第6話 魔人と小悪魔2

 ロッジで一人になったフォルトは、悪魔カーミラについて考える。

 リリスと言っていたが、日本では女性型の悪魔として知られていた。角や翼、尻尾があることから人間でないのは確かだ。

 それにしても……。


「前の主人は人間の肉を食ってたのか。ブルブル……」

「お待たせ!」

「おわっ!」


 フォルトが独り言をつぶやいていると、カーミラが戻ってきた。

 その手には調理した肉を持っており、面前に差し出してくる。


「速いな!」

「保存しておいた肉を焼いただけですよぉ。じゃあどうぞ!」

「ちなみに……。何の肉だ?」

「魔界に生息してるゴールデンラビットですねぇ」

「ラビット……。ウサギか?」

「そうでーす!」


 フォルトは渡された肉に食いつきながら、いきなりカーミラの顔を見る。簡単に聞き流してしまったが、またもや聞き捨てならないことを言った。

 こちらの世界には、魔界があるらしい。


「魔界を知らないですかぁ? 御主人様は知ってるはずですよぉ」

「知らん……。あ、知ってたわ」

「アカシックレコードが解放されていますからねぇ」

「でも言われないと分からなかったぞ?」

「思い出すのにキーワードが必要みたいですねぇ」

「キーワード?」

「例えば、魔界っていうキーワードですね!」

「聞いたら知っていた、とか?」

「そんな感じですねぇ。さすがは御主人様!」


 その後もフォルトは肉を食べながら、カーミラとの会話を楽しむ。

 人間が嫌いな割に饒舌じょうぜつである。どうも彼女と会話するのは、精神的に問題がないようだった。悪魔とはいえ、体を交わらせた女性だからか。

 あの柔らかさを思い出すと赤面してしまいそうだ。


「御主人様、ほっぺたに食べかすが……。ちゅ」

「こっこら!」

「いいじゃないですかぁ。私もまってましてぇ」

「そっそうか……。じゃない! 知ったことか!」

「冷たいですねぇ。でもそこが素敵でーす!」

「はははっ!」

「ふふっ」


 フォルトは何の遠慮もなしに笑った。本当に何十年ぶりだろう。作り笑いなら何度もやったが、心の底から笑うのは久々だった。

 そして、ふと現実を思い出してしまう。今はおっさんと言われる歳だ。体型も学生の頃と比べれば、随分と太っていた。

 彼女のような可愛い女性を隣に置くと、何となく自虐心に苛まれる。


(何でこんなに好いてくれるんだろ。それは考えちゃ駄目なことか? 好意を持ってくれているなら受け入れりゃいいだけか。俺に選ぶ権利なんて無いしな)


「すまないな。歳の行ったおっさんで……」

「はい?」

「なぜか分からんが、俺を好いてくれてるのだろ?」

「うん!」

「カーミラにはふさわしくないと思ってな」

「魔人は力がすべてですよ? 面体は関係ないでーす!」

「そっそうか?」

「気になるなら、スキルの『変化へんげ』を使ってみては?」

「これのことか? 使ってみよう。『変化へんげ』っと……」


 フォルトはアカシックレコードから引き出されているスキルを使って、今まで気になっていたビール腹を引っ込めてみた。

 すると、若い頃のような体型になった。


「おおっ! これはすばらしいな」

「魅力的になりましたねえ」


 アカシックレコードが解放されて、元の主人が知っていた情報が分かる。

 情報を引き出すにはキーワードが必要だ。これから生きていくためには、必要な知識を引き出す必要があった。

 日本で言われているアカシックレコードは、過去と現在と未来の情報だったはず。しかしながら、こちらの世界では違うようだった。

 このあたりはいずれ精査するとして、今は別のことを考えた。


(さっきまで死のうと考えて、今は生きるために考えている。勝手なもんだ。俺も人のことは言えないな。次にソフィアさんと会ったら謝ろう)


 勝手に召喚されたことでソフィアを責めたが、本質的にはフォルトも同様だ。

 彼女は命令に逆らえないだけなので、責めるべきは別の人間だろう。と考えだしたところで、カーミラが首を傾げて問いかけてきた。


「御主人様、これからどうしますかぁ?」

「ロッジを追い出されるから、仕事を探す感じかな?」

「御主人様を追い出すなんて生意気! この国を滅ぼしちゃおう!」

「は?」


 さっきから人間を殺すとか、国を滅ぼすとか過激である。しかしながらよく考えれば、カーミラは悪魔なのだ。

 人間を嫌っているのかもしれない。


「人間が嫌いか?」

「惰弱で脆弱ぜいじゃく。殺しても一向に減らないゴミ虫でーす!」

「辛辣だな」

「悪魔だからね!」

「俺も人間なんだが?」

「すでに御主人様は魔人でーす! 強くて憧れますよお」

「実感が……」


 確かにフォルトは、受け継いだスキルが使えた。アカシックレコードから解放された情報も引き出せている。

 それでも、肉体的な強さは感じない。だからこそ、人間から変わっていないのではと思った。とはいえ人間でなくなったのならば、やることは一つだろう。


「俺は魔人の力を隠そうと思う」

「七つの大罪を持ってるのに勿体もったいないですよぉ?」

「どういう意味だ?」

「そのままの意味ですよぉ。使えるものは使ったほうがいいでーす!」

「でもなぁ」

「それにですね。力を抑えても良いことなんてないんだから!」


 これが悪魔のささやきというものだろうか。

 フォルトは戸惑いながらも、カーミラの言葉に納得してしまった。もう自分を抑えなくて良いかもしれないと……。

 今までは、自分を抑えていた。学生の頃から、仮面を被っていたようなものだ。本性を隠して、相手に合わせていた。

 それにも挫折して、中年になるまで引き籠っていた。


「まぁそのうちな。カーミラも一緒に来るのか?」

「当たり前ですよぉ。私は御主人様のシモベでーす!」

「助かるよ。これからも頼りにしていいか?」

「御主人様から頼られるなんて、地獄に落ちる気分でーす!」


(地獄に落ちる……。嫌ってことか? いや、この顔は違うな。天国に昇る気分と言いたいのか? さすがは悪魔)


 カーミラは幸せそうな表情を浮かべている。

 その顔を見ると、フォルトのほほが急に熱くなる。自分には過分な女性だが、ここまで好かれると恥ずかしくなってしまう。


「それより御主人様、もう一回ね!」

「ええっ!」

「私も気持ち良くなりたいなぁ」


 耳元で囁かれた言葉に、フォルトは戸惑った。後ろに下がろうとするが、いつの間にか、カーミラに手を握られている。

 そして彼女は、体ごとぶつかってくるのだった。



◇◇◇◇◇



 フォルトは夢心地な気分で、カーミラと見つめ合っていた。すでに彼女の虜と言っても過言ではない。もうどちらがシモベか分からない。

 そんなことを考えていると、ロッジの扉が軽くノックされた。


「誰だ?」

「この感じは人間ですねぇ。私は隠れてまーす!」

「あぁ、そうしてくれ」


 面前からカーミラが消えて身を隠した。

 フォルトはスキル『変化へんげ』を解除して、体型を元のおっさんに戻した。続けて扉を開け、誰が来たかを確認する。


「誰かな?」

「あったしぃ! おっさん、随分と寝てるじゃん」


 扉の前に立っていた人物は、一緒に召喚されたアーシャだった。

 満面の笑みを浮かべているが、何かあったのだろうか。


「どうしたんだ?」

「あたしとノックスは残るからさ!」

「シュンの従者になるって聞いたな」

「別れの挨拶ぐらいはしとこうかなってね!」

「そうか」

「それと一週間も出てこないしさ。心配したわけぇ」

「は?」

「何をしてたん?」


(俺は一週間もロッジで寝てたのか! あのときの頭痛は思い出すだけで痛いが、姿が見えない声のせいだな。腹が減ったのもうなずける)


 フォルトが急に考え込んだので、アーシャが怪訝けげんそうな表情を浮かべる。しかしながら、すぐに目を逸らして遠くを眺め始めた。

 満面の笑みも徐々に消えていき、不満を感じさせる表情に変わる。


「ノックスと交代で来てたんだぁ」

「心配してくれたんだな?」

「勘違いしないでね。キモいから!」

「………………」

「生きてたなら、ノックスのときに出てきてよ!」

「悪かったな」


 満面の笑みは、シュンの従者として城に残ると決定したからだ。

 そして不満の正体は、フォルトが面前にいることだった。


「まあいいや。多分もう会うこともないからさあ」

「そうだな。俺はロッジを出ることになる」

「どこかで見かけても話しかけないでね。キモいから。きゃは!」

「分かった分かった。じゃあ元気でな」


 アーシャはもう話したくないのか、きびすを返して走っていく。遠ざかる背中を見ていると、醜い感情がフォルトの心を支配してきた。

 これは、七つの大罪である嫉妬と憤怒だ。自分を見捨て、シュンの従者になった二人に対する嫉妬。罵倒されたことに対する憤怒。

 今までは、波風を立てないようにしていた。しかしながら魔人に変わった今なら、彼女に何かをやってしまいそうだった。


(次に会ったら……)


「行っちゃいましたねぇ。あの小娘を殺しますかあ?」

「平気さ。人殺しなんて……」

「そうですかあ?」

「なぁカーミラって……」

「はい?」


 ふと疑問が浮かんだフォルトは、腕に絡みつくカーミラに問いかけた。

 それに対して彼女は、可愛らしく小首を傾げる。アーシャとは違って、満面の笑みが崩れることはなかった。


「いきなり消えて、どこに行ってたんだ?」

「魔界ですよ魔界」

「へぇ」


 カーミラは簡単に言っているが、フォルトに仕組みは分からない。

 現状では知っても意味が無いので、頭に留めておけば良いだろう。


「御主人様と魔力でつながっていれば、簡単に移動できますよぉ」

「魔力?」

「それがシモベになるということでーす!」

「ふむふむ」

「御主人様はすべてを継承したので、シモベ契約も継続なんですよ」

「なるほどな」

「えへへ。赤い糸ってやつでーす!」


 やはりフォルトには分からないが、そういうものだと納得した。

 カーミラは悪魔だが、うそを言っているように見えない。他に信用できる人がいないため、彼女を頼るしかない。

 いや違う。彼女しか信用できなくなった。


「なるほどな」

「その赤い糸を太くしましょうよ!」

「まっまたか!」

「えへへ」


 カーミラがフォルトの胸へ飛び込んできた。『変化へんげ』のスキルを解除したので醜い姿のままだが、気にせずにまとわりついてくる。

 そして行為が終わった後、ロッジを出ると決心した。

 このまま生活しようにも、三週間後には追い出されるからだ。彼女も一緒に来てくれるので、ロッジに残る理由が無かった。


「ロッジを出る」

「御主人様がいる所じゃないからね!」

「でも、今の服装は何とかしたいもんだ」

「だったら、前の御主人様の服を着ますかあ?」

「助かる! 部屋着じゃ恥ずかしい」


 カーミラは魔界に戻って、服を持ってきた。

 濃い赤紫の上着に、黒いスラックスと靴。他にも裏地が赤黒いマントである。どこかで見たことがあるようなデザインだ。


(これって……。吸血鬼のコスプレじゃね? 部屋着よりはマシなんだが、さすがに気恥ずかしいな。まぁ何でもいいか)


「それを着る前に、ジェシカさんに伝えてくるよ」

「じゃあロッジで待ってまーす!」


 フォルトはロッジを出て、教会に向かった。

 最初に向かったときは息を切らしたが、今回は疲れない。魔人に変わったことで、昨日までの自分ではなかった。

 教会に到着して中に入ると、ジェシカが祈りをささげている。悲鳴を上げられても困るので、彼女が気付くように近づいて声をかける。


「あの……」

「フォルト、さんでしたか。私に何か?」

「お世話になりました。本日でロッジを出ていきます」

「そうですか。出ていかれますか。ではお元気で……」


(軽いな。一週間もロッジから出てないのに心配すらしないとはな。それでも神官なのか? 心なしか喜んでいるようにも……)


 フォルトがいなくなるとうれしいのか。ジェシカの笑顔を見ると、またもや悪感情が心を支配してくる。

 これは憤怒と色欲だ。カーミラは魅力的だが、ジェシカも容姿やスタイルは良い。整った顔立ちと神官としての清楚せいそな仕草に心が揺さぶられる。


(いずれ……)


「何か仰いましたか?」

「いっいえ! 何も……」

「それと三人に会うことはできません」

「なぜですか?」

「城に入るには許可証が必要になります」

「では頑張って勇者になってください、と……」

「はい。お伝えしておきますわ」


(会わせたくないんだろ? 顔も見たくもないってか? 分かってるよ。でも、こんな扱いをされる覚えはないんだけどな)


 悪感情の支配が強くなる。

 今すぐにでもジェシカを壊したくなるが、人間的倫理観がフォルトを制止する。とはいえ、悪感情はくすぶったままだった。

 カーミラの言った言葉が思い出される。

 抑えても良いことはないという言葉を……。


「ロッジから出られましたら、二度と戻れません」

「戻るのにも許可証が?」

「はい。ですので、忘れ物がないようにしてください」

「大丈夫です。ありがとうございました」


(念入りに追い出しやがるな。そんなに出ていってほしいのか? 召喚した者の責任とか言ってたくせにな)


 フォルトは悪感情を隠したまま、ジェシカに背を向けて歩きだす。

 出ていく前に着替える必要があるので、急いでロッジへ戻った。すると満面の笑みを浮かべたカーミラが、新婚のように出迎えてくれるのだった。



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Copyright(C)2021-特攻君

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