第5話 魔人と小悪魔1

 ロッジの中では、一人の男性が苦しそうにうなっていた。ビール腹が少々気になりだした小太りの男性だ。

 その目は大きく見開いて血走っている。両手は指を立て、側頭部を力強く握っていた。足をバタバタと動かして、時おり体を左右に向けている。


(あ、頭が……。頭が痛てえ! 割れそうだ! 情報が……。情報が濁流のように流れ込んできやがる。これはいったい何だよ!)


「がああっ! 痛てえ! 痛てええ!」


 この小太りの男性は、日本から異世界に召喚されたフォルトだ。

 現在は激しい頭痛に襲われて、生木の床を転げ回っている。痛みは治まらないようで、大声を上げて叫んでいた。

 他のロッジには、同様に召喚されたアーシャとノックスがいるはず。にもかかわらず、その声は届いていないようだ。

 普段であれば薄情と思うが、今は何も考えられない。


「誰でもいい! この頭痛を止めてくれ!」


 叫んでも頭痛は治まらず、更に酷くなる一方だった。

 そして、痛みに耐えかねたフォルトは意識を手放す。


「………………」


(アカシックレコードの解放が終了。続いて、遺品の転送を開始します。スキル……失敗。原因を究明中……)


 そして気絶している間に、誰かがロッジに訪れたようだ。

 何度も扉がたたかれたが、フォルトは気絶しているので気付かない。


「………………」


(原因の究明が完了。人間種から魔人種に変化を開始……。完了。中断したスキルの転送を開始……。完了。生命力……。完了。魔力……。完了)


「…………。ぐっ!」


 姿の見えない声が立て続けに、何かを行っていた。

 どれぐらいの時間が経過したのか。意識が戻ったフォルトは、上体を起こして頭を振る。頭痛が治まり、何やら晴れやかな気分だった。


「良かった。痛みが治まったか。あれ? なんか気分がいいな」


(遺品の譲渡が完了。続けて、アカシックレコードとスキルを結合……。完了。すべての作業が完了しました。魔人種から魔神に変化を開始しますか?)


「マジン? マジンシュからマジンって何だ?」


(魔人種から魔神に変化を開始しますか?)


 どうなったか分からないが、姿の見えない声はフォルトに問いかけてくる。

 声に反応しても、同じ質問を繰り返すだけだった。


「ここまできたら最後までやってしまおう。開始してくれ」


(魔神に変化を開始……。失敗。原因を究明中……。完了。カルマ値の不足。カルマ値が絶対悪になるまで保留。以上で終了します。お疲れさまでした)


「よく分からないけど……。終わりか?」


 フォルトは耳を澄ませながら、姿の見えない声の回答を待つ。とはいえ、何の答えも返ってこなかった。

 終了と聞こえたので、言葉通りに終わったのだろう。


「うーん。何が変わったんだろ?」


 残念ながら、近くに鏡などの姿を映すものは無い。

 それでもフォルトは、変化を確認するために全身を触る。頭頂部から足指の先まで念入りに触ってみたが、特別な変化は無いようだ。


「結局何だったんだ? それにしても……。眠いな」


 フォルトは首を傾げるが、今度は眠気が押し寄せてくる。

 基本的に惰眠を貪るのが大好きなので、首を傾げた方向に倒れ込んだ。


「ふわぁあ。お休み……」


 周囲には自分しかいないが、眠る前の挨拶だけは欠かさない。

 目を閉じて暫く経つと、再び扉が叩かれた。しかしながら、今後は熟睡しているので気付かない。タイミングの悪さは天下一品かもしれない。

 そして夢すら見ない深い眠りに落ちていると、急に体が重くなる。また同時に室内では、ピチャピチャと何かの音が響き渡った。


「見つけたよ!」


 室内は真っ暗だが、フォルトの体の上に影が乗っている。

 体を密着させて、上半身から下半身に指をわせていた。


「醜い体ね。早く起きないかなぁ」

「んんっ……」

「そろそろ起きるかな? 待ち遠しいよぉ」


 その影は、赤髪をツインテールに決めた小柄の女性である。

 黒と赤を基調とした上着を着ているが、まるで胸だけを隠すブラジャーのようだ。また同じ基調の超ミニスカートが、少しだけめくれている。スラリと伸びた足には、黒のニーハイソックスと赤いハイヒールを履いていた。


「わが君……。ちゅ」

「あっ朝か? ほっぺに生暖かいものが……」

「こっちを見てえ」


 フォルトは目を覚ました。

 周囲は暗くて見えないが、体の上に誰かが乗っているようだ。寝起きなので視界がぼやけているが、目を擦りながら確認した。

 それから数回ほど瞬きをすると、記憶に無い女性が乗っていた。


「なっ何してんだ!」

「ちゅ! あ、起きましたかあ?」

「俺の上で何やってんだ! お前は誰だ!」

「その質問に答える前に、終わらせちゃいませんかあ?」

「な、何を?」

「ふふっ。い、い、こ、と」


 馬乗りになった女性は、フォルトの体に密着してきた。

 その柔らかい感触は久しぶりだったので、残念ながら跳ねのけられない。とりあえずはお言葉に甘えて、数十分をかけて骨抜きにされた。

 最後に甘い吐息をついた女性は、小悪魔らしい笑みを浮かべて、可愛らしい顔を近づけてくるのだった。


「私はどうでしたかあ?」

「良かった……。じゃない! だから、お前は何なんだ!」

「悪魔のカーミラちゃんでーす! これでもリリスなんだからね!」

「あっ悪魔? リリス?」

「そうだよぉ。御主人様のシモベでーす! ちゅ」


 フォルトの混乱を見て取ったカーミラは、ほほに唇を押し当ててくる。

 骨抜きにされたので抗えず、成すがままにされた。


「すまないが、分かるように説明してくれ」

「そうですかあ? 御主人様は前の御主人様だった魔人でーす」

「魔人?」

「その魔力を感じたので急いできたんですよぉ」

「魔力……」

「カーミラちゃんってば偉い?」

「よく分からんが……。偉いのか? でも俺が魔人?」

「そうですよお。魔人はですねぇ」


 世界に存在するすべての種族と敵対するのが魔人種である。人間と比べると圧倒的に数は少ないが、持っている力は圧倒的に強い。

 そして世界には、魔人が住まう前人未踏の地が存在する。そこから度々現れては、天災級の災害を起こしているという話だ。


「すべての儀式は終わったはずですよぉ」

「何のことだ?」

「記憶喪失ですかあ?」

「俺は昨日、こっちの世界に召喚されたばかりの人間だ!」


 フォルトは今までの出来事を伝えた。

 カーミラは聞き逃さないように耳を澄まして、首を傾けたり縦に振っている。真剣に聞いている姿勢が伝わってきた。

 悪魔と言っていたが、とても可愛くて美しい女性である。現金なものだが、この場から逃げようと思わなかった。

 またジェシカと違って、情報を教えてもらえそうだ。


「ふんふん。カードを見てもいいですかあ?」

「ああ」


 フォルトはポケットからカードを取り出して、カーミラと一緒にマジマジと見る。すると、目が飛び出しそうになった。

 称号の欄を開いたら、空欄の場所が埋まっている。「大罪をまといし者」と「神々の敵対者」が追加されており、膨大な量のスキルで埋まっていた。

 一番驚いたのはレベルで、なんと五百もある。


「レベルが五百だと! バグってやつか?」

「前の御主人様と同じですねぇ」

「え?」

「そういう儀式だったからね!」

「儀式?」

「与えられたスキルや魔力は、人間だと耐えられないでーす」

「だから魔人になった、と?」

「御主人様の言ったとおり!」

「まさか……。俺を狙った?」

「儀式は個人を狙えないですよぉ」

「へぇ」

「たまたま合致したんですねぇ」

「合致……」

「七つの大罪を持つ御主人様にね!」


 カーミラが顔を近づけてくる。

 暗闇に目が慣れたフォルトは、彼女の姿を見て、顔の筋肉が緩んでしまう。リリスとはよく言ったものだ。男性を虜にする魅力があふれていた。

 そして、見るからに悪魔である。頭には角が、背中には翼が生えていた。細い尻尾もあるようだ。とても作り物には見えない。

 彼女が動くたびに翼がパタパタと揺れて、尻尾もユラユラと揺れていた。


「でも、レベルが五百って気はしないな。ほら」


 フォルトは床を強く叩いてみるが、コツンと鳴っただけであった。

 レベルが五百もあるなら、穴を空けても不思議ではない。


「リミッターですねぇ。力を込めて殴ってください!」

「それだと痛いだろ!」

「大丈夫ですよぉ」


 カーミラは笑みを浮かべているが、フォルトは不安だった。痛みが苦手で自殺をやれなかった男なのだ。

 ゆえに諦める。


「やめとくよ」

「じゃあ、そのうち慣れればいいですね!」

「そっそうか。いずれ、な」

「スキルは手足のように使えますよぉ」

「へぇ」

「これから徐々に使い方が分かると思いまーす!」

「ふーん。やってみよう。『状態測定じょうたいそくてい』っと……」


 使わなければ、宝の持ち腐れというものだ。

 フォルトは手始めに、気になったスキルを使ってみる。カーミラの言ったとおり、使い方は頭の中に流れ込んできたので簡単だった。

 まるで手足を動かすように使える。


(なんだこれ? 死のうとしてたのにな。いきなりチート級になったぞ。生命力を表示するスキルだと、カーミラとの差が何倍もあるような?)


のぞかれると恥ずかしいですよぉ」

「すっすまない」

「謝らなくていいですよぉ。自分の好きなように、ね!」

「どういうことだ?」

「見たければ見てぇ。壊したれば壊せばいいでーす!」

「は?」

「何かやりたいことはありますかぁ?」


 カーミラに促されて、フォルトはやりたいことを考える。しかしながら、何も思い浮かばなかった。

 今すぐ何かを思いつくわけもないので、乾いた笑みを浮かべた。すると、空腹だったようで腹が鳴ってしまう。

 これは恥ずかしい。


「あ……。旨い飯を食いたい」

「暴食ですねぇ。何か用意しまーす!」

「できるのか?」

「カーミラちゃんにお任せでーす! 肉でいいですかぁ?」

「そうだな。肉を食いたい」

「ならなら。近くの人間でも殺して、新鮮な肉を調達してきますねぇ」

「ちょっと待て!」


 よどみなく話すので、フォルトは聞き逃しそうになった。カーミラは聞き捨てならないことを言っている。

 さすがに、新鮮な人間の肉など食べる気がしない。


「人間の肉なんて食えるか!」

「えええっ! 前の御主人は旨そうに食べてましたよ?」

「俺は食わん!」

「じゃあ小動物の肉でいいですかあ?」

「あぁ……。それで頼む」


 カーミラはうなずいて、フォルトの目の前から消えた。扉から外に出ていったわけではなく、その場で消えたのだ。

 それは、小説やゲームに設定されている転移のようであった。



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Copyright(C)2021-特攻君

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