第18話 レイナス日記1
寝室のベッドでは、レイナスがうなされながら眠っていた。
先日近くの川で、盗賊たちを殺害した日からである。彼らにナイフを突き入れた感触は、体に刻み付けられたように残っていた。
人間を刺す。人間を斬る。人間を殺す。
「はっ!」
まるで悪夢を見たような表情で、上体を勢いよく起こす。
レイナスの体には、大量の汗が流れていた。
「あの盗賊たちは罪人ですわ。なら……」
自分を納得させたレイナスは、隣で眠るフォルトに視線を向ける。
現在の姿は、最初に出会ったときのような小太りのおじさんではない。若く普通の顔と引き締まった体格だった。
レイナスは
「きゃ! 私は何を……」
調教中のフォルトは、ずっとおじさんだった。
年齢に合わない荒々しい責めを受けて、レイナスの調教が終了した。すべてを
無意識に求めるようになっている。
(フォルト様は魔人……)
「もう見た目は関係ありませんのよ?」
レイナスは人間である。
そして、フォルトの話では玩具である。しかしながら、それを受け入れた。受け入れてしまった。
もう戻れないし戻りたくはない。
「罪な御方……」
「ぐぅぐぅ」
「ツンツン」
「んごっ! ぐぅぐぅ」
「ふふっ。食事の支度をしましょうか」
「カーミラちゃんも手伝いまーす!」
「きゃ!」
いつから起きていたのか、カーミラも目を覚ましていた。
彼女はリリスと呼ばれる悪魔で、神々に敵対する悪魔王の従者だ。
レイナス自身、そういった存在がいると聞いたことはある。とはいえ、正体を明かされたときは首を傾げたものだ。
見た目は可愛らしい女性なのだから……。
「ブラッドウルフちゃんたちが外で待ってまーす!」
「早いですわね。では、いつものように……」
「頼むねぇ。カーミラちゃんは料理の準備をしまーす!」
フォルトが召喚した
魔法学園の制服の乱れを直したレイナスは、獲物の解体作業をするために、リビングを通って外に出た。
空からは太陽の光が降り注いでおり、
今日も晴天のようだが、太陽は空の頂点にあった。
「寝過ぎ……。ですわよね?」
「「グルルルル」」
「大量ですわね」
自宅の前に広がる庭には、十頭の血魔狼が座っていた。
本日の獲物は、ボアと呼ばれる魔獣である。
フォルトがいた世界では、「
そのボアが、四頭も置かれている。
数日前のレイナスであれば持ち上げることもできなかった魔獣だ。
それが今では、少し楽になっている。
疑問に思って自身のカードを確認したら、なんとレベルが上がっていた。盗賊たちを殺害したことが要因だと思われる。
(気持ちの整理はまだですけど、体が軽くなった感じだわ)
「フォルト様は食べきれるのかしら?」
「大丈夫でーす! 御主人様は暴食ですよぉ」
「きゃ!」
料理の準備を始めたはずのカーミラが、レイナスの背後に立っている。
まったく気付かなかったので、さすがにドキッとしてしまった。
「驚かせちゃいましたかぁ?」
「いきなり声をかけないでもらえるかしら」
「まぁまぁ。レイナスちゃんに伝え忘れたことがあってねぇ」
「何かしら?」
「実はですねぇ。殺した盗賊たちは、何の罪も無い一般人でしたぁ!」
「え?」
「えへへ」
一瞬、レイナスは何を言われたか理解できなかった。
そこに無表情になったカーミラが、顔を近づけて告げる。
「貴女は罪も無い人間を虐殺した。貴女は一生消えない罪を背負った。もう貴女は戻れない。死で罪を償うしかない。けれど御主人様は、すべてを許してくれる」
「あ、あ、あ……」
「そう。御主人様はすべてを受け入れてくれる。御主人様が貴女のすべて。貴女のすべてを賭けて御主人様に尽くしなさい。身も心も捧げて御主人様を喜ばせなさい」
「あ、あ、あ……」
カーミラの残酷な言葉は、レイナスの精神を
盗賊だからこそ、殺害の罪を無理やり納得させていた。だが実際は、何の罪も無い一般人だった。
衝撃的な事実を受けて、今まで割れずに残っていたガラスの心が砕け散る。
「…………」
「レイナスちゃん! 大丈夫ですかぁ?」
「あっ。え? だっ大丈夫ですわ」
「御主人様の玩具でいる間は仲良くしてあげるねぇ」
「え、ええ。ありがとう」
カーミラの言葉は、盗賊を殺した直後に伝えたら精神が壊れただろう。
レイナスの砕けた心は、今まで培ってきた倫理観である。人間を見限ったフォルトと同じで、人間を殺すことに対して何も思わなくなったのだ。
「もう少しかなぁ?」
「何か言いましたか?」
「もし御主人様の玩具として成功したらぁ……」
「したら?」
「シモベにしてもらうといいですよぉ」
「ふふっ。そうするわ」
「えへへ。解体を手伝うねぇ」
カーミラは料理の準備を担当していたが、食材が足りなかったようだ。笑顔を浮かべたレイナスは、彼女と一緒にボアの解体を始める。
盗賊を殺害したナイフを使っているが、もう思うところは無かった。
まずはボアを木の枝に
時間がかかる作業なので、今は一頭だけ解体した。
もちろん解体の専門家ではないため、かなり雑な作業だ。残った三頭のボアは、魔法で凍らせて倉庫に置いておく。
以降は解体した肉を自宅に運びこんで、料理の準備を始める。
「ふぁあ。寝た寝た」
肉の焼ける匂い釣られて、寝室からフォルトが出てきた。
何となく犬のようで、レイナスは思わず吹き出してしまう。
「もうフォルト様ったら……」
「何の話だ?」
「お慕いしておりますわ」
「お、おう……?」
頭を
レイナスは愛しの主人のために、ドンドンと配膳する。カーミラも同様で、あっという間に料理が並んだ。
「御主人様、いっぱい食べてくださいねぇ」
「フォルト様、私が焼いた肉からどうぞ」
「あっ! レイナスちゃん、ズルい!」
「よおし! 食うぞ!」
カーミラに向けて舌を出したレイナスは、フォルトの口に肉を運ぶ。
もちろん三人で食べるが、自分は一枚が限界である。
そして数十分後には、大量に焼いたボアの肉が無くなった。相変わらずの消費量に
◇◇◇◇◇
レイナスの放つ
そうしなければ、致命傷を受けて死んでしまうだろう。先程までいた場所には、大きな
そして後ろにいるフォルトから、彼女に指示が飛んだ。
「加速だ!」
「はいっ!」
【ヘイスト/加速】
すぐに行動に移ったレイナスは、身体強化系魔法を使った。
この魔法は、自身の動きを五割ほど引き上げる。
「まだ行くなよ?」
「はいっ!」
レイナスと
身長は二メートル半から三メートルほどで、巨人とは言い過ぎかもしれない。しかしながら丸太のような太い腕は、人間を簡単に殺傷できるだろう。
ちなみに、ゴブリンやオークと同様に知能が低い。
「腕力をあげろ!」
「はいっ!」
【ストレングス/筋力増加】
再びフォルトから指示が飛んだ。
レイナスとオーガの体格差は圧倒的である。膨れ上がった筋肉は分厚く、女性の細腕では弾かれてしまう。
だからこその筋力増加だ。
「行けっ! 横から後ろに回り込め!」
「やあああ!」
「ウゴオオッ!」
三回目の指示は、最初に使った加速の魔法を活かしている。
オーガの特徴としては、腕力が高く
そして剣を構えた瞬間に、またもやフォルトから指示を受ける。
「剣に氷属性を付与しろ!」
「はいっ!」
【アイス・ウェポン/氷属性・武器付与】
レイナスは「氷の魔女」の称号どおり、氷属性魔法が得意だ。
魔法を使うと、剣が冷気に包まれた。
「両膝の裏を斬れ!」
「でやああっ!」
「グオオオッ!」
考えている暇は無いのだ。
レイナスは指示通りに、オーガの両足に向けて連撃を放つ。すると一瞬のうちに凍結させて、さらに敏捷性を下げた。
そしてフォルトからは、最後であろう指示を受ける。
「背中から心臓を突き刺せ!」
「やあっ!」
「グオオオオオオオオッ!」
レイナスは突きを繰り出して、オーガの背中から胸板を貫く。
フォルトからの指示は的確だった。
もしも筋力増加の魔法を使っていなければ、厚い筋肉に阻まれて、剣は心臓まで達しなかっただろう。
断末魔の声を聞いた後は、剣を引き抜いて距離を置いた。
「ふぅ」
「レイナス! よくやったぞ!」
「オ、オーガを倒した……。推奨討伐レベルは二十五ですわよ?」
「俺の操作は完璧だろ?」
「操作……」
今回の戦いは、フォルトの指示が勝利を導いた。
魔法の選択や使用するタイミング。他にも位置取りなど、レイナスは言われたとおりに動いただけである。
それにしても「操作」と言われ、自身の境遇を思い出した。
「なかなか面白いじゃないか」
「御主人様は楽しそうでーす!」
「ははっ。レイナスは傷が一つも無いだろ?」
「はい。一撃も受けておりませんわ」
「完勝だな」
「ぁっ!」
複雑な気持ちのレイナスは、フォルトに抱き寄せられて頭を
それには
実に残念である。
「レベルはどうだ?」
「今ので十七になりましたわ」
「順調に上がってるな」
「はい。フォルト様のおかげですわ」
「やはり実戦をしたほうが上がる」
「そう思いますわ」
ここ数日間は、ゴブリンやオークと戦っている。
最初はフォルトが召喚した魔物を使って、レイナスの能力を確認された。以降は育成という名目で、実戦を続けていた。
今回は美少女育成型対戦ゲームとして、オーガと戦ったのだ。
「ふふんっ! 俺のレイナスに勝てる奴はいないな!」
「まあ。俺のレイナスなどと……」
「そっそういう意味では……」
「ぶぅ。御主人様! 俺のカーミラちゃんが不機嫌ですよぉ」
「ははっ。よしよし」
「えへへ」
(フォルト様は私を玩具にしてらっしゃいますわ。自分の思いどおりに動く玩具。最初に言われたキャラクターの意味がよく分かりましたわ)
フォルトからは、「俺のゲームキャラになってもらう」と言われて剣奴かと思っていた。しかしながら、少し違ったようだ。
まるで主人の手足のように動くことで、達成感を満足させる玩具だった。
「魔法剣士はテクニカルだなあ」
「テクニカルですか?」
「戦士なら盾を使って正面から受け止めるな。それから攻撃だ」
「なるほど?」
「魔法使いなら壁になる魔物を召喚して、安全な位置から攻撃だ」
「はい」
「魔法剣士は
「そうですわね」
「だが、剣と魔法を組み合わせれば簡単に倒せる」
「はいっ!」
「専門職のように単純じゃないから、魔法剣士のほうが面白いな!」
「っ!」
レイナスが行っているのは、生死を賭けた戦いである。
それを面白いの一言で片付けるフォルトに対して、我知らず恐怖を覚える。もし負ければ、興味を失って捨てられるだろう。
そう思うと身震いがする。
彼には身も心も奪われた。もう彼がいない生活は考えられない。
(悔しいわ。こんなにも焦がれるなんて……。あの調教は私を完膚なきまで快楽の虜に落としたわ。フォルト様を喜ばせるだけしか考えられないのよ)
それでも、レイナスは笑顔だ。
伯爵令嬢は家の道具であり、政略結婚の駒にされる運命だった。貴族として生を受けた時点で、仕方のない話だと諦めていたのだ。
それが今は、フォルトの玩具である。
この罪な男を喜ばせている間は、女の幸せを考えていられる。玩具と思われていようが、自宅では女性として扱ってもらっていた。
「次に行きますか?」
「いや。帰って寝る!」
「ふふっ。フォルト様らしいですわ」
「カーミラちゃんも寝まーす!」
「では、一緒に寝ましょうか」
レイナスは微笑みを浮かべながら、フォルトの自宅に向かって歩き出した。
その愛の巣とも呼べる場所では、いつもの堕落した生活が待っている。しかも寝るとは、言葉通りの意味ではないはずだ。
そんなことを考えて、火照った体をさらに熱くさせるのだった。
――――――――――
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