第14話「恋とはなんでしょう?」

「恋とはなんでしょう?」

  いつか読んだエッセイにそんな問答があった。恋とはなにか。

 恋……恋ってなんだろうね……私にはまだ難しい問いかけかもしれない。ジャズよりも難しいらしいし……そりゃ難解だ。


 ちょっと日が暮れかけてきたとはいえ、まだまだ夏、真っ盛り。暴力的な日光から意識だけでも逃げるかのように、「恋とはなにか」を考えていた。

 キィキィうるさいチャリを漕ぎながら……


 そのエッセイには執着は人間の根源の苦しみであると書かれていた。お釈迦様の言葉だそうだ。お釈迦様が言うなら間違いないよな……

 苦しみから、執着から逃れるために私達ができること、それは……


 ——純粋に相手の幸福を願うこと


 それくらいしかないらしい。

 慈愛の心を持つこと。それが恋ってことなのかもしんない。わかんないね……


 ——キィキィ……キィーン!!!

 ブレーキを絞るたびに、おじいちゃんが運転している自転車みたいな音が耳をつんざく。


 信号待ちのたび、妙に焦る。受け身に、責任を取りたくないからって人に従って生きていた時間が私を責め立ててくるような気がして。


 意気込んで飛び出してはきたものの、私はどこへ向かうんだろう。

 ミヤモトに会いに? 会ってどうしようか……そもそもどこにいるんだろうね……

 知るか、そんなもん。ただ、前に進まなければいけないと、それだけの意思の力を持って私はペダルを踏むスピードをあげていく。


 最寄り駅の、隣の、隣の、隣の駅へ……

 あてもなく、でもきっと、あの日の革命爆弾爆発の震源地へと向かって、タイヤは回る。


 ——キィーーーーン!!!

 長いことメンテナンスもせずに放置してた自転車の悲鳴。

 あぁ……もしかして……これって、この音って……時間の流れに追いつこうって、もがく音なのかもしれない……私にはそう聞こえた。

 そう思うと、どこか自分に似ていて落ち着く気がするな……


 少しだけ清々しい気持ちになった私は、呼吸を正して、足を伸ばし、立ち漕ぎをしながら、宙に向かって微笑んでみた。


 分厚い前髪の裏に熱がこもる。身体は動く。車輪が回る。心臓の音がセミよりもうるさい。すれちがったおばあちゃんが不思議そうな顔で私を見る。名前はわからないけど綺麗な花が咲いている。走馬灯のように、今まで見えていなかった景色が鮮明に映る。私はたぶん、今生きている。


 音楽、そうだ。音楽。歌とか……芸術とか……なんかそういうやつは……たぶんこんな風に焦りの中から産まれてくるのかもしれない……たぶん平穏の中では必要のないものだから……

 今、私の中で新しく音楽みたいな、ラブ・ソングみたいな何かが産まれているといい。そう思うよ。


 ミヤモトにあったらなんて言おう……?


 私は、彼が病気だとかを隠していたことに対して怒るんだろうか。いや、そんなことはどうでもいいんだよな……

 ただ、チャリを漕いで、前に進んで、生きて、幸福を願って、「元気してた?」なんて何気ない話をして笑いたいな。それだけでいい。


 熱でまともな思考なんてできなくなっていた。でもそれが心地よかった。


 自転車を漕ぎつつけていけば、このままミヤモトに会えるんだろう。

 ……だってそうだよね。

 いつだって私が好きになる物語は、こんな夏の日の午後のクソ暑い日にこそ、気になるやつに会うため、格好悪くチャリや原付をかっとばすような筋書きなんだから。今度は私の番ってだけかもね。

 すべての物語はハッピーエンドであってほしい。私は、真剣にそう思っているよ。


 チャリを漕ぐ、足が軋む。朦朧とした意識が夕焼けのオレンジ色に溶けそうになる。私は……


 私は今まで何を悩んでいたんだろう……


 ポケモンって有名なゲームに、これまた有名な「レベル100の裏ワザ」ってのがあるんだけど……裏ワザでズルしてレベル100になったポケモンは、コツコツと「努力値」を稼いでレベル100になったポケモンよりも弱く育ってしまうんだそうだ。

 たぶん人間にも、そんな「努力値」みたいな隠れステータスが存在しているんだよ。まぁ私は「レベル」も「努力値」も全然低いんだけどね……


 でもまぁ、人間に出来ることなんて前に進むことだけなんだよな。昨日よりも少しだけ前へ、それを繰り返していくことだけ。たまに道端なんかに咲く花を慈しんだりして……またテンポ正しく歩いていくだけだから……きっと大丈夫。


 ——だから私、なにも悩まなくてもいいんだよ。



 もうすぐ、あの河川敷に到着する。革命爆弾の爆心地。ただ心と身体が望むまま、前に進む。


 そういえばさ……恋ってなんなんだろうね……

 みんな当たり前のように、愛だとか恋だとか、そんなことで忙しくしているけれど……みんな本当に理解しているんだろうか……恋……恋ってなんだ……


 十六歳の八月、恋について考えるのは産まれて初めてで、これが遅すぎるのか、適正年齢なのか、よくわからないけれど……私は、私のペースで生きていければいいと思う。そのうちきっと焦燥感とも仲良くなれるよ。


 恋、恋ってなんだ……君はなんだと思う……?


 なんだろうな……キスとかしたいって欲求かな……? 私にとっての「恋」はそういうのと違う場所にある気がする。


 私が彼に抱いている感情は「恋」に似た何か別のものなのかもしれない。しっくりくる言葉は……「慈しみ」ってやつだろうか。

 でも「慈しみ」こそが「恋」だって、あのエッセイに書いていたな……なんて本だったっけ……たしか、「頭をよくしてあげよう」とかそんな感じのタイトルの……


 わからないけど……本の名前も、恋とは何なのかもわからないけど……


 今の私が、ただ一つだけ、思ってることは——

 

 ——出会えてよかった


 って、ただそれだけのことなんだ。

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