだ。簡単に知り得た人物がいることを、どう思うのだろうかと……。


「俺の出番と言われてもなあ。信仰系魔法は使えないぞ?」

「体を治す魔法は信仰系魔法だけじゃないですよぉ」

「どういうことだ?」

「ちょっと耳を貸してくださーい」

「うむ」


 カーミラが顔を近づけて、フォルトにヒソヒソと耳打ちする。

 アーシャ頭を抱えて座り込んでいるので、その行為にすら気付いていない。


「(呪術系魔法でーす!)」

「(呪術? それは可能なのか?)」

「(呪いと言うとイメージが悪いですからねぇ)」


 呪術系魔法。

 それは超自然的存在や神秘的な力に働きかけて、種々の目的を達成しようとする意図的な行為である。神の奇跡ではなく、自然の力を使う魔法の一種なのだ。

 要はおまじないのことで、風水術や占星術は呪術だった。

 こちらの世界には魔法が存在するため、呪術も立派な魔法体系の一つである。ならばとフォルトは、アカシックレコードから呪術系魔法を取り出した。


「(おっ! 使えるじゃないか)」

「(えへへ。だから御主人様の出番でーす)」

「(じゃあ、この魔法で治してやればいいのか?)」

「(タダで治す必要はないですよぉ)」

「(そうだなあ)」

「(カーミラちゃんに任せてくださーい!)」

「(おう! 任せた!)」


 口角を上げたフォルトは呪術系魔法という最上級のカードを手に入れたので、安心してカーミラに任せる。

 最悪は呪術で治してしまえば、アーシャも文句は言わないだろう。


「方法は教えましたぁ。じゃあ帰りますねぇ」

「ちょ、ちょっと待ってよ!」

「何ですかぁ?」

「私だけじゃ無理よ!」

「またカーミラちゃんと契約しますかぁ?」

「あ……」


 悪魔との契約。

 アーシャにとって最初の契約は簡単で、秘密を守る自信はある。

 日本にいた頃も、友達の秘密は口外しなかった。とはいえうっかりとしゃべらないように、細心の注意が必要だろう。

 そして次の契約にも、対価が必要だった。

 こちらは金銭を持っていないのだから、別の要求をされるだろう。となると、何を対価として要求されるかが不明である。

 有り体に言えば怖いのだ。


「対価が気になりますかぁ?」

「そうよ」

「対価はですねぇ。貴女の死体でーす!」

「え?」

「死んだ後の話ですよぉ」

「そ、そう……。それなら……」


 対価はアーシャの死体。

 死んだ後なら、肉体がどう扱われようが構わない。生きている時間が大切だと思っているからだ。


「よく考えてくださいねぇ」

「考える?」

「三つの方法を教えましたぁ」

「そうね」

「選択は自由ですけどぉ。カーミラちゃんは悪魔でーす!」

「分かってるわよ!」

「じゃあ、どれを選ぶか決まったら教えてねぇ」


 フォルトとカーミラは、自宅に帰っていった。

 アーシャはというと、川辺で立ち尽くしている。予想外の出来事が起こり過ぎているが、彼女にとって顔の火傷を治す可能性があるのは幸いだった。

 彼らから話を聞くまでは、本当に殺してもらおうと思っていたのだ。しかしながら希望が与えられて、わざわざ死ぬ必要がなくなった。

 複雑な気持ちを隠せないが、今は三つの選択肢について考えるのだった。



◇◇◇◇◇



 会話が終わってホッとしたフォルトは、カーミラと一緒に自宅に向かう。

 アーシャは立ち尽くしていたが、さっさと戻るために川辺に放置した。周囲に魔物は出ないので、後は勝手に戻るだろう。

 それにしても、悪魔の契約については面白い話だった。

 もちろん、選択肢の内容についても興味がある。


「カーミラさあ」

「何ですかぁ?」

「あの三つの選択肢だと、正解は――」

「さすがは御主人様です!」

「でへ。んんっ! ア、アーシャの選択には興味があるな」

「えへへ。帰って寝ましょう!」


 フォルトが正解を言い当てると、カーミラに抱き着かれる。

 以降は目を擦りながら帰宅すると、ルリシオンがまだ起きていた。だがどんよりとした視線を向けるだけで、さっさと寝室に入っていく。

 そしてベッドの上には、同様に起きていたレイナスが微笑んでいた。

 これには癒されるが、アーシャのせいで精神的に疲れている。夜の情事を楽しむ気力が沸かずに、とにかくベッドの上に倒れ込むのだった。



――――――――――

Copyright(C)2021-特攻君

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