第19話 カーミラ日記1

 エウィ王国城塞都市ソフィア。

 王国の首都であり、様々な物資が集まる経済の中心地である。

 巨大な市場が存在して、買い物をする客が後を絶たない。大通りは広く、他国や別の町から来訪した商人の馬車が行き交う。

 その市場ある商店に、赤髪のツインテールが特徴的な少女が入店する。あまり広くない店内には、木製のトレーやつぼが置かれていた。

 店主は中年女性で、カウンターの後ろに一人で立っている。

 そこに近づいた少女は、下からのぞき込むように店主に話しかけた。


「いつもの壺をくださーい!」

「またあんたかい? もう渡さないよ!」


 どうやら店主は、少女に対して良い感情を持っていなかった。

 それについては知っているので、少女は無造作に魔法を使う。



【チャーム/魅了】



「ああ、いつものだね。ちょっと待ってておくれ」


 魅了の魔法を受けた店主は、常連客を迎えるような満面の笑みに変わった。

 そして少女の要求に納得したのか、店の奥に向かう。

 暫く待っていると戻ってきて、何個かの壺をカウンターに置く。続けて、中身を確認するように促してきた。


めてもいいですかぁ?」

「少しだけだよ」


 少女は壺の中に小指を入れ、付着したものを味わった。

 中身は香辛料で、壺ごとに種類が違う。


「これで足りるかい?」

「んー? 大丈夫でーす!」

「また来ておくれ」

「はあい!」


 店主は壺を布製の袋に詰めて、少女に手渡した。

 それを受け取った少女は、早足で店から出ていく。もちろん代金など支払っていないが、店主は笑顔で手を振っていた。

 この少女は、『隠蔽いんぺい』のスキルで人間だと誤認させているカーミラだ。

 魔人のシモベにして、リリスと呼ばれる悪魔だった。


「えへへ。ちょろいですねぇ」


 カーミラは、自宅に備蓄してあった香辛料の仕入れに訪れたのだ。

 仕入れと言っても、店主を魅了して奪っているだけだが……。


(そろそろ効果時間が過ぎるかなぁ?)


 魅了の魔法は、効果中の記憶が残る。

 あの店の商品は何度も奪っており、カーミラが盗人だと騒がれても不思議ではないだろう。しかしながら店主は、今まで衛兵に訴えていない。

 魅了の魔法を使われたと理解していないからだ。

 自らが勝手に少女に渡したという認識になっている。おかしいと思いながらも、自分のせいだと思っていた。

 それに対して「人間は馬鹿ですねぇ」と思いながら大通りを歩いていると、後ろから男性に呼び止められてしまった。


「君、ちょっといいかな?」

「るんるんるーん!」

「赤髪の君!」


 無視したいところだが、男性はカーミラの腕をつかもうとした。

 自分に触れて良いのは、主人のフォルトだけである。咄嗟とっさに振り向いて、少しだけ距離を取った。


「えっと……。貴方は誰ですかぁ?」

「呼び止めてごめんね。僕はノックス。魔法学園の学生さ」


 当然のようにカーミラは、ノックスと面識が無い。

 『隠蔽いんぺい』が見破られたわけでもないので、怪訝けげんな表情を浮かべた。


「何の用ですかぁ?」

「言いづらいんだけど……」

「じゃあ言わなくていいでーす! バイバイ!」

「あっ! 待って!」

「だから何よ!」

「えっと。君はさっき、魅了の魔法を使ったよね?」

「使ってないですよぉ」

「見てたから分かるよ。それって犯罪だよ?」


 面倒な話だが、店主とのやり取りを見られていたようだ。となると、カーミラはどうするか考える必要があるだろう。

 ノックスの殺害は簡単だ。

 首を掴んで骨を折ることはできるし、手刀で心臓を貫くことも可能。

 魔法で跡形も無く吹き飛ばすのも良いだろう。とはいえ城塞都市ソフィアには、物を奪うために何度も訪れる予定だ。

 もちろん、魅了の魔法も効くだろう。

 先ほど見ていたと言っていたが、レベル百五十の悪魔が使う魔法である。いくら魔法学園の生徒だろうが、装備品の補助でもなければ抵抗できない。

 ふとレイナスが装備していた「精神魔法無効化の指輪」を思い出す。


(まぁ持っているようには見えないかなぁ。それに……)


 今いる場所は大通りなので、多くの人間が行き交っている。

 あまり目立ってもよろしくないため、とりあえず話の続きを促す。


「捕まえるのかなぁ?」

「違うよ。ちょっと聞きたいことがあってね」

「ふーん」

「ここじゃ何だから公園で話そうか」

「いいよぉ。ついていくねぇ」


 衛兵に突き出すわけではなさそうだ。

 初めて会ったカーミラに、ノックスは何を聞きたいのだろうか。と興味を持ったので、彼の提案を受け入れた。

 大通りから外れて小道を進んでいくと、広い公園に出た。

 噴水の他に、ベンチが何本も並んでいる。閑散としているが遮蔽物が無いので、何かをやると目立ちそうだ。

 とりあえず殺気を出さないように、彼と一緒にベンチに座る。


「何を聞きたいのかなぁ?」

「えっと。レイナスさんって知ってる?」

「それって誰ですかぁ?」

「魔法学園の生徒会長でね」

「うんうん」


 ノックスの発言には不意を突かれたが、努めて平静を装う。

 確かにレイナスは、魔法学園の生徒会長だった。

 同じ学園に通っているのなら、彼が知っていてもおかしくはないだろう。しかしながらなぜ、カーミラに尋ねてくるのか。

 また彼女の何を知りたいのかが疑問だ。


「レイナスさんは行方不明なんだ」

「へぇ」

「で、彼女が最後に話していたのが君なんだよね」

「っ!」


 レイナスを拉致したのはカーミラである。

 あのときは魔法学園に侵入して、彼女が一人になるのを待った。

 言うまでもなくその機会が訪れたので、姿を現して行動に移している。以降は「精神攻撃無効化の指輪」によって、精神操作系の魔法やスキルを防がれた。

 だからこそ、実力行使に出たのだ。


(あの場面を見られてたのかぁ)


 ここでもカーミラは、表情を崩さない。

 レイナスを拉致した直後であれば、衛兵に突き出す理由にはなる。だが魅了の件で捕縛するつもりがなく、「彼女を拉致した」とは言っていない。

 ならば精神操作を行う少し前の現場を、チラッと見ただけだろう。


「どこに行ったか知らないかな、と思ってね」

「知らないよぉ」

「本当に?」

「本当だよぉ」

「レイナスさんと何を話してたのかな?」

「教える必要は無いと思いまーす!」

「彼女は伯爵令嬢でね。もう王国全体が大騒ぎなんだ」


 カーミラは再び考える。

 やはり、ノックスの殺害は駄目だ。

 レイナスに続いて魔法学園の生徒が消えると、余計に騒ぎになる。しかもあの場面について、誰かに話している可能性もあった。

 魅了などの精神操作は意味が無い。

 自身がレイナスと最後に話していた人物となっている。その誰かを特定したところで、記憶を弄ったり消すことはできないのだ。

 そうなると、別の手段を模索したほうが良いだろう。


「ところで何であんたが探してるのかなぁ?」

「知らないのかい?」

「何をですかぁ?」

「レイナスさんを見つけたら報奨金が出るんだ」


 レイナスの父親であるローイン伯爵は、エウィ王国の有力貴族である。

 その娘が行方不明なので、当然のように報奨金が掛けられていた。情報提供者にはもちろんのこと、発見して連れ帰れば多額の金銭がもらえるらしい。

 これに目を付けたノックスは、彼女を連れ帰るほうを選んだ。

 ならばとカーミラは、目を光らせて口角を挙げる。


「じゃあ教えてあげるねぇ」

「助かるよ」

「好きな男と駆け落ちするって言ってましたぁ!」

「かっ駆け落ち?」

「だから、都市から出る抜け道を教えただけでーす!」

「抜け道って?」

「都市には水路があるよねぇ」

「うん」

「そこから都市を出たんじゃないかなぁ」

「なっ何と言うか……。とても残念だ」


(ちょっと苦しかったかなぁ? でも都市から出ているのは事実だしねぇ。駆け落ちじゃなくて、御主人様の玩具だけど!)


 声のトーンが下がったノックスは、ガクンと肩を落とした。

 駆け落ちなど珍しい話なのだが、どうやら信じたようだ。

 心が純情なのか、それとも間抜けなだけなのか。もしくは連れ帰るところまで頑張るつもりがなかったか。

 それはカーミラに分からないが、うそを信じたのならそれで良い。


「ところで君、名前はなんて言うの?」

「カーミラちゃんでーす!」

「どこに住んでるのかな?」

「初対面の人には教えられないよぉ」

「そっそうだね。えっと……。また会ってくれるかな?」


 ノックスの言葉を受けて、カーミラは不機嫌になった。

 リリスやサキュバスと呼ばれる悪魔は、神々の創造物である人間を堕落させるために、悪魔王が創造した存在である。

 人間の男性に好かれる容姿をしているので、例に漏れず好意を持たれたのだ。

 彼は視線を逸らして、ほほを赤く染めていた。


(ぶぅ。カーミラちゃんは御主人様だけのものでーす! 人間ごときの女になんてなりませんよぉ! でも……)


 堕落させるのは面白いかもしれない。

 そう思ったカーミラは、ノックスに希望を与えた。


「決まった日取りはないけどねぇ」

「うん」

「また見かけたら声を掛けてほしいなぁ」

「わっ分かった!」

「じゃあ今日のところは帰るよぉ」

「うん。またね!」


 カーミラはベンチから離れて、ノックスに手を振りながら大通りに戻った。以降は裏路地に入り、『隠蔽いんぺい』を解除して『透明化とうめいか』のスキルを使う。

 そして空に飛び立ち、主人の待つ魔の森に帰るのだった。



◇◇◇◇◇



 魔の森に戻ったカーミラは、自宅の屋根の上でちょこんと座っている。隣で寝転んでいるフォルトが、太ももを触ってくるので気持ちが良い。

 ともあれ、城塞都市ソフィアでの出来事を報告した。


「ということがあったんですよぉ」

「ははっ。お疲れさん」

「暫くは都市に行けないかなぁ?」

「そのノックスって奴さ」


 リリスのカーミラは、ノックスから好意を向けられた。

 そして主人のフォルトは、七つの大罪を持つ魔人である。ならば、この件に対応した罪が顔を出すだろう。


「えへへ。嫉妬ですかぁ?」

「それもあるが……。俺と同時に召喚された奴じゃないか?」

「カーミラちゃんには分かりませーん!」

「若い男だよな?」

「そうでーす!」


 どうやら、ノックスの名前に聞き覚えがあったようだ。

 そもそもの面識は無いとの話だった。と言ってもフォルトがいた世界から、同時に三人の人間が召喚されたと聞いていた。

 その中の一人と合致したのだろう。


(御主人様が考え込みましたねぇ。このパターンはアレですよぉ。考えるのに飽きてゴロゴロするはずでーす! 絶対にそうでーす!)


 カーミラは何を聞かれても、すぐに答えられるようにしている。しかしながら、何も聞かれないだろうと思っている。

 フォルトの考えていることはお見通しなのだ。


「ま、いいか」


 何事もあまり深く考えないフォルトは、屋根の上をゴロゴロと回りだした。右にゴロリとすれば、左にゴロリだ。

 それを見たカーミラは、満面の笑みを浮かべる。

 主人の行動が分かるのは、シモベにとってうれしいのだ。


「レイナスの件で王国中が大騒ぎなのか?」

「そう言ってましたよぉ」

「ふーん。膝を貸して?」

「はあい!」


 これもいつもの光景だ。屋根の上で横になっているときのフォルトは、カーミラに膝枕を要求する。

 大好きな主人と体を密着させることは、至高の喜びだ。


「えへへ」

「魔の森で暮らしていることは知られていないんだよな?」

「そうでーす!」

「考えるのは面倒だ。放っておけばいいか」

「それよりも御主人様」

「何だ?」


 魔物が存在する森の奥地に、伯爵令嬢がいるなど思いもよらないだろう。

 そのような話よりは、フォルトに伝えておくことがあった。


「森の入口が突破されそうでしたよぉ」

「へぇ。人間もやるじゃないか。まぁでも……」


 フォルトは気楽に構えていた。

 自宅まで訪れた人間はいたが、運が味方しただけと思っている。

 魔の森には、オーガなどの強力な魔物も存在するからだ。討伐しながら進むには、多大な被害と時間を擁するだろう。

 それにはカーミラも同意なので、笑顔を浮かべて周囲を見渡す。


「ところで御主人様。レイナスちゃんはどこですかぁ?」

「オートモードだ」

「オートモードって何ですかぁ?」

「自動狩りと言ってだな」

「ふんふん」

「俺が操作しなくても勝手にレベルが上がる」

「御主人様が飽きただけですよねぇ?」

「ちっ違うぞ! 俺のやっていたゲームでは……」


 日本のゲームだと、レベルを上げる作業は大変な苦痛を伴うらしい。

 単純作業なので、飽きて眠くなるのだ。ゲームを引退する原因の一つなので、自動で狩りを行う機能が追加された。

 またはアイテムを使って、一気にレベルを上げたりと進化した。だがこちらの世界には、ゲームのような便利アイテムが無い。

 だからこそ、レイナスには自動狩りやらせているとの話だった。

 それを聞いたカーミラは、ニヤニヤと口角を上げた。


「レベル上げなど自動で十分だ」

「そうかもしれませんねぇ」

「それに時間が空けば、カーミラとまったりできる」

「きゃあ! 御主人様、大好き!」

「ははっ」


 カーミラにとって、フォルトは大切な存在だ。

 前の主人からは、まるで道具のような扱いを受けていた。シモベとしては正しい使い方だが、それを不満に思っていたのだ。

 今の主人は、女性として扱ってくれるので満足している。

 そんなことを考えていると、レイナスが自動狩りから戻ってきた。


「フォルト様、戻りましたわ」

「お! 戻ったか。じゃあ三人で水浴びだ!」

「ふふっ。お背中を流しますわ」

「やったあ!」


 両手を挙げてバンザイをしたカーミラは、フォルトと一緒に地面に下りる。

 それからレイナスを加えて、近くの川に向かった。

 彼女は主人の玩具ではあるが、いつも三人で水浴びをしている。

 この変わらない生活が、いつまでも続いてほしい。などと神に祈るような祈りを悪魔王にささげて、愛しの主人に抱き着くのだった。



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Copyright(C)2021-特攻君

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