第1話 日常

※次は午後5時ごろ!





 両親の愛情と期待のすべては、弟のマシューと妹のロレインへ注がれていた。

 本来ならば長兄である俺が家を継ぐのだが、特例として次期当主には弟のマシューがつくことになり、それに反対する者は誰ひとりとしていなかった。




 ある日の昼下がり。

 ひとりきりでの昼食を終えた俺は、日課である午後の鍛錬のため、屋敷の中庭にある庭園に来ていた。

 鍛錬といっても、師がいるわけではない。

 俺はこの時すでに両親から見放されており、「教育する価値ナシ」となっていた。言ってみれば、飼い殺しの状態だったのだ。


 それでも、いつか見返してやりたいと、こうして自主鍛錬に励んでいる。

 ――あと五年。

 十三歳になれば、王立の学園に通える。

 そうすれば、教師のもとでしっかりと学習ができる。

 その日を夢見て、俺は午後から剣術の鍛錬、午前中は魔法学などの知識を蓄える時間としていた。


「さて……」


 まずは剣の素振りから。

 鍛錬用の模造剣を鞘から引き抜こうとした――まさにその時だった。


「!?」


 突然、全身が重くなる。

 まるで、四肢に巨岩を括りつけられているような感覚だ。


「ぐっ! がっ!」


 まともに言葉も発せられなくなり、とうとうその場に倒れ込む。

 すると、


「あっははははは♪」


 突然高笑いが響いた。


「あんたみたいな虫けらが生意気に二本足で立ってるんじゃないわよ」


 吐き捨てるようにそう言ったのは、母親譲りのピンク色をした髪が特徴的な妹のロレインだった。

 どうやら、俺の体の自由を奪っているのは、ロレインの魔法らしい。


「どう? この国では三人しか扱える者がいない重力魔法の威力は?」

「うぅ……」

「あらあら、妹の魔法に手も足も出ないの? 無様ねぇ♪」


 その口調と視線は、明らかに俺を見下していた。

 しかし、それに対して俺は何ひとつ反論できない。

 力でも魔法でも、俺は妹に太刀打ちできる要素を持っていないからだ。

 おまけに、俺はすっかり対人恐怖症となっており、血のつながった妹にさえ「やめろ」のひと言がぶつけられなかった。重力魔法で口が思うように動かないとか関係なく、俺は何も言い返せないのだ。

 すると、そこにもうひとりの影が。


「その辺にしておけ、ロレイン」


 弟のマシューだ。


「何よ。今いいところなんだから、邪魔しないでよ」

「もう十分だろ」


 そう言って、ロレインを止めるマシュー。

 だが、それは決して妹の乱暴な振る舞いに対してではない。


「次は俺の番だ」


 ただ、俺をいたぶる順番が変わるだけだ。


「鍛錬をするんだろう? だったら俺が相手をしてやるよ――虫けらぁ!」


 先ほどまで大人しめの口調だったマシューは豹変。

 手にした模造剣で俺に襲い掛かる。

 そのスピードもパワーも遥かに俺を超えている。


 俺は弟からの猛攻をただ防ぐことだけしかできないでいた。

 ――が、次第にガードできないほどの威力となり、やがて俺は吹っ飛ばされてしまう。


「ふん! こんなのが俺たちの兄だとは……虫唾が走るぜ」

「まったくだわ」


 疲労とダメージで動けなくなっている俺に、マシューとロレインの容赦ない罵倒が次々と降り注ぐ。しばらくすると、


「何をしているんだ!」


 怒鳴り声がした。

 その方向へ視線を向けると、大柄の成人男性が怒りの形相でこちらへと近づく。


「あら、モイゼス叔父様。ごきげんよう」


 ロレインはわざとらしく大袈裟に礼をしてみせた。

 そう。

 この人は俺の父であるドノヴァン・グルーザーの弟で、名前はモイゼス叔父さんという。幼い頃から俺のことを気にかけてくれている、唯一の味方と言っていい。残念ながら、今は遠方で領主をしているため、常時屋敷にいるわけではないが、こうしてうちに足を運んだ時は必ず俺を訪ねてきてくれていた。


「おまえたち……またハーレイに悪さを――」

「まさか。一緒に鍛錬をしていただけですよ。実戦を想定したハードなものだったので、少し傷ができてしまいましたが」


 マシューはペラペラと嘘を並べる。

 それが覆ることなどないと確信しているからだ。


 なぜなら……唯一の味方であるモイゼスさんにも、俺はまったく口が利けなかったからだ。


「そうなのか、ハーレイ」

「…………」

 

 真実を語ろうとしても、口がうまく動かない。

 そうこうしているうちに、マシューもロレインも飽きて屋敷へと戻って行ってしまった。


「立てるか、ハーレイ」

「…………」

「! ハーレイ!」

 

 俺は差し伸べられた手を握り返すことなく、自力で立ち上がって駆けだした。

 せっかく助けてくれたモイゼスさんに対しても、俺はなんて言ったらいいのか分からなくて逃げだしてしまったのだ。


 こんな惨めな毎日が、俺の「日常」だった。



 そんな生活がさらに数年続いたある日――俺の人生は大きな岐路を迎えることとなった。

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