第36話 アーシャの決断1

 フォルトの自宅前にある庭。

 そこには、ソフィアたち一行が使う天幕が建ち並んでいる。大型テントのようなものだが、数十名の兵士が長期に渡って動く場合の必需品だ。

 一行には、女性が三名いる。聖女が同行しているため男女共用とはいかず、女性専用の天幕が設置されていた。

 その中には、癒えぬ傷を負ったアーシャと聖女ソフィアがいる。


「うっ、うっ……」

「落ち着かれましたか?」

「少しだけ……」


 アーシャの精神状態は最悪である。天幕に戻された後も暴れたり、またフォルトの家に向かおうした。

 こちらの世界の鏡は立派なものではなく、表面が曇ってぼやけて見える。とはいえある程度は分かるので、彼女は自身の惨状を把握していた。

 信仰系魔法の治療によって痛みはないが、とても見られるものではない。火傷の跡はもちろんのこと、皮膚がただれて水膨れもある。

 美容とファッションに気を遣っていたので、現状が受け入れられないのだ。


「この火傷は治らないのよね?」

「お伝えしたとおりです」

「白金貨十枚……。一億円なんて無理よ!」

「………………」

「どうすればいいの? どうしたらいいの?」

「………………」

「何とか言ってよ!」

「申しわけありません」

「うっ、うっ、うわあああああん!」


 傷心のアーシャには、泣くことしかできなかった。

 自暴自棄になって、魔族のルリシオンに復讐ふくしゅうしようとした。だが現在は落ち着いてしまったので、それもやれなくなっている。

 十年前の勇魔戦争や、魔族の話は聞いていた。座学で習ったからだが、そのときは日本にいた頃と同じ感覚だった。

 戦争の話を聞いても、遠い国の出来事として捉えていたのだ。

 日本で起きた戦争は、彼女が生を受ける前だった。時代の移り変わりと共に、戦争体験者は老人になって減っている。

 時おり当時の体験談を語るが、彼女にとっては興味が希薄だった。しかしながら、今なら分かる。

 自分の身に降りかかって初めて分かったのだ。


「この世界は何なのよ!」

「………………」

「帰してよ! 日本に帰して!」

「申しわけありません」

「謝ってばかりじゃない!」

「申しわけありません」


 一方通行の勇者召喚。

 事ここに至り、フォルトがソフィアに問い詰めていた理由も分かった。彼女は最初から、軽く考えていたのだ。

 一方通行なので、重く考えても何が変わるわけでもない。とはいえ真剣に向き合っていれば、もっと慎重に行動できた。

 今までの訓練もそうだ。

 念入りにされたおかげで、最初に遭遇した魔物は簡単に倒せた。周囲にはシュンや兵士たちがいて、アーシャの身に危険は及ばなかった。

 過保護に育ったようなもので、簡単に生きられると勘違いしていたのだ。


「一人にして」

「………………」

「暴れないからさ。お願い」

「分かりました」


 ソフィアを天幕から追い出したが、一人になったところでどうしようもない。何も考えつかないアーシャは、膝を抱えて顔を伏せる。

 そして暫く時間が過ぎると、シュンが天幕に入ってきた。

 慰めてもらおうと顔を向けるが、なぜか神妙な面持ちをしている。


「アーシャ。その……。大丈夫か?」

「シュン……」

「わっ悪かったな! 助けてやれなくて、よ」

「あ……」


 シュンも心に突き刺さった傷の一つだ。

 ルリシオンから出された選択で、アーシャを助ける選択をしなかった。彼女を見捨て、一人だけ助かろうとしていた。

 それでも頼れるの者は、同じ日本から召喚された恋人だけだ。


「い、いいのよ。仕方なかったしね」

「そう言ってもらえると助かるぜ」

「それよりもさ。顔を治すのに一億円よ? シュンも何か考えてよ!」


 アーシャに白金貨十枚など調達できない。もちろんシュンも同様だが、金銭を寄付すれば治る見込みがあるのだ。

 恋人なら、苦労を分かち合ってもらいたい。


「そのことなんだが……」

「どうしたの?」

「うーん」


 シュンは神妙な面持ちを崩していない。

 何かを伝えたいようだが、なかなか切り出そうとしなかった。

 それに不安を感じたアーシャは、思わず立ち上がろうとする。しかしながら何かを吹っ切った表情に変わったので、話の続きを促した。


「ねぇ。シュン」

「アーシャ、その傷じゃ従者はやれねえよな?」

「え?」

「俺は勇者候補だぜ」

「何を言ってるの?」

「いずれ魔族にも勝たなきゃいけねぇ!」


 今のアーシャには、シュンが何を言っているのか分からない。いや。分かってはいるが、頭に入ってこないのだ。

 話の続きを聞きたくなかった。


「ちょ、ちょっと! やめてよ!」

「俺自身が強くなる。それには強い従者が必要だ」

「ま、待ってシュン!」

「アーシャは今まで頑張ってくれた。ありがとう」

「あ……」

「森から戻ったらゆっくりと休めよな!」

「シュン!」


 アーシャの言葉を聞かず、シュンは一気にまくし立てた。まるで、反論を許さないような強い口調である。

 そして話は終わったとばかり、天幕を出ていってしまった。

 信じたくない。とても信じられないが、彼から別れを告げられたのだ。追いかけようにも、体が震えて動けなかった。


「あ、あ、あ……」


 死者に対してむちを打つような話だが、シュンの考えはよく分かった。

 二人は同類なのだ。

 相手の面体を気にするのは、アーシャも同様だった。立場が逆なら、きっと同じことをしただろう。

 醜くなったので捨てられたのだ。


「うあああああっ!」

「ア、アーシャさん! 何が?」


 アーシャは大声で泣いた。

 その声を聞きつけて、ソフィアが天幕へ戻ってくる。だがしかし、何があったかは言いたくない。

 その気持ちを察したのかは分からないが、聖女らしく無言で抱き締めてくれた。続けて、首筋から背中にかけてでてもくれた。

 それでも悲しみを吐き出すように、大粒の涙を流して泣き続けるのだった。



◇◇◇◇◇



 フォルトの自宅でも別れがあった。ルリシオンを連れてきたニャンシーが、本来の目的を果たすために出発するのだ。

 現在は食事も終わり、これから送り出すところだった。


「ニャンシーちゃんは行っちゃうのお?」

「主の指令じゃ。新天地を探さねばならぬからのう」

「ゆっくりでいいぞ」

「もしかしてじゃが……。探さなくてもよいのではないか?」

「あっはっはっ!」


 ニャンシーの問いは、とても的を射ている。

 新天地を探すなら、またカーミラと一緒に探せば良いかなと思っていた。しかしながら、それは最悪の場合である。

 自身が動いて探すのが、大変面倒だから頼んでいるのだ。

 そのフォルトに対して、ルリシオンが口を開く。


「魔の森に居続けたいなら、人間なんて殺しちゃえばいいじゃなあい」

「ルリ。それは違うぞ」

「どうしてえ?」

「人間を殺したら、誰が調味料を作るんだ?」

「はい?」

「カーミラちゃんは作れませーん!」

「私も無理ですわ」


 三人の言葉に、ルリシオンは呆気あっけに取られている。

 そんな些細ささいなことで、人間を殺さない魔人は存在しないとでも言いたげだ。とはいえフォルトの思考は、人間のおっさんである。

 冗談ではなく真面目に言ったつもりだ。


「あはっ! 面白いことをいうのねえ」

「俺は人間だったからよく分かるんだが……」

「ふんふん」

「人間は頭が良くて技術力が高い」

「そうかしらあ?」

「だと思うぞ。だからこそ、色々と開発してもらいたい」

「開発ねぇ」

「俺はその恩恵だけを受けるのだ!」

「さすがは御主人様です!」

「あはははっ!」


 フォルトの説明で、ルリシオンが笑い出した。

 七つの大罪で言えば、怠惰・強欲・傲慢が組み合わさったものだ。

 それでもうそ偽りの無い言葉で、心からそう思っている。日本にいた頃よりも、その思考が開放的になっていた。


「そんなわけでニャンシーよ。頼んだ!」

「とんと分からぬ話じゃが、わらわに任せるのじゃ!」


 魔界の魔物であるニャンシーには、残念ながら理解できなかったようだ。

 ともあれ彼女は自宅から出ずに、魔界に旅立っていった。まずは、ルリシオンと出会った国境の山に向かっただろう。

 そして本日は終了とばかりに、フォルトは寝室への扉を開けた。


「さてと。寝るか」

「はあい!」

「私も……」

「ルリはダイニングで寝てくれ」

「ずっとは嫌よお?」

「だよな。あいつらが帰ったら、ブラウニーに増築してもらうさ」

「ならいいわよお」


 ルリシオンはカーミラのようなシモベではなく、レイナスのような玩具でもない。客人として扱うので、同じベッドで寝ては駄目だろう。

 新たに部屋を作ってあげないと拙い。

 無節操に襲ったら、知能の無い獣と同じである。

 そんなことを考えながら寝室に入ろうとすると、玄関扉がノックされた。

 寝るのを邪魔された格好だが、来客に対応するのはマナーである。しかしながら怠惰なフォルトは、一番近い人物に対応してもらった。


「ルリ、頼む」

「はいはい。誰かしらあ?」


 ルリシオンが玄関扉を開けると、そこにはアーシャが立っていた。顔には包帯が新しく巻かれているが、今回は帯剣していなかった。

 「またか」と思ったフォルトは、何も見なかったことにする。


「あら。また来たのお?」

「あんたに用は無いわ。おっさんに用があるのよ」

「フォルトぉ。ご指名よお」

「もう俺は寝た! 明日にしてもらってくれ!」

「だ、そうよお?」

「ふざけないで! とにかく一緒に来て!」

「だ、そうよお?」


 自宅は狭い。玄関扉を開ければダイニングと台所があり、その奥が寝室だ。

 残念ながらアーシャには、寝室前のフォルトが見えてしまう。包帯を巻いているので表情は分からないが、また暴れられても困る。

 それでもさっさと寝たいので、まずは追い返そうと試みた。


「俺がキモいから近づきたくないのでは?」

「それについては謝るわ。だから一緒に来て!」


 嫌みを言ってみたが駄目だった。

 ならば、ここは年長者として懐の深さを見せる。ソフィアたちがいる間は、見た目も中身もおっさんなのだ。

 溜息ためいきを吐きながらも相手をした。


「はぁ……。分かった分かった。なるべく手短に、な」

「………………」


 アーシャに近づくと、無言で歩き出した。

 何となく怖いが、フォルトは追いかける。とりあえずカーミラとレイナスがいると話しづらいと思って、一応は気を利かせた。

 向かう先は、兵士たちがいる天幕ではないらしい。ソフィアを交えての話と思っていたが、風呂の代わりに使っている川を目指しているようだ。


「どこまで行く気だ?」

「川よ」

「何の話しがあるのやら……」

「黙ってついてきて」

「………………」


 口を閉じたフォルトは、アーシャから言われたとおりにする。若者との口論して勝てる気がせず、中でもギャルには負ける自信があるからだ。

 そして川に到着すると、彼女が振り返ってにらんできた。

 人と目を合わせるのが苦手なので、すぐに視線を逸らす。


「もういいわ」

「それで何の用かな?」

「おっさんは強いんだってね」

「ソフィアさんから聞いたのか?」

「そうよ」

「勘違いだよ。俺はレベル三だったんだぞ」

「嘘はいいわ。あの魔族を止めたじゃない!」


 フォルトは反論するが、残念ながら信じてもらえない。確かにルリシオンを止めたのが拙かったかもしれないが、それは後の祭りだった。

 そこで、オーガを倒したときと同じ言い訳で逃げようとする。


「たまたまだよ」

「………………」


 フォルトの言い訳が通用したかどうかは分からない。

 数十秒の沈黙の後に、アーシャが目を閉じる。続けて決意を込めたように目を開くと、とんでもないことを口にした。


「あたしを殺してほしいの」

「はい?」

「シュンにも捨てられたわ。もう生きていけないのよ!」


 悲痛な言葉を最後に、アーシャは顔に巻かれている包帯を取った。

 自宅に乱入したときから、何も変わっていないようだ。額からほほにかけて肉がただれて、そのままの状態で傷が塞がれている。

 また髪は焼け焦げ、頭皮に少し残っている程度である。

 あれからも治療したかは定かではないが、一向に改善していない。


「キモいって言ってごめんね。あたしのほうがキモいわ」

「そうだな」

「うっ……。お願い……。殺して……」


 目に涙を浮かべたアーシャは、その場で座り込んでしまった。この弱弱しさは、とても召喚されたときのギャルとは思えない。

 それにしても、「殺してくれ」と頼まれても困ってしまう。はっきり言えば無理難題で、希望をかなえると様々な問題が発生するはずだ。

 どうしてこう、次から次へと面倒事が降りかかってくるのか。

 そんなことを考えたフォルトは、どうやって切り抜けるかを悩むのだった。



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Copyright(C)2021-特攻君

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